傀儡たちの狂騒曲 二
希人の災厄を避けるために――それで最初に封印を解いたのは、近くにいる狗を確認するためだった。なにも下準備をせずにいきなり解いて、鬼に襲われたりしたら大変だからである。
ところが実際、ホントに大変だったものだから、当時、俺を見つけたミカンコ嬢の話し振りの心理が少しは理解できた気がした。
そして、このたびの傀儡騒ぎへと繋がるわけだ。
希人とは、まったく以て何が起こるのか予測ができない。抑制しつつ慎重に物事を進めるこのお嬢様は、この俺のよき理解者であり、天地にあって希人を詳しく知るただ一人の法師でもあった。
「自然に生じた傀儡とは、面白い表現ですね」
ミカンコは、考え込んでいる。
「ええ。僕がたった今、勝手に作った表現ですが、じつはこれを上手く説明できる事象が、普段の生活の中にも潜んでいるのですよ。なあハンチ君、生物を作りあげている設計図とは、いったいなんだったか知っているかい?」
慶将は涼しい顔でこう言うと、俺に笑いかけてきた。
「馬鹿にすんなよ、DNAだろ」
「そう。そのアミノ酸の連なった、長い紐状のらせん構造物の中に、身体を作るためのすべての情報が網羅されている。これらを御呪印にたとえると、個々のアミノ酸は呪字、紐はその符文にあたるわけだ」
傀儡とはなんぞやから始まったこの話、まるで昼間のテストの続きのようで、俺もうんざりさせられたものだが、こうしたお喋り好きな男の方が、えて優等生で女にもモテるのだろう。
「なるほど、おつむのよろしい方は、違ったもんでございますな」
俺は大げさな顔をしてみせた。
すると横から笑い声がする。それは品良く聞こえたが、すこし技巧的なようにも感じられた。
その声の主は言う。
「一見、複雑なようでいても、呪符などに使われる文字の種類は、意外と少ないものですよ。だからそこに複雑な情報が隠されているなどと、昔の人は思いもしません。けれども現代の私たちならば、たったふたつの数字からでも、複雑な情報を記述することができるという事実を、きちんと理解しておりますでしょう?」
それこそがデジタル技術というもの。今ではあらゆる業界・業種で、経済活動の基盤を担う重要なものとなっている。
「つまりなに? その傀儡というのも、DNAみたいなものが備わっていて、生きているってこと?」
「生きる、という表現はあまり適切ではありませんね。そのままでは、ただの文字の羅列、部品の集まりに過ぎませんから」
「じゃあ、なんなのよ」
声に不審をこめて言う俺を、慶将が可笑しそうに返り見た。
「なあ、ハンチ君。そうした半端なDNAの、いわゆる情報の屑みたいなものが、生物界においては、突如として猛威を振るったりすることがあるんだよ」
「そんなん、あったっけ?」
「ほら、ついこの前もパンデミックを引き起こした―――」
ああ、ウイルスのことね。
俺もさんざん情報番組で学習していたので、少しは理解できているつもりだ。
たしかウイルスは、DNAが半端なために宿主細胞の中でしか増殖することができず、それゆえ細胞外ではまるで無機物のように、砂糖とか塩みたいな粒子構造を取っているとか、いないとか。
「だが、あるとき、不意に活動できる環境が整った」
慶将はそう言うと、椅子の背もたれに身を預ける。
「んん? ひょっとして、それがさっきの、過電流ってやつなのか?」
そうした説明ならば、俺も少しは合点がいく。
希人から漏れ出た力を受けたことによって、偶然にもただの文字列であったものが、息吹を得たというわけか。
「でもよ、そんなにホイホイ傀儡とかが湧いてくるんだったら、もうこの掌紋、どうしようもなくね? それこそ世の中がめちゃくちゃになっちまう」
俺は自分の手のひらを眺めながらそう言った。
希人による災厄を防ぐために、お嬢様は俺にいろいろお節介を焼いているが、ならいっその事、封印を弄らずにいた方がよろしいのではないかしら。
あるとき突然、駅のゴミ箱にうち捨てられた新聞紙たちが無秩序に意識活動なんぞを始めやがったら、それこそ日本全国がコメディー劇場である。
「ご安心ください。たしかに文字は御呪印に不可欠ですが、そこには秘せられた数多の風儀なども――――賢智を輻湊し屡報を森羅せしとも、常人には及びがたし、というものですわ」
「ああ、ええと、つまり?」
まったく、この女の喋ることはいちいち解りづらい。
「僕らが暗記した経や祝詞を奏上しても、本物の仏様や神様のようにはいかないだろう?」
「要するに、基本、専門家たちが作ったものでないとダメってことか?」
慶将は前屈みになって大卓に肘を置くと、頬を手の甲にのせた。
「一見、ただの文字列のようでも、そこには僕らの想像すら及ばない秘術が、たくさん詰め込まれているのだろうね。現に傀儡として現れたのは、これだけ文字のあふれている世の中においても、たった一件だけだ。それでさえ、きっと奇跡のような偶然にちがいないと思うよ」
「ここで立ち話をしていても疲れますでしょう。ハンチさんもお座りになられたら、いかがかしら」
ミカンコは淑やかに一礼をすると、少し離れて、奥の食器をしまい込んだ戸棚へと向かった。あとから従う俺の方は、なんだか子供扱いされているようで、やや落ち着かない気分でもある。
「彼女の前では、僕もそうだよ」
珍しく慶将が同情するように言う。
それでまあ、俺もすすめられるままに椅子に座ったわけなのだが、当初からの疑問も口にした。
「なあ、それでなんで、傀儡はあんなとこに湧いたんだ?」
「うん? それはおそらく、現場の誰かが偶然、祝詞か符文の描かれたようなものでも所持していたからではないのかな」
「会見の場に宮司か坊さんでも混じってたのか?」
「そうではなくて―――」
慶将は頬杖をついた顔を上げると、椅子の背に凭れかかって腕を組んだ。
「―――可能性としては、御守りだろう。御守りの中身は御神札、現代では祭神の名前や霊威を表す文字や絵、神社の名前を印刷したものがほとんどだけど、地方の古い神社では、いまだ手書きの札で丁寧に祀る宮司もいるらしいからね」
ふむ。それが、たまたま開眼してしまったというわけか。
「なら、正義の味方をしていた理由は何よ?」
「傀儡に力を吹き込むのは希人だけど、それ自体に意志はないはずだ。もし傀儡に意志を持たせるのだとしたら、それはその所持者でしかありえない。そのことについて、冒頭でも実に興味深いことをあのヒーローさんは叫んでいただろう?」
ええと、たしか『正義のヒーロー、USAIDマン』だったっけ。
「ああう、思い出しただけで頭が痛い」
俺はこめかみを押さえて顔を俯ける。
「フフ、僕は、実に個性的で良い名だと思うけど」
向こうからはミカンコの忍ぶような笑い声。茶器までカチカチと鳴らしてくれる。
「でも、僕が注目しているのはそこではなくて、少し前に述べていた口上の方なんだ。『天呼ぶ、地呼ぶ、記者が呼ぶっ。与党を倒せと、俺を呼ぶ!』のくだりだね」
改めて聞くにつけても、まあなんと恥ずかしい前口上であることか。
「俺なら、そのまま屋上からでも飛び降りる自信があるね」
「傀儡にそこまでの羞恥心があるかはともかく―――」
そして、慶将は溜めた息を吐く。
「―――傀儡の行動原理の基本は、意識の写し、なのさ。意志を持って振舞うように見えても、それは所持者の意識や無意識を写しとった現れにすぎない。そして今回は面白いことに、傀儡自身が主の職業を暴露している」
ああ、言ってるなあ。記者が呼ぶって。
「なら。傀儡の所持者は、あそこに集まっていた記者のひとりってわけか」
「だろうね。そしてその古臭い口上から鑑みるに、その記者は年配者であると推測される。そんなものが流行っていた世代というのは、マックス・ウェーバー的な宗教社会学の全盛期で、つまりはそういう思想に感化された、地位の高い記者、あるいは編集長あたりだと思うよ」
「ふうん」
慶将は俺の顔をじっと見ていたようだが、ふと笑って、窓の外を見る。何も言われはしなかったが、今回の用件はこれでおわったらしく、俺への疑いも晴れたらしい。
そこへ緑茶とお菓子が、ミカンコの手によって運ばれてくる。
「食器を洗うのは、俺がやっておくよ」
男女平等の精神の下、もてなしを受けるだけというのもよろしくない。
けれども、ミカンコは笑って、
「あら、お気になさらなくて結構ですよ。私の方も、気分を良くして頂けたらこれ幸い、煎茶道のお点前のお稽古ごとのようなものですから」
その上品な大人びた雰囲気は、一体どこから出てくるものなのか。この女を前にすると、俺はどうにも畏まって仕方がないのである。
それでも、最初こそぼそぼそしていたものの、荒川ちゃんがやって来る頃にもなると、くだけた話題の幾つかもあって、だんだんとお調子づいてくる。
鷺ノ宮家ご息女を中心とした、この煎茶道の集まりは、試験後のしなびた精神に活力をもたらすほどに、憩う場となっていた。




