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その奇譚(きたん)、叶えるのは難あり  作者: あみの よもやま
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塞翁の狗 三

 俺のような気負いの目立つ平民ふぜいが、折り目正しいご令嬢に疑念を抱くことは、とんでもなく不遜(ふそん)なことなのかもしれないが―――でもなんだろう、先ほど感じた、あの違和感というものは。

 その感覚が、またなんとも表現し(がた)いのである。

 それをはっきり解き明かせないまま、俺は黙って体育館裏までついて行く。

 しかし来たはよいが、肝心の、あの大男の姿は見あたらなかった。


「おりませんね」

 ミカンコがぽつりとつぶやく。

「わりぃ、放課後じゃなかったのかも」

 とはいえ、人を呼び出しておいて、時刻を指定しない久場(くば)の方にも、問題があると思うのだが。


 広く舗装されたこの場所は、体育館で催しがあった際の臨時駐車場として、よく利用されているところであった。

 かつてここには立派な茶室を建てる計画もあったらしいが、予算の都合がつかないとかで、そのままずっと更地になっていたのを、理事長が国の補助金を目当てに体育館を大改装した際、ついでに整地してしまったという。

 だから補助金の名目が立たなかった焼却炉の廃炉は未だ進まずに、ぽつんと駐車場の隅に取り残されたまま、今ではこう、生徒たちの呼び出しに利用されるのみとなっている。

 その煙突の上には、煙に(いぶ)されることのない白い雲が、ぽっかり浮かんでいた。


「もう帰ってもいい?」

 その白い雲を見上げながら、俺も自分の付き合いの良さにやや呆れる。

「まだいないと決まったわけではありませんよ」

 ミカンコは周囲に視線を向けたまま、そんなことを言った。

「いや、だってよ」

(イヌ)というものは、目に見えるだけのものとはかぎりません。そもそも、尋常ではないものなのですから」

 それはつまり、そのお(イヌ)さまとお友達になるつもりのこの俺も、尋常ではないということである。

 それでまあ、その元凶をしみじみ眺め入るわけなのだけど。


「なあミカンコ。俺の掌紋(しょうもん)、いっそのことまた消しちまえば、こんな面倒な事しなくても済むんじゃね?」

 俺の問いかけに、ミカンコからの返事はない。

「おい、お嬢様?」

 何もない場所を、凝然(ぎょうぜん)と見つめるミカンコに、俺の声は届いているのかいないのか。

 無言を守って立ち竦むそのミカンコの周囲から、やがて聞き覚えのある声がしてくる。

 自然とそばだてた俺の耳には、微かな声が。


 ――いまからでも遅くはないよ、やめよう、こんなこと。キミに打ち込まれたその(ヒン)、ひょっとして、僕を身代わりにするつもりなのかい?


 なんだ、俺の知らぬ間に久場と交渉でもしていたのだろうか。


 ――ほんの少し、我慢するだけじゃないか。大丈夫、今生(こんじょう)の事だけで済むんだから


 そのとき、ミカンコの口から、あり得ないこんな声がした。

「断る! あくまでボクは自由でいたいんだ!」


 さすがに一瞬、俺も虚を突かれたが、ついで久場の、「ざんねんだ、じゃあ交渉決裂だね」を合図に、鼓膜を震わす地響きが、足元から沸き起こった。

 地下から突き上げてくるような激しい揺れの中、俺はミカンコの襟首を後ろからひっ掴むと、急いで飛び退くのである。

 それと同時に、左右から大小の石ころを弾き飛ばしながら、巨大な土くれの手が迫ってきた。


 ――ゴウンっ!


 それは巨鐘のごとき(とどろ)きを響かせ重なった。その衝撃によって、合掌した指先が目の前で何本か崩れ落ちた。

 さすがのミカンコも――いや、動転してもう正体を明かしてしまっている飛鳥(あすか)のやつも、ぱくぱくと言葉が無いようだ。

 これがホントの、マジでくたばる五秒前というやつで、恐慌を起こした飛鳥は悲鳴を上げながら、巨大な手に咬まれたスカートの裾をやたらと引っ張っていた。


「おちつけ、バカ!」

 俺はスカートを諦めさせ、ホックを飛ばしながら強引に手で引き裂いた。

 見ると下にはきちんと男物の体操着などを履いていた、これがミカンコに化けていた飛鳥くんの、不自然に思えた尻の答えらしかった。

「あ、あり、ありがとう――」

 飛鳥は歯の根のあわない唇で、素直に礼などを述べてくる。


 とってつけたことになるが、たった今、俺は確実に死んでいた。それがまた直前にまで巻き戻って、飛鳥の襟首を掴み、その場から逃れたのである。

 つまり、お嬢様に化けていた飛鳥と一緒にプレス機にかけられ、ちょっと筆舌しがたい死にざまを晒したときに、俺はこいつの正体を知ることになったわけだ。

 そんなものを観測できるのはこの俺しかいないから、何も知らない飛鳥の目には、久場の思惑を直ちに見破り、自分を救ってくれたヒーローのように映ってしまっても、仕方のないことかもしれない。


 飛鳥は制服の袖をやや乱暴にまくり上げると、その腕を俺へ差し出してくる。

「もう現実から逃げられないって観念したよ。さっさとボクを調伏(ちょうぶく)して、あいつも同じ目に遭わせてやって!」

「なんだって?」

 飛鳥の小さく握られたそのこぶし、よく見ると、五指のあいだに(すみ)の文字などがしるしてある。太く濃いはっきりとした毛筆で、それは、何かどこかで見たことのある古い書体のようだった。

「調伏してきちんとキミ専用の(イヌ)、つまり従者(ズサ)にしちゃえば、ボクにも相当のバフが乗ると思うから―――そんなことも知らないの?」


 飛鳥はもう強引に俺の右手を取ると、それを文字だらけの手に重ねた。

 俺の手が触れた瞬間、飛鳥の内部で炎が揺らめいた、と同時に、手に描かれた黒い文字が深紅の光沢に染めあがる。

「くっ、ほんと、強引だよね、これ…」

 呆然と見守る俺の耳に、苦痛にまみれた飛鳥の声が届いてきた。

 これが慶将の言う、妖鬼封咸印(ようきふうかんのいん)の発現による(しるし)らしいが、精神にかかる負担も相当なようで、飛鳥は自分を圧する力に耐えるべく、奥歯を噛んで顔を持ち上げるも、すぐさま腰を折って(ひざまず)いていた。

「おい、大丈夫かよっ」

 今の俺の目には、その飛鳥の内側から不思議な炎が噴きあがり、それが宙に渦巻くのが見えていた。

 その炎の向こうで、ふいに空が消失した。


 ―――なんだ?


 空にあいた穴には、黒い太陽が見えていた。

 次いで、遠望に建物が現れる。高くそびえる一棟の丸屋根が、ゆっくり二重に(ゆが)められてゆく。地に荒れ狂う熱風が、色彩の失われたこまかな建物を丸呑みにした。

 その有様は、想像を超えた廃滅を示し尽くして―――


 俺はまた、何か変な記憶を見せられているらしい、そう、痺れた神経の中で認識していた。

 はたして今回は、いったい何を見せられているというのか。


 やがて、暗雲に覆われた空から、大粒の黒い雨が音を立てて落ちてくる。

 焼け焦げた大地に注がれる大雨が、全てを闇に染めていった。 

 そして、世界から光が失われ、幾許(いくばく)かの時が過ぎたころ。

 軽い眩暈(めまい)の続く中で、俺は遠くからする声を聞いていた。その聞き覚えのある声音を、意識の奥底で探っているうちに、黒い視界がだんだんと色彩をともなった明るいものへと変わってゆく。


 ふと気づけば、目の前に飛鳥がいた。

 俺の呆けた横っ面を、何かを叫びながら叩いていた。

 そしてこの腹に腕をまわしてくると、一瞬の静止ののち、俺を抱えたまま素早く跳躍するのだ。

「ぐえっ!」

 俺は身体を九の字に曲げて、肺から空気を吐き出した。

 わずかに遅れて、質量のある何かが足元を()いでいた。


「あはは、間一髪だよ!」

 飛鳥の笑い声が、風を切る音の中に混じっていた。

 俺の足元を通過した何だか太いでっかいものは、アスファルトの地面にしぶきをあげて沈み込み、そこに波紋のようなものを打ち立てる。

 それを確認しながら、飛鳥は少し離れた花壇の脇に着地すると、俺をおもむろに放りなげた。

「ぶはっ」

 たしか俺は希人(まれびと)であるはずなのに、ずいぶんとぞんざいな扱いを受けるものだ。


「ああ、やっぱり彼も擬態していたか。でもすごいね。まだ希人に触れてもいないのに、あそこまでの基礎能力があるだなんて」

「てめぇ、もうちっと優しく扱えやっ」

 俺は花壇の土から顔を引っこ抜くと、飛鳥に文句を言った。

「仕方ないだろう。ボクも相即(そうそく)して、まだそんなに日が経っていないんだから」

「そうそく?」

 またこいつは知らない言葉を言う。

「ボクらを覚醒させ、本来の力を取り戻させることさ」


 俺の場合、右手で対象に直接触れることがそれに相当する。

 ところが、そのままほったらかしにすると、(イヌ)は何をしでかすのか知れたものではないから、そのために準備した首輪が、妖鬼封咸印(ようきふうかんのいん)というわけである。

 スピリチュアルな世界の彼らには、(ヒン)という不文律(ふぶんりつ)を与えることによって、自らの帰属を強制的に認識させ、従僕(じゅうぼく)する(イヌ)へと仕立て上げることができる。いわば、真っ白な生地をこちらに都合の良い色で染め上げてしまうようなもので、そのことを調伏(ちょうぶく)と呼ぶらしいのだ。


「つまり今のボクは、見事にキミ色に染められてしまったというわけ。夜伽(よとぎ)だってなんだって、それはもうハンチの好き放題…」

「気色悪いこと言うな――ってか、なんで今回、おまえも(から)んできたんだよ」

 俺がそう訊くと、飛鳥はその丸いお目々に不釣り合いな苦々しい(わら)いを浮かべた。

「あのやっかいな呪符印が開基(かいき)する前に、久場のやつに(なす)り付けてやろうと思ったんだよ」

「なすりつける?」

「ハンチも、小さい頃に鬼ごっこくらいはしたことあるでしょ?」

「そりゃあ、なあ」

「その鬼役の子は、相手に何をしていた?」

 この右手のせいで、小さい頃はそうした遊びを避けがちであったが、どんなルールであったかくらいは、さすがに俺でも知っている。

「タッチだろ」

「その遊びは、ボクらがやっていた除印(じょいん)に由来するんだよ。相即(そうそく)の最中であれば、ただ触れるだけで、(しるし)前の妖鬼封咸印(ようきふうかんのいん)をそっくりそのまま相手に移し替えることができる。いちど突き立てられた(ヒン)は、もう自身では引っこ抜くことができないからね」


 つまり、こいつは自分の(おこり)をすべて久場に背負わせ、エンガチョを決め込むために、ミカンコに偽装していたというわけか。

「でも久場くん、ずいぶんと年季の入った(イヌ)らしくて、あっさりバレちゃった」

「なかなかイイ性格してやがるな、おまえ」

「お()めに(あずか)り、恐悦至極(きょうえつしごく)

 俺の嫌味を、こいつは芝居がかった仕草であっさり受け流してくれやがるのである。


「そら、さっさと立ち上がってよ、ハンチ。久場が怒ってるよ」

「いや、怒ってるっつっても、九割九分おまえのせいじゃね?」

 しかし調伏したとたん、飛鳥がこうも俺に甲斐甲斐(かいがい)しくしてくるというのは、なかなか面白い体験である。

「ハンチ、(あるじ)のくせに動きがトロいね」

 お口の悪さは変わらなかったが。


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