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魔法使いは唱えない  作者: 0
一章 門出
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二話 初めての魔法(前)


 ルピスは不安と共に目を覚ました。


 ルピスがアセビに買われた翌日の朝。

 宿の寝室は一人用であったが、ルピスはアセビと同じ寝室で床に就いた。

 奴隷は所有者の財産と見なされるため、宿泊費が割り増しされることもなかった。

 

 成長期前の小柄なルピスは、アセビと同じ布団の中で目を覚ました。

 物心ついて初めて体験する添い寝。朝はアセビから抱きしめられていた寝苦しさから目を覚ました。

 アセビの体温はルピスのそれよりずっと高かったが、どこか安心できるような温かさだった。


 しかし、その温かさがいつまでも与えられるのか。それはルピスにはわからない。

 白金貨十枚というのがどれくらい大金なのかは実感にない。しかし、周囲の反応から、それは途方もない金額であろうことは察していた。

 それはつまり、それだけ期待されているということでもあると。


 そう考え始めると、気持ちが憂鬱な気分へ落ち込むことを押しとどめることは難しかった。


 負の感情から逃げるように窓の外へと視線を向ける。

 空模様はあいにくの曇天。無防備に開け放たれた窓から入り込むのは、冷たい空気と宿の前の通り道を歩く人たちの生み出す喧騒。


 視界の隅では鈍く輝く揺蕩う光たち。


 ルピスは布団から出ようともがいたが、思いのほかガッチリと抑えられた腕はピクリともしない。

 身じろぎをして抜け出そうとすると、抱きしめられた腕がいっそう抑えつける。


 ルピスは抱きした腕から逃れることを観念して、頭上のアセビの顔を見上げる。


 肩にかかる長さの髪は、根元が赤色でi毛先にいくにつれて黄色のグラデーションをもち、それは燃え盛る炎を彷彿とさせる。

 成熟した整った顔立ちに、長いまつ毛。閉じられている瞼の中には、赤と黄色の二つの宝石。


 ――きれいな人だなぁ。

 

 温かい体温と吸いつくようなもちもちとした肌の触れ合う感触の中でまどろんでいると、ようやくアセビが目を覚ました。


「……あぁ、おまえか。そう言えば昨日、競りで買ったんだったな」


 続けて、よく眠れたかと聞かれたので、ルピスは首をあいまいに頷いてそれに答えた。

 

 二人は布団から降りると。朝の身支度を整えた。


 朝の支度を終えるとアセビは、

「おまえには料理と家事を覚えてもらう。経験は?」

 

 文字通りの箱入り息子である。もちろん経験などない。

 包丁一つ握ったことのない。その手はつるつるのもちもちだ。


 ルピスがフルフルとその首を振ると、

「よし、じゃあ今から覚えろ。私を満足させることができたら、その対価に私が魔法を教えてやろう」

 エッヘン、とその形のいい胸をふるんと揺らし、

「こう見えても魔法は得意中の得意だ。自慢じゃないが、人族では私より実力が上の奴を探す方が難しいだろう」


 アセビはビシッとルピスを指差すと、

「世の中の基本は等価交換だ。せいぜい私の期待に応えろよ」

 ニッと尖った犬歯を剥き出しにして快活に笑った。


 言っていることはわかる。

 だからこそ、わからないこともあった。

 

 "どうやって?"


 魔法も使えなければ、屋敷から一歩も出たことがない、箱入り娘ならぬ箱入り息子。

 ハッキリと何もできないことをルピスはすでに自覚していた。

 

 筆談でそのことについて尋ねると、

「私に考えがある。ついてこい」

 

 アセビはそう言うと、宿屋の部屋を出て、受付へと足を運んだ。

 

 受付ではちょうど宿屋の主人が、退去する宿泊客との接客を済ませたところであった。


 宿屋の主人にずかずかと歩み寄るアセビの後ろを、小走りで追いかけるルピス。

 

「おい、宿屋」

「これはアセビ様。なにかご入用でしょうか?」


 宿屋の主人は距離を詰めるアセビに物怖じすることなく、物腰柔らかく向き直った。

 

「こいつに料理を教えろ」

 脈絡のない申し出にさすがの宿屋の主人も少々面食らった表情を見せ、

「彼は、その……?」

 アセビの背後のルピスに視線を送る。

「私の奴隷だ。昨日買った」

 アセビもルピスに一度視線を送ったあと、再び宿屋の主人を見つめた。

「なるほど、彼が例の……。であれば、そのお買い上げなされた奴隷商に頼むとよろしいかと」


 聞くところによると、購入した奴隷のアフターケアも多くの奴隷商が提供しているということであった。

 

「そういうものか」

 アセビはその話を聞いて、満足そうに頷いた。

 

 それから二、三言葉を交わすとアセビは大股歩きで宿屋を後にする。


 次に訪れたのは、ルピスを購入した奴隷商の商館だった。

 

 扉を勢いよく開くと我が物顔でずかずかと足を進める。

「おい、ルチルはどこだ! 客がきたぞ!」


 アセビに連れられて、ルピスが商館に足を踏み入れた。

 館内には奴隷市でルチルの助手を務めた女性と、警護の者と思しき武装した男が二人いた。

 

「な、なんですか、あなたは!?」

 ルチルの助手がアセビを見咎めた。


 あまりにも堂々とし過ぎていたため、警護の男たちは助手に判断を仰ぐような視線を送る。

 腰の得物に手をかけ、助手の合図次第ではすぐに飛び掛かれる様子。

 

 それを気にも留めず、ずんずんと助手の下まで歩み寄ると、

「昨日こいつを買った者だ。お前じゃ話にならん。責任者を連れて来い! ――じゃなきゃ殺す」


 笑顔でそうのたまった。


 その発言を敵意とみなしたのか、二人の警護の男が左右から飛び出そうとするが、突然金縛りにあったかのように動かなくなる。

 二人の顔を見ると、その表情は蒼白でびっしりと汗がその顔に浮かんでいた。

 

 助手もまた例外ではなかった。

「し、少々お待ちください」


 そう言うと、貝殻状の通信用の魔具を用いてどこかに連絡を入れる。

 

 ほどなくして、商館の通路からルチルが透明感のある金髪を揺らして現れた。

 よほど急いできたのか、その額には一粒の汗が浮かんでいた。

 

「ど、どうかしたの」

「あぁ、どうかした!」

 アセビは笑いながら胸を張った。

「……内容を聞いても?」

「こいつに家事を教えろ!」

 アセビの言葉に助手が、

「で、あれば家事ができる奴隷を――」

 揉み手で笑顔を浮かべて口を挟んだ。


 これを商談の好機だと捉えたのかもしれない。


 

「おまえ――コロすぞ?」



 突如として肌が粟立った。

 ルチルの助手の対応にアセビの雰囲気が一変したのだ。

 

 その意識を向けられているわけではない、背後にいるルピスですら気圧される迫力。

 その殺意を直接向けられた助手は腰を抜かしてその場にへたりこむ。


 その後ろでは警備の者たちが気を失っていた。

 

「あ、ああ、あああ……」

「私は、こいつに、家事を、教えろ、と言った。次に私の望む答えが言えなかったら、今度積む金はお前の墓前へと供えることになる」


 それはどすの利いた声だった。女性にしては低めの声の低さがさらに際立つ。

 先ほどまであった快活さは消え失せていた。

 

「その意味――わかるな?」


 ひと押しとばかりに、腰を折ってその整った顔を座り込んだ助手へと近づけた。

 

お客様(・・・)。それ以上はやめてくれる? ここは私が対応するから、貴女は裏で在庫の確認に回ってくれる?」

 

 ルチルが助手を庇う様に口を挟むと、助手は恐怖に引き攣った顔をコクコクと頷かせて、這う這うの体でこの場から姿を消した。

 

「……はぁ、わかったわ。私がその子の面倒を見るわ」


 ルチルの反応に満足そうに頷くアセビは、

「わかればいいんだ。わかれば」


 緊迫した空間はあっという間に霧散した。

 

 ルチルとの話はこれまでと振り返ったアセビは、

「当面はそうだな。ここで家事と炊事を学べ。空き時間で私が魔法を教えてやろう」


 だけど、ルピスは等価交換できるほどのことを何もしていない。

 その対価には何を差し出したらいいのだろう、とルピスは思案する。


 それを表情から察したのか、

「初回サービスだ。おまえは言葉が出せないからな、<念波(テレパシー)>をまず覚えようか」

 目くばせをして、ニカッと笑った。


 魔法を教えてくれるという言葉に目を輝かせるルピス。

 

 しかし、その次の瞬間には、嬉しさの反面、失敗したらどうしよう。

 うまくできなくて失望されるのでは、怒られるのでは、最後には捨てられるかもしれない。


 そんな過去のトラウマが脳裏をよぎり、その笑顔に陰が差す。

 

 ルピスが魔法をこれまで一度も成功させてこれなかったのは、家柄に甘んじていたからではない。

 体質ゆえのことなどだ。勉強なら机にかじりつくほどやった。


 両親から紹介された家庭教師に師事をあおぐだけでなく、空き時間もすべて魔法の勉学に費やした。


 それでも、ただの一度も。

 初級魔法でさえ一つ成功させることはできなかった。

 

 馬鹿にされるのもいい。貶されるのも別にいい。

 ただ、相手の期待を裏切ることは、裏切ったときに相手が浮かべる表情を見ることがたまらなく苦痛だった。


 血を分けた両親でさえ、見込みのなさゆえに最後は見捨てたのだ。

 金で買われただけの関係であるアセビは、ルピスが本当に魔法使えないということを知ったとき、はたしてどんな反応をするのか。


 ルピスの手を引いて商館を後にするアセビの顔を後ろから見上げると、空いている手で服の心臓部をギュッと握りしめるのであった。


 

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