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魔法使いは唱えない  作者: 0
一章 門出
19/30

七話 過去の足音(前)


 その日は珍しく、宿屋の主人が二人の宿泊する部屋まで足を運んできた。


 ルピスたちは半月以上も宿泊している長期宿泊客。

 会えば話す世間話をする程度の仲ではあるが、宿屋の主人が部屋まで足を運ぶのはこれが初めてのことだった。


 それも滞在費を支払っているアセビではなく、対外的にはアセビの所有物であるルピスに用があるという。

 

 扉越しにそう告げられ、室内で顔を見合わせる二人。


 ルピスには心当たりがなかった。

 

 アセビが入室を許可すると、

「夜分に恐れ入ります」

 部屋の扉が開くと宿屋の主人が低頭して入ってきた。

 

 その手に握られているのは一枚の封蝋で留められた手紙。

 

「ルピス殿宛てに手紙を預かっておりまして。それをお渡しにきた次第でございます」

 

 日中、ルピスとアセビが宿を開けている間に、手紙を受け取ったということであった。


 宿屋の主人は二人が室内にいる時機を見計らって訪れたのだろう。

 手紙をアセビへと渡すと、夜の挨拶と共にそそくさと部屋を後にした。


「ほら。おまえ宛てだ。おまえが読め」

《う、うん……》


 アセビは封を開けるでもなく、差出人の名を見ることもなく手紙を、手首のスナップを効かせてルピスへと投げて渡した。


 回転してせまる手紙をなんとか受け取ると、ルピスは封を開ける前に差出人へと目を通す。


 そこに書かれていた名前は――

 

《ファトス……》


 ルピスを切り捨てた過去(かぞく)からの手紙であった。


 その名前、そして、手紙を留めている封蝋が示す家紋。

 忘れたくても忘れられないルピスの過去。


 過去(ファトス)を忘れて、未来(アセビ)と生きよう、と思い始めていた中での出来事。


 手紙を持つ手が震える。

 視界が急に暗く、そして、狭くなる。


 意を決して手紙を開くと、綴られていた文字に目を通す。

 ファトス家にいたころ、声が出ないハンデを補おうと死にもの狂いで文字の勉強に取り組んでいたため、読み書きは、特に読むことに関してはお手のものであった。


 その視線が左から右を往復する。

 徐々にその視線は上から下がり、手紙の端末まできたとき、ルピスは固まって動くことができなかった。


「それで、なんて?」

 アセビの問い掛けに、ルピスはノロノロと顔を上げる。


 冷汗が止まらない。

 お腹がきゅーと痛くなる。


《帰って、こいって……》


 手紙はファトス家の当主である祖父からであった。

 

 要約すると、ファトス家の者が奴隷とは醜聞が悪い。加えて、ルピスを婿に貰ってもいいという貴族が現れたので、婿に出すという。

 先方は新進気鋭の興隆貴族。ファトス家では価値のなくなったルピスに、どういうわけか価値を見出したの千載一遇の好機。

 醜聞を消すどころか、家門のさらなる繁栄が目の前まできている。はじめてルピスという存在が、歴史あるファトス家のために役に立つときがきた。

 だから、今すぐに帰ってこい。

 

 それをアセビに伝えると、

「はッ! 馬鹿か。おまえはもう私のもんだ」

 鼻で笑い飛ばす。


 ルピスははたと思い出す。

 そうなのだ。ルピスは白金貨十枚という途方もない金額でアセビに買われたのだ。

 

 帝国の法律で、奴隷とは所有者の資産。

 いくら家族と言えど、それが貴族と言えど、他人の資産を奪うことなど国が許さない。


 アセビの力強い言葉に、ルピスはようやく自分がどこに立っているか自覚することができた。

 よろよろとアセビの腰かける寝具に足を運ぶと、アセビの胸へ倒れるようにもたれ掛かる。

 

「今日はいつにもまして甘えん坊じゃないか」

《……いつもだって甘えん坊じゃない》


 アセビの癖のある甘い香りが鼻孔をくすぐると、ますます力が抜けていく。

 毎夜、抱きまぐらとでも言わんばかりに、アセビの腕に抱かれて眠るルピスには、彼女の香りに包まれると安心感を覚えつつあった。


「倍の白金貨でも積んでこない限り、お前は売らんよ」


 それを聞いて、ちょっとだけ心配になった。


 ◆ ◇ 


 手紙の届けらえた翌日も、変わらず依頼のために屋敷へと顔を出す。

 

 屋敷での行儀見習いの依頼は順調であった。

 炊事に、ベッドメイキング、掃除に洗濯。学ぶことは山ほどある。

 

 それを保護者代わりのルチルや、ルピスの仕事のまとめ役であるシバスの助けを借りて、一つ一つ覚えていく。

 本人の高い学習意欲もあって、半月も経つ頃には褒められることも多くなってきた。

 

 最近はたどたどしいながらも包丁を扱い始め、本格的に料理の下ごしらえに参加していた。


「ルピスくんは物覚えがいいですね。それに真面目で……。お嬢様もお喜びになられます」

《……お嬢様?》


 そう言えば依頼のあいさつで訪れた際に、お嬢様なる人物がいると言っていたことを思い出した。

 

「そう言えばルピスはまだお会いしたことないのかな?」

 ルチルの言葉にルピスは首を傾げると、

《えっと、誰と?》

「このお屋敷の主様よ」

「お嬢様は何分ご多忙でおられますので……」


 依頼の内容にお嬢様の話相手が含まれるか否かで、ちょっとした口論があったが、結局その機会が訪れることは今までなかった。

 そもそも、この屋敷に貴族が足を運んできたことさえいまだにない。

 ルピスたちはいつ帰ってくるかもわからない主人たちのために、常に屋敷を最高のコンディションに保っているのだ。


「彼女の名前はパパラチア。パパラチア・サファイア様。サファイア家の次期当主様よ。ルピスより少し年上になるのかな。それでももう既に帝国の次代を担う器、と称される天才の中の天才よ」

「その通りでございます。お嬢様は既に大人と比べても魔法と剣技に優れ、それでいて頭の回転も素晴らしい、まさにこの国の宝でございます!」

 

 いつも落ち着いている好々爺としたシバスだが、お嬢様の話になると言葉に熱がこもっていた。

 

「現当主様ももっぱら傑物と言われておりますが、なんでも娘のパパラチア様はそれすらしのぐとか……」

「私どもでご当主様とお嬢様を比較するなど恐れ多いことです……。それでも、お嬢様のお力は見れば、どんな愚物でもそのすごさを理解できるでしょう」

「それほどですか。それは噂以上ですね」

 

 ルチルの好意的な反応にシバスは頬を緩めると、

「それにお嬢様は超直感、とでも言いましょうか。とにかく鋭い勘をお持ちお方です。お嬢様を謀ることなど何人たりともできますまい」

「それは商人としては、羨ましいかぎりです。私にもその直感があれば、今ごろは一角の商人になれたかもしれません」

 

 ルチルはここぞとばかりにお嬢様を持ち上げると、シバスは大変満足そうであった。

 その後も、ルチルによるお嬢様上げはしばらく続き、気をよくしたシバスは仕事をそっちのけでサファイア家の歴史を語り出した。

 

 ルピスは座学を受けているような気持ちで、ルチルと共にシバスの話に耳を傾ける。

 どれだけ今の当主が強いか。そして、これまでになした偉業の数々。それをこんこんと説いたかと思うと、お嬢様がどれだけ優れているかという話に熱がこもる。


 途中で他の使用人が割って入るも、

「シバス様。例の件ですが――」

「そちらは予定通り進めてください。それでですね――」

 シバスの話が止まることはなかった。

 

 途中で茶菓子の差し入れを頂きながら続いたサファイア家にまつわる話。

 気がつけば窓から差し込む光は陰を帯び、空はオレンジ色に燃えていた。


 日没を告げる鳥の鳴き声に、シバスが窓の外に視線を送る。

「――おや、もうこんな時間ですか」


 シバスが視線を二人からそらした瞬間、隣に座るルチルがげんなりした顔を見せていた。

 それもシバスの視線が二人に戻るころには、引っ込みニコニコとした笑みを浮かべているの者だから、商人はすごいなぁ、という感想をルピスは抱いた。


「お二人とも当家にご興味をもっていただけたようで私は嬉しく思います」

「いえいえ、こちらこそ貴重なお話ありがとうございます」

《ありがとうございます》


 ルピスも空気を読んで、シバスにお礼を述べる。

 

「最後に少し化粧室をお借りしても?」

「ええ、もちろんですとも」

 

 紅茶を飲みすぎたのだろうか。

 アセビは、すぐに戻ってくるから、と言うと部屋を後にした。


 思い返してみると、ルピスがシバスと二人きりになることはこれが初めてのことであった。

 アセビが何かあったらいけないと気を利かせてくれていたのかもしれない。


「お屋敷でのお仕事はどうですか? 大変ですか?」

 ルピスはその問い掛けに、少し考える素振りを見せた後に頷いてみせた。

《覚えることが多くて大変。包丁が難しい……》


「包丁は扱いに慣れるまでは難しく感じるかもしれませんね。お仕事はつらくないですか?」 

 ルピスはその問い掛けには首を振ると、

《ううん。大変だけど毎日が楽しい。もっとお仕事できるようになりたい。アセビを喜ばせるんだ》

「どうやら素晴らしい人に巡り合えたようですね……ホッとしました」


 不思議とシバスの瞳が潤んでいるように見えた。

 

「――そうそう。忘れる前にこれを」

 シバスは燕尾服の内ポケットから綺麗に折りたたまれた紙を取り出した。


 まだ小さなルピスの手のひらにもおさまる大きさに折りたたまれた紙。


 好奇心から早速その紙を開こうとしたルピスだが、

「おっと、それを開くのは今じゃありません」

 シバスが手を伸ばしてそれを制止した。

 

 ルピスは首を傾げてシバスを見つめた。

 

《えっと、じゃあいつ……?》

「この町で本当に帰るべき場所を見つけたときに、その紙を開いてください」

《帰るべき場所……?》

「はい。もしその機会が訪れることなく、この町を出るようなことがあれば、そちらは捨てていただいて構いません」

《その機会ってどの機会?》

 

 雲に巻いたような話で、ルピスの頭には疑問が降って湧いてやまない。


「それは機会が訪れれば、おのずととわかることでしょう」


 普通であればいぶかしんで然るべき話。

 しかし、シバスがルピスへ向けるどこか温かい眼差しを見ていると、不思議と疑う気持ちは沸いてこない。

 

「私からの個人的なお守りみたいなものです。決して害を与えるものでもありませんので、もしよろしければ私たちだけの秘密にしていただけると嬉しいです」

 

 手渡された紙は、何の変哲もない紙。

 ルピスの妖精眼を通して視える光。魔具にはその光が宿っているが、この手紙にはそれもない。


 つまり、手にしたのそれは、ただ少し意味深なだけで、ただの紙切れだ。


 ルピスは頷いて、いそいそと紙を懐へと仕舞い込んだ。


 それから間もなく、ルチルが部屋と戻ってきた。

 

「お待たせしました。さ、ルピス。帰ろう」

「くれぐれもお気をつけてお帰りください」

 

 そう言うシバスの笑みを背後に、二人は屋敷を後にした。

 

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