六話 忍び寄る影(後)
ルチルに見送られ、宿へと戻ったルピス。
ルピスが部屋へ戻ったとき、アセビは外行きの普段着からラフな部屋着へと着替えているところであった。
《ただいまー》
「おう、おかえり」
部屋着へ着替えるとは言っても、アセビの普段着も軽装である。
冒険者と言えば、先日の中級冒険者たちのように、剣に盾に弓矢。
それぞれの得物や戦闘スタイルを前面に押し出した服装をしていることが多い。
事実、魔法協会へ訪れた際に見た冒険者たちはそういった者たちがほとんどであった。
しかし、アセビは夏でもローブを好んで纏うが、その下は部屋着とさほど変わらない。
ハイネックのTシャツに、麻の長ズボン。そして何かの皮でできたサンダル。
アセビが武器を手にしたところを見たことがなかった。
同居生活を初めて半月ほど経つが、それらしきものの影すら見たことがなかった。
ルピスもアセビにならい、普段着から部屋着へと着替える。
着替え終わると、二人は揃って寝具の縁へと横並びに座った。
「依頼の方はどうだ? 順調か?」
《うん! 最近は包丁を使えるようになったよ。あとお鍋も》
「そうかそうか。それはよかった」
アセビは乱雑にルピスの白髪を撫でると、ルピスは嬉しそうにその白の瞳を細める。
《それはそうと――》
ルピスは忘れてしまう前に、帰路で出会った謎の男についてアセビに伝えた。
アセビはその話を聞き終えると、
「名前、ねぇ……」
顎に手を当てて天井を見上げた。
《まだ特に何かされたわけじゃないけど……心当たりある?》
「心当たり? そんなもんない。あるわけがない」
《あっ……》
自信満々にフルンとその形の良い胸を張るアセビに、思わず念波が漏れた。
”理不尽の権化”という二つ名が表すように、アセビは傲岸不遜が服を着て歩いているようなもの。
本人はまったく悪気もなく、悪意や敵意を振りまいて歩いているんだろうなぁ、という声がそこには込められていた。
アセビはジトリと目を細めると、
「……なんだ? ルピス。その可哀そうなものを見る目は? この――」
ルピスを抱きしめて寝具へと倒れ込んだ。
寝具の上でルピスへとくすぐり攻撃を繰り出す。
《や、やめッ。く、くすぐったいよ》
「ご主人様に向かって、残念なものを見るような視線を送る悪い奴隷にはお仕置きしてやる」
二人のもつれあいはアセビが満足するまで続いた。
アセビの攻撃が終わり、呼吸を整えたルピスがおもむろに尋ねる。
《アセビはさ……。どうしてぼくを買おうと思ったの?》
寝酒をあおっていたアセビの手が止まる。
「どうして、って言うと?」
《最近お屋敷でお金を勉強する機会があったんだけど、白金貨はぼくが思っていたより、ずっとずっと大きなお金だった。 しかも十枚、って。ぼくにその価値があるとは思えないんだけど……》
アセビは手に持っていた酒瓶を寝具の脇の机の上に置いた。
「ルピスちょっとこっちにこい」
ルピスが膝を立てて寝具の上を移動して、アセビに顔を寄せると、
《あいたッ……!》
バチッと肌を叩く音が部屋に響いた。
それは親指にひっかけた中指でルピスの額を弾いた音。
遅れてその額がうっすらと赤く染まる。
突然の暴力に文句を言おうとアセビを見つめるルピスだが、アセビの真剣な表情を見て言葉が詰まった。
「覚えとけ。お前の価値を決めるのはいつだってお前だ」
《で、でもお祖父さまは――》
ルピスの言葉を遮ってアセビは言葉は紡ぐ。
「でももクソもねぇ。いいか、ルピス。お前がお前に価値がないと思ったらそこで終わりなんだよ」
アセビの語勢は強かった。
アセビがルピスを思っていることは伝わった。
しかし、それでもルピスは過去の境遇から自信が持てないでいた。
《でも、ぼくは喋れないし……。アセビに教えてもらうまではなにひとつ魔法使えなかった――あうッ!》
再び、ルピスの額が弾かれる。それは一発目よりは幾分か控えめな威力であった。
額をさすりながら何か言いたげなルピスに対し、
「ほら、また『でも』とかいう。生きている限りはもっと胸を張れ――こう考えてみろ。少なくともお前には白金貨十枚の価値を見出した女が世界にはいるんだと」
《……それは、なんだか嬉しいなぁ》
アセビの言葉に頬が緩む。
白金貨の価値を理解した今。その値の表す意味がわかると前向きになれる。
奴隷の価格とは価値であり、価値とはその人物がどれだけ必要かということ。そこに規格外の値段が適応されたということは、規格外に必要されたということ。
単純な理屈だが、そう考えると心が軽くなる。それだけ誰かに必要にされているんだと。
そうだろうそうだろう、と笑って頷くアセビ。
《アセビは魔眼のことは、ぼくを買うときに知っていたの?》
「いや、知らねぇな」
《じゃあなおさらなんで買おうと思ったの……?》
きっとそれこそがアセビがルピスに白金貨十枚の価値を見出した理由に違いない。
ルピスは期待と不安の眼差しでアセビを見つめる。
うぐ、っとアセビは言葉に詰まっている様子だった。
もしかしたら、話をはぐらかすつもりだったのかもしれない。
「……なんでそこまで知りたいんだ?」
《早くアセビの役に立ちたくて……》
ルピスの返答にアセビはガシガシと後頭部を掻き、
「早速育て方を間違えたか……? お父様はほんとよくやったよ」
呟くように言葉を漏らした。
アセビはルピスの顔をのぞき込んで視線を合わせた。
赤と黄の宝石のようなオッドアイに白いルピスの瞳と髪が映り込む。
「いいか、ルピス――誰かのために生きるのはやめろ」
ルピスは目をぱちくりとさせると、
《ぼくはアセビの奴隷だよ?》
「そうなんだけど、そうじゃないんだ。私が言いたいのは」
アセビは額を抑えて、軽いため息を吐いた。
「人族は常命だ。高い魔力を持つ者で二百年、持たない者であれば五十年ほど。その中で他人に費やす余裕がどこにある?」
《五十年もあればいっぱいありそうだけど……》
「ばか、ルピス。お前は生まれたときから言葉がわかったか?」
アセビの言葉にルピスは首をフルフルと横に振り、
《ううん……。たくさんお勉強してわかるようになった》
「だろう? 生きる、っていうのはヨーイドンのかけっこじゃないんだ。誰かが旗をあげて、それを合図にして一列に並んで走るわけじゃない」
《えっと……?》
ルピスは、自身の人生と言われてもピンとくるものがなかった。
これまでは祖父によって引かれた道を歩き、これからはアセビによって引かれた道を行く。
それが自身の人生なんだと思い込んでいた。それの何が悪いのか。
「つまりだ――自分の人生を生きろ。他でもないお前自身の」
困惑するルピスの頭をアセビは一撫ですると、
「いつかお前にもわかるときがくる」
頭に手を置くアセビがなぜか突然ひどく遠い存在に思えた。
その理由はわからない。ただ、自分を置いて遠くへ行ってしまいそうだと感じた。
その不安を払うように、
《それまで一緒にいてくれる……?》
アセビに体を寄せる。
そうすることでルピスよりずっと高い体温が、彼女がここにいることを教えてくれた。
アセビが言っていることは小難しくて今のルピスにはわからない。
それでも、アセビはルピスに自分のことは自分で決めて欲しいと願っていることは伝わった。
「どうだろうな。未来のことは誰にもわからない」
返ってきたのはルピスの欲しい答えではなかった。
隣を見上げると、アセビの視線は遠くを見つめていた。
何を考えているのだろう。何を思い出しているのだろう。
彼女のことをもっと知りたい、そう思わずにはいられなかった。
「それでもルピスが私を想う限り、私の想いはルピスを助けるだろう」
《なにそれ》
ルピスは小さく笑った。
たしかに先のことはわからない。
それでも、ルピスがアセビを想う限り助けてくれると言うのであれば、もっとずっとアセビを想おう。
ルピスは温かいアセビの肩に身を預けながらそんなことを思うのであった。
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