五話 世界との対話(後)
二人が街外れまで歩いてきたときには、空はすっかり暗闇に染まっていた。
――この先に何が待っているのだろうか。
ルピスの足取りは重かった。
先を歩いていたアセビが立ち止まる。
「……このあたりでいいだろう」
ルピスには何が何だかよくわからなかった。
アセビはその場で振り返ると、
「お前の魔眼で見えているのは恐らく妖精だ」
ルピスは首を傾けた。
――妖精?
ファトス家の屋敷で読んだ絵本に、その美しい容姿ゆえに妖精とも称される長耳族、笹耳族と呼ばれる一族が存在することは知っていた。
しかし、ルピスの考えを読んだかのようにその考えは否定される。
「妖精って言っても長耳たちじゃないぞ? 正真正銘の妖精だ。世界の一部。現世の欠片。まぁ、なんだ。世界にいっぱいいる目には見えない働き者たちだ!」
アセビの妖精の説明にルピスは曖昧に頷いた。
――世界にはそういうものがいるんだな。
そういうぐらいの認識だった。
「妖精は私にも見えない。だが、どういうわけかお前にはそれが見えているようだ。おもしろい!」
――おもしろい、のかなぁ?
ルピスは再び首を傾けた。
しかし、アセビは何やら嬉しそうだ。
ルピスとしては、妖精が見えているという事実より、先ほどまでと打って変わって機嫌が良さようなアセビの態度のほうが嬉しかった。
「私は前にも言ったが旅人でな。とある探し物の最中だ。お前を買ったのはほんのちょっとした寄り道」
アセビは静かに歩き出し、ルピスと距離を取り始める。
ルピスもそれに付いて行こうとするが、アセビが手を出してそれを制止した。
「白金貨十枚。さすがの私でも手痛い出費だ。だから、お前にそれだけの価値があるか試させてもらう」
その物言いは、その場に佇むルピスを再び不安げな気持ちにさせる。
――試す? どうやって? もし試した結果、ルピスに価値がなかったら?
縋るように離れていく赤と黄のグラデーションカラーの髪を見つめる。
ある程度の距離でアセビは振り返ったかと思うと、
「今から私はお前を殺す!」
――え?
ルピスは驚きに目を丸くした。
「死にたくなかったら私を止めて見せろ! そうすれば私の旅に連れて行ってやる!
そうでなかったらこの場で――死ネ」
瞬く間に、見たこともない大きさの火球がアセビの手に生み出される。
ルピスの体を包み込めるほどの大きな火球。
祖父がかつて見せたことのある火球よりも数段大きな火球。
「力はそれを認識できて初めて力になる」
アセビは嗤っていた。
「強く祈れ――生きたいと。
強く願え――殺したいと」
その瞳は冷めきっていた。
「さもなくばお前はここで――オワリダ」
――死にたくないッ! やめてッ!
アセビが火球を放つ直前に、
「なん、だと……!」
ルピスの身の丈を大きく超えるほどの火球は、突如霧散して消えた。
目を丸くするルピスだが、アセビも驚いている様子であった。
驚きのあまりアセビが自身の手を見つめながら、
「魔力抵抗? いや、ちがう。なんだ今のは……?」
堪え切れないとばかりに、口元がわなわなと笑みで震えていた。
呆然とするアセビにルピスは、
《やめてッ!》
念波を通じて叫んではみるものの、アセビは止まらない。
その顔には凶悪な笑みが浮かんでいた。
「モットダッ! モットミセロッ!!」
今度は両手を左右に広げると、左右の手には火球が生まれる。
――消えてッ!
ルピスの願いに答えるように、またしてもアセビの両手の上に生み出された火球は放たれる前に霧散した。
荒い息のルピスの視線の先、立て続けに魔法が不発に終わったアセビは、しげしげと自身の両手を見つめていた。
そして、ため息を吐くと、
「これはあんまり使いたくなかったんだがな。
仕方ない――<真相顕現>」
メキメキと音を立てて、アセビの左腕が異形の形へと変貌を遂げる。
禍々しい赤の鱗をもった腕へと、それはまるで圧縮された竜の腕。
変貌を遂げた左手を再び翳すと、今度は青い火球が翳した掌で生み出される。
「火竜の息吹」
――消えてッ!
その火はこれまでと違い、どれだけルピスが願っても消えることはなかった。
――そ、そんな!? 消えてッ! 消えて消えてッ!
「無駄だ。この火は消せない」
青い火球が目にもとまらぬ速度で、首元のすぐ近くを駆け抜けた。
ルピスの長い白髪に穴を開け、遙か遠くの山にぶつかると激しい轟音をもたらした。
遅れてルピスの首元をひりつく熱の痛みが襲った。
「次は外さない」
縦に開いた彼女の瞳孔は本気だった。
ルピスは混乱の中にいた。
彼女の殺意の高さに。彼女の殺すという言葉が脅しではないことをその肌で感じ取って。
アセビは祈れという、願えという。
でも、誰に? 家族さえも見捨てた自分の声を誰が聞いてくれるのか?
ふとアセビの言葉が甦った。
『見えるものばかり見てきたせいで、見るべきものが見えなくなっているんだろうな』
――ぼくが見るべきものはなんだろう。
アセビは言った。ルピスには妖精が見えていると。
思い返すといつだって妖精は助けてくれていたのかもしれない。
隷属の儀だって、今このときだって。
ルピスは目を瞑ると、
――妖精さん妖精さん。ぼくに力を貸してください。
手を組んで真摯に祈り始める。
すると、世にも珍しい雪のようなルピスの白髪がふわりと宙に舞い上がる。
大地は謡い、風が舞う。ルピスを照らす月光はその輝きを増す。
心底笑うアセビを前に、今や世界が輝きだす。
「これが出来損ない……? ハハハ、魔法貴族も落ちたものだ」
女性と見まがうほどの長さをもつルピスの雪のように無垢な白髪が淡く発光しだす。
空気が――世界が震えていた。
興奮したアセビが足を進めようとするが、大地がそれを捉えて離さない。
アセビの足元だけぬかるんだように沈み始める。草木がその体へと絡みつくように纏わりつく。
馬鹿げた膂力で無理やり足を進めると、今度は風が立ち塞がるようにその行く手を阻む。
「はは、ハハハハ……!」
一心不乱に祈り続けるルピス。
祈りに比例するように、アセビを縛り付ける力はますます強くなる。
「なんだこれはッ! 想像以上だ……!」
ルピスの前に来る頃には、アセビの下半身は大地に囚われ、その上半身の大部分は草木に覆われていた。
僅かにその隙間から顔と鮮やかな髪が見えるくらいだった。
「参った! 参った参った!
ルピス? おーいルピス!
私が悪かった! 私が悪かったーーッ!」
アセビの悲鳴が夜の草原に木霊した。
◆ ◆ ◆
その後、アセビのあげる悲鳴に気がついたルピスが祈りをやめることで、アセビはなんとか地中から脱出することができた。
アセビはコホンと咳払いすると、
「――なんだ。うん。合格だ」
何事もなかったかのようにそう切り出した。
風もないのにざわざわと草木が揺れ始める。
アセビの周りだけ急激に気温が下がる。
アセビの頬に珠の汗がつたった。
「……今のなし。えー、なんだ、その。すまん。一緒に旅をしないか?」
草木の揺れが止まった。
下がった気温が元に戻る。
アセビは、ふー、と額の汗を拭った。
「あ、そうだ。これだけは先に言っておかないとな。お前は、お前だけの魔法を使えるよ」
唐突に切り出されたアセビの言葉に、ルピスは驚きのあまり目を丸くした。
驚きのあまり思考停止するルピスを置き去りにして、アセビは言葉を続ける。
「無詠唱魔法って言ってな。使い手を選ぶから今じゃ廃れた技だけどな。私が教えてやるよ」
魔法使いになれる、それはルピスが心の底から欲してやまなかった言葉。
ほろりと瞳の奥にこみ上げてきた熱がこぼれた。
「おまえには――魔法使いの素質がある」
それはこれまでに流してきたものとは違う。優しさの雫。
――笑わなくちゃ。でも、なんでだろう。涙がとまらない。
ポロポロと泣きじゃくるルピスを前に、アセビは顔を逸らしてポリポリと頬をかくと、
「ん」
黙ってルピスを抱きしめた。
長身のアセビ。小柄なルピス。
二人の身長差でルピスは豊かな胸の下に顔が隠れる。
しばらく抱き合う二人。
二人の抱擁はルピスの嗚咽が止まるまで続いた。
「……泣き止んだか? じゃあ帰るか」
そう言ってアセビはルピスの手を引いて歩き出した。
「にしても、今夜はやけに空が綺麗だな。こんな綺麗な夜空は一年ぶりか?」
そう言えば毎年この季節は一日だけ今日みたいな綺麗な夜空が見られるんだよな、と言葉を続けた。
「よかったな。私たちの出会いに乾杯だ」
二人の頭上には雲一つない夜空が続いていた。
星が燦燦と輝いている。それはまるで空に輝く宝石の海。
歩きながらも耀く星々に目が奪われる。
《おたんじょうびおめでとう》
聞こえないはずの声が聞こえた気がした。
――え?
ルピスは足を止めて振り返るように夜空を見上げた。
夜空はただ無言で二人を優しく照らしていた。
「何してんだ? 帰るぞ」
《……うん》
ルピスはただ少し、ほんの少し、アセビの手を握る右手に力を込めた。
二人は再び歩き出す。
――この先に何が待っているのだろうか。
その足取りはどこまでも軽かった。
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