四話 瞳の世界(後)
空が燃えていた。
そう思うほどに赤く鮮やかな空模様だった。
地平線に視線を送れば、陽がその身の半分を既に彼方へと隠しつつあった。
都市外れの草原。
見晴らしの良い景色だ。
足元をよく見ると、動物の蹄の足跡が刻まれていた。普段は家畜の放牧でも行われているのだろう。
そこに上書きするように新たな足跡を刻んだのは、数多の冒険者たち。
老若男女を問わず、己の信ずる武器を持って、都市の危機に数多の戦士がこの地へと駆けつけた。
今やその多くの者が草原の地で、物言わぬ存在となって横たわっていた。
生きている者もいれば、既に命がない者もいよう。一見するとこの地は死屍累々の光景だった。
その地でルピスは一人、竜と向き合っていた。
見る者を威圧する縦に開いた金の瞳孔の収まった瞳は、それだけでもルピスの身長ほどあろうかという大きさ。
その巨大な全身を覆うのは生半可な攻撃を通さない赤い鱗。
腕と一体化した二枚の比翼の先には、人を木綿のように切り裂く鋭い爪。
鋭くとがった凶悪な牙には、服の切れ端と真新しい赤い液体。
牙の隙間から見える舌は、剣山のように細かく尖っていて触るものを削り取る。
加えて、息を吐くたびに生暖かい息と共に火花が散る。
火竜――ルピスをこの場に連れてきた職員はこの竜をそう呼んでいた。
その職員も、既に竜の炎を浴びて、大地の肥料へとその姿を変えていた。
体の震えが止まらない。
初めて見る竜種。
古今東西の物語でも登場する天空の覇者。
その圧倒的な存在感に、ルピスは言葉を失っていた。
その腕を振るえば、重戦士を薙ぎ払い。
その爪をたてれば、剣士を切り裂き。
その口を開けば、魔法使いを焼き尽くす。
圧倒的。こういうほかになかった。
一人また一人とその力の前にひれ伏す。
人にとって恐い。そして、怖い存在。
それこそが魔法のありふれた世界における竜という存在。
でも、なぜだろう。
ルピスは竜を見て、怖いというより綺麗、という印象を抱いていた。
そして、それはその力を見せつけられても変わらない。むしろ、時間が経つにつれて、その想いは増しつつあった。
ルピスの瞳に映る竜は、キラキラと光る巨大な光だった。
それは今までに見たことのないほど大きく、圧倒的な光量を誇っていた。
その光の力強さにルピスは背筋が震えるのをこらえることができない。
ただ純粋に――綺麗だ。
それこそがルピスが初めて出会った竜に抱いた感想だった。
「おいッ! ばかッ! 逃げろッ!」
遠くで声が聞こえた気がする。
それもどこか壁一枚隔てた別世界のような心地だ。
声は聞こえている。だが、まるでその中身が頭へと入ってこない。
ふらふらと導かれるように、巨大な光へとその足を進める。
光まであと少し。
ルピスの後方から、魔法や弓が飛んでくる。
立て直した冒険者たちが、覚束ない足取りで火竜へ向かって歩くルピスの存在に気がついたようだ。
口々に何かを叫んでいる気がする。
それも全部どうでもいい。
触りたい。触れてみたい。その光に。
混じりたい。交わりたい。その光と。
光は近づくほどに眩しく、されどその輪郭を強く映し出す。
手を伸ばし――ついに触れる。
その瞬間、目の前に光が爆ぜた。
光に触れた手を中心に衝動が走った。
否、衝撃がルピスの体を貫いた。
世界が光に飲み込まれていく。
すべてが光に染まる中、ルピスの意識は闇へと落ちた。
◆ ◆ ◆
緩やかに意識が覚醒する。
まどろむ意識の中、見上げた天井は見慣れ始めた天井だった。
「起きたか?」
耳朶を打つのは女性にしては低めの声。
その声に反応してゆっくりと頭を動かすと、隣で添い寝するようにアセビがいることに気がついた。
寝具の上で横になりながら肘を立て、手のひら上に側頭部を乗せた姿勢でルピスを見つめていた。
《アセビ……? ぼくはどうして? 全部、夢?》
どこからどこまでが夢だったのだろうか。
お屋敷のお仕事は? 竜は? 光は? などと考え始めると、急速に意識が目覚める。
視界の隅、開かれた窓の外はすっかりと闇夜に覆われていた。
アセビはニッと笑うと、
「いーや、夢じゃない。おまえは竜と対峙し、そして生き残った」
寝転びながら、寝具の上で上体を起こしたルピスの頭をわしゃわしゃと撫でた。
ルピスの見たものが夢でないのであれば、
《竜はどうしたの?》
ルピスがこうして無事に宿に帰っている状況から、竜はこの町を襲わなかったのだろう。
でもどうして。ルピスが意識を失ったあとに何があったのか。ルピスはそれが気になった。
「さぁな」
《さぁな、って……》
「現場で生き残った連中曰く『消えた』そうだ」
竜が忽然と姿を消したと聞いて驚くルピスをよそに、
「どうだった? 竜は?」
アセビはルピスを試すように笑う。
その言葉に、ルピスは目の前にいた竜を鮮明に思い出す。
《おっきかった……》
「まぁ、お前らからすれば竜なんてみんな大きいだろうな」
何かツボに入ったのか、それを聞いてアセビは声をあげて笑い始めた。
鮮明に蘇る記憶。
あの迫力。あの熱い吐息。そして、目も眩むようなあの光。
《あとはすごく、すごくまぶしかった》
アセビは眦をぬぐいながら、
「まぶ、しい……?」
不思議そうな表情を浮かべた。
《うん。すごく輝いてた。今まで見たことないくらいに……!》
感じた衝撃が少しでも伝わるように、両手を精一杯広げて表現する。
アセビはそれを聞くと、寝具から身を起こした。
《アセビ……?》
体勢を変えたアセビはそのまま、ルピスににじり寄るとその両頬を両手で挟んだ。
次第に縮まる二人の距離。それは互いの吐息が感じられるほどに。
アセビの瑞々しい唇、宝石のように綺麗な赤と黄のオッドアイを乗せた、端整な顔立ちに視線が釘付けになる。
ルピスの雪のような白髪と、アセビの赤色から黄色に変わるグラデーションカラーの髪の毛先が触れ合う。
しかし、そこに男女の色はなかった。
瞬きもせずに、食い入るようにルピスの瞳を見つめるルピス。
それに少し怖気づいて身じろぎするが、押さえつけられた顔は微塵も動かせない。
《くすぐったいよアセビ》
息を吸うたびに独特な甘い匂いがルピスの鼻孔をくすぐった。
それはまるで呼吸をするたびに、体がアセビで満たされていくようで。
次第にくらくらとした不思議な感覚に襲われていく。
やがて気の済んだアセビがルピスの顔から手を離すと、ルピスを肘をついて後ろに倒れ込んだ。
「どうやらお前は魔眼持ちのようだな」
《魔眼ってあの?》
世界にはそれ自体が魔法のような力を有するもの存在する。
場所然り、物然り。魔眼もまたそのうちの一つ。
ひとくくりに魔眼と呼ばれるが、その性能は千差万別。ただ漏れなく使いこなせれば多大な恩恵を保有者にもたらす。
特に魔法使いにおいて、魔眼をもつ者はそれだけで優位に立つことができると言われていた。
「あぁ。私の見立てが間違っていなかったら、魔眼の中でもとびきり珍しい代物だ」
生家の屋敷では魔法使い失格の烙印をおされたルピス。
そのため、いきなり魔法使いの中でも選ばれた者だけがもつとされる魔眼を有していると言われても、いまいち実感がわかない。
《何かの間違いじゃない?》
なんだか信じられなくてアセビに懐疑的な視線を送る。
アセビは苦笑いを浮かべ、
「私も鑑定については素人に毛が生えた程度だ。それでもたぶん間違いないだろう――お前の眼はトクベツだ」
今も視界の端々で揺蕩う光たち。
他の人には視えていないという光は、魔眼とやらの影響なのかも知れない。
「明日ちょっと魔法協会で調べてみよう。協会には魔法に関する研究の情報が蓄積されているからな。なにかわかるだろう」
アセビはそう言い、再び寝具の上へ横になると、手を伸ばしてルピスを抱き寄せた。
突然引き寄せられたルピスは体勢を崩して、アセビの胸元に顔を埋める。
息を吸うたびに、不思議な甘い香りが肺を満たす。アセビの匂いだ。
つい今しがたほど起きたばかりだと言うのに、アセビの温かさと匂いに包まれると、安心感からか意識が再び遠のいていく。
「よくやったルピス」
耳元で囁かれてた声に、口角が薄っすらと持ち上がる。
今夜はいい夢を見られそうだ。
↓↓↓の広告の下にある☆をいっぱい頂けると執筆の励みになります。