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催眠術、的な?



『私、先生のこと絶対に帰しませんから』


 そう言って、水無瀬さんがまずやったこと。それは――




「あのな……やっぱりおかしいと思うんだが」

「? なんですか?」

「普通に考えて家庭教師と教え子は、一緒に食事なんてしない」

「いいじゃないですかぁ、先生。私、先生のために頑張ったんですよ?」


 夕食だった。



 紅茶とチーズケーキで「お茶」したあと、水無瀬さんは少し早いけど夕食を摂ろう、と提案してきた。……あれは提案というより懇願に近かったけど。


 はじめは断った。いくらなんでもそれは公私混同している、と。

 この際今までの彼女のスキンシップ(抱きついたり、手を繋いだろするといった諸々の行動)はさておくとしよう。あれは言ってしまえば水無瀬さんの犯行であって、俺はただ受け身だったから何ら非はない。


 だが「食事」となると話は別だ。

 依頼主と家庭教師の間に、「与える――与えられる」の行為があってはならない。

 つまりは報酬以外でのつながりが許されないということだ。これは、依頼を受ける形であれば他の仕事にも言えるだろう。

「気に入ったから報酬とは別に」と褒美を与えるのは、過たず契約違反に値する。というかもれなく会社とトラブル勃発だ。

 理由は主に「適切な関係を保てなくなるから」。

 家庭教師側は、より多くの報酬をもらいたいがために、そういったことをしてくれそうな裕福な家の依頼を選ぶようになる。

 対して依頼主側は、一度手に入れた優秀な教師を手放さないために或いは思い通りに動かすために、喜ばれるもの……金銭や食品、衣服などを与えるようになる。

 その両方が成立したとき、両者は金のみによって繋がる。信頼とか信用とかが一切存在しない薄っぺらくグレーな関係だ。

 もしそんな関係が築かれるようになったら、家庭教師は金のために動く形無しに落ちぶれるだろう。ひいては、教え子のことすら視界に入れない凡蔵ができあがるだろう――というのは中林社長の弁。


 家庭教師は塾講師と学校教員の中間に位置する存在であり、何が好ましくて何が悪いのか随分とややこしい。

 金銭や物品に関しては、欲しい欲しくないの意思に関係なく受け取った時点でアウトだ。でもお土産のお菓子や手製のお菓子といったものは、貰っても案外何も言われないらしい(朱莉によると)。


 ややこしいことはほかにもある。


 家庭教師は雇われの身であるために依頼主の期待に応えられるよう働かなければならないが、だからといって期待以上、範囲外の仕事も求められないことも多いんだとか。

 依頼主は我が子にどんな勉強をさせたいか明確な意見を持っている。故にこそ、学校や塾に頼らず融通を利かせれれる家庭教師に授業を依頼するのだ。彼らにとって依頼外の仕事はただのありがた迷惑になる――ということらしい。家庭教師って難しい。


 俺はそういった面倒事を避けるために公私混同には注意してきた。どこからどこまでが家庭教師の領分なのか線を引いた。

 だから水無瀬さんの過剰なまでのスキンシップも、好ましくないことではあるが別に契約違反でもなんでもないと考え受け止めている。


 本題に戻すと……お茶くらいだったらただの付き合いで許されるのだ。でも、食事はコストがかかってくるからダメ。


「……水無瀬さん。流石にそれは無理だ。契約上俺は報酬以外の何も受け取れない。お茶位の軽いやつだったら問題ないが」

「えぇっ、いいじゃないですかぁ先生! 先生と私の関係に契約とかはどうでもいいんです――あっ、でも主従の契約なんてものでしたら大歓迎でっ!」


 おお……水無瀬さんまったく話聞いてない。なんで急に主従なんて言葉が飛び出てくるんだ。食事は無理って言っただけなのに。


「ん、主従ですか……ふふっ、先生に犬のように扱われるのも、いいかもしれませんっ」


 ……あれ、これはヤバイ。

 いつもの暴走モード水無瀬さんだ。こうなったら彼女はもはや別人で、言動全てが虚ろになる。

 ほぼ毎回見ているから驚きはしないけども……行動を起こされる前に対処しなくては! 俺とて一人の男、あのときみたいに女子高校生に抱きつかたら冷静じゃいられないからな……っ。


「ねぇ先生? 私達ってどんな関係でしたっけ? 永遠の愛を誓った同士? 犬とその飼主? それとも……父と娘ですか? どれなんですか、せんせぇ……私わからなくなっちゃいました。もうなんでもいいですよね、じゃあ奴隷で決まりです。今から私は先生の奴隷……あうぅ、なんだか興奮しますね……」


 ちょっと待て暴走するな水無瀬さんッ! どんどん目が暗くなってく!


「……いや、どれでもない! ただの教師と教え子だ。というか水無瀬さん、人に向かって奴隷とか簡単に言うんじゃない……場合によっては本当にそうなるかもしれないんだ」

「……やっぱり、先生は優しいんですね……大好きですよ、そういうところ……っ♡」


 あれなんでそうなった? 家庭教師として怒っただけのはずなのに。


 机の反対側に座る水無瀬さんの呼吸が、ハァハァと荒くなっていく。頬が熟れた果実を通り越して火のように赤く染まっている。

 瞳はどこか恍惚としており、少女のその姿はなんとも艶めかしいものであった。


「……と、とにかく食事とかは無理だ、水無瀬さん。いい加減授業を始めなきゃ、親御さんに怒られるかもしれない」

「ダメですよ先生っ。授業なんてしないで二人で愛し合うんです。さぁ、一緒に夕食を取りましょう……先生の手で、食べさせてくださいね……」


 立ち上がって、俺の隣の席に移動し腕に抱きついてくる水無瀬さん。女子特有の……それも随分と柔らかな感触に包まれて思わずビクッと反応してしまう。


「あっ……先生? もしかしてドキッとしちゃいました?」

「してない……離れてくれ。授業するぞ」

「別に隠さなくてもいいんですよ? ふふふっ、いま先生の頭には、私しかいないんですね……」


 両手が俺の頬に伸びてきて、ピタッと触れた。

 水無瀬さんの滑らかな白磁の肌からその体温が伝わってくる。俺よりもずっと高くもはや熱のようだ。


「み、水無瀬さんっ……」

「ふふっ、ふふふっ。先生の顔も、熱いですね?」


 今度は、俺が首を動かせないのをいいことに、水無瀬さんが顔を近づけてきた。わずか五センチ先に頬を赤らめた少女の顔がある。


 瞳の奥に映る自分と目が合った。


「せ、先生の息が顔に当たって……ちょっとくすぐったいです……んんっ……」




 ……今日の水無瀬さんは、普段の彼女とは違う――距離の詰め方が急すぎる。いつもは手を繋いで甘えてくる(?)とか膝枕をして甘やかしてくる(?)といった具合なのに。

 それも大概普通じゃないけど、今日のとは比べ物にならない。身体を寄せてくることはあったが肩に顔を預ける程度のものだった。

 今日の彼女は急だし、それに近い。今だってほら――ん、あれ? なんか指が熱くて変な感覚……


「んっ……はぁぅっ……」

「みみ水無瀬さんっ!? なんで指舐めて――ッ!?」


 なんたることか、彼女は俺の手を掴んで人差し指を口に入れていた。

 

 自分の口に。




 や、やばいなんだこの状況……!?




「ちょっ、水無瀬さんストップ……っ!!」


 慌てて口の中から脱出する俺の指。


「あうっ……」


 水無瀬さんが名残惜しそうな声を上げた。子犬みたいな目を向けないでくれ頼むから!

 人差し指は彼女の唾液でしっとりと濡れていた。ハンカチを取り出し早急に拭き取る。


「あ……なんで拭いちゃうんですか、先生っ……」

「なんでって、普通人の指は舐めるもんじゃないから!」

「それはわかってますよ。でも先生なら受け止めてくれると思ったんです、この気持ちを」

「だからって何故に指を!?」

「そんなの、決まってるじゃないですか? こうすることでより深く繋がれるからですよ」

「うん繋がろうとしなくていいから水無瀬さんっ!!」


 ――はぁ。これはもう手に負えない……今日の水無瀬さんじゃ授業なんてできそうにない。家に二人きりだからか? 嫌な予感が的中したな……。


 ……とにかく俺はもうこれで帰ろう。ここにいても水無瀬さんが変になっていくだけだ……。

 そう思い、ポケットからスマホを取り出そうとする。休講の旨を中林社長に伝えるためだ。


 しかし――


「あれ?」


 スマホが、ない。反対側のポケットにもない。上着か? あちこちに手を当てるも見つからない。俺、スマホどこやったんだ……? 

 床においてあった鞄を漁ろうとしたとき、不意に水無瀬さんが言った。


「あ、先生。お探しものもは、もしかしてこれですか?」


 彼女の言葉に顔を上げると――その手には俺のスマホが握られていた。


「なっ……水無瀬さん、そ、それ俺の、」


 椅子から立ち上がり手を伸ばす。が、水無瀬さんは渡したくないとでも言うかのように俺から手を遠ざけた。


「ダメですよ先生。電話なんてしないで下さい。明日までずっと、私と一緒に、ここにいるんです」

「……頼む、水無瀬さん。それ返してくれ。社長に連絡しなきゃならない」

「ダメですってば。どうしても返してほしいのであれば、私と食卓を囲んで、明日まで一緒にいるって約束して下さいっ」

「んなこと言われても……」


 当然そんなことはできない。かといって、休講することを社長に連絡しないわけにもいかない。

 スマホを胸に抱きしめる水無瀬さん。……言葉でどれだけ言っても、離してはくれないだろう。なにせ今日の彼女はいつもより強引なのだから。


 仕方ない、ここの電話を借りるか――と、廊下に向かおうとしたその時だった。


『『……。……せ、せんせい……うごかないでください……』』


「――っ!?」


 水無瀬さんに耳元で囁かれ、下半身から力が抜けた。ドサリ、と椅子に腰を落とす。



 なんだ……なんだこれ? 勝手に力が抜けた。一体何が――



『『離れちゃ、いやですよ……。お願いです。ここにいてください……っ』』


 吐息とともに水無瀬さんが小さな声で言う。


 脳に直接声が響くような感覚だ……。


「ぐっ……」


 今度は体が動かなくなった。脚も手も、ピクリとも動かない。いくら踏ん張ろうと俺の意思に従わない。


「み、水無瀬さんっ、これはどういうことだ……?」


 俺の問いに水無瀬さんは少し口をつぐんだ後に、


「えっと……催眠術? とでも言うんでしょうか」

「は……?」


 催眠術? ……?


「先生、私頑張ったんですっ! 先生に会った日から、毎日毎日勉強を続けて、ここまでできるようになりました……! 心苦しいですが、それを先生にかけさせてもらいました」


 なんで? と脳内でひたすらに疑問符が浮かぶ。


「水無瀬さんっ、なんで、」


 思い通りに動かない体で、なんとか捻り出した言葉に――彼女は。


「もちろん、先生と永遠に一緒にいるためです。だから、」



 だから。



『『ここからぜったいにうごかないでくださいねっ、せんせい……♡』』


 ――彼女の舌と俺の耳とが、音を立てて触れ合う。

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