君は狂ってなんかない
目指すは聖剣を生成していた部屋だ。
かろうじて道順を覚えていたナインは二人を案内する形でなんとかその部屋に無事辿り着くことができた。
部屋の中は雑然としていたが、相変わらず中央に置かれた機械には半透明の液体が入っていた。てっきりこれも持ち去られていると思っていたが、ここに置いて行かれたらしい。
「これが…あいつのお姉さん…」
ナインから話を聞いていたラミィは、死者を悼む目をしながら巨大な機械を見上げた。
「生きていますか?」
一縷の望みをかけて、ナインは尋ねる。ラミィは首を横に振った。
「魔力も何も感じない…。残念だけど…」
「そうですか…」
本当に残念なことだが、予想はできていたことだ。なんとか奇跡の力で元の形に戻したりはできないかとも考えたが、きっとそれも難しいことだろう。モンスターから素材を生み出すことはできても、素材からモンスターを生み出すなど聞いたことがない。
「いや、ちょっと待って…」
じっと水槽の中を眺めていたラミィは突然巨大な水槽の上に上り、水槽の中身をもっとよく確認する。ジャングルでしていたように、感覚を研ぎ澄ませ違和感の正体を探る。
そして、水槽に指を一本浸した後、その場で泣き崩れた。
「………うぅ……っ……!どうしてこんな酷いことができるの…!?」
突然泣きだしたラミィを心配して、ナインはすぐに駆け寄った。
「ラミィ!?どうしたんですか!?」
「これ……多分、ただの水よ……。人工的な消毒液の匂いがする。モンスターから作り出したものですらない…。薬品か何かで色を付けただけの、ただの水…」
「…どういうことですか?」
ただの水。その意味がわからず、ナインはただただ混乱した。
話を聞いていたカルヴァは冷静に推測を口にする。
「……つまり、ティロっちが騙されてたってことでしょー?いつからかはわからないけど、500年近く聖剣を作り続けてまだ残ってるだなんておかしいし。とっくにこの液体の中身はすり替えられていて、ティロっちはずっとそれをお姉さんだと思い込まされていただけってことじゃないかなー。じゃないと、今、聖剣を創るための大事な素材がこんなところに無造作に置き去りにされている説明もつかないしねー」
思い込まされていただけ。姉の魂が宿るわけもないただの水や代替が効く絵画のために、ティロロはずっとこの研究所で言うことを聞かされ続けていた。もしそれが真実だとしたら。
これほどやりきれないことはなかった。
だが、ティロロはそのやりきれなさをずっと一人で抱え込んできたのだ。今は当事者でもないナインがここで怒っている場合ではない。何故なら、ティロロはまだ生きている。
「よかった。まだあった…」
ナインは部屋の隅に無造作に置かれていたティロロの姉が描かれた絵画を拾い上げる。
相変わらず美しいその絵の中のドラゴンは、優雅に笑っていた。誰が描いたのかはわからなかったが、きっと愛情をもって描かれた絵なのではないかと直感的にそう思った。
「あの…二人に手伝ってもらいたいことがあるんですけど…」
ナインの提案に二人は驚愕したが、異論はないようだ。意を決したような瞳で頷く。
それに感謝しながら、ナインは今度こそ準備を始めた。
ナインたちが別行動をとる中、ゴークとティロロは激戦を繰り広げていた。
部屋はとうに瓦解し、青天井が吹き抜けている。そこから吹きさらす雪が室内を濡らすが、それもすぐゴークの熱で蒸発してしまう。
ゴークの放った強烈な熱の一線はティロロの肉片を裂く。だが、ティロロも負けじと空間を歪め、ゴークを四角い空間に閉じ込めた。そのまま空間を狭めて圧縮しようとする。
そのまま圧死されてしまうのではないかと思われた刹那、ゴークは熱で作り出した大剣で空間ごと切り裂いた。
勢いを殺さぬまま、ティロロの腹に大剣を突き刺す。
何度攻撃しても修復するティロロの身体は、大剣の熱に焼かれながらも未だ修復を繰り返していた。
「おい。俺様相手にこの期に及んで手加減たぁ…いい度胸じゃねぇか。とっくに正気に戻ってやがるんだろ?それとも、いつもみてぇいに拳骨でも食らわせねぇと自分じゃ起きられねぇか?」
いつも口数が多いわけではないゴークにしては珍しく饒舌で、興奮しているようだ。転移魔法を使って距離を取ったティロロを睨みつけ、わかりやすく挑発する。
すると、先ほどまで狂ったように咆哮するだけだったティロロは途端に静かになった。
熱で焼け落ちた皮膚もそのままに、堰を切ったように笑い出す。
「………あはははははっ!それはこっちの台詞だよ。さっきから、なに遊んでるの?僕のこと殺すんでしょ?こんな生ぬるい攻撃ばっかりしてないでさ、もっと本気出してよ。…………ほら、僕の心臓はここだよ!!全部、全部。クーちゃんの熱で焼き尽くして」
ティロロは人型に戻ると、いつも羽織っていたローブを脱ぎ捨てた。露になった肌は毒に侵されたように所々が黒ずんでいる。
「てめぇ、まさか…!最初からそのつもりで…」
「わかるでしょ?こうなっちゃったらもう、僕を殺せるのはクーちゃんしかいないんだよ。僕の一番が姉さんであることは変えられないし、変われない。でも、もうあんな風に、ナイン君を…。『大切になるかもしれないもの』を壊すのも嫌なんだ…!!だから、もう、こうするしかない………。僕が僕であるうちに…………はやく…終わらせてよ……!!」
ティロロは泣いていた。体に溜まった膿を流すようにぼろぼろと黒い涙を流す。
「もうやだ…。辛い……苦しい…。………助けて」
思えば、ティロロは裏切る前から、ゴークに対して妙に挑発的だった。
普通挑発は格下に行うもので、格上に行うものではない。いくら自分に自信があるからといって、力量を見誤るほどティロロは浅はかではないはずだ。
だから、何か理由があるのかと思ってはいたが。まさかよりにもよってこんな理由だったとは。
「…ふざけるなよ。どいつもこいつも、俺様にくそ面倒なもんばっか押し付けやがって…!!」
頭の奥がずきずきと痛み出す。ゴークはその痛みに呻きながらも、ティロロを目に捕らえたまま離さなかった。
「何がこうなっちゃったら、だ!こうなるまで問題を見ずに放置してきたのはてめぇの落ち度だろうが!!助けて欲しいなら最初からそう言え!!甘えるんじゃねぇ!!そもそもそんな風に泣いてる暇があんなら、今すぐかぼちゃ野郎に詫びでも入れに行って来い!つか、腕やら足やら折った俺様にも謝罪しやがれ!!」
「……無理。ナイン君に絶対嫌われたもん。もう会いたくない。辛い…」
「だあああああ!!!面倒くせぇ!!!!」
しくしくと泣きながら、隙あらば一撃を食らわせようとしてくるあたり本当に鬱陶しい。
これも《経験値部屋》の効果なのか、ティロロの幼稚な人格が透けて見えるのを、ゴークは忌々しく思った。
そんなあきれ果てたゴークを助けたのは、ナインの声だった。
「ゴーク!!お待たせしました!!ここの壁から一直線に焼き払ってください!!」
部屋に戻ってきたナインは白い壁を指さしている。ゴークはそれに従い、熱光線を放った。
壁が溶かされ、研究所の中に一本の道が無理やり作られる。
「俺を連れてこの先へ!!多分これが最短距離です!ティロロも!!こっちに来てください」
「え?」
ゴークは素早くナインを連れて新しくできた道の先へ行く。呆気にとられたティロロは戸惑いながらも、その後ろに続いた。
「え?姉さん…?」
その道の先は、例の機械装置の部屋だった。研究員がいなくなってもなお稼働しているのか、液体が満ちた巨大な機械を中心に電子音が鳴り響いている。
ティロロがしっかり部屋に入ったことを確認すると、ナインは鉄パイプを片手に持った。
「こんな方法しか思いつかなくてすみません」
「………ああ。なるほどね。ナイン君もババロア博士と同じで、姉さんを人質にとるつもりなんだ。……いいよ。僕はそうされてもおかしくないくらい酷いことしたもんね。それをされたら僕は本当に手も足も出ない。今なら命令を何でも聞いてあげる。だから、姉さんには酷いことしないで」
無理矢理笑った顔は歪で、ティロロの今の精神状態を表しているようだった。あんなに自信にあふれていた姿が嘘のように、遜って許しを請いている。
散々強い魔法を連発したこともあり、体も、精神も、見るからにボロボロだ。
その変わり果てた姿にナインは胸を締め付けられるようだったが、覚悟は一切揺るがなかった。
「今から俺がすることが、ティロロのお姉さんにとって酷いことなのかどうかはわかりません。ですが、ティロロにとっては確実に辛いことだと思います」
「は?何それ。どういうこと?」
「本当に勝手なことですが………俺は、俺たちは、ティロロに生きていて欲しい。幸せになってほしい。そう強く願っています」
物陰に隠れていたラミィとカルヴァが姿を現し、それぞれ武器を構えた。「まさか…!」とティロロが察した時にはもう遅く、ナインたちは一斉に巨大な機械へ向けて武器を振り下ろす。
「だから、君の強さを信じることにしました」
中の水槽が割れ、半透明の液体が中から流れ出す。故障した機械はバチバチと音を立てて沈黙した。
「………っ!!!!!姉さん……姉さん………っ!!……ぁぁぁああああ!!いやだぁぁぁあぁああああぁああ!!!」
ティロロの悲鳴が反響する。
動揺が体に影響しているのか、人型を保てず、ぐにゃぐにゃとドラゴンと人型が混ざり合ってひしゃげた。
ここまで読んでくださりありがごうございます。
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