モンスターは風邪をひかない
次の日、ラミィが宿屋の一階でナインが起きるのを待っていると、待てども待てどもナインが起きて来ないという事態が発生した。
部屋を別々すると決めた時に、朝食は1階でみんなで食べることを決めていたため、起きて来ないというのはおかしい。人間には睡眠が必要だということだったし、たっぷり寝かせてやろうとできるだけ待ってみたが、ラミィが本を読みながら待っている間に、ティロロやゴークの方が先に起きてきてしまった。
「あれ?ナイン君は?」
「それがまだ起きてきてないのよ」
「久しぶりの一人部屋だろうし、気が抜けて寝坊でもしてるのかな…」
「私、ちょっと見てくるわ」
ティロロもゴークもナインと隣部屋だったため、何か異変があれば二人が気づかないわけがない。きっと寝坊だろうと高を括ったラミィは再び上に上がり、ナインの部屋のドアをノックした。
「ナイン。起きてる?朝よ」
「あぁ…。もう朝ですか…。ゴホッ…今行きます…」
反応があったことにほっとするが、寝起きなのかドアの向こうの声には全く覇気がない。
しばらくラミィが部屋の外で待っていると、ナインの部屋からドシンッと何か重いものが落ちた音がした。
「今何か凄い音がしたけど、大丈夫なの?……ねぇ、ちょっと。………開けるわよ?」
ナインの部屋にはいざというときラミィたちがすぐ入れるようにわざと鍵をかけていない。
ラミィは無言を肯定と受け取り、返事を待たずに中に入った。
そこには、ベッドから転げ落ちたと思われるナインの姿があった。
「ちょっと、大丈夫!?」
慌ててラミィが駆け寄るが、なにやら様子がおかしい。
ナインはベッドから落ちたにもかかわらずぐったりと体を横たえたままで、じっとりと汗をかいており、その頬は普段より赤く染まっていた。
助け起こすと咳で潤んだ目を開き、弱弱しく微笑む。
「ああ、ラミィ…。おはようございます…ゴホッ。ちょっと体に力が入らなくて…」
「………」
「……?ラミィ?」
ラミィは無言のまま、ナインをシーツごと難なく抱きかかえた。
そしてティロロたちが待つ下へと直行する。
両手が塞がっているため、ラミィが閉まっていた扉を足で無理やり開けると、ティロロとゴークは同時に目を向けた。周りにいた宿主や旅人も同様に目を向けたが、そんな視線も物ともせず、ラミィは今にも泣きそうな顔で言い放った。
「………どうしよう!ナインが死んじゃうっ!!!!」
その一言で、ゴークの周りの空気がひりつく。
部屋の室温が急激に上がり、地震が起きた時のように食堂にあった食器や花瓶がかたかたと音を立てて揺れた。
ラミィが抱きかかえられていたナインが、「ゴホッ」と一つ咳をする。シーツでぐるぐる巻きになっているそれがナインだとわかったティロロは笑顔を作り、ゴークの肩に手を乗せた。
「部屋に戻ってゆっくり話ししようか。クーちゃんもそれでいいよね?」
「…………ああ」
宿の店員や他の旅人たちに注目される中、ティロロは「お騒がせしましたー!」と人懐っこい笑顔で謝罪を入れながら、他の三人を連れてナインの部屋に戻る。
ぱたりと扉を閉めて部屋の鍵をしっかりかけてから、未だに血相を変えているラミィをもう一度一瞥して、大きく溜息を吐いた。
「落ち着いて。まずは状況説明からお願いできるかな?ラミィちゃん」
「…私が部屋に入ったら、ナインがベッドから落ちてて……それで…なんかぐったりしてて……!!前に私が本で読んだやつかもって思って、それで…!!」
「うーん。まずはそのぬいぐるみみたいに抱えてるナイン君をベッドに寝かせてあげようか?」
「わかったわ!!」
ティロロがいまだ混乱のさなかにいるラミィと殺気を飛ばしまくるゴークに内心で頭を抱えていると、再びベッドで横になれたナインが再び咳をした。それも1回や2回ではなく、むせ込むように辛そうな咳を繰り返す。
だが、咳をしたおかげで意識がクリアになったのか、ナインの瞳はしっかりとラミィをとらえた。
「驚かせてすみません…。これは多分、ただの風邪なので、ゴホッ、死ぬことはないので安心してください…」
「え、そうなの…?でも、本には人間が風邪をひくと死ぬことがあるって…!」
「うん。悪化すれば全然死ぬだろうね。人間って僕らモンスターよりそこらへん脆いし………って熱っ!!ちょっとクーちゃん!!病人がいるんだから熱抑えてよ!!」
「………。」
ラミィは瞳に涙の膜を作っており、ゴークは先ほどからずっと無言でナインのことを睨み続けている。
モンスターは風邪にかかることもなければ、風邪で苦しむ人間が回復に向かう場面など見る機会がない。風邪にかかったら一巻の終わりぐらいに考えてしまうのは無理もなかった。
ちゃんと安静にしていれば軽い風邪なら治ることを教えてやりたいが、今のナインは熱で意識が朦朧としているため上手く伝えてやることができない。熱に浮かされた頭でどうすればいいかとナインが悩んでいる間に、ティロロが尻尾でナインの額に触れた。
ひんやりとした感触が気持ちよくて、思わず目を細める。
「…うん。やっぱり熱があるね。あんな暑い気候のジャングルからいきなりこんな雪国に飛ばされれば、体が驚くのも無理ないよ。そうでなくても、きっと旅の疲れが溜まっていたんじゃない?だから、少し休めばきっと良くなるよ」
ティロロはそう言って、はだけていた布団をかけ直してやる。
「咳出てるよね?ナイン君ちょっと口開いて。……わー。喉真っ赤じゃん。痛そう」
喉の奥は真っ赤に腫れていた。ラミィは不安そうな顔で「ナインは死んじゃうの…?」と子供のように尋ねる。ナインはまた咳を一つした後、苦笑いした。
「ただの風邪なので大丈夫ですよ。ティロロが今言った通り、少し休んだらよくなります」
「本当?」
「本当です」
「なら…いいんだけど…」
「回復ポーションで治らないのか?どこかの街で買っていたものがあっただろ」
ほっと胸を撫でおろすラミィの横で、ずっと無言を貫いていたゴークがようやく口を開いた。よほど心配をかけてしまったらしい。眉間に深いしわができているのを見て、ナインは笑いながら答えた。
「はは…。風邪は怪我や毒ではないので、回復ポーションじゃ治らないんですよ」
「じゃあ何したら治るんだ?」
「えっと…、よく寝て、栄養のあるものを食べて、薬を飲んだら…とかですかね」
「それほとんどいつもやってることじゃねぇか。何ですぐ治らねぇんだよ」
「あはは…」
予想通り、ナインの回答にゴークの眉間のしわは一層深くなった。だが、ティロロに指摘されたことを守り、放熱するのは我慢してくれているようだ。
「そういうわけで、二人とも落ち着いた?旅はナイン君の体調が良くなるまで一旦中止だね。オーロラに詳しい人の家に行くのはまた今度にしようか」
「いえ…たしか、その方は明日以降旅に出てしまうかもしれないんですよね…?ゴホッ。なら、今日多少無茶してでも会いに行きたいです」
「いやいやそこは大人しく休んでおきなよ。急ぐ旅でもあるまいし…」
「俺にとっては急ぐ旅なんですよ。……なんせ、人の一生は短いですから」
ナインはこうしてはいられないとばかりに上体を無理やり起こそうとする。しかし、腕に上手く力が入らないのか、なかなか思うように動けずふらついているようだった。
それを見たティロロが呆れながらため息を漏らす。
「ほら、そんな体で何言ってんの?大体、流行り病とかだったら向こうにも迷惑だろうし、今日のところは大人しくしていなよ」
「ですが…」
「…いいよ。そこまで言うなら、僕が一人でその人に会いに行ってくる。どうせナイン君がいようがいまいがもらえる情報は同じだろうし。そっちの方がいろいろと手っ取り早い」
「ティロロ…」
これ以上ない手助けに感謝を述べようとするナインだったが、ティロロはそれを敢えて無視するように視線を外す。その代わりに、先ほどから心配するあまり棒立ちになったままのラミィとゴークへ指示を飛ばした。
「ラミィちゃんはこの村のお医者さん探して、できたら風邪薬もらってきて。本当はお医者さんにちゃんと見てもらいたいけど、認識阻害魔法が見破られても厄介だしね。とりあえず薬だけで良いと思う。喉も腫れてるみたいだから、喉に効く漢方とかもあると嬉しい」
「うぅ…。わかったわ!!」
「クーちゃんは、ナイン君が無茶しないように見張ってて。あと、はいこれ」
「何だ?」
ゴークがティロロに持たされたのは、バケツいっぱいに入った雪だった。
「人間の喉が痛いときは加湿するといいんだ。それに、熱を出してるみたいだから汗もかいた方がいい。だから、その雪を君の熱で沸騰させて、この部屋を水蒸気で満たしといて。いい?あくまでほどほどだよ?大雨が降ってる時ぐらいの湿度。《熱の守護神》様なんだから、それくらいはできるでしょ?どうせろくな看病もできないんだから、見張りでもしながら湯沸かし器にでもなっててよ」
「……おう」
よほどナインが心配なのか、ゴークはいつもならつっかかるティロロの皮肉にも反応しなかった。大人しく受け取ったバケツで雪を溶かし、ぐつぐつと煮立たせ始める。
ラミィが勇み足で「お医者さん探してくるわ!!」と部屋を飛び出したのを見送り、ベッドサイドに水差しを用意したティロロは、ナインに向きなおった。
「帰りに何か買ってこようと思うんだけど、何か食べられそうなものある?」
「では…なにか果物を…」
「了解」
回答できたことを褒めるように、ティロロはナインの髪をさらりと撫でた。
いつも憎まれ口ばかり叩かれてしまうため忘れてしまいがちだが、ティロロはれっきとした長寿のモンスターだ。人間慣れしており、その上、知識も経験も能力も優れていて、いつもナインを助けてくれる。
時々度を越えた悪戯をしそうになったりはするが、それを踏まえても頼りになる友人だった。
「ティロロ」
「ん?何?」
部屋を出ていこうとしたティロロを呼び止める。
治ると頭では理解しているが、それでも心配してくれているのだろう。聞き返すティロロの声は平時のものよりも幾分か甘かった。
「この間の、ドットの件ではありがとうございました。ゴホッ。君がいなかったら、きっとドットは自信を取り戻すことがでいなかったと思います。それに、それ以外の街でも…。次の街に行ったら、君に何かお礼をしたいと思っていたのに…こんな体たらくですみません」
「…本当だよ。お礼してくれるどころか、こんな風邪なんて引いちゃってさ。手がかかるったらないよ。………僕がいないと、本当ダメダメなんだから」
「面目ないです」
本当にその通りだと思ったため、ナインは素直に謝る。
するとティロロは満足したのか、「じゃ、あとはよろしくねクーちゃん」とだけ言い残し、颯爽と部屋を去ったのだった。
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