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ドットとハーモニカ

 


 ドットの生まれは遥か南にある獣人族だけが住むジャングルだ。

 そのジャングルには強力な毒を持つ花や虫がいたため、人はおろか、知恵のない凶暴なモンスターさえ近づくことができない。知恵のある獣人たちにとって楽園のような土地だった。

 そんな孤高のジャングルの中で唯一流行っていた娯楽が、音楽だった。

 獣人たちの住むジャングルにはいつも何かしらの楽器の音が響いていた。


「いつ聞いても素晴らしい腕前だ!」

「ドットのハーモニカは世界一だな!」

「えへへ」


 中でもドットのハーモニカの腕前は目を見張るものがあり、一曲奏でるごとに仲間から絶賛されていた。

 ドットは生まれつき体も小さく、戦闘力で言えば獣人の中でも下の下。

 戦闘や純粋な力比べで褒められることが少なかったドットにとって、ハーモニカという特技があることは唯一の誇りといってもよかった。実際、ドットのハーモニカはジャングル一素晴らしいと大人の獣人からも高く評価されていた。


 そんなある日、ジャングルに勇者の団体が現れ、多くの獣人たちが捕らえられた。


 獣人はたとえ倒しても、レアアイテムがドロップするわけではない。だが、その見た目の物珍しさと人間とそう変わらない知力、並外れた筋力は奴隷として大変価値があった。

 ジャングルで捕らえられた獣人たちは皆生け捕りにされ、奴隷にされた。

 運よく逃げ延びた仲間もいたが、逃げ遅れたドットは勇者に捕まり、首輪をつけられたその日から奴隷としての人生が始まった。


 ドットの飼い主は貴族の男だった。

 どっぷりと豚のように肥えた貴族はドットの他にも3匹の獣人奴隷を買っており、獣人を事あるごとに憂さ晴らしの道具として利用した。

 ペットのように鎖で繫いで拘束し、気に入らないことがあると罵声を浴びせ、鞭で力一杯に叩いた。

 奴隷として働かされた獣人の中には、わざと危険な場所に送られたり、水も飲めない中で四六時中働かされていた者もいたようだから、ドットのいた場所はそれに比べたらまだいい方だったのかもしれない。貴族の男の機嫌次第で食事を抜きにされたり殴られたり、水浴びもまともにさせてもらえないこともあったが、哀れに思ったメイドや執事が帰属に内緒でこっそり助けてくれることもあったため、死に瀕することはなかった。


 それでも、貴族の男にハーモニカを壊された夜のことは、今でもドットの中で色濃く残っている。


『犬の分際でこんなものを隠し持っていたのか!!なんて卑しい奴だ!!こんなものを持って、楽器もろくに弾けない俺を陰でこそこそ馬鹿にしていたんだろう!?』


 よりにもよって、ドットがこっそり持っていたハーモニカがついにバレてしまった。

 貴族の男はハーモニカを取り上げ、顔を赤らめながら怒っている。


 運の悪いことに、貴族の男は音楽を嫌っていた。

 昔家庭教師の音楽レッスンに耐えられず逃げ出したという理由で、音楽そのものを憎んでいるようだった。

 ドットが何度そんな意図はないと言っても、貴族の男は絶対に話をきこうとはしなかった。


『こんなもの…!!こうしてやる!!』


 トンカチを振り下ろされ、目の前でハーモニカをぺちゃんこにされたドットはその日、一晩中鳴いた。

 うるさいとまた何度も貴族の男に蹴られたり殴られたりしたが、そんなことよりも大事な宝物が一生戻ってこないことがなにより辛かった。




 そんな奴隷としての日々が続く中、ドットが貴族の男に“散歩”と称して連れられてきたのは、世界中の楽団が集まる音楽祭だった。


 貴族の男は音楽を嫌っていたが、この日は貴族の付き合いでどうしても音楽祭に出席しなければならなかったようだった。朝から舌打ちが止まらないようだったが、幸いその苛立ちがドットにぶつけられることはなかった。他の獣人たちと同様犬の姿になることを強要され、『余所行き』になるよう召使に毛並みを整えられた。


 音楽祭のステージに着いたドットはリードに繋がれ、《観覧席》と書かれた椅子に座った貴族の男の、さらに後ろの地面に座る。犬に椅子など不要であることはわかっていたので、特に気にしてもいなかった。

 白い毛が汚れることも厭わず、土に長毛を付けながらぼんやりと一点を見つめる。

 音楽は好きだったが、ハーモニカを壊されてしまったドットにとって、それはもう過去のことだ。ただ感慨にふけることもなく、音楽嫌いな貴族の男が自分に向けて癇癪を起さないことを祈っていた。


 ずっと暗かったステージに、パッと明かりが灯った。


 ライトが照らしているのは、様々な楽器を持った人間たちだ。

 中にはドットが見たことのない楽器もあり、興味が出てきたドットは貴族の男にバレないようにそっとステージを盗み見た。


 やがて、楽団による演奏が始まる。


 音は大気を揺るがし、貴族も一般人も、奴隷も関係なく全ての心を揺らした。

 洗練された音の数々はドットがジャングルで聴いていたものとは違い、酷く整っている。様々な楽器が己の役割を果たすかのように、音が一つの軍隊となってステージに響き渡っていた。

 耳から入って来る音が心地よすぎて、全身の毛が逆立つ。

 それは喜びであり、感動だった。

 全てを失い、色を失くしたと思われた世界に色がついていく。


「なんだこの犬、泣いているのか」


 貴族の男に言われて、ドットは初めて自分が泣いていたことに気付いた。

 屋敷に戻ってから貴族の男にお仕置きをされたが、それが気にならないほど、ずっと感動していた。それぐらい素晴らしい演奏だった。

 ただただ涙が溢れて止まらなかった。




 その音楽祭から数日後、ドットはユーコにより貴族の男から買い取られ、永遠と思われた奴隷生活からいともあっさり解放された。


 ユーコの屋敷に招かれると、そこにはドットと同じく奴隷として不当に扱われていた獣人たちがいた。中には同郷の者もおり、ドットは再会を喜んだが、その誰もがまだ暗い目をしていた。

 奴隷から解放されたからと言って、本当に自由になれるとは限らない。

 新たな束縛か命令が待っているだけではないかと誰もが怯えていた。


 しかし、ヨーコだけは集まった獣人たち一人一人に声をかけ、感激に打ち震えていた。

「可愛い」「格好いい」「素敵」「素晴らしい」。そんな肯定の言葉を喉が枯れるまで言われたのは初めてだった。

 衣食住を与えられ、満足するまで可愛がられた後、ユーコは「あとは皆さまの好きにしてくださいまし!」とあっけなく獣人を奴隷にできる権利を放棄した。

 突然降って湧いて出たような自由に困惑したのはドットだけではない。

 奴隷としての生活が長かったせいで、今更好きにしろと言われても、何をすればいいのかわからなかった。

 困惑する獣人たちに対し、ユーコは「何か趣味はありますかしら?もしくはこれからやりたいことでもいいですわ」と尋ねて周った。

 ガンガルフは「貴方様を守る騎士になりたいです!」と即答していたが、それをできたのは稀な方で、他の獣人たちはすぐに答えることができないようだった。

 まごついている間にも、順番は巡って来る。

 順番が回ってきたところで、ドットは「…ハーモニカ」と答えた。


「まぁ素晴らしい!ぜひお聞かせくださいまし!ハーモニカでしたら、私の能力で今すぐ取り寄せますわ」


 ドットが以前持っていたハーモニカの特徴を伝えると、ユーコはすぐにそれと似たものを取り寄せ、ドットにその場でプレゼントしてくれた。


(誰かからプレゼントをもらうなんて…久しぶりだ…)


 新しいハーモニカは不思議と手に馴染んだ。

 奴隷だった時のことを思えば、まさに天に上るような心地だった。しかも、それが命の恩人からで、自分が大好きだったハーモニカだなんて。嬉しさのあまり、ドットは自分の尻尾が揺れるのを止められなかった。

 ユーコに促され、さっそく吹いてみようとハーモニカに口をつける。


「あ、あれ…?」

「?……どうかされましたか?」


 ドットはハーモニカが吹けなくなっていた。

 吹こうとすると金縛りにあったように、どうしても体が硬直してしまう。

 何度吹こうとしても音さえ出すことができなかった。


 せっかく自分を救ってくれた恩人が特別にプレゼントをしてくれたのに、それが演奏できないなんて。何度も謝るドットに対し、ユーコは何ら気を悪くした様子はなく「気になさらないでくださいまし」と何度も励ましてくれた。

 期待に添えられなかったことが情けなくて、悔しくて。その後何度も陰で練習しようと試みたが、それでもハーモニカを吹こうとするとやはり息が詰まってしまい、演奏することはおろか、音を出すこともできなかった。


 耳に残っているのは、あの音楽祭で聴いた素晴らしい演奏だ。

 音楽は今もドットの中で鳴り響いている。

 なのに、体は何故かハーモニカを吹くことを拒んでいた。


 ドットは吹けないハーモニカを捨てることもできず、首から下げたまま、肌身離さず持ち歩くことにした。

 いつかまた昔のように吹けるようになることを願って。





ここまで読んでくださりありがとうございます。

執筆の励みになりますので、もしよろしければ評価、ブクマ、いいね等々よろしくお願いいたします。


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