臆病なくせに腹黒い親友を持つと苦労する
夜の港をナインは一人で歩いた。
カルヴァはあの後、泣くだけ泣いて、「今夜は一人にしてほしい」とどこかに行ってしまった。
カルヴァは神父に会いに行くだろうか?できれば、そうだと嬉しい。
ナインは自分の腕の火傷痕を服の上からなぞった。
帰る場所がいつまでもそこにあるとは限らない。ふとした瞬間に失くしてしまうことだってある。失くしてしまったら最後、もう修復などできない。ナインはそれを痛いほどに理解していた。
「ゴーク、いるんですよね?降りてきませんか?」
護衛もかねてずっと上で見守ってくれていたのだろう。
ゴークはナインの呼び声に応えて、空から降りてきてくれた。
「何か用か?」
「野宿した日の夜、何か俺に言いかけてましたよね?ずっと気になっていたんです。教えてもらえますか?」
ラミィとティロロは宿屋で帰りを待っているため、今はゴークと二人きりだ。聞くなら今だろう。
夜の海は月明かりに照らされてもうっそりと暗い。潮風に吹かれながら、ナインはゴークが口を開くのを待った。
「なぁ、オリビアを殺したのは勇者…だったよな?」
「………はい。そうですよ。それが何か?」
やけに真剣な顔をしていたからきっとオリビア関連だと思っていたら、やはりそうだったようだ。二人っきりの時に聞いて正解だったなとナインはゆっくり耳を傾けた。
「この間会ったあいつ……タロって勇者が殺したのか?」
「いいえ」
即答する。
けれど、ゴークはずっと浮かない顔をしたままだった。
「あのタロとかいう転生勇者は確かに強かった。俺様が本気を出していたとしても、おそらく勝てない。あれはそういう存在だ。あれにオリビアの奴がやられたとしたら納得がいく。………だが…そもそも…」
夜の海は暗く、長く眺めていると飲み込まれてしまいそうだ。
今この港には闇が広がっている。ナインはここに自分がいることを確かめるように、深呼吸をした。
「どうして俺様は、アイツを殺した勇者の顔を覚えてねぇんだ……?アイツの死に際には立ち会っていたはずなのに…………こんなのっておかしいだろ?……オリビアは一体どうやって…誰に殺されたんだ…?」
いつも真っすぐな瞳が揺れている。
不安定な心を表すように、波の音だけがこの場で轟いていた。
ナインは「ゴーク」とできるだけ普段通りに名前を呼んだ。
「大丈夫です。代わりに俺がすべてを覚えています。奥さんの死に際も…殺した仇の顔も。君がオリビアの死に際を覚えていないのは、その仇が原因です」
「なら…!今すぐそいつが誰か教えろ!!そいつはオリビアの仇なんだろ!?」
今にも掴みかかりそうなゴークとは反対に、ナインはどこまでも冷静だった。
「それはできません。今はまだそれをゴークへ教えるべきじゃないんだと思っているんです」
「…何でだ?」
子供のような無垢な目をしている。何千年と生きていてもわからないことにはわからないと素直に言える実直さが、ナインはとても好きだった。
まるで子供に言い聞かせるように、困った笑みを浮かべた。
「だって、教えたらゴークはその仇を殺してしまうでしょう?」
「当たり前だろ!それが俺様の存在意義だ!地の果てに行ってでも殺してやる…!」
「ほら。やっぱり。…ダメですよ。奥さんの仇を殺すのは俺ですから」
「っ!」
ナインはやはり笑っていた。だが、その瞳の奥には今も憎悪の炎が静かに揺らめいている。底知れぬ殺意に、ゴークは思わず息をのんだ。
これまで、この旅はオリビアとの思い出巡りのようなものだと思っていた。
だが、もし、他にも目的があったとしたらーー…?
「……ははっ。殺すって言ったって、オリビアを殺したような奴だろ?ろくに戦うこともできねぇかぼちゃ野郎に、一体何ができるって言うんだよ?」
悪い妄想を「あり得ないことだ」と一蹴するように、ゴークは無理矢理笑ってみせた。
だが、その願いを裏切って、ナインから返ってきたのは「できますよ」というあっけあらかんとした肯定だった。
「えいっ」
ナインはゴークに一歩詰め寄り、掛け声とともにその大きな胸板を力いっぱい押し出した。
「……は?」
真剣な話の最中ですっかり気が抜けていたゴークは、体幹を維持することができずよろめいた。地面の縁に足を踏み外し、重力に従って夜の海へと落下する。
大きな体が落ちた衝撃で、ドボンッという音と水しぶきが水面に広がった。
「何しやがる!?」
「ふふっ。すみません。珍しく狼狽していたので少し揶揄ってみました」
ナインに差し出された手を取り陸に上がると、ゴークは瞬時に体温を高め、まとわりついた水を蒸発させた。相変わらずタオル・ハンカチいらずだなとナインは内心で感心する。
「こんな俺でも、やろうと思えば案外できることがあるとわかっていただけましたか?………ですが、この旅の最中は、あまり暗いことは考えず、楽しむことだけに集中したいんです。奥さんもそれを願っているでしょうし。……だから、ゴークもあまり怖い顔をせずにこの旅を一緒に楽しんでくれると嬉しいです」
そう言って笑ったナインの瞳はもういつも通りに戻っていた。偽っているようにも、痛みをこらえているようにも見えない。
この旅を心から楽しみたいと言っているのも、本心のように見えた。
(これ以上聞いたところで、教える気はさらさらねぇんだろうな…)
なにせ、この人間は秘密にしようと思ったことはたとえ殺されても絶対に口を割らない頑固者だ。オリジンを殺した仇によってゴークの記憶が抜け落ちていることも、知っていて今まで黙っていた。
そうなると、大変癪だが、この旅を続けながらナインが話す気になる時をただ待つしかない。
「あまり帰りが遅いとラミィとティロロが心配するかもしれません。そろそろ宿に帰りましょう」と歩く後ろ姿に、ゴークは黙って続いたのだった。
主人公は勇者ではないので、臆病だし、善人でもないという。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
長くなりましたが、これにて女神のステンドグラス編は完結です。はたしてオリビアを殺した勇者は誰なのか?何故ゴークは記憶を失くしているのか。
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