アマクロイスの夜景
突如現れた熱球に城中の兵士が混乱にどよめく中、兵士の一人が「ナイン!こっち!」と手を引いた。
手を引かれるまま熱風とは逆方向へと回廊を走っていくと、手を引いていた大柄の兵士が徐に魔法を解いた。甲冑で隠れていた顔が露になって、ナインは目を見開く。
「あ。よかった。ラミィだったんですね」
「当たり前でしょ。こんな人気のないところまで連れてかれておいて、もし私じゃなかったらどうするつもりだったのよ!」
「僕もいるよーっと」
「ティロロ!」
転移魔法で何もない空間からティロロが姿を現した。気障ったらしくローブを風になびかせているが、BGMは城の兵士たちが襲撃に阿鼻叫喚する声だ。優雅とは言い難い。
「積もる話は後々!今なら転生勇者がこの城にいないみたいだし、クーちゃんがあっちで暴れてる間にさっさと逃げちゃお!」
指をぱちんと鳴らし、転移魔法を展開する。周りの空間が歪みだした。
「残念♡そうはいかないよーん」
「……っ!危なっ!」
どこからか投擲された巨大なハンマーによって、転移魔法が無理やり壊される。寸でのところでティロロが手を引いてくれたおかげで避けれたが、直撃していたら怪我では済まなかっただろう。
「カルちゃんがいること、忘れてもらっちゃ困るんだよねー。そう簡単に逃がさないよー?」
カルヴァが巨大な斧を2本持って立ちふさがる。その後ろには、城の兵士たちも控えていた。どこか艶めかしい目でナインを見つめる。
「見てたよー?さっきの姫様への啖呵、痺れちゃったー♡ダーリン、本気で私のお婿さんにならないー?」
「お断りします」
「ざんねーん。じゃ、今すぐ死んで?」
全く残念そうには見えないカルヴァは、大きく振りかぶって身に余るほどの巨大な斧を投擲する。斧はナイン目掛けて一直線に飛んだが、突如壁のような鏡が現れそれを阻んだ。
鏡に斧が直撃するが、鏡は壊れることなく反射し、斧を“跳ね返した”。
カルヴァは跳ね返ってきた斧をもう一本の斧で叩き落す。
「なにその鏡の壁―!超ウザいんですけどー?」
「レベルアップするのが勇者だけだと思わないでよね!これでもう簡単に壊されたりしないんだから!」
ラミィは砂漠のオアシスでの経験を経て、新しい能力に目覚めていたようだ。
以前は全く防げていなかったカルヴァの攻撃を防いだことで、ラミィはふんと鼻を鳴らした。
調子に乗って「何度でも撃ってきなさい!」とでも言い出しそうな様子だったが、それを遮るように、人型をしたゴークが現れた。
「てめぇらまだこんなとこにいたのか!転生勇者が来ねぇうちにずらかるぞ!」
「うわっ!」
「ちょっと!またこれ!?…いやぁぁぁぁあぁ!!」
「え!僕だけ置いていくの酷くない!?」
ゴークは現れるや否や、両脇にナインとラミィを抱え爆速で空へと上がる。ティロロだけは置いて行かれてしまっていたが、文句を言いつつ平然と空を飛んで追ってきていた。どうやら転移魔法がなくても自在に空を飛べるらしい。
カルヴァが一瞬悔しそうに顔を歪めたのが見えたが、ゴークの速度だとそれもすぐに見えなくなる。
外は既に暗く、とっくに日が沈んでいた。闇夜を月明かりだけが照らしている。
ゴークが暴れまわったのだろう。上空から見たアマクロイスの城は、半分倒壊し、煙が昇っていた。
「うぷ…。いきなり急上昇しないで…。私はこういうの慣れてないのよ…!もっと丁重に扱って!!」
「あ?逃げる手助けしてやったんだから文句言うな」
「ラミィちゃん!僕がお姫様抱っこで運んであげようか?」
「お断りよ!私は昔、あんたに転移魔法で散々遊ばれたこと、まだ許してないんだからね!!」
空を飛びながら、喧嘩を始めそうなモンスター3匹はふと、先ほどからナインが妙に静かなことに気付いた。
「…おい。なにぼーっとしてやがるんだ。どっか怪我したわけじゃねぇだろうな?」
「ナインは人間なのよ!きっと私と同じで急上昇の負荷が怖かったに決まって……って、何よその手の怪我!血が出てるじゃない!」
ラミィに指摘されて、ようやくナインは自分が左手を強く握りすぎていたことに気が付いた。そっと手のひらを開くと、爪が食い込んで皮膚から出血していた。
「ああ…。緊張しすぎて、握ったままになってしまっていました」
手は冷たく、まだ震えている。
ロイス姫の前であんな大見栄を張っていたときは気にならなかったのに、もう大丈夫だと思った途端に体が正直になったようだ。
どこかぼんやりとしているナインへどう声をかけたらいいかラミィが悩んでいると、ナインは「うわっ!」と声を上げた。
「え?え?いきなりどうしたのよ…?」
「ラ、ラミィ。その鎧、一体どこで…?」
逃げている時は必死で全く気付かなかったが、ラミィが今着ている鎧には大きく騎士団長のマークが入っていた。忘れもしない。クーズ騎士団長の着ていた鎧と全く同じものだ。
驚きに言葉が出ないナインとは逆に、ラミィの方は落ち着いていた。平然と答える。
「ああこれ?なんか城の外で伸びてるおじさんがいたから、拝借したの。私は普通の服ぐらいだったら変化できるけど、騎士の鎧って属性付与とかされてるのあるから模倣しにくくって…。私が兵士に扮して先に城へ潜入することは決まっていたから、ちょうどいいかなって」
ナインが覚悟を決めて姫と対談している間に、そんなちょうどいい木の枝見つけたぐらいのノリでクーズ騎士団長が身ぐるみを剥がされていたなんて。
驚きのあまり言葉が出ないナインに首を傾げつつ、ティロロは続けた。
「そんで、なんか偉そうな見た目だったし僕らのことバラされたら困るからさぁ。とりあえず身ぐるみ全部剥いでパンツ一丁にして縛り上げて、城下町のど真ん中に飛ばしておいたんだよ。あの人、最初から何故か顎の骨折られててしばらくはまともに喋れなさそうだったし、きっと今頃言い訳もできずに変質者扱いされてるんじゃないかな?」
「………君たちは、クーズ騎士団長のことを知っていたのですか…?」
ラミィとティロロは互いに顔を見合わせる。そして、心底不思議そうな顔をした。
「誰よそれ?」
「騎士団長ってことは人間側のマジで偉い人だよね?」
「あ、あれ?私たち何か不味いことした…?」
「はい!僕はダメだって言ったのに、ラミィちゃんがやれって言いました!」
「あ、ちょっと!裏切る気!?私は言ってないわよそんなこと!むしろあんたが余計なことしたんでしょ!?」
ラミィが暴れると着ている鎧がガチャガチャと音を立てる。
「うるせぇ!」と怒ったゴークが一喝すると、その拍子にもともとぶかぶかだった鎧が次から次へ落ちてしまった。「あ」と声を漏らすがもう遅い。鎧は城下町に落ちる前に全てゴークによって“焼き消された”。
「あー!クーちゃんいけないんだー!なんか偉そうな人のなんか大事そうな鎧壊したー!」
「そんなもん知るか!こっちは両手が塞がってんだぞ?あんな重いもんが、あのまま下に落ちたら危ねぇだろうが!」
「ナイン!こいつらは同罪だけど、私は違うわよ!違うからね!?」
熱光線によって消された鎧は跡形もない。
たしか騎士団長にとって、城の紋章が付いた鎧は勇者の聖剣と同じくらい大事なものであったはずだ。喪失したと知れたら厳罰は免れないだろう。
そしてなにより、このたった一日でクーズ騎士団長が築き上げた権威はもう地の底まで落ちているに違いなかった。
眼下ではゴークが半壊させたアマクロイス城の残骸が煙を出している。ボロボロになった城の中では、今頃ロイス姫がナインをまんまと取り逃がしたことで地団太を踏んでいるかもしれなかった。
怖くて悪夢にまで出てきたトラウマ。
それが、こんなにあっけなく終わりを迎えるなんて。
ナインは堪えきれず、笑った。
「ふっ……あはは…!あははははっ!」
それは、ナインが地下牢を出てから始めて見せる大爆笑だった。腹を抱えて、目尻に涙さえ浮かべている。
急にどうしたのかと心配になる3匹に見守られながら、ナインはぽつりと呟いた。
「…ざまぁみろ」
ナインは自分が思っていたよりも、クーズ騎士団長やロイス姫のことが嫌いだったらしい。
そのどこか憑き物が落ちたような珍しい罵倒に、3匹は乗っかった。
「そうよ!ハンマーシスターめ!ザマーミロー!!今度会ったらタダじゃおかないからね!」
「マロだかコロだか知らねぇが、転生勇者の奴も次会ったら覚えとけよ!」
「僕はねー特にないから叫ぶだけ叫んでおこっと!ざまーみろー!!」
「あはははは!!ざまぁみろ、です」
ナインは笑った。
こんなもの、まるで悪役の捨て台詞だ。しかもどちらかというと負け犬側の。とても勇者には似合わない。
だが、だからこそ。今この瞬間には最も似合っている台詞に思えた。
その時、左手の薬指が熱を持った。
ナインの脳裏には、泣く泣く勇者となり、かつて受けた苦痛の数々が情景として強制的に思い出される。
その中には、ロイス姫から聖剣を無理やり賜った時や、クーズ騎士団長に殴られ涙を流すナインの姿があった。
やがて苦々しい回想が終わりを迎え、ナインが瞼をそっと開く。
するとそこには、地上の星があった。
(これは…オリビアのガイドブックの…!!)
間違いない。『月のない日に見えるアマクロイスの夜景』だ。
月の見えない日は限られるため、その時になったら見ればいいと先延ばししていた。オリビアのガイドブックに描かれていた絶景のうちの一つ。
それを、まさかこんなタイミングで見ることができるなんて。
上を見れば、いつの間にか月が雲で隠れていた。
城や町からこぼれる明かりは、まるで闇夜を照らす星々のようだ。その見事な夜景に、ナインたちはハッと息をのんだ。
これらの明かりは全て人工的なものに過ぎない。けれど、これを価値のないものと言うにはあまりに美しすぎた。
かつてアマクロイスの勇者となったナインが今と同じものを見てもきっと同じ感想は出てこなかっただろう。過去の自分と再会し、姫の前で「勇者にならない」と再度宣言できた今だからこそ、一層強く胸を打つ。小さな奇跡の集合体。
(もしここまでお見通しでガイドブックを作ったのだとしたら、本当に恐ろしい奥さんですよ。一生勝てる気がしない)
死んだからといって、もうここにいないわけではない。
ナインの心の中では、オリビアが「良くやった!」と笑っていた。
「ありがとう。オリビア…」
ナインはオリビアと死に別れて初めて、その名を笑いながら呼ぶことができたのだった。