逃げられない過去
ナインが目を覚ますと、そこは牢屋の中だった。しかし、以前ナインが投獄されていた地下牢とは違う。異臭もしないし、明るい。どこか小綺麗でさえある牢屋だった。
きっとアマクロイス城が直接管轄している牢屋なのだろうとあたりを付け、ナインは体を起こした。
「気分はどーお?ダーリン」
格子の外で、秩序管理隊のカルヴァが満面の笑顔で立っていた。
「不思議なほど何ともないですね。今まで寝て起きただけのような感覚です」
「それはよかったー。じゃあ、牢屋にまた閉じ込められたご感想はー?」
「…以前俺がいた牢屋よりもずっと居心地がいいですね。ベッドは固いですが衛生的です。ネズミもいないし虫も少ない。松明が多いからか明るいですし、特にこれといって変な匂いもしない。蜘蛛の巣という素敵なインテリアもある。どこからかかすかに聞こえる小鳥の囀りが素晴らしいです。☆4ってところですね」
「高級宿屋レビューみたいなコメントするじゃーん」
思っていた倍以上の評価を返された。
「ちなみに、前いた牢屋は☆いくつー?」
「☆1つです」
カルヴァは以前ナインがいた地下牢がどんなところだったのか少し興味を持った。
「カルヴァさんは…」
「カルちゃんって呼んで♡もしくは呼び捨て」
「…カルヴァは、勇者を取り締まるお仕事をされているんですよね?これまで何人の勇者を取り締まってきたのですか?」
カルヴァは笑っている目をそうっと細めた。
「そうだねー。何人かなんて数えてないけどー100人よりは多いんじゃないかなー。取り締まった勇者もいれば、殺しちゃった勇者もいるよー。それがどうかした?」
「いえ。もしかして、俺が奥さんに出会わなかったら、君のいる秩序管理隊に取り締まられていた可能性もあったのかななんて思いまして」
「あびゃ!そういえばダーリンは“あの”勇者鍛錬所から逃げ出したんだっけー?そのころカルちゃんはまだ見習だったかもしれないけど、殺しまわってたし、そういう可能性もあったかもねー」
まるで他人事のように笑う。カルヴァが楽しそうに動くたびに、シスター服の裾がひらりと翻った。
「カルヴァは何故秩序管理隊に入ったのですか?」
「え?たくさん殺せるからだよー?」
即答だった。
「変なおっさんからスカウトされたんだけどねー。何人何匹殺しても褒められて、しかもお給料まで貰えるなんて素敵なお仕事でしょ?即入隊しちゃったー!」
「ええと…勇者に対してなにか強い思い入れがあるとかは…?」
「ないないー!てか、他人のことなんてどうでもいいし。カルちゃんはカルちゃんが楽しければそれでいいよー」
花が咲いたような笑顔だ。嘘を言っているようには見えない。
城で働く者たちは皆勇者信仰のようなものが根付いているのだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「質問タイムはもう終わりー?じゃあ、カルちゃんからも質問いいかなー?」
「どうぞ。俺に答えられる範囲まででよければですけど」
「んーとじゃあねー。ご趣味は何ですかー?」
「スケッチですかね。あまり上手くはないですが。あとは地道な作業とかが好きです」
「ふむふむー。じゃあ、好きな食べ物はー?」
「悩みますが、魚料理が好きですかね。煮ても焼いても好きです」
カルヴァが「なるほどー」としきりに頷く。
てっきりオリジンのドロップアイテムである世界を変える鍵―――《世界の原石》についての質問をされると思っていたのだが。どうやらナインは今、世界の命運そっちのけで、お見合いのような調査をされているらしい。
それならそれでと、ナインはしばらくそのお遊びに付き合った。
牢屋とは思えないほど朗らかな時間を過ごしていた二人だったが、その最中、近づいてくる足音に気付く。鎧を着ているからか、その足音はいやに大きい。
やがて大柄の鎧がこちらに向かって歩いてくる。頭の甲冑だけ外したその男の顔を、ナインは良く知っていた。
「こんにちは。久しぶりだね。勇者ナイン君」
「…………クーズ騎士団長…」
城の騎士団長にして、ロイス姫の直属の部下。
勇者鍛錬所の責任者にして教官、クーズ騎士団長がそこに立っていた。
年老いて前線を退いた身の上ではあるけれど、代わりに勇者鍛錬所の教官を任されたベテラン中のベテラン騎士だ。鎧に身を包んでもわかるそのいでたちは老紳士たる顔に似合わず、屈強な筋肉を携えている。
ナインは全身の血の気がさっと引いていくのを感じた。今すぐ逃げ出したいのに、ここは狭い牢屋の中。逃げ出せるはずもない。
「私のことを覚えていてくれたんだね。嬉しいよ!……思えば、あれからもう3年以上日が経っているのか。月日は早いものだ。ここに君が収容されていると聞いて、いてもたってもいられなくて会いに来てしまったのだが………どうだい?元気だったかな?」
「ぁ………」
にこにこと人当たりの良い笑顔を直視することができない。ちゃんと答えないといけないとわかっているのに、どうしても、過去の記憶が体を強張らせた。
クーズ騎士団長は優秀な騎士団長だ。若い頃はアマクロイス国の繁栄のために身を粉何して働き、農村の出であったにもかかわらず、戦で一騎当千の戦果を挙げて騎士団長となった。この国では、名を知らない人がいないくらいの英雄だ。
だが、それでも。
ナインにとってクーズ騎士団長は、恐怖の対象でしかなかった。
(息が、苦しい…)
勇者鍛錬所時代の記憶が、フラッシュバックする。
『どうしてこんなこともできないんだい?』『君は今まで何をして生きてきたんだい?』『弱すぎて何の役に立たない』『そんなつまらないことをしている暇があったら鍛錬に励みなさい』『自分勝手な行動をするな。もっと周りを敬いなさい』『勇者様たちに感謝をしなさい』。
勇者を辞めた今でも時折悪夢となって甦る罵倒の数々。
度重なる厳しい鍛錬に体が悲鳴を上げる中、ナインにできることは何もなく、ただ受け入れることしかできなかった。
「うん?返事が聞こえないな?私は元気だったかと聞いているんだが?」
「!!っ、はい!元気です!」
ナインは震えながらも精一杯の大声で返事をした。昔のように背筋を伸ばし、電流が流されたように上を向く。
クーズ騎士団長を目の前にすると、たちまち弱かった過去の自分に戻ってしまう。
ナインにとってクーズ騎士団長は、転生勇者などよりよっぽど恐怖の対象だった。
「やっと返事してくれたね。ノロマなところも相変わらずで安心したよ。君もこの再会を喜んでくれているだろう?」
「は…はい!嬉しいです!」
恐怖のあまり、心にもないことまで口から飛び出してしまう。
それを心底喜ぶようにクーズ騎士団長は「そうかそうか。君も嬉しいか!」と破顔した。
「…ところで、君はあのレアドロップアイテム《世界の原石》の使い方を知っているそうじゃないか。私にその使い方をこっそり教えてくれないだろうか?」
「っ!!」
「たとえ他の誰にも教えられなくとも、尊敬する師である私にならいいだろう?」
ナインは勇気を振り絞り、口を閉じる。そして、沈黙した。
するとクーズ騎士団長は急に表情を変え、怒鳴りつけた。
「この私が教えろと言っているんだぞ!!早くしろ!!また昔みたいに吐くまで殴られたいのか!?」
「ひっ…!!」
ナインは反射的に手で頭を防御する。二人の間には鉄格子があるから今すぐ殴られるはずもないのに、体が勝手にそう動いた。
情けなくてみじめで格好悪い。こんな自分に戻りたくなどなかったのに、体が言うことを聞いてくれない。足はがくがくと震え、今にも折れてしまいそうだった。