とあるオリジンの記憶③
次の日。
ワシらは何もなかったように、ナインと二人で近くの川へ魚を採りに出かけた。
川の水の温度はちょうどよく、服を捲し上げて裸足で中に入る。川は肉眼で魚が見えるほど透き通っていた。
「見てくださいオリビア。俺が仕掛けた罠に魚がこんなにかかってました!今日はご馳走ですね!」
「ナインの作る料理は美味しいからのう。今夜も楽しみじゃ。今度またあのクッキーと言う料理も作ってくれ」
「わかりました」
昨日のゴークとナインの会話を盗み聞きしていたというのに、つい自分がおねだりをしてしまったことに気付いた。
ナインは近々この森を出ていってしまうのだろう。そうしたら、ワシはまたこの静かな森でゴークと二人で過ごすのだ。オリジンとしての使命を果たすために。それは、ずっとわかっていたことだった。
きっと現実はこんなものだ。くよくよしていても仕方ない。
ワシは憂いを振り払うように、魔法で大きな魚を捕まえた。
「どうじゃナイン!大物を捕まえたぞ!」
「わぁ、本当ですね!」
ナインが目を細めて笑う。そんな何気ない表情が今後見れなくなるのは、ほんの少し寂しい気がした。
「オリビア。好きです」
聞き間違いかと思った。
だが、ナインの表情を見てそうではないとすぐに気が付いた。
ナインは思わず出てしまったと言わんばかりに、口を手で押さえている。赤面した顔は茹でタコのようだ。
そんな情けない様子なのに、いつまで待っても言ってしまったことを撤回しない。漢らしいなと思った。
「……あー。ナイン。実はお主に言っていなかったことがある」
さてどうしたものかと考えたのは一瞬だ。ワシは真実を伝えることに決めた。
「ワシの寿命は3年だ。残りはあと2年もない。もうすぐ死ぬ。だから、そういう気持ちを持つことはやめておけ」
ナインに出会うまで、気にしたこともなかった。自分の寿命。
100歳近く生きられる人間の寿命を考えたら、3年など、なんと短いことか。だが、ワシにとってそれは当然のことだった。虫が動物を羨まないように。動物が人間を恨まないように。ワシにとって3年という寿命は当たり前のものだった。
だが、こうして言葉にしてみると、まるで悲劇のヒロインのようだ。
ワシはオリジンで、おそらくこの世界で最強のモンスターだ。
病弱でもなんでもない。ただ寿命がほんの少し短いだけ。それなのに、悲劇のヒロインとは、とんだお笑い種だった。
「…気持ちだけは受け取っておこう。ワシもお主のことは……良い奴だと思っている。だが、そういう理由じゃから、これ以上一緒にはいられない。気持ちの整理がついたら、人の世界に帰りなさい。安全な村までゴークに警護をさせてやろう」
咄嗟に口に出たのはゴークと同じ言葉だった。
ナインと別れることは寂しかったが、悲しくなかった。ナインの未来にはまだ続きがある。
ワシが助けた命のつづきが。
「わかりました」
ナインはしっかりと頷いた。聞き分けのいいことだ。
今はこの場にいないが、世話焼きなゴークのことだ。今も心配してどこか上空でこの会話を聞いているのだろう。薄情なワシは、ナインが帰ってしまう前に食べたい献立をすでに考え始めていた。
「では、結婚してください!」
「………はぁ!?」
帰り支度をしていたワシは、思わず持っていた大物を川に取り逃がしてしまった。
「結婚って…!お主、何を言っとるんじゃ…!?」
「やめておけってことは、オリビアは別に俺のことが嫌いなわけではないんですよね?」
「…そ、それは…!」
「気持ちを受け取ってくれたと言うことは、俺から好かれることに嫌悪感を抱いたりもしていないということで合ってますか?」
「う……」
「さっき俺の作る料理が好きだと言ってくれましたよね?なら、俺がここにずっといることも迷惑というわけではない?」
「それはそうじゃが…」
死にかけていたところを拾ってやった時は、あんなに腐っていたというのに。何だ小奴。今はポジティブすぎて、まるで別人だ。ぐいぐい来よる。
ナインは川をじゃぶじゃぶと渡ってワシの目の前までやってくると、手を取った。
「愛しています。オリビア。俺と結婚してください」
「っ!」
「俺は勇者にもなれなかった弱い人間ですし、オリビアを幸せにできる保証はどこにもありません。ですが、君を好きな気持ちは誰にも負けない自信があります」
ナインの目は真剣そのものだ。言葉を選びながら、懸命に思いを伝えようとしていた。
「何を馬鹿なことを…。さっきの話をちゃんと聞いていたか?ワシはモンスターで、しかももうすぐ死ぬんじゃぞ?」
「オリビアの寿命が残り少ないというのは物凄く悲しいです。でも、それがなかったら、俺はきっと告白する勇気もなかった。釣り合わないだとか、甲斐性がないだとかそういったことばかり考えて、きっとこんなこと言えなかった。…この気持ちが吊り橋効果だろうが、なんだっていい。俺は今、オリビアが好きで好きで堪らないんです」
ワシはモンスターだ。人間が持つ恋愛感情など、持とうと思ったことはないし、そもそも持てるのかどうかだってわからない。だが、ナインがあまりに一生懸命で、その熱に当てられたように体が熱を持った。足は川の水で冷やされているはずなのに、熱くて仕方ない。
「俺はこれからオリビアが死ぬまで、毎日オリビアの名前を呼びたいし、愛していると伝えたい。だからどうか、俺にその資格をください!」
その告白はあまりに熱烈だった。
ワシの短い生涯でけして今日と言う日を忘れることはないだろう。
この手を取ればワシは絶対に不幸になる。ゴークもそれがわかっていて、先にナインへ警告したのだろう。死に別れることが決まっているのに、こんなよくわからない人間と結婚するだなんて、正解であるはずもない。後で後悔するに決まっている。
だいたい、寿命で死ねるかどうかもわからない。この世界にはワシの命を狙う敵は五万といる。いくら予知の力があったところで、完璧じゃない。明日死ぬことだってあり得る。
その地獄にナインも付き合わせたところで、きっと最後に待っているのは残酷な別れと破滅だけだ。
でも、どうしてだろうか。
それでもいいと思えてしまうのは。
オリジンとしてではなくオリビアとして選んでもらえることが、こんなに嬉しいだなんて。生まれてすぐに世界中を周って、あんなに多くの絶景を見てきたはずだったのに。まだこんなに綺麗な景色が世界にあるなんてこと、知らなかった。
「うん…。いいよ。ナインなら…いい……」
気付いたら、抱きしめられた腕の中で顔を埋めていた。
「俺と出会ってくれて、ありがとうございます。…オリビア」
ただ好きな人に名前を呼ばれただけ。たったそれだけのことがこんなに嬉しいなんて。今日は知らないことを知ってばっかりだ。
柄にもなさ過ぎて、酷く恥ずかしい。今にも胸が張り裂けそうなのに、どこか満たされた胸の内に安堵した。
これにてオリジンの過去編は一旦終了です。ありがとうございました。
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次回から現在の攫われたナインに戻ります。よろしければそちらもよろしくお願いいたします。