モンスターのボス
後ろ髪を引かれつつカーバンクルの家を後にしたナインたちは、ラミィの案内のもと、ボスの家まで無事たどり着くことができた。
明らかに他の家よりも大きく豪華な造りをしているそれは、岩で作られているにもかかわらずまるで品のいい屋敷のようだ。
大きな門をくぐり、中に入る。
「お待ちしておりました。ナイン様。どうぞこちらへ。ボスがお待ちです」
屋敷に入って早々、メイドに深くお辞儀をされる。そのメイドの頭には触覚のようなものが生えていた。
ここに来たのはティロロの転移魔法で、ティロロは着いてすぐに寝入ってしまったため報告などは一切していなかったはずだ。どうしてナインたちがこの集落に来たことがわかったのだろうと疑問に思っていると、それを察したメイドが答えをくれた。
「ボスは千里眼を持っております。その千里眼で見えないものはありません。貴方たちが来たことも、ボスがすぐに察知してくださいました」
千里眼とは全てを見通すことができる能力のことだ。
メイドの言っていることが正しければ、ボスと呼ぶにふさわしい強力な能力だった。
どこか無表情なメイドは静かに前を歩く。屋敷の中には他のメイドもいるようで、すれ違う度深くお辞儀をしてくれた。ちなみに、他のメイドの頭にも触覚のようなものが生えていた。
「こちらがボスの私室になります。ここから先はナイン様のみで立ち入りください」
「えっ。ナインだけ?私は?」
「ボスからはラミィ様もここで私と共に待つようにとの指示です。申し訳ございませんが、ご理解ください」
メイドは謝罪の気持ちを表すように深く頭を下げる。それを見たゴークは声を低くした。
「この扉の先で良からぬことをしようとしているんじゃねぇだろうな?だとしたら、容赦しねぇぞ?」
かつてラミィたちがナインを軟禁しようとしていたことを言っているのだろう。
しかし、メイドは表情一つ変えず首を横に振った。
「ボスはけしてそのようなことはいたしません。いや、そもそもできる力もないと言うべきでしょうか。理由は入っていただければわかるのですが…。今回ボスはどうしてもナイン様とお二人だけでお話をしてみたいとのご希望があり、このような処置をさせていただいたにすぎません。どうかご容赦いただけませんでしょうか。《熱の守護神》様」
「てめぇらの勝手な言い分をどう信じろと?」
「私共のことは信じていただかなくても結構です。ただ私共がお伝えできるとしたら、ボスを含めて『《熱の守護神》様以上に強いモンスターはこの集落にいない』という真実だけ。何かあって困るのはこちらも同じなのです。だから、どうかご容赦くださいませ」
頭を下げてはいるが、その声には一切のブレがない。
身体の大きさも強さも歴然とした差があるはずなのに、ゴーク相手にここまで物怖じしないとは。
感心したナインはメイドに助け舟を出すことにした。
「おそらくこのメイドさんが言っていることは全部本当だと思います。ティロロがここに連れてきてくれたことも、深く眠って転移魔法が使えない間、俺を勇者たちから保護するためであって、他意はないのでしょう。ここは一旦彼女の言っていることを信じてみませんか?」
「……危なくなったらすぐに呼べ。この屋敷ごと全部ぶっ壊してやる」
「はい。その時はよろしくお願いします」
ゴークが大人しく壁に背中を預け腕を組んだことで、ようやく話し合いが決着した。
メイドは「ではこちらへどうぞ」とやはり無表情でナインを案内する。
両開きの扉が開き中に入ると、中は広い執務室のような作りになっていた。
その部屋の中央に、一人の老人が車椅子に座っている。その両隣には案内してくれたメイドとよく似たメイドが二人、介護士として両隣に控えていた。
車いすに乗った老人はナインを見ると、にこりと笑った。老人は膝に毛布をかけていたが、その隙間からはみ出すはずの足がなかった。
『はじめまして貴方がナインさんですね』
「あ、はじめまして」
どういう仕組みかはわからないが、老人が持っている羽ペンで文字を書くと、書いた文字が宙に浮かぶようだ。
よく見ると首には包帯が巻いてあった。
『自己紹介が遅くなりましたが、私がこの集落でボスと呼ばれている者です。私は話すことができないので、筆談で失礼します。貴方にずっと会いたかった。お会いできて嬉しいです』
椅子を勧められ、ナインは書かれた通りに腰かける。
扉の外でメイドが「ボスはナインに何もしない。理由は入ってもらえばわかる」と言っていた意味がわかった。確かにこの老人がナインに対して力づくで何かを強要するということは難しいだろう。
先ほど話していた無表情のメイドとは違い、介護士として控えている二人のメイドは会話にも交ざらず、ただそこに立っているだけの置物のようだ。
椅子に座るとボスと視線が同じになる。その目は白く濁っていた。足や喉だけでなく、もしかしたら視力もあまり良くないのかもしれない。
『そう緊張なさらないでください。私も貴方と同じ人間です。わけあって今はここの長を名乗ってはいますが…』
「えっ!人間…?」
『はい。実はそうなのです。縁とは不思議なものですよね。人間である上、こんな体になった私を彼らは受け入れてくれた。モンスターとは本当に優しい生き物です』
ボスはペンを滑らかに走らせ、ほぼ会話と同じ速さで文字が浮かび上がらせた。その手馴れた指はさらに文字を書き連ねる。
『ティロロから貴方が私たちに匿われることを辞退したことも、その理由も聞いています。まだ奥方を亡くして日も浅いのに、こちらの配慮が足りず申し訳ございませんでした。この場を借りて謝罪いたします』
「いえ、そんなことは…」
『ナイン様と二人きりで話したかったのは、実はモンスターに囲まれて暮らす人間同士腹を割って話したいと言うのが本音でして…。どうかあまり肩肘張らず、先行き短い老人の世間話にお付き合いしてくださると嬉しいです』
まさか謝られると思わなかったナインは咄嗟に控えめな態度をとってしまう。
それを見て、ボスは指を細かく動かした。それは手話だったようで、数秒後、メイドからナインへ温かい紅茶が振舞われる。
『ここで暮らしていると、外の世界にどうしても疎くなってしまいがちで。娯楽もそう多くないので、刺激に飢えているのです。良ければ、奥様のガイドブックを片手に旅へ出てみた感想などを、貴方の口から直接お聞かせ願えませんか?』