ラミィの過去(下)
それからというもの、ラミィは魔法を一度も解くことはなく、魔法が切れそうになるたび姿を変えながら過ごした。
気付けば、使い始めの頃よりも魔法の使い方に慣れ、他の里のモンスターよりも長く魔法を持続できるようになっていた。それでも、1つの姿になっていられるのにはどうしても時間制限があり、モンスター・人間関係なく、他者を見つけては「どんな私がいい?」と尋ね歩く日々だった。
「そんなに魔法を使い続けてよく疲れないね?」
「こんなの慣れよ。慣れ」
「ふーん。すっかり可愛くなくなっちゃって」
「いいの。放っておいて」
元の姿に一切戻らなくなったラミィを構う者は次第にいなくなっていった。
皆ラミィのことを「変化の魔法が上手い奴」としか思わなくなり、存在自体を忘れてしまっただけともいう。
しかし、その中で唯一コピルだけはラミィに声をかけ続けた。
コピルは取得が難しい《複写》の固有魔法を使える者として里の中でも優秀と噂されている。ラミィと同じ鏡のモンスターだ。
彼女はその優秀さ故に、ラミィがどんな姿になっていても必ずそれを見抜き、飽きずに声をかけ続けていた。
現に今も、少年に擬態したラミィに平然と声をかけている。
「そんなこと言って。実際に放っておかれたら寂しいくせに!この泣き虫の寂しがり屋さんめ!」
「う、うるさいわね!あ…ちょっと!頭ぼさぼさになるでしょ!?」
「いいじゃん!多少不格好の方が可愛いって!おらおらー」
コピルはラミィの頭をぐりぐりと乱暴に撫でまわした。
鏡のモンスターには2種類いる。ラミィのように変化の魔法が得意な個体と、コピルのように複写の魔法が得意な個体だ。前者は戦闘能力がほぼ無いに等しいのだが、後者は戦闘能力に優れた個体が多かった。コピルもその例に漏れず、恵まれた腕力を持ち時折こうして粗雑な振る舞いをして見せた。
「まったくもう…コピルったら…」
「あ、今笑ったでしょ?」
「笑ってないわよ!」
「いいや。笑ったね!」
小競り合いのような会話は、ささくれた心を癒すのにうってつけだった。
理由はわからなかったが、コピルは何度冷たくあしらわれようとも友人だと言い張り離れていかない変人だ。
ラミィは自分の姿を捨ててしまったが、代わりに、かけがえのない友人を得ることができた。それはラミィが何よりも求めていたものだった。
そんなどこか歪でも平凡な日常が続いていく中で、ある日突然、その日常は一変した。
空は赤黒く色を変え、砂漠の荒野が火の海に包まれる。
一切の何の前触れもなく、鏡のモンスターの里に勇者の一団が襲来した。
「戦闘能力がない者は逃げなさい!」
「そんな…!でも…!」
「早く!!」
里の長の呼びかけにより、一斉に避難が開始される。勇者を迎え撃つために先んじて大人たちが出陣していたが、その出陣した方向に火柱が上がる。戦況が思わしくないのは明らかだった。
認識阻害が得意なものを先頭に女子供を逃がすべく砂漠の荒野を目指す。
ラミィも両親と共に避難の列に加わるところだったが、そこで見知った背中を見つけた。
「コピル!」
「ラミィ。まだこんなところにいたの!」
ラミィはこの時赤髪の少女の姿をしていたが、コピルにはそれが一目でわかったようだ。気付くとすぐに名前を呼んでくれた。
コピルの隣にはコピルと全く同じ姿をした女性が二人いた。服も体格も何もかも同じ。彼女の複写魔法が作り出した分身だ。
コピルがその分身たちへ何やら命令を出すと、分身たちは今しがた火柱が上がった方向へ駆けていく。きっと先に戦場へ向かったのだろう。コピルの分身は優秀で、長い時間本体と離れて別の動きをすることが可能だった。
「コピルは逃げないの?」
「私は複写の能力が使えるから、ここに残る。ラミィは早く逃げて」
「そんな…!」
「そんな顔しないでよ。何もここで死ぬわけじゃない。あんたらが無事逃げれたのを確認したら、私たちもどこか別の場所に逃げるわ」
なおも渋るラミィに、コピルは槍を持ったまま困ったように眉尻を下げた。
遠くの方で何か爆発音のようなものが聞こえる。勇者たちがすぐそこまで来ているのだろう。戦闘の音は次第に大きくなっていた。
「でも、会うのはこれで最後になるかもしれないから…。あんたの顔を忘れないように、最後に素顔を見せてくれる?」
沈黙が爆音の中に紛れる。ラミィは今にも泣きそうな顔をしながら「ごめん」と謝った。
明確な拒絶にコピルは全てを察したようで、「いいよ」と優しくそれを許す。
これで会うのは最後になるかもしれないというコピルの話はおそらく本当だろう。
勇者たちに非戦闘員の後を追わせないために、戦闘員が逃げる際は逆方向に逃げることが決まっていた。
後で再会できる可能性があるとしても、それがいつになるかはわからなかった。
別れを惜しむように、コピルはラミィの頬を撫でた。
「私、本当はラミィのことずっと羨ましかった。ラミィは社交的だし、舞も上手だし、変化の魔法だって誰よりも早く使うことができた。それが、ずっと羨ましくて、妬ましかったの。…多分、他の皆もそう。ラミィが自分たちにない何かを持っているってことに薄々気づいていて、嫉妬してた」
「コピル…?」
「あーあ!こんなことになるなら、もっとあんたとたくさん話しとけば良かったなぁ……そしたら、また友達になれたかもしれないのに……!」
それはコピルが初めて見せる表情だった。何かを酷く悔いているような、懺悔しているような告白だったが、ラミィにはそれが何を示しているのかわからなかった。
「コピルは今も昔も私の友達でしょ…?」
心底わけがわからないからそう伝えただけだったのだが、コピルはそれを聞いて嬉しそうに破顔した。
「っ!……うん。そうだ。そうだったね。あんたはそういう子だった」
コピルはラミィをぎゅっと抱きしめた。
香るジャスミンはコピルのお気に入りの香水の香りだ。酷く安心する香りに安心して泣きそうになる。
今のラミィはコピルよりも少しだけ背が低い。体温を確かめるように、ラミィもコピルの背中に腕を回した。
「本当の姿を見せる勇気がないのは、私も同じ。……あんたの白銀の髪、初めて会った時からすっごく可愛くて素敵だと思ってた」
「そんなこと…」
「そんなことあるの!…だから、あの時、嘘ついてごめんね。許してほしいなんて虫のいいことは言わないけど、せめて、謝らせてね」
「ねぇ、さっきから何を言っているの?あの時っていつのこと?」
コピルはそう呟くと、満足したのか「なんてね!」とわざと明るい声を出してラミィを引きはがした。そうして見せた笑顔にさっきのような悲痛さはもうない。
そこにあるのは戦場に赴かんとする戦士の顔だった。
「……いつかラミィのことをラミィとして見てくれる人と出会えますように。じゃあ、行ってくる!」
「…元気でね」
「そっちもね!」
こうして、ラミィは最愛の友であるコピルと別れた。
その後、勇者に挑んだ同志たちがどうなったのかをラミィは直接目にしたわけではない。おそらく運よく逃げ延びた里の者でも詳細を知っている者はほとんどいないだろう。
ただ、この襲撃から数か月後、里のあった場所に新しくダンジョンができたと同時に、その“部品”として同志のドロップアイテムが大量に使われていることを知っただけだった。
ラミィは知ったその日から、変化の魔法を使って勇者の姿となり、何度もこのダンジョンを潜った。
何度も手を尽くしては、壁に埋め込まれた鏡を取り出すことは不可能と知り、そのたびに絶望した。
それでも諦めきれず、ラミィは一人で世界中を旅して周り、ダンジョンを壊す方法を探し続けた。
旅の中で慣れない戦闘技術を身に着け、固有魔法もどんどん精度を上げていったが、それでもあの鏡をダンジョンから取り出す方法も、壊す方法も見つけることはできなかった。
知らない土地に行くたびに、そこで出会う勇者たちのモンスターに対する酷い仕打ちを目の当たりにする。勇者への憎しみは増していくばかりだった。
「ねぇねぇ。そこのおねーさん?勇者のことが憎くて憎くて仕方ないって顔してるね?もしよかったら、僕らと一緒にこの勇者だらけの世界をぶち壊さない?」
突然目の前に現れ、悪魔のような笑顔を張り付けた男は囁いた。のちにラミィはその男がティロロという名であると知ることになる。
世界をぶち壊す。なんて甘美な響きだろうか。
別れ際にコピルが言った『こんなことになるなら、もっとたくさん話しとけば良かった』という言葉が今でも忘れられない。あの時あんなことがなければ、勇者さえいなければ、友が何に苦しんでいたのかを知ることだってできたはずだ。
その手を払い除けるには、抱いている憎しみがあまりに大きすぎた。
こうして、ラミィは差し出されたその手を取ったのだった。