空っぽの時計塔
そう時間もかからずに時計塔に到着したナインとラミィ。二人は、高くそびえる時計塔を見上げた。
「これは確かに…」
「大きいですね…」
街のシンボルになっているのも頷ける。この時計塔がどれくらいの高さになるのかはわからないが、上からの景色はこの街全体どころかさらに先まで見渡せるだろう。
鐘があるのは、おそらく最上階だ。
時計塔には小さなドアが付いている。中から上に上がる仕組みのようだが、ただの旅行者が無断で入っても良いものなんだろうかとナインは思案した。
すると、タイミングよく杖を突いたお爺さんに声をかけられる。
「貴方たち、余所者だろう。観光にでも来たのかい?時計塔に上りたいなら上がってもいいけれど、今上には何もないよ」
「何もない?この時計塔の上には金色の鐘があるのではないのですか?」
「それが、先日夜中にどこぞの泥棒が盗んだって話だよ。あんな大の大人が5人いても運ぶのが大変そうな代物をどうやって盗んだのか知らないが、まったく。迷惑な話だね。おかげで時計を持たない者には太陽の傾きでしか時刻がわからなくなっちまったよ」
お爺さんはそうして一言二言話した後、ため息をついてどこかに歩いて行ってしまった。
言われてみれば、今日一日中この街に滞在していたのに、鐘の音が聞こえたことは一回もなかった。それがまさか、件の鐘が盗まれていたからだったなんて。考えもしなかった事態だ。
「どうするの?」
「…とにかく、上がっていいそうですし、時計塔を登ってみましょう」
時計塔の中に入り、階段を使って上まで登る。
ラミィは前を軽々上っていたが、ナインは中腹ですでに汗だくになった。分かってはいたことだが、体力の差が激しすぎる。
己の情けなさに打ち震えながら、それでもせっせと階段を上る。すると、なんとか頂上まで登ることができた。
「ぜぇ…ぜぇ…。着きましたね」
「本当に何もないわね」
時計塔の上には鐘が掛けられていたであろう空間があったが、それだけだった。当然金色などどこにもない。盗まれて日が経っているからか、何者かによって荒らされたような形跡もなかった。
そもそも金色の鐘以外物を置かないようにしていたのだろう。ぽっかりと開いたその空間はあまりに空虚だった。
「おじいさんの話では、大男5人いても運び出せるかどうかというぐらい大きな鐘だったそうですが、そんな大きなものをたった一夜で、しかも誰にも見られずに運び出すことなんて可能なんでしょうか?」
「あの馬鹿みたいに空間転移魔法の使い手とかがいたら可能でしょうけどね。でも、仮にそうだった場合、鐘を取り戻すのはほぼ不可能よ」
ティロロの空間転移魔法の精度を思い出し、それが泥棒になった時を想像して絶望した。確かに、それを捕まえるのはほぼ不可能と言っていいだろう。ティロロがこちらに協力してくれることを差し引いても、あまり現実的ではない。
「うーん…。ですが、奥さんのガイドブックには『金色の鐘を5回叩くと鐘の音と共に空から金色の雪が降る』と書いてあったので、きっと金色の雪を見るためには金色の鐘の存在が必要不可欠なんだと思うんですよね…。どうしましょう…」
「さっきのあのおじいさん、ずっとこの街に住んでるみたいだったけど、金色の雪なんて知らないって言ってたわよ?それに、店の人たちも。…あんたの奥さんの見間違いじゃないの?」
「うーん。それはないと思いたいですが…」
金色の鐘がなければ、見間違いかどうかを確かめる術もない。だが、見間違いの可能性が捨てきれない以上、金色の雪が自然発生するのをただ待つということもできなかった。必要物資を揃える傍らで金の雪について店の人などに聞いてみたが、それもすべて空振り。八方ふさがりだ。
「とにかく今はいろいろ試してみるしかないですね。鐘を盗んだ犯人に関する手掛かりがどこかにあるかもしれません。もう少しこの時計塔を調べてみましょう」
2人は時計塔の中を隈なく調べてみることにした。
こういうときこそ人手が欲しいと思うが、あいにくゴークとティロロの二人はまだ喧嘩しているのか戻ってこない。ラミィには申し訳ないが、なんとか二人で手がかりを探すしかなかった。
やがてナインが時計塔の屋根にまで手を伸ばすと、黄色い粉のようなものが付着しているのを見つける。
指に付けて嗅いでみるが、何の香りもしない。
「これは…虫の鱗粉?いや…それにしてはもっとザラザラするような…?」
「何か見つけたの?」
「はい。これなんですけど…」
見つけた粉を見せる。ラミィは目を凝らして「光の加減で金色にも見えなくはないけど…何これ?」と思ったままの感想を言い、ナインはそれに「さぁ?」と返す。
「一応聞きますけど、この粉の出所を探す魔法や、何の素材かを見分ける方法があったりしますか?」
「そういったことが得意なモンスターがいないわけじゃないから、ボスのところに戻ったら不可能ではないでしょうけど、今すぐは無理ね。アイテム雑貨屋はこの手の金にならない依頼は受けないし、一番手っ取り早いのがこの街の勇者ギルドに行って鑑定してもらうことなんでしょうけど、今さっき秩序管理隊の一人にバレたばっかりだからおすすめしないわ」
「困りましたね…」
念のため採取した粉を小瓶に入れてしまえば、いよいよ打つ手がなくなってしまった。
さてこれからどうするかと考えを巡らせたところで、誰かが階段を上がってくる足音が聞こえる。
ティロロとゴークが戻って来たのかと思ったが、上がってきたのは無精ひげを生やし掃除道具を持った男だった。
「あんたたち、そこで何をしてるんだ?」
先客がいるとは思わなかったのか、無精髭の男は一瞬驚いてみせたが、それが若い男女だとわかるとすぐに警戒を解いた。武器を一切携帯していないことから、民間人だと思ってくれたのだろう。
とはいえ、鐘が盗まれてまだ間もない。余計な警戒を持たれてしまう前にナインは進んで口を開いた。
「すみません。俺たちは旅行者で、この街の名物である金色の鐘を見にきました。ですが、さっき下でおじいさんに今はないと聞いて…。せめて鐘があった跡だけでも見せてもらえないかと上に上がらせてもらったんです」
「それは災難だったな。せっかくカップルで観光してたのに」
「かかかカップル!?」
ラミィが顔を真っ赤にして反応するが、無精ひげの男はそれがただ照れているだけだと思ったようだ。「やれやれお熱いね」と苦笑気味に話を続けた。
「もう聞いているかもしれないが、そこにあった鐘はつい先日何者かに盗まれちまってな。鐘が見つかるまで代わりの鐘は明日取り付ける予定なんだ。それでよければ明日見ることができるが…」
「えっ!代わりの鐘があるんですか?」
「ああ。金色ではないけどな。金色の鐘の1つ前に使用していた銅の鐘がまだ倉庫に残っていたんだ。この街にとって鐘の音は生活そのものだからな。いつまでも鐘の音がないんじゃ困っちまうってんで、急遽倉庫から移動させることになったのさ」
「そうだったんですか。……あの、もしよかったら、俺たちにもその鐘を鳴らすところを見学させてもらえないでしょうか?」
「いいぜ!せっかくこの街へ観光に来てくれたのに、何も収穫なしじゃ可哀想だもんな。俺は鐘の管理を任されている者の一人で、カロルってんだ。俺の名前を出せばあんたらが鐘を間近で見れるよう、予め仲間に伝えておいてやるよ」
渡りに船とはまさにこのことか。願ってもない申し出に「ありがとうございます!」と全力でカロルへ感謝を伝えた。
金色の鐘ではないが、これでこの街で鐘が鳴るところをみることができる。
鐘が鳴るところが見られれば、金色の雪についても何かわかるかもしれない。
ナインは期待に胸を躍らせた。