君が寂しくなくなるその日まで
モンスターの研究所と思わしき場所で、2人の姉弟が仲良く歩いている。
弟の方はまだ幼く、尻尾が重たいのか時折自分の手で持ったりしながら、姉と歩幅を合わせようと一生懸命歩いていた。
『やっと人型をとれるようになっても、まだその姿で歩くのは慣れないみたいね』
姉の言葉に弟は一瞬むくれたが、気を取り直したように質問で返した。
『ねぇ。どうして姉さんはあんな身勝手な人間の言うことをきくの?』
『んー。あの人そんなに身勝手かしら?』
『身勝手だよ!研究とか言って、姉さんから血を取ったり、体中いやらしい手つきで触ったりしてさ。あの変態!いつか僕が懲らしめてやる!』
『…彼は研究者でそれをするのが仕事って前にも話したでしょう?それを変態だなんて…。ふふ。ティロロはまだまだ子供ね』
『僕はもう子供じゃない!』
『そういうところが子供なのよ。……あのね、私はあの人が人間だから言うことをきくんじゃないの。大好きな相手だから、お願いを聞いてあげたくなるのよ』
『??それは何が違うの?結局言うことを聞いてるだけじゃないか。姉さんは、あの人間の願いを叶えるけど、あの人間は姉さんに何も返してくれないよ。あの人間は見るからに非力そうだし、多分恩を返す力もないんだ。それだと、姉さんが損してばっかりだ』
『損してもいいのよ』
『え?』
『私たち空間竜は、他者を愛さないと生きていけない。誰かと一緒じゃないと生きていけない弱いドラゴン。だけど、誰と一緒にいるか、選ぶのは私たち自身よ。私はこの広い世界であの人と出会い、愛することを選んだ。そこに損や得なんてものはない。あるのはただ出会えた幸福だけ。たとえ損をしていたって、その事実は変わらないわ』
『……うう。姉さんの言うことは時々よくわからないよ』
『私たち空間竜の寿命は長い。きっとティロロにもわかるときが来るわ。そして、もし愛したい人が現れたら、私だけじゃなくてちゃんとその人たちのことも愛すのよ?』
『長寿なのは姉さんも一緒でしょ?だったら、僕が好きなのは一生姉さんだけでいいよ。……たとえ僕が二番目でも。僕はもう大人のドラゴンだから、許してあげる』
『うふふ。寂しがり屋のくせに、強がっちゃって』
『そういう姉さんこそ、本当に意地悪だ。僕には姉さんしかいないのに、姉さんにはあいつがいる。不公平だよ』
『あら、そんな難しい言葉どこで覚えて来たのかしら。……愛にもいろいろな形があるわ。愛する人を無理に一人だけにする必要なんてないのよ。私たちは、選べる。選んでいいの。だから、貴方もちゃんと選んで。そうして選び続けて、大好きなものをたくさん見つけて………ゆっくり大きくなってね』
「大好きよ」姉はそう言って弟を抱きしめた。愛おしいと思う気持ちを惜しげもなく伝えるように。
現実に戻ってきたとき、ナインの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
なんて愛おしくて、哀しい情景だろう。その後この姉弟に降りかかる悲劇を知っているがゆえに、その情景はどこまでもナインの胸を締め付けた。
その涙が落ちた先で、ふと温かい体温を感じる。
目を覚ましたティロロが薄く微笑んだ。
「ナイン君が見たがってたオーロラ、見れて良かったじゃん」
「…っ!………ティロロ、意識が…!!」
「うん…。今戻ったみたい。てか、どうしてナイン君泣いてるの…?」
「わかりません…。ティロロが目を覚ましてくれたことが嬉しいからかもしれません…」
「はは、何その理由…」
ティロロはほっとしたように息を吐いた。手足を動かせるほどに回復はしていないのか、その場で仰向けになったまますぐに起き上がろうとはせず脱力していた。
しばらく何と言葉をかけたらいいかわらかず、沈黙が続く。
空では今も一面のオーロラが色彩を放っている。
ナインは悩みながらも、ずっと思っていたことを尋ねた。
「本当は、わかっていたんですよね?最初から。本当はもう、君のお姉さんがこの世にいないってこと…」
ナインが最初に違和感を持ったのは、ナインを殺せとババロア博士にティロロが命じられた時だ。「姉を《経験値部屋》に連れていく」とババロア博士が言った時、ティロロは必死の形相で自分が身代わりになることを懇願した。
ティロロが巨大な機械の中の液体と絵画、どちらも姉と認識していたなら、普通に考えて、あの時ババロア博士が連れていくと言ったのは絵画の方だろう。液体全部はとても持ち出せないし、機械ごととなるともっと不可能だ。となると、絵画はあの部屋から持ち出し可能ということになる。
しかし、ティロロはナインと過ごした数日間、姉の絵画を一度も持ち歩くことはなかった。
それどころか、ティロロはナインの相手をしてばかりで、姉がいる部屋には数回程度しか入らなかったのだ。
本当に大事な人ならば、一緒にいたいと思うのは当然だ。なのに、それをしない。
絵画をあの部屋から外に持ち出すことができないのであれば、今度はババロア博士の発言に矛盾が生じることになるが、ナインは単純にティロロが嘘をついているのではないかと思った。
ティロロは姉が今はもういないことに気付いている。
そうでないと、ナインと二人っきりになれたことをあんなに喜んでくれるはずがない。
ティロロの中ではもう“何を大切にするのか”答えは出ていたのだ。
「そう…。そうだよ………。だって、姉さんはあの日、経験値部屋で僕が……僕が殺したから。姉さんはもうどこにもいない。けど、僕はそれを認めるわけにはいかない。姉さんは生きているって思わないと、寂しくて辛くて、堪えられないんだ…。ならせめて、姉さんが愛した人間に飼われ続けていなきゃって。ここでは皆、姉さんは生きてるよって言ってくれるから…」
「そうだったんですね…。お姉さんが愛した研究者さんは、まだご存命ですか?それとも、あのババロア博士がそのご子孫なのですか?」
「違う…。人間だったから、そいつはもうとっくに死んで……。姉さんもあの人間が死んじゃってからおかしくなって、あんなことに………。あれ?さっきから何言ってるんだろう、僕…。姉さんは死んでなんかないのに…。…どうしてそんな変なこと言っちゃったんだろう…?」
「…………ティロロ……」
「………ああ、ごめん。変なこと言って。まだ少し、受け入れられてないんだ。………でも、大丈夫。わかってる。わかってるから…」
ティロロは全てわかっていた。狂気と正気の狭間でおかしくなりながらも、その賢い頭脳で姉が死んでいることを理解していた。
今も必死に理解しようとしているようだが、空間竜の性質と今のボロボロになった精神では完全に受け入れることは叶わないのだろう。まだ現実と妄想を行ったり来たりしているようだった。
「馬鹿な奴だと思ったでしょ?寂しいからって理由だけで、ただの水と友達の命を天秤にかけた上に、ただの水の方をとったんだ。僕って本当はそういう、馬鹿で、愚かで、恥ずかしい奴なんだよ」
「そんなこと…!そんなこと、ないですよ…。ティロロは何度も俺を助けてくれた。賢くて、強くて、格好いいモンスターです」
ナインはまた泣きそうになるのをぐっと堪える。
それは近くで見守っていたラミィ、ゴーク、カルヴァも同様だったようで、皆痛みを堪えるような表情をしている。そんな周りの様子に気付き、ティロロは弱弱しくも笑った。
「君らもさ、馬鹿じゃないの…?こんな嘘つきでどうしようもない僕のこと、必死な顔して助けようとしてさ。こんな裏切り者、助ける価値もないだろうに…」
ティロロの目から透明な涙が溢れ出す。ぽろぽろと流れるそれは宝石のように綺麗だった。
「そんなことされたらさ……好きになっちゃうじゃん…。僕は変わりたくなんてなかった。君らのことなんか好きになんてなりたくなかったのに。僕の世界はずっと、姉さんだけでよかったのに…。僕は楽になりたかった。ただそれだけなのに…。僕が嫌な奴だってわかっても一緒にいてくれたり、友達だって言って来たり、寝ている僕を背負ってくれたり、死にそうなところを助けようとしたり…。そんなの、好きになるなって方が無理じゃんね?こんなに無様になったの、君らのせいだよ?どうしてくれるの?」
「一生大事にします」
間髪入れずに即答したナインに一瞬驚いた顔を見せた後、ティロロは耐え切れずに噴き出した。
「ナイン君の一生なんかたかが知れてるってーの。…どいつもこいつも、早死にしたら殺してやるから」
ティロロのこの一言が引き金になり、大泣きしたラミィはがしりとティロロにしがみつく。その横でカルヴァがさりげなく怪我の具合を確認し、ゴークは大きなため息を零していた。
(よかった…。本当によかった…)
一件落着だ。
涙を拭いつつ、ようやく安堵することができたナインは空にあるオーロラに心から感謝した。
ここまで読んでくださりありがごうございます。
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