好みのタイプを教えて?
「ええと、一体なにを…?」
「ちょうどよかった」
昼間とは別人かと思うほど、にっこりと笑顔を向けられるのが却って怖い。
夢だと思いたかったが、肌に触れる感触や体温は、これが紛れもなく夢でないことを脳に訴えていた。
「もう私、限界なの。ねぇ。貴方はどんな子が好き?顔は?髪型は?身長は?体形は?胸は?」
「おおおおお俺にはすでに奥さんがおりまして…!!!!!!!」
「そういえば、そうだったわね。人間は妻を一人だけと決める風習があると書いてあったわ。けれど、今はそんなことどうでもいいじゃない。禁を破ったところで、ここにはそれを咎める人間もいない。ここにいるのは私と貴方の二人だけ。だから、今は私のことだけ考えて。ねぇ、いいでしょ…?」
迫りくる胸の膨らみに為すすべもない。香水をつけているのか、甘いジャスミンの香りは毒のようにナインの脳を麻痺させた。
肌の感触、体温、そのすべてが艶めかしく感じてしまう。
頭ではだめだとわかっているのに、どうしようもなく抗いがたい。
「今ならあなた好みのどんな姿にだってなってあげる。顔の形、胸やお尻の大きさ、足の太さ、髪の先から足のつま先まで、全て貴方が望むままの私で一夜を過ごしてあげるわ。…ねぇ、だからいいでしょ?貴方の好みを教えて…?私と気持ちいいことしましょう?」
ラミィの琥珀色の瞳がふいに赤く光る。これは催眠だ。
ナインは抗えないどころか指一本動かせなくなっていることに今更ながらに気がついた。
モンスターの中には催眠を得意とした者がいると話に聞いたことはあったが、催眠の解き方など知る由もない。八方ふさがりだ。
「俺の…好みは…」
ナインの意志とは関係なく、口が勝手に蠢き出す。動きが鈍くなった脳が、必死に己に問いかけた。
好みの女性について。
脳内にある女性の姿が思い描かれる。それは、蝶のように美しく儚い残像。
(一目で恋に落ちた。一言会話を交わす度に好きになった。一分一秒隣にいるだけで愛おしくなった)
鮮烈に刻まれた記憶の欠片たち。そう。あれは、同じ人間ではなかった。あれは蝶だ。
自由で高貴で、何よりも美しい。
自分が唯一愛した相手。…だけど、今はもう会えない。
ナインがそこまで記憶を遡ったところで、「いやっ!」という悲鳴が聞こえ現実に呼び戻された。
「なんで…なんで私の魔法が溶けるのよ!貴方何したの!?」
「えっと……俺は何も…」
先ほど動かなかったのが嘘のように、体が自由に動く。まだ寝起きのように頭が重かったが、それでもナインは上半身を起こした。
「っ!」
ベッドから転がり落ちるように飛びのいたラミィは、部屋の隅で布団に包まっている。
その顔は泥のように半分溶けており、正体を失っていた。
「やだ…見ないで!見ないでえええええ!!」
半狂乱になったラミィの全身が溶けていく。
粘土のように変形していく体はどんどん小さくなっていき、大人の女性の身体はやがて10代と思われる少女の身体になった。
身体の大まかな変形が終わると、今度は肌の色が白から褐色に変わる。ストレートだった髪はやや癖を残した髪質に変わっていき、色も栗色から薄い白銀へと変わった。
不自然なほど大きかった胸のふくらみは風船のように萎み、体の曲線に凹凸がなくなる。これまでの妖艶さはもう感じられない。
全ての変形が終わったかと思うと、ラミィは大粒の涙を流して泣き出した。
「う…うぇぇぇええん!!!やだぁぁぁ戻っちゃったぁぁぁあ!!」
「ああっ。な、泣かないでください…」
「ひぐっ…うわああああん!!あんたのせいよ馬鹿ァ!」
見た目だけでなく精神年齢まで幼くなってしまったのか、ラミィは癇癪を起した少女のようにぎゃあぎゃあ泣き喚いた。ひたすらナインを責めていることだけはわかるが、泣きすぎてもはや何を言っているのかよくわからない。
「どうしましょう…」
始まりはナインの方が被害者だったような気もしていたが、全裸の女性を泣かせている今の状況では、明らかにナインの方が加害者だ。
今この状況を、宿の女将や第三者に見られるのは大変不味い気がする。途方に暮れたナインは最後の手段として、窓を開け小声でゴークを呼んだ。
幸い、ゴークはすぐに空から降りて来てくれた。
しかし、部屋の状況とナインの表情を見てすぐ真顔になる。
「てめぇ…やったな?」
「違います誤解です信じてください」
「信じるも何も……相手裸じゃねぇか。最低だぞ?」
「違うんです違うんです俺は無実です。でも、泣き止まないんです!助けてください!」
「ふむ。これは夜泣きだな。残念ながら育児は専門外だ。じゃあな」
「待って帰らないで!!!!俺を見捨てないで!!」
ナインは今日一番の大声で叫び、上空へ戻ろうとするゴークの腕をがっしりと掴んだ。