聖剣を賜るわけにはいかない
アマクロイス国にある首都ロイス。
今日はアマクロイス城で勇者受任式が行われる日だった。
「貴殿を本日から正式に勇者として認め、聖剣を授けます」
「はい!」
今年アマクロイスで新しく受任した勇者は20名。
その全員が城に集められ、ロイス姫から聖剣を拝借する。勇者受任式は何年も前から代々伝わる崇高な儀式だ。勇者の中から一人、また一人と姫から名前を呼ばれ、壇上に上がっては姫に会釈し聖剣を恭しく受け取っていく。
聖剣は聖なる力を受けた名誉ある高貴な剣ではあるが、残念ながら世界でただ一つというわけではない。
勇者全員に平等に配られる“量産型”の剣だ。
しかし、それにもかかわらず、まだ聖剣を受け取っていない勇者たちは、姫に名前を呼ばれるのを今か今かと心待ちにしていた。
聖剣は勇者であることの証そのもの。それを賜ることはこの上ない栄誉に等しい。
そんな中、ナインは一人肩身の狭い思いをしながら俯いていた。
「ナイン・コンバート」
「はい…」
姫に名前を呼ばれ、沈痛な面持ちで壇上へと上がる。
ロイス姫と面と向かって向き合うのはこれが初めてのことだった。
ロイス姫は美人で博識で器量も良く、優しくて清らかでまるで女神のような人だと、アマクロイス国ではもっぱらの噂だ。しかし、いざこうして目の当たりにすると、噂以上の美しさだった。
花のように艶やかな桃色の髪。その頭にあるティアラが彼女の愛くるしさをさらにワンランク上へと押し上げている。薄く微笑んだ表情はやはり女神のような人知を超えた何かを彷彿とさせた。
「貴殿を本日から正式に勇者として認め、聖剣を授けます」
先ほどの勇者同様、定型文がロイス姫の口から紡がれる。
差し出された聖剣をいつまで経っても受け取らないでいると、ロイス姫は小首を傾げた。小声で「どうされたのですか?」と尋ねてくる。
ナインはそれに答えることなく、息を吸いこむ。頭を上げぬまま、震える手足を踏ん張って一声で言い放った。
「恐れながら姫。私は勇者を辞退させていただきたいと考えております。本日はそれを許していただきたく、参列いたしました」
声が震え、背中からじっとりと汗をかく。
後ろの方で「貴様…!無礼であるぞ!!」と、城の兵たちの野次が聞こえた。が、姫は片手を上げてそれを制す。頭を下げ続けるナインに向かって、優しく問いかけた。
「理由をお伺いしても?」
「…私は昔から筋力もないに等しく、魔法の才能もありません。その上、勇敢とはとても言い難い性格ときている。とても勇者に向いているとは思えません。この度は勇者の痣が浮き出たと見誤った両親が勇者志願書を送ってしまったようですが、私の痣は勇者の痣などではなく、ただの火傷痕です。ご覧ください」
ナインが腕をまくると、二の腕のあたりには確かに火傷の痣があった。
勇者になるためには勇者の痣が体のどこかにあることが前提条件となる。痣が浮き出るのは個体差があり、赤ん坊のころから浮き出る者もいれば、大人になってから突然現れる者もいる。勇者の痣は皆一様に9枚の花弁を象った花の形をしているが、ナインの右腕にあるそれは、よく見ると花に見えなくもないだけの、ただの歪な火傷痕だった。
周りの大臣等がざわつくが、姫はよほど肝が据わっているのか、ナインの火傷痕を見ても顔色一つ変えない。
代わりに、既に聖剣を賜った他の勇者たちが、姫に聞こえない程度の声量で小さく嘲笑する。が、それは無理もないことだった。
ナインの言っていることが本当ならば、ただの火傷を見間違えたナインの両親も、勇者ではないのに場違いなところにいるナイン自身もとんだ愚か者ということになる。前代未聞の恥さらしだ。
笑われていることにナインは耳を赤くしながらも、ロイス姫の許しを待った。
ナインとて、本当は格式高い勇者受任式の最中にこんな雰囲気をぶち壊すようなことをしたくはなかった。しかし、現在に至るまで何度城の兵や騎士たちにこの火傷を見せても信じてもらえず、その上、両親に書類まで偽装され外堀を埋められてしまい、もう姫しか決定を覆すことができないところまできてしまった。
ロイス姫に今告げたことは、全て本当のことだ。
ナインは勇者を辞退することを心から望んでいた。
(笑いたければ笑えばいい。それでも私は、旅に出てモンスターと闘うことが……勇者になることが、怖い。絶対に嫌だ。財産も土地もいらない。ただ平穏な生涯をおくりたいだけなんだ!)
ナインは昔から村一番の小心者で、虫1匹殺せない。
勇者として剣を振るより、農民として鍬で畑を耕している方が自分によっぽどあっていると思っている。なにより、いくら報奨金がもらえるとはいえ、命をかけてまでモンスターたちと闘いたくはなかった。
「顔を上げてください」
ロイス姫の凛とした声が響く。たったそれだけで、先ほどまでひそひそとナインの火傷痕を笑っていた勇者や兵士たちも、皆一様に静まり返った。
ナインが顔を上げると、ロイス姫はまさに女神のような慈愛の笑みを浮かべる。
だがしかし、その口から発せられる言葉の数々はまるで呪詛のようだった。
「そんな風に卑下なさらないでください。立派な勇者の痣ではありませんか!」
「…………え?」
一瞬、何を言われたかわからなかった。
固まってしまったナインに気づいていないかのように、ロイス姫は話し続ける。
「貴方は自分の魅力に気づいていないだけです!心が弱いのなら、仲間と助け合えばよいのです。体が弱いのなら、きちんと鍛錬と経験を積んで強くなれば良いだけです。大丈夫。安心して。貴方はこれからきっと強くなります。一緒に頑張りましょう!」
「いや、私はそもそも勇者になることを辞退させていただきたいのですが…」
「誰しも最初の一歩は辛く険しいものです。ですが、それさえ乗り越えてしまえば、あとは栄光が待っています!そう、だって貴方は選ばれたのですから!」
ロイス姫はぎゅっと力強くナインの手を握る。その激励に、ナイン以外の勇者や城の兵士たちが感激に打ち震えた。なかには「なんてお優しい方なんだ…!」と感動に涙を流す者までいる始末だ。
その歓声に囲まれ、ナインは絶望した。
(この姫は一体何を言っているんだ…?何を根拠にそこまで言い切ってしまえる?この距離で火傷の痕を見間違うはずもないはずなのに、何故こうも頑なにそれを否定するんだ…?)
目の前のロイス姫は満面の笑みのまま、勇者という職がいかに素晴らしいかについて語り続けている。その宝石のような瞳にナインの姿は写っていなかった。
(…違う。否定したんじゃない。姫は私の火傷の痕を勇者の痕だとここで宣言することで、私を守ったつもりなんだ。この姫はきっと、勇者になれることが最大の幸福なのだと信じている。だから、心からの“善意”で、勇者を辞退したいという私の発言を無視しているんだ…!)
ロイス姫にとって、勇者になれないことと不幸は同義なのだろう。
だとしたら、誤った選択をしようとしているナインのことを逃がすわけがない。
最後の頼みの綱であった姫が、一番の勇者信者だった。
その事実は、ナインを奈落の底へ落とすのに十分すぎるものだった。
「さぁ、ナイン・コンバート。貴殿を本日から正式に勇者として認め、聖剣を授けます」
頼みの綱は絶たれた。もう逃げることは不可能なのだろうか。
絶望する頭で必死に光を探そうとするが、名案がすぐにそう都合よく浮かぶはずもない。
なおも聖剣を受け取ろうとしないナインを不思議そうに眺めた後、ロイス姫は「あ!」と何か思い出したようにナインへ耳打ちした。
「ここで勇者になれなかったら、コキョウ村のハチさんとナナさんが悲しみますよ?」
その言葉が、トドメだった。
ハチとナナはナインの両親の名だ。そして、勇者の痣が浮き出たことを申告し、勇者の志願書を城へ出したのも両親だ。しかし、志願書にはコキョウ村としか書いておらず、両親の名前まで記載はなかったはずだった。
この姫はきっと最初から、ナインの痣がただの火傷であることを知っていた。
その上で、ナインの身辺を隅々まで調べつくしたのだ。
それも全て、駄々をこねるナインを説得し、何としてでも勇者に仕立て上げるためだけに。
おそらく、それを脅迫と呼ぶとも知らずに。
純粋無垢な姫は、今もなお慈愛の笑みを浮かべている。
(この姫は勇者を志す人にとっては女神でも、そこから外れた人にとっては…………悪魔でしかない)
絶望に打ちひしがれたナインは後ろに控えていた兵士たちに無理やり剣を持たせられ、壇上から降ろされる。
元の席に戻った時、他の勇者たちの「ちっ。時間取らせるなよな」という不満の声が耳に入った。しかし、そんなことも気にならないほどに、ナインは勇者になってしまった現実を受け止められずにいた。
勇者になってる(タイトル詐欺)