シェリー・コイル
レギアは寮に入り学校に通うことになった。その隣の部屋にシェリーがいた。シェリーはレギアより一つ上の学年に編入し、寮でも学内でも時々顔を合わせた。シェリーのぎこちない挨拶に、レギアは素っ気ない挨拶を返すだけだった。
レギアは懸命に勉強に励んだ。判ったのは、自分が『知っている』ことは魔動工学の基礎理論の部分であり、大戦以後に発達した最新の工業技術に関してはほとんど無知だという事実だった。
周りはほぼ二十歳前後の青年ばかりで、十歳になったばかりのレギアは異色な存在だったが、レギアは一向に気にしなかった。
(早く卒業して――ルシャーダの所に行く)
それがレギアの目標だった。二年で大学を卒業し、三年で大学院を卒業した。レギアは十五歳になっていた。途中から追い抜けると思っていたシェリーは、レギア同様に飛び級をし常に追いつくことはできなかった。
卒業してルシャーダの元に面会に行ったレギアを、ルシャーダはまったく変わらない風貌で出迎えた。
「レギア、やっと来たね。待っていたよ」
ルシャーダは微笑んでみせた。
「あたし……」
(やっと来たわ。貴方に会うために。理論も実技も全て首位で卒業した。あたしを褒めて、あたしを見て、ルシャーダ)
レギアは想いの言葉を呑み込んで、別のことを口にした。
「――何処に行って働くの?」
「君は特務機関の研究室にいってもらうことになる」
「そこは――ルシャーダのいる場所?」
「そう。だが、とりあえず別の班で働いてもらうことになる。そこで一定の成果があったら、君を呼びたいと思ってるんだ」
ルシャーダの微笑みに落胆しながら、レギアは別のことを訊いた。
「シェリーは、何処で働いているの?」
シェリーは一年前に卒業し、やはり同じところで働いているはずだった。ルシャーダは笑顔を崩さずに言った。
「シェリーは、私の下で働いているよ」
ガン、と頭を殴られた気分だった。
帰り道も、レギアは胸の中が苦しさと怒りでいっぱいだった。必死になって目指した卒業、ルシャーダとの再会。そこに甘い夢を見ていたレギアの思惑が、完全に裏切られた気分だった。
(あんな女に負けた――あんな女に――)
レギアが自分の部屋に着くと、ドアの前で偶然、シェリーと鉢合わせになった。シェリーは少しおもねるような表情で、レギアに笑いかけた。
「レギア、卒業おめでとう。ルシャーダのところに行ったのね」
レギアは怒りに震えて、なにも返す言葉がなかった。
(あんたと話すことなんか、何一つない!)
「わたしたち、似た境遇なのだからもっとお話してもいいとずっと思ってたのだけど……また、機会があったらね」
眼鏡の奥に臆病な笑みを浮かべると、シェリーは自分の部屋で入ろうとした。
「あ――」
レギアは自分でも判らずに、シェリを呼び止める声を出した。シェリーが戸惑いを含んだ声でレギアに言った。
「ちょっと……お茶でも飲む?」
レギアは頷いて、シェリーの部屋へと入っていった。
(こいつの話を聞けば、ルシャーダの欲しがってる『能力』が判るかもしれない)
そんな打算を胸に抱きながら、レギアはシェリーの勧めるソファに座った。シェリーの部屋はこざっぱりとして、整理整頓がよく行き届いた部屋だった。ただ、レギアの部屋同様、あまり女性らしさを感じさせるものはなかった。
シェリーは紅茶とお菓子を持ってるくると、レギアの前に置いた。レギアは一口紅茶をすすると、シェリーに訊いた。
「ルシャーダのところでは、何の研究をしてるの?」
レギアの問いに、シェリーは驚いた顔を見せた後、少し口ごもった。
「……機密だから、外部に漏らしちゃいけないことになってるの」
シェリーは言った。
(機密になるようなことを研究してるのか)
レギアは内心驚いた。レギアの内心の驚きをよそに、シェリーが尋ねてきた。
「ねえ、レギアはどうして此処へ来たの?」
シェリーの問いに、レギアは少し戸惑った。
(あそこにいたくなかったから)
(ルシャーダがいたから)
(自分が何なのか、知りたかったから)
幾つかの答えのようなものが浮かんでは消えた。どれもが正しい気がするし、どれもが違う気がする。レギアが言いよどんでいると、シェリーは苦笑した。
「簡単には、言えないよね、そんなこと。わたしはね……はっきりした意志があって、此処に来たわけでもないんだ」
シェリーは少し笑いながら言った。
「わたしはね、地方の中級貴族の家に生まれたの。貴族って言っても実質的な収入は乏しくて、家は貧しかった。けど二人の兄、両親も親戚もみんなプライドだけは高かった。そんななかで、わたしはいつも周りの言うことを聞いて生きてきたの。勉強しなさいって言われたからした。特別進学の話も、準備金の話に気をよくした両親が、わたしの代わりに承諾の返事をしたのよ。
……わたしは、今も一緒。やれと言われた事をやってるだけ。けどレギア、あなたがもし自分の意志で来たのなら、あなたには機関に入らないで他の場所へ行く選択だってあるのよ」
レギアはその言葉に、何故か苛ついた。
「今の場所が嫌なら、あんたが出ていけばいい。そしたらあたしは、ルシャーダのいる所に行ける」
レギアシェリーは喧嘩ごしの口調でそう言った。シェリーはレギアの言葉を聞くと、何故か寂しそうに微笑んだ。
「……あなた、ルシャーダのことを愛しているの?」
(え)
レギアは固まった。
「愛してる」なんて大仰な言葉は、自分には関係がないものだと思っていた。けれど、自分の気持ちはまさしくそういうものだと、はっきりと悟った。
「あたしは……」
「残念ね」
シェリーは薄く笑った。
「それなら仕方ないわ。もう……引き返せないわね」
シェリーは自嘲気味に笑った。二人は、それ以後話すことはなかった。
レギアは特務機関ファフニールの魔動工学研究室に配属になり、魔面研究班の所属となった。班長のナフト・ガルダンは研究者とは思えないいかつい男で、黒い髪を短く刈り、強い意志を感じさせる目つきをしていた。
レギアはザッカル連邦の魔面兵が残していったという魔面の解析をしていた。ナフト・ガルダンは寡黙な男で、必要な用事以外はまったく口をきかなかった。そのためレギアは魔面の解析に単独で専念した。
ザッカル連邦のアルゴリズムはガロリア帝国の魔動工学のものとは幾分異なるところがあり、未知の技術はレギアにとって、とても興味深いものだった。
研究班に入って二年が経った。課題は魔面を使用した際の着用者の精神的負担であり、それをいかに軽減するかが問題だった。その糸口のアイデアが少し掴めた頃、不意にレギアの元に訪い人が現れた。
髪が白く、陽光を遮るゴーグルをつけ、口髭をうっすらと伸ばしたその男は、サムウジ・ローカスと名乗った。
「あたしに、何の用?」
「恐らくミル=フォレイ室長から聞いていないと思うが――」
サムウジは言いにくそうに口を開いた。
「――シェリー・コイルが死んだ」
(え)
さすがにレギアは驚きを隠せなかった。
「……死んだって…何故?」
「実験中の事故――だ」
レギアの脳裏に、あの不器用な顔で笑う眼鏡の顔が思い浮かんだ。なんとも言えない、複雑な心境だった。悲しいのか、そうでないのか。レギア自身にも判らなかった。
「シェリーから実験前に、君に託された伝言がある」
「何?」
「『自分の後を引き継ぐことになったとしたら、やめてほしい』と、言っていた」
(何を勝手な)
レギアは苛立った。自分はルシャーダの元に行って過ごしていたというのに、あたしにはそれをするなというのか。
(あたしはルシャーダの処へ行くために、これまでやってきたんだ)
レギアの沈黙を前に、サムウジはうなだれた。
「俺からも、君に言っておきたい もし彼女の後任に君がなったとして……『デゾンバースの儀式』に参加することなったら、それはやめておくんだ。。シェリーはその実験によって命を落とした」
レギアは眉をひそめた。
「あなた、何者なの?」
「俺は――その実験を提案した人間だ。だがその実験には、あまりにも犠牲がつきまとう。あれは……許されることではなかった……」
サムウジは苦渋に満ちた声を出したが、ゴーグルに隠れてその表情を見ることはできなかった。
それから数日して、サムウジ・ローカスという人間が研究所から逃走したという話をレギアは聞いた。レギアはルシャーダのいるデゾン研究班に移された。ルシャーダの元へ呼ばれて、レギアは赴いた。
「レギア、やっと私の処へ来たね」
ルシャーダは微笑んでみせた。レギアは胸が締め付けられる想いだった。
「あたしは……もっと早く来たかった」
「すまなかったね。だが、物事には順序があって、なかなかそうもいかなかったんだ」
「あたしは……シェリーの次?」
レギアはそう口にした。ルシャーダは寂しそうに微笑んだ。
「君を失うわけにはいかなかったからね」
(それは――)
レギアは自分の心臓が、どくんと大きく鳴ったのが判った。
(それって――あたしの事が大事ってこと? それで、シェリーを先に実験台にしたってこと?)
レギアは口にして聴きたい言葉が沢山あった。だがそれを呑み込んで別の事だけを尋ねた。
「実験が失敗すると思ってたの?」
「まだ不確定要因が多く、調整者にかかる負担が過大なのは判っていた。しかしシェリー・コイルなら成功するかもしれないと思っていたのも事実だ。とても痛ましい事故で、私も残念に思っている」
ルシャーダは辛そうな表情をみせた。
「それで……私はどうすればいいの?」
「三つの呪宝のうちのデゾンレールの呪宝、これの解析をし機能別の複製をつくってもらう。その機能解析を元にすれば、調整者の魔力負担も軽減されるはずだ」
「判ったわ」
レギアは言った。