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魔女と骸の剣士  作者: 佐藤遼空
第一章 骸の剣士
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村へ行く

 数日、魔女の家での生活が続くと、少しずつ生活のなかでの自分の仕草などが思い出されていくのがヒーリィには判った。

 畑作業はほとんどやったことがないこと。薪割り鉈の使い方は、剣をふるうのに近いこと。食べる時はスープから飲み始め、パンはあまり摂らなかったこと、などである。その細かい記憶が、生前のヒーリィの生活に確かな実感として存在していたことを感じさせた。


 ヒーリィはふと思いついて、鉈で木剣を作りそれを素振りした。

(覚えている。――私は剣士だ)

 ヒーリィは剣の型を独り稽古した。その最中に魔女がやってきて声をかけた。

「剣の練習かい?」

「ええ、鍛錬を怠るとなまりますから」

 魔女は苦笑した。

「武術の稽古とかいうのは、身体に動きを学習させるものだろう? お前の肉体はどんなに稽古を積んだって、それ以上になりゃしない。逆に、怠けたって、なまりゃしないさ」

「しかし、私の意識が覚えているのではなく、身体が覚えている感じがするのです。変でしょうか?」

 魔女は少し神妙な顔つきになった。


「『精神』は覚えている記憶だけでなく、肉体の記憶や意識できない潜在的無意識の層からも形成されている。霊体もそれだけの奥行きを持っていても不思議じゃない。……まあ、お前の『個我』を取り戻すにはいい訓練になるだろうよ」

「魔女殿、剣はありませんか?」

「あたしは魔導士だよ、剣なんか持ってるわけがないだろう。魔晶石なら余分もあるがね」

 ヒーリィは少し考えると、魔女に言った。

「では魔晶石をいただけませんか? どうも、私は魔法も使ってたようです」

「フン、魔導剣士ってわけかい。まあ、いいがね」

「それで、剣はどうしたら手に入れられるでしょう」

「そうだな……村で買うか。ただし、その金は自分で稼ぎな。しばらくしたら村の奴が来る。それについていって、仕事をもらうんだね」

 魔女の言葉に、ヒーリィは頷いた。


 数日後、庭の畑に鍬をふるっていた時に、ヒーリィはためらいがちにかけられた声に振り返った。

「あの……魔女様に会いに来たのですが…」

 十代半ばほどの娘であった。栗色の長い髪を束ね、簡素な身なりをしている。百姓なり町民の娘と思われた。

「魔女殿は家にいます」

「貴方はもしや、魔女様の旦那様…ですか?」

「――そいつは行き倒れの旅人だよ」

 家の方から魔女の声が飛んできた。魔女は怪訝そうな顔で、歩み寄ってきた。

「森に迷い込んだ馬鹿さ、ちょっと面倒みてるんだ。こっちは、村に住んでるエミリーだ。こいつはヒーリィ」

 魔女は二人に、互いを紹介した。エミリーはヒーリィの顔を見ながら、小さくお辞儀をした。少し、その顔が赤らんでいた。


「で、今日は、何を持ってきたんだい?」

「パンと緑豆、魚の塩漬け、干し肉です。…あ、お客様なら、もっと必要だったかしら?」

「ああ、大丈夫だよ。十分だ」

 エミリーの心配を拒否するようにひらひらと手を振ると、魔女は品を受け取って金貨を渡した。

「あと……耕具が壊れてしまったものがあって、魔女様に来ていただきたいのですが」

「判った、それじゃあ行こう」

 魔女は目線で、ヒーリィの同行を促した。

 

森を抜けてほどなく行くと、小さな村があった。家より田畑の方がはるかに多く、広い面積を持っていた。

 村の小さな道をゆくと、ひなびた教会が現れた。善導神ミュウを祭る、円の中にひし形を象った方位磁石のレリーフが教会の正面に飾られていた。

 既に人々が集まり、雑談している。エミリーと魔女が歩み寄ると、人々が一斉に視線を向けた。

「魔女様、ごきげんよう。元気してるかね」

「まあまあだね。――で、壊れた耕具ってのはどれだい?」

 村人の呼びかけに答えながら、魔女は尋ねた。壊れたのは牛に引かせる大型の鋤で、牛の背にかける渡し木が、鋤の木をはめ込む部分で完全に折れてしまっていた。


「えらく壊したもんだね」

「新しい場所を耕してたら、中に大岩があったんでさ」

 鋤の持ち主らしい年寄りの百姓が、照れ笑いを浮かべながら答えた。

「こんなでかい物、壊すんじゃないよ。直すのが大変なんだ――で、どうせ、他にも色々あるんだろう?」

「へへ、そんなとこで」

 周囲の村人たちが、笑いを浮かべた。男もいれば女もおり、老人、子供もいる。皆、取っ手の壊れた鍋だとか、折れた金槌、曲がった鋏などを持っている。

 魔女は片眉を上げた。


「やれやれ、こりゃ一日がかりだね。――ところで誰か、人手を欲しがってる者はいないかい? こいつは行き倒れの旅人、ヒーリィだ。誰か仕事をさせてやってくれないか?」

「そういや、バギンスのところが、屋根をふき直そうって言ってたけか」

 魔女はヒーリィを見た。

「すみませんが、その方を紹介してもらえませんか」

「あ、わたし、案内します」

 ヒーリィの言葉に、エミリーが答えた。村人たちの物を修理にかかった魔女を置いて、ヒーリィはエミリーとともに歩き始めた。


 よく晴れた空の下、麦の稲穂が微かに揺れている。村は静かで、のどかだった。

「あの、旅をされてるんですか?」

 二人で歩いて少しすると、エミリーが口を開いた。

「ああ。……とても長い間ね」

「そうなんですか。わたしは、この村で生まれて育って、この村から出たことがないんです。一番近くの町のケリアドにもまだ行ったことがなくて……きっと色々、素敵な街を見てきたんでしょうね」

「あるいは……そう言えるかもしれない」

 ヒーリィははっきりと答えられないもどかしさを感じながら、曖昧な返事をした。ふと、二人の目の前に一人の青年が現れた。


「エミリー、そいつは誰だ?」

「ジョルディ、この人は旅人のヒーリィさんよ」

 こげ茶色の髪によく焼けた肌をした青年は、少し敵意のある視線をヒーリィに向けた。

「旅人? この村に何の用だ?」

「仕事をもらいにきたのだ」

「ジョルディ、この人は魔女様のお客様なのよ。失礼なことはしないで」

 ジョルディは苛立ったように鼻息を吹いた。

「ハン、あの魔女ってのも何者なんだか判りゃしない奴さ。二年くらい前から森の奥なんかに勝手に住み着きやがって……」

「けど、大工も鍛冶屋もいないこの村では、魔女様が来てからとっても助かってるわ」

 エミリーの抗弁を聞いてか聞かずか、ジョルディは睨むような視線をヒーリィに向けた。


「いいか、他の奴はどうか知らないが、俺は魔女なんか信じちゃいないぜ。爺ちゃんもそう言ってたし、第一、名前を明かさないのも怪しいじゃないか。何か起きたら、俺は容赦しないぞ」

 ジョルディはそれだけ言い捨てると、早足でその場を去っていった。エミリーがヒーリィに詫びるように言った。

「ごめんなさい、悪い人じゃないんだけど。ただ、ちょと村のことを心配しすぎなの」

「彼は、君のことを好きなんだね」

 ヒーリィの言葉に、エミリーは目を見開いて顔を赤くした。

「いい青年だ。村を守る志があるのは、素晴らしいことだ」

 ヒーリィの続けた言葉にも答えられない様子で、エミリーは顔を赤くしてうつむいたままだった。ヒーリィはその愛らしい娘の様子を微笑ましく思ったが、うまく笑うことができなかった。


 胡桃大の魔晶石を前に、法式を書いた魔法(バジック)の書をその横に置く。ヒーリィは書を目にしながら魔晶石に手をかざし、魔力(バギ)を放出しながら詠唱を行った。

 魔法(バジック)とは、魔力(バギ)によって様々な現象を起こす方法である。魔力とは幽子の働きかけにより、物体に付随する幽子を通して物体を変化させる力であり、魔法はその物理・化学現象を法式という形でまとめたものである。


 魔法が開発された古代においては、魔法はいちいちその変成過程の式を魔導士(バジシャン)が唱える必要があった。しかし魔晶石にその変化式、つまり法式が刻印できる性質があると判ると、魔法は急速に発達した。それまで長い時間を詠唱して起こしていた現象が、あらかじめ魔晶石に魔刻してある法式によって一瞬に引き出せるようになったのである。

 しかし魔法現象を起こすのは魔導士本人の魔力であり、起こした現象の練度や大きさ、操作性は魔導士本人の現象の理解度や練度と深く関わっていた。また、大きな現象を起こすには大きな魔力が必要であり、魔晶石によって簡易化されたとはいえ、誰もが簡単に大きな魔法を使えるわけではなかった。


「――詠唱による刻印? 珍しいね」

 背後からかけられた魔女の声に、ヒーリィは振り返った。

「いただいた魔晶石に魔刻していたところです。が、珍しいとは?」

「お前の時代には魔法は詠唱による刻印が主だったろうが、今は手打ちが主流なんだよ。これ――魔刻盤を使うのさ」

 そう言いながら魔女は、文字盤と顕微鏡が組合わさったような器具を取り出した。


 魔女はヒーリィが魔刻した魔晶石を手に取ると、顕微鏡のようなものの先に据え置いた。魔女が魔力を発揮すると、その器具の先端から光りが走り、魔晶石にあたる。と、その光は魔晶石に反射されたかのように空中に放射され、魔晶石の上に法式がずらりと並ぶ光の文字が浮かび上がった。

「フン、氷結の魔法ね。少々古くさい法式過程(アルゴリズム)だけど――なかなか上質な法式じゃないか。あんた、結構な使い手だね」

「こんな器具が……」

 ヒーリィは褒められたことより、見たこともない魔法の器具に驚いていた。

「ところで、あんた、この魔晶石に一つの魔法しか入れないつもりかい?」

「え? 一つの魔晶石には一つの魔法ではないのですか?」

 ヒーリィの時代はそうだった。魔女は薄く笑みを浮かべた。

「この魔晶石も天然ものじゃなく、錬成ものだ。純度が高くて容量も大きい。一つの魔法を入れるだけじゃ、もったいない代物さ。ついでだから、あたしが防御魔法でも入れといてやるよ」

 そう言うと魔女は傍らの書物を見もせず、凄まじい速度で文字盤を打ち込み始めた。光の文字がみるみるうちに増殖していく。魔導障壁の法式は読みとれたが、その先は何を書いているのか判らなかった。


「昔は魔晶石の錬成法がなかったから、純度の高い天然石は高級素材だった。けど大戦中、魔晶石の錬成法が開発され、小さくて純度の低い小粒を粉にして、再び一つの石をつくる方法が開発されたのさ。まあ、そうは言っても大きさにも容量にも純度にも限度はあるがね。本当の一級の天然素材には叶わないができた。これでいいだろう」

 魔女は喋りながら手を休めずにしばらく打ち込むと、やがて息をついた。

「一つの魔晶石に二つ以上の魔法が入ってる時は、並列処理できるように魔紋(アイコン)を使う」

魔紋(アイコン)?」

 魔女は石を手に取ると、魔力を入れた。と、空中に壁を(かたど)った四角い記号と、氷を象った青い記号が浮かびあがった。

「使う時はこの魔紋をつまむか、握るかして魔力を込めればいい。やってみな」

 ヒーリィは頷くと、魔晶石を右手に取った。浮かび上がった魔紋(アイコン)のうち、氷の魔紋を左手に掴む。


「氷結せよ」

 机の一角が、たちまちのうちに氷に包まれた。

「なるほど……。時代は変わったものですね」

「道具だけは発達する。人間の愚かさは大して進歩しないがね」

 魔女は皮肉そうに言った。

「ところで、お前、村でいくら給金もらってるんだい?」

「半日で1000ワルドくらいですが」

 魔女は手で額を押さえつつ軽くのけぞった。

「なんだい、そりゃ? それじゃあ剣は100日くらい働いてもやっとだよ」

「え? 剣がそんなにしますか?」

「30年前とは物価が違うんだよ。お人好しだね、お前は。その倍は貰ったって悪くないさ」

「しかし、皆さん親切な方なので……」

 魔女は片目をつぶって頭を掻くと、つきあいきれない、と言わんばかりに手の平をひらひらと振って歩いていった。


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