魔獣ディーガル
事態が少し落ち着いた時には、ディーガルの姿はもうなかった。
「巣穴に逃げ込んだね」
レギアが山の中腹の洞穴を見上げながら口にした。既に月蝕は過ぎ、二つの月はお互いの姿を現そうとしていた。
「ヒーリィさん、脚は大丈夫なのですか?」
「ええ。もう復元する頃です」
アストリックスはヒーリィの脚の切断面がふさがろうとする様子を見て、驚くと同時に納得もした。
「骸、ちゃんと魔導障壁を使えよ」
「すいません。ずっと防御は気力を使ってましたから、魔法の防御に慣れてないんです」
「まったく、しょうがないね。さて、奴をあぶり出す算段だが――」
レギアは周囲の様子に気づいて言葉を止めた。隠れていた村民が、わらわらと姿を現していた。その中から一人の老人が出てきて、レギアをなじるように言った。
「あんた達、とんでもないことをしてくれたな。これで神獣様はお怒りになったに違いない。我らにどんな災厄が振りそそぐか――」
「自分の娘を喰われる以上の災厄があるのかい?」
レギアは鼻で笑うように嘲った。
「うるさい! 関係のない余所者は黙ってろ!」
村民の中から声があがる。レギアは一つため息をついてみせると、口を開いた。
「余所者の旅人を殺しておいて関係ない奴は黙ってろだと? 呆れた奴らだ。だが、あのディーガルに関係があるのは自分達だけだと、どうやらそう信じてるらしいね」
レギアは正面を向いて、じろりと村民たちを睨んだ。
「魔動大戦の末期に使われた『災厄の怨機獣』デゾンは、三つの宝珠が使われていた。その内の一つ、デゾンシードの宝珠は、霊力を元に、自らの身体を変化させる能力を持っていた」
「そ……それが、何だってんだ!?」
抗議の声の主を一瞥すると、レギアは再び口を開いた。
「そのデゾンシードの宝珠は、ある魔獣の魔能を研究することによって開発されたんだ。その魔獣は、何回も状況に対して自らを改変する進変の魔能を持っていた。その魔獣の名は、ディーガル」
レギアの言葉に村民の顔に驚きの表情が現れる。アストリックスもまた、驚きのうちにレギアを見つめた。
「その魔獣を研究機関であるファフニールに持ち込んだ男の名は、資料によるとクロード・ケルシュ。あたしはこの男からデゾンの秘密の一端でも聞けるかもしれないと思い、この男の郷里であるこの村に立ち寄ることにしたのさ」
「じゃあ、レギアさんは最初からこの村を目指していたのですね」
アストリックスの問いにレギアは頷いた。
「ああ。だがまさか、まだディーガルが生きていて、生け贄の儀式とかいう妙なことをやってるとは思わなかった。ディーガルは既に使獣として紐覚されていると思っていたからな」
「なんだと? ディーガル様が操られているだと?」
村民も驚くなか、アストリックスはレギアに尋ねた。
「そうだ。ジュリアが紐覚しようとして出来なかったのは、既に紐覚されてたからだ。そして、ディーガルをずっと操ってたのは、こいつさ」
レギアは後ろに首を振った。夜陰からカムランとシリルが、縛られた男を連れてやってくる。その男はケルシュ村長であった。
「村長に、なんてことするんだ!」
村民の一人が声をあげる。レギアは睨み返すと、鼻で笑った。
「何をするかってのは、こっちの台詞さ。あたしはシリルと入れ替わってあの堂の中にいた。そこに不意に隠し扉を開いて出てきた男がいた。それが、こいつだ。あたしはこいつを気絶させた後、出てきた通路を逆に辿ったが、それは村長の屋敷の部屋につながっていた。これがどういうことか判るだろう。
つまりだ、この村長は父親から引き継いだ魔獣を使ってこの村を支配し、生け贄の晩には娘たちを喰わせる前に自分が弄んでたというわけさ」
レギアの言葉を聞いた村人は静まり返った。カムランが村長を村人の前に突き飛ばした。後ろ手に縛られたままのケルシュ村長は膝を突き、脂汗をかきながら村民を見上げた。
「ち、違う、誤解だ。みんなこの余所者女のつくった、でっちあげ話だ!」
「村長、本当なのか?」
「う、嘘だ」
ケルシュ村長が必死の顔で弁明するなか、一人の男が集団の中から現れた。男の形相は、激しい怒りが爆発寸前なのが誰にでも見て取れた。
「村長……俺はあんたに『村のためだから』と言われ、泣く泣く娘を差し出した。けどその後で気落ちした女房は病死し、俺はたった一人になった。村長、あんたは村のためじゃなく、自分の欲望を満たすために、この村を牛耳ってただけなのか!」
男は手にした鍬を構えた。ケルシュ村長は身震いして後ずさりする。他にも何人かの村人が、手にした凶器をもって村長に詰め寄ろうとしていた。
「――この、馬鹿どもが!」
突然、ケルシュは立ち上がり、牙コウモリの群を背中から出現させた。ケルシュの分霊体であった。
「うわっ」
村民がひるんだ隙に、ケルシュはその場から逃げ出して山の中腹へ向かおうとしていた。十分に離れた後で、ケルシュが振り返った。
「馬鹿め! こうなったらお前ら全員、ディーガルの餌にしてくれるわ。」
ケルシュは大口を開けると、勝ち誇ったような笑い声をあげた。しかしその時、背後から広がった何かがケルシュの身体を包んだ。
「あれは!」
声をあげる間もなく、ケルシュの身体を電撃が襲う。ケルシュは短く呻いたが、さらに飛来してきた電撃を受けて声も出せなくなった。
「ジュリスか」
電撃の飛んできた方を見ると、離れた場所にジュリスが立っていた。ジュリスは腕を振って陸ダコを呼び寄せると、レギアたちを見て口を開いた。
「姉さんを殺した魔獣操士は始末させてもらった。後はお前たちに任せる」
ジュリスはきびすを返すと、夜の闇に消えていった。
「チッ、任せるだとか勝手なことを――」
レギアが忌々しそうに呟いた。
ケルシュ村長は完全に事切れていて、村民は事の成り行きに動揺していた。
「村長が死んじまった!」
「いったい、どうなるんだ?」
「まさか村長が俺たちを騙してたなんて」
「――操士がいなくなった使獣は暴走する」
村民の声を遮るように、レギアは口にした。村民のなかでざわつきが起こった。
「あんた達は単にあの男に騙されていた被害者じゃない。我が身可愛さに、他人に犠牲を強制してた立派な共犯者だ。ディーガルはもう、生け贄を喰らっても操ることはできないだろう。放っておけば、この村落周辺の人間を残らず襲う。だが、そうなったのも、あの男と魔獣に依存して、魔獣を手のつけられないほどに進化させちまった、あんた達の招いた結果だ」
「……そんな事言ったって、村のためには仕方なかったんだ」
弁解するように呟いた村民の一人を、レギアはきっと睨んだ。
「『村のため』じゃない。『自分のため』だ! あたしは集団のためだとか言って、他人に犠牲を強いる奴を信用しない。そういう奴は絶対に自分が犠牲になりはしない。あんたが喰われりゃ、村は助かると言ったら、あんたは魔獣に喰われるのかい?」
レギアにすごまれた男は、うつむいて隠れるように身を下げた。レギアは、苛立ちを吐き出すように一つ息を吐いた。
「犠牲者が出てるのに、『皆のために』とかいう美辞麗句で、それに目をつぶってきた。その力に抗するだけの勇気がなかったのさ。弱いから戦えなかったんじゃない。戦わないことそれ自体が弱さなんだ」
レギアは噛みしめるように言った。
一瞬、静まり返った村人のなかから一つの声があがった。
「ぼくはデイーガルと戦う!」
アストリックスはそこにカムランの姿を見た。
「わたしも戦います」
さらに声をあげたのは、姉のシリルだった。レギアはそれを見て、さらに言葉を続けた。
「奴は進変している。正直、あたしたちの攻撃もきくかどうか判らない。あんた達には何もできないかもしれない」
「――それでも、俺は戦う。もう……それしか残されていないんだ」
娘を犠牲にしたと言った男が噛みしめるように言った。それを皮切りに、複数の声が上がり始めた。皆、戦う意志を表明したものだった。レギアはそれを見渡すと、ゆっくりと口を開いた。