神獣ディーガル
やがてカムランがやってくると、アストリックスは手短にカムランの依頼の話を二人にした。
「――そういうわけで、お二人にも力を貸していただきたいのです。お二人は見たところ、かなりの魔力の持ち主です。きっと魔獣退治に大きな力になっていただけると思います」
アストリックスはそうレギア達に告げると、カムランの方を見てにっこり笑った。
「ぼくは……アストリックスさんがそう仰るなら、それを信じます」
戸惑いながらもカムランはそう言った。ヒーリィが無言でレギアの方へ視線を向ける。
「……気に入らないね」
レギアはぼそりと呟いた。
「わたくしの頼み事は、お気に障りましたか?」
「そうじゃない。気にいらないのは、その話だ。村に大勢人間がいながら、娘一人を犠牲にすることで自分たちは助かろうとしてる。あたしはそういう奴が反吐が出るほど嫌いなんだ」
苛立った様子を見せたレギアは、アストリックス達の方へ向き直って言った。
「ところで、あんたは何故、そいつに手を貸す? 聞いたところでは、あんたは無関係な人間だろう」
アストリックス微笑んでみせた。
「わたくしがお爺様から学んだ星光拳の教えの道義は『医武同現』。戦うことと癒すことを、ともに人のために使うということを信条としています」
「ハン、それであんたはノコノコと出てきて手を貸してやるわけかい。お人好しなことだ」
「それを、レギアさんにも助けていただきたいのです」
アストリックスは気を悪くすることもなく、真剣な顔でレギアを見つめた。レギアは呆れ顔を見せて、ため息をついた。
「判った。あんたには借りもある。一緒に行ってやる」
「ありがとうございます!」
アストリックスは深々と頭を下げると、その顔を上げてにっこりと微笑んだ。
夜営の後、アストリックスたちがカムランの村に着いたのはまだ昼前だった。
村は岩場の多い山岳地域のなかにあり、僅かな農地を果物や野菜の畑にしている様子が見て取れた。村に入るとカムランは一軒の家へとまっすぐに向かった。それは狭小な村にあってかなり大きな石造りの屋敷で、その周囲にはぐるりと石壁が張り巡らされていた。
石柱の間に鉄製の門扉があり、カムランは閉ざされた門に近づくと傍にあった鈴を鳴らした。しばらくすると傍の通用門が開き、男が姿を現した。カムランが二言三言何事か話すと、男は屋敷内に戻っていった。カムランはアストリックスたちに向きなおると、説明した。
「村長の家です。僕の姉も此処にいます」
「小さい村の割に、随分と豪奢な屋敷だ」
レギアの言葉に、カムランは言った。
「この村で採れる石は名品として有名なんです。村長の家は、それを使用してます」
やがて使用人らしい男に案内されて、三人は門の中へと入った。中庭が広がるなかで、三人の前に小太りした男が立っており、相好を崩して三人を迎え出た。
「どうも勇者の方々、よくぞおいでくださいました。私が村長のケルシュです。カムラン、こちらの皆さんがディーガル退治に尽力してくさるということで間違いないのだな?」
「そうです、村長」
カムランの返事を聞き、ケルシュ村長は口元には笑みを浮かべながら、上目遣いでアストリックスたちを見た。
「さてさて勇者様たちの協力はとても心強いことです。――が、少し私どもに実力のほどを見せていただきませんと。このグレグを相手に、少しお力の方をご披露願いたいのですが、よろしいですな」
口調こそ丁寧だが、完全な断定口調である。アストリックスがすっと前に出た。
「わたくしがお相手したしますわ。わたくしはアストリックス・ラナンと申します」
グレグと呼ばれた使用人が無言で前に出る。長身で、長い顔と細い眼をした男であり、その手には長剣を持っていた。二人が対峙した瞬間、グレグは唐突に剣を振りあげざまに気光弾を放ってきた。
アストリックスは顔色も変えず、右手でその光の弾を弾く。と、グレグは振り上げた剣で、袈裟がけに斬りつけてきた。
アストリックスは敏捷な動きでそれをかわす。グレグはさらに上から下から後退するアストリックスを追って剣を振った。防戦一方のように見えるアストリックスだったが、その顔に動揺はまったくなかった。
素早く動くアストリックスが、少し間をおいて立つ。まだ構えることもしていないアストリックスに対して、グレグの剣が振り降ろされアストリックスを真っ二つにした――かに見えた。その瞬間、アストリックスは僅かに体を開くだけの動きで剣をかわし、グレグの真横に入り身して懐に入り込んでいた。
目の前にアストリックスがいないことに気づき、グレグが横を見ようとした瞬間、グレグはそのまま口を大きく開き前のめりに倒れた。その腹部には、アストリックスの拳がめり込んでいたのだった。
アストリックスはケルシュ村長に目を向けて口を開いた。
「気当てで昏倒してますけど、しばらくしたら気づきますわ。ご心配ありません」
アストリックスはにっこりと笑った。
「彼女は、相当の使い手ですね」
ヒーリィがぼそりと呟いた。それを聞いてか聞かずか、ケルシュ村長は相好を崩してアストリックスたちに歩み寄った。
「いやいや、これは見事なものでした。どうも失礼いたしました、昼食の準備ができたようですので、改めてなかへお入りください」
ケルシュ村長はアストリックスたちを屋敷のなかへと誘った。屋敷内は広く、通された大きなテーブル席に三人はそれぞれ着席した。村長は改めて挨拶し、アストリックスたちも名を名乗った。その時、カムランを呼ぶ声がして皆、部屋の入り口へと視線を向けた。
「姉さん…」
そこに立っていたのは若い女性であり、カムランは走り寄っていった。
「姉さん、ディーガルを退治してくれる人を見つけてきたんだ。アストリックスさんだよ」
アストリックスが立ち上がり礼をすると、カムランの姉も深々と頭を下げた。
「シリルといいます。ここまで弟がお世話になりました。どうか、よろしくお願いします」
「カムラン、シリルは今までの緊張で疲れておる。奥の部屋でつもる話でもしてくるといい」
村長に言われ、カムランとシリルは奥の方へと消えていった。入れ替わりに男たちがどんどんと入ってきた。広間はすぐに男たちでいっぱいになった。
「皆の衆、聞いてくれ!」
ケルシュ村長が村の男に呼びかけた。
「ここにいる婦人こそ、名高い星光拳士を継いだお方だ。アストリックス・ラナンさんという。そしてそのお仲間のお二人もまた、ディーガル退治に協力してくれることになった」
おお…という驚きの混じったどよめきが、男たちの間で起きた。
「このグレグがまったく指一本触れられなんだ。実力のほどは確かじゃ。皆の者、今度こそ長きにわたるディーガルの支配を打ち破ろうぞ!」
おお! 男たちから決起の声が上がった。それと同時に食事が運び込まれてくる。男たちは酒を飲み、食事に食らいつく。美味しそうな湯気をたてる食事を、アストリックスも遠慮なく口にした。レギアはうろんな目つきで村長を見やった。
「レギア殿も食事をどうぞ」
「いや、あたしはいいんだ。骸、お前は食べておけ」
「判りました」
「それでは、お飲物だけでもどうぞ」
レギアは目の前に注がれたワインだけを口に運んだ。
「ところで、そのディーガルってのは、どんな姿をしてるんだい?」
「ディーガルは現れるごとに、毎回姿を変えているのです。より強力な形態になっているようです」
レギアは目を鋭く細めた。
「進変を繰り返す魔獣……特魔獣か」
魔能を持つ魔獣のなかでも特殊な部類が存在し、それを特魔獣と呼ぶ。特魔獣には種というものがなく、個体は生まれるごとに突然変異で誕生し、子は親にまったく似ておらず能力も受け継がれることはない。なかには極めて特殊な魔能をもつ個体も発生することがある。
気獣や霊獣にも魔能をもつものがいるが、進変と呼ばれる形態変化をする力もその一種である。個体レベルでの適合進化を発生させる能力と見なされているが、通常の種では多くても二回の進変を見せる種が確認されてる程度であった。
「そのディーガルは、神獣と呼ばれていると聞いたが?」
「ああ、確かにそう言って敬う者もおりました。なにせディーガルは石切場の上にある洞穴に住んでおり、そこに来る見知らぬ者を皆食べてしまいます。作業できるのは、生贄を供えた我らだけです。
二十六年ほど前に、山向こうの集落が石切場を求めて襲撃してきたことがありました。我々にはそれに太刀打ちできる戦力などなく、ただこの屋敷にこもって震えるばかりです。
しかし、この屋敷にたてこもる間に異変が起きました。自分の領域を荒らされたと思ったディーガルが、その襲撃者の一団を全滅させてしまったのです。生き延びた者もいたかもしれませんが、這々の体で逃げ去ったようでした。以来、付近の集落にも神獣ディーガルの名前は広がり、この集落を襲おうとする者はいなくなったのです」
「それではディーガルによる恩恵もあるということなのですか?」
アストリックスの問いに村長は答えた。
「はい。確かに一面ではそうです。しかし三年に一人、村の娘を差し出すのはあまりにも被害が大きすぎる。我々はディーガルの支配から逃れようと決意したのです」
ケルシュ村長は堅く口を結んだ。
「フン、――で実際、どういう算段をするつもりなんだ?」
「はい。この上の山の中腹に堂がつくってあります。今夜、そこにカムランの姉であるシリルが入ってディーガルを待つのが決まりです。ディーガルは頂上付近にある洞穴から現れます。我らはその周囲を囲んで、ディーガルが来たら一気に攻めましょう」
「なるほど、配置は任せた。……ところで、クロード・ケルシュという人物を知ってるかい?」
「ええ、クロード・ケルシュは父です。父をご存じなのですか?」
「いや、大して知ってるわけじゃない。何かの噂で耳にしたような気がしただけさ」
レギアは薄く口元に笑みを浮かべた。しかしそのレギアの微笑みは、アストリックスの目の中で奇妙に歪んだ。
「あ…れ……? わたくし、なんだか頭が重たくなってきました……」
アストリックスは席を立とうとした。が、その足に力は入らず、アストリックスはよろけて床に倒れ込んだ。視界がぐらりと回転したが、アストリックスにはもう意識を保っていることもできなかった。