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魔女と骸の剣士  作者: 佐藤遼空
第一章 骸の剣士
1/41

骸と魔女

 漂っていた。

 静寂に支配された暗い水の中を。

 何時から流されていたのか、どのくらい時が経ったのか、彼には判らない。


 彼の肉体は静かに朽ちていく。内蔵は腐り果てて既に失われ、崩れ落ちる筋肉の隙間から白い骨が覗く。もしその匂いが嗅げたなら、あまりの悪臭に顔をそむけたことだろう。

 しかしその鼻も既に崩れ落ち、眼堝にはどろりと半壊した眼球が収まっているだけの彼に、匂いも音も痛みも、自身を視る術もありはしなかった。


 ただ意識だけが、執拗に残されている。まるでその朽ちていく自身を拷問のように感じるためだけに。

(私は……)

 彼はぼんやりとした意識のなかで思った。

(何処へ行くのだ……)

 彼の朽ち果てた肉体は、暗い水流を流され続けていた。だがやがて不意にその流れが止まり、彼は自分の肉体が何処かに静止したことを感じた。


 その無変化の状態から、どれくらい時が流れたのか判らない。がある時、突然、彼の意識に入り込む《声》が響いた。

「――とんだ先客がいたもんだよ。これじゃあ、水場になりやしない」

 不意に彼は、目の前に光が満ち、視界が開かれたことを感じた。

 フードをかぶった人物が、こちらの顔を覗き込んでいる。その人物の口元が動いた。

「フン、なかなかの男前じゃないか。しかし、むくろになっちゃあ美しいも醜いも無いもんだね。所詮、上っ面の価値ってことかい」

 声は自嘲するように呟いた。彼は、その顔をよく見ようと、目線を向けた。と、相手は驚きの奇声をあげた。

「……なんだいお前、生きてるのかい? な、わけないか」

 彼の目の前に、人物の手が差し出される。すると、彼の視界がより開け、音が彼の世界に戻ってきた。

「死体に呪縛霊が取り憑いてる? いや、これは呪いか。お前、誰かに呪いをかけられたね? ま、答えることはできないだろうけど」

 女の声だった。それだけ言うと、フードをかぶった人物は鼻で笑い、灯りとともにその場を去っていった。


(顔が少し……復元されたようだ)

 彼はぼんやりと思った。彼は自分の肉体が、浅い水のなかに漂っていることを理解した。しかしそこは陽射しの下ではなく、何処か洞穴のような場所であることも推察できた。

 今まで感じていた暗黒ではなく、見ることのできる漆黒の闇のなかで、またしばらくの時が過ぎた。

 不意に現れた灯りは、またフードの女が持ってきたものだった。女は彼を覗き込むと言った。

「まだこの泉にいたのかい。どっかに流されちまえばよかったのに」

 女は忌々しそうな声をあげた。だが、その声には何処か面白がるような響きを含んでいた。


 再び女は傍に来ると、また右手を彼にかざした。逆の左手に持っている水色の宝珠がぼんやりと光る。頭部、そして首の辺りが復元されいていくのを彼は感じた。

 舌が復元されたのを感じ、彼は喋ろうとした。だが、その口から声は出なかった。

「喋れるわけないだろ? お前の首から下は死体なんだ。息を吐き出してない以上、声帯を震わせることができるわけはない。まあ、もう少し待つんだね。お前を少しずつ修復してやるよ」

 フードの下に見える口元が、にやりと笑みを浮かべた。

 それからフードの女は一定の時間をおいてやってきた。来ては、少しずつ彼の肉体を修復していった。


(修復魔法……魔導士か)

 彼は女のことを『魔女』と呼ぶことに決めた。

 魔女は腕の修復を終えると、彼に言った。

「自分の腕を動かせるかい?」

 彼は水面から手を出してみた。

「動かせるね。じゃあ、身体をひっくり返して、肺から水を出しちまいな。胴体の修復は終わったから、もしかしたら声が出せるかもしれないよ」

 彼は魔女の言う通り、身体をひっくり返し浅い水底に手をついて上体を上げ、口から肺の中の水を吐き出した。淀んだ水がごぼごぼと流れ出た。


「話せるかい?」

 魔女の言葉に身体を返して答えようとするが、うまく声が出せない。

(肺から空気を押し出すのだ)

 意識して肺から空気を出し、彼は声帯を震わせた。

「あ……」

「ほう、声が出せたね。こりゃ驚きだ」

 魔女は愉快そうに笑うと、少し喋る練習でもしな、と言い残してその日は去っていった。


 手を使って上半身を起こし、彼はまだ水に浸かる自身の身体を改めて見た。

 水色の髪に、端正な凛々しい顔立ち。着ている鎧は、かなりの高級な造りのものだったが、実際の戦いで受けたらしい無数の傷があちこちについていた。

(私は……戦ったのか?)

 剣士、という言葉が脳裏に甦った。

(そうだ、私は剣士だったはずだ)

 彼はそれだけ思い出すと、闇の中で声帯を震わせて声を出す練習をした。


 次に魔女が現れた時、彼は魔女に話しかけた。

「魔女よ、貴女(あなた)に訊きたいことがある」

 フードをかぶった魔女は、驚きの声をあげた。

「ハン、真面目に発声練習でもしてたようだね。死体が喋るとは、こいつは驚きだよ」

「魔女よ、私は死んでるのか?」

「どう見てもそうだろ? あんたは死んでいる」

 フードの魔女は嘲るように口角を上げた。

「ならば何故、私の意識は残っているのだ? 私はどうなったのだ?」

 魔女はフン、と息をつくと、そのフードを頭から脱いだ。まだ若い、赤紫の髪を短く切り揃えた女だった。きつい目つきでじろりと睨むように見ると、魔女は口を開いた。


「それはあたしの方が訊きたいくらいだね。実際、あんたに何が起きたのか、あたしには判らない。が、一つ言えるのは、あんたは呪術師に呪いをかけられたってことさ」

「呪い? それはどういう?」

「死んだ後も、霊体が自分の骸に呪縛される呪いさ」

 魔女はそう言いながら、自分の手を彼のまだ修復してない脚にかざし始めた。

 かざされたのとは逆の手に持つ、水色の魔晶石の宝珠が光る。その修復魔法によって、骨が剥き出しになった彼の脚に筋肉が甦り始めた。

「死んだら通常は、霊体は幽子に分解されて拡散される。消却した肉体が分子に戻るようにね。幽子は冥界(ヘルヘイム)に行き、そして新たな生命の誕生とともに再び幽子の結合が生まれ霊体となり、生命は単なる『物質』から意志を伴う『生命』へと生まれ変わる。けど、中には残留思念が強すぎて霊体が分解されず、場所や物に執着することがある。それが呪縛霊だけど――お前は呪いをかけられて、呪縛霊にされちまったのさ」

「私は……昇天できないということか?」

「生きることも、死ぬこともできない。おぞましい地獄のような呪いだよ」

「一体、どうしたら……」


 魔女は彼を見ると、憐れみに似た表情を浮かべた。

「さあ? どうしたら解呪できるのか、あたしは霊術の専門家じゃないから判らない。仮に専門家だとしても、こんな呪いは聞いたこともない。ただ、はっきり言えることがある。それはこの呪いが、極めて強力だってことさ。お前、誰に呪いをかけられたんだい?」

 魔女の質問に答えようとして、彼はその答えを持たないことに気づいた。

「覚えていません。私が何故、こうなったのかも。何もかも……」

「自分の名前も、生まれた国も?」

 彼は頷いた。魔女は息をついた。

「頭部の修復は終わってるが、あんたは脳細胞の記憶を活用することはできない。あんたにあるのは霊体の記憶だけだ。呪いをかけた相手が判れば解呪の仕方も判るかもしれないが……」

 魔女はふう、と息をついた。魔力(バギ)を使うには、それなりの疲労が伴う。魔女が使っているのは、かなり強力な修復魔法だった。


「私は、永遠に死体とともに彷徨う運命だということか?」

「運命なんて他人の決めたものを、あたしは信じない。そんなのは状況に抗うだけの覚悟がない奴が口にする言葉さ」

 魔女は彼を見つめて言った。その大きくてつり上がった目は、強い意志の光を宿していた。

「面白がってあんたの身体を直してみたけど……お前はどうしたい? そのまま朽ちた肉体とともに彷徨い続けるか、それともかりそめの自律を手に入れるか?」

「私は……死ぬのであれば、ちゃんと死にたい。そのために、自ら動きたい」

 魔女は小さく頷いた。

「判った。明日で修復は終わりだ。その後どうするかは……自分で決めな」

 魔女はそう告げると、泉を後にした。


 やがて魔女がやってきた。魔女は最後に全体を整える修復魔法を施すと、彼に言った。

「立ってみな。そして、自分の脚で泉から出るんだ」

 彼は実感の無い自らの脚を曲げ、そこから身体を起こしてみた。浅い泉のなかに、彼は立ち上がった。魔動灯の薄明かりのなか、彼は地面へと歩いていった。

 よろけて転ぶ。実感のない身体を無理に動かしているため、身体の弱い部分が判らない。転ぶ際に洞穴の壁にひどく頭をぶつけたにも関わらず、痛みはまったくなかった。

(起きあがるのだ)

 彼は地面に横たわった自らの身体を、なんとか起きあがらせた。

「起きあがれたね。じゃあ、そのまま立ってるんだ」

 魔女はそう言うと、彼が着ている鎧を脱がせた。魔女の背丈は意外に低く、彼の胸元に頭があった。鎧を取ると、既に腐食し変色している彼の肌着を破り捨てる。

 魔女は小さな箱を取り出すと、何事かを唱えた。


 魔鍵が空き、魔女は蓋を開く。その中にある手のひらに収まるくらいの青い宝珠を、魔女は彼の裸の胸に押し当てた。

融合(フュージョン)

 小さな囁き。呪文による詠唱の一瞬で、その宝珠は彼の胸に半分埋め込まれた。

 と、彼は自分の身体がにわかに活発な活動を始めるのを感じた。

 魔女の修復魔法だけでは、すぐにまた朽ちていくその速度を押さえることはできない。だが、宝珠が始動した途端、身体の修復は常に活発化された状態になり、脆い肉体が再び強度を取り戻したのを彼は感じた。

「これは……一体?」

「霊力を魔力に変換し、その魔力を修復魔法に自動行使する特殊な宝珠さ。どうだい?」

 彼は腕を振り、数歩歩いて見せた。

「動けます。これまでとは段違いです」

 魔女は彼をじっと見つめた。


「その修復魔法は、お前が死んでまだ身体が生暖かいその時点に、時間を常に戻そうと働きかける。しかし、霊体であるお前の記憶はそれでは戻らない。霊体の記憶は、幽子結合度が上がれば戻るかもしれない。それには『個』としての活動が必要だ。かりそめの身体ではあるが、その状態で活動を続ければ、もしかしたら記憶が戻るかもしれない」

「ありがとうございます、魔女よ」

 彼は深々と頭を下げた。

「よしな。あくまで可能性だ。それに、記憶が戻ったって、お前は死ぬことができるだけだ。(むくろ)に感謝されても仕方ない」

 魔女はひらひらと手を振った後、彼の着ていた鎧を拾い上げた。


「けど、手がかりはあるようだよ。鎧の裏に名前が刻んである。『ヒーリィ・レイフィールド』。お前の名前じゃないのかい?」

「……判りません。しかし、そう考えるのが自然のようです」

 彼はそう答えた。

 魔女は鼻で笑った。

「ま、とりあえずお前を(むくろ)と呼ぶことにするよ。まあまず、この洞穴から出ることさ。手がかりを探しに何処へ行くにしたって、お前のそのなりじゃ何処にもいけやしない」

 魔女は薄く笑いを浮かべた。


 ヒーリィは魔女と一緒に洞穴を歩き始めた。魔女の持つ杖の先に付いた魔晶石が輝きを放ち、暗い洞穴内を照らしていた。やがてしばらくの後、二人は洞穴の外へと出た。

(む――)

 眼を突き刺すような陽光。それが眼に厳しい陽射しであるのは判ったが、彼には痛みも眩しいという感覚もなかった。ただ、その生まれて初めて見るような太陽の明るさに、彼は茫然と立ちすくんだ。

 辺りは森であった。二人が出た洞穴は切り立った崖の横壁にあり、その周囲は樹木が生い茂っている。ただ、洞穴の入り口だけが僅かな隙間から漏れる陽射しを浴び、一歩進めば薄暗い森へと踏み込むことになった。

 彼は魔女の後ろを黙って歩いた。森を歩く間、魔女は振り返ることなく彼に話しかけた。


「ここは霊樹海付近、トリアム国領にあるクレスの森の奥だ。あたしはこの森に一人で住んでるが、あの崖の洞穴を見つけていい水場になるかと思い探索してみた。しかし見つけた泉にはお前がいたってわけさ。この近辺に覚えはあるかい?」

「……いえ。まったく覚えがないようです」

 彼の言葉に、魔女は予想通りというように言葉を続けた。

「だろうね。お前の鎧はこの南方地域の様式ではなく、どちらかといえば北方様式だ。それにその細工は年代ものだ、ここ数年なんてもんじゃない。恐らく、三十年以上前――つまり魔動大戦以前の物だ。お前は恐らく、三十年間も死体と一緒に漂ってたんだろうよ」

「三十年……その戦争で私は死んだのでしょうか」

「多分ね。魔動大戦の主な戦場は、北方のタミナ辺りだ。あの辺はヒカルド湖に流れ込む川も多い。そこで死んで湖に流れ着き、地下水流を通って南方までやってきた……そんなとこじゃないかね。ま、推測に過ぎないが」


「戦争は終わったのですか?」

「終戦協定が結ばれたのが降天歴980年、つまり今から三十三年前だ。けど、戦争は終わったとは言えないだろう。大きくはないが、あちこちで戦争は常に起きてる。そしていつも誰かが死んでいる」

 そう言うと、魔女はむっつりと黙った。

(怒っているのだろうか)

 暗い森を迷うことなくずんずんと進む魔女の小さな背中を見て、ヒーリィはそんなことを思った。 

 やがて森の少し開けた場所にある、一軒の小屋へと二人は辿りついた。小さな小屋は丸木を組んで作られたもので、周辺には小さな畑や花壇があった。

「立派な小屋ですね。魔女殿が作られたのですか?」

 ヒーリィの口から出た言葉に、魔女は振り返った顔を歪めてみせた。


「なんだい、その魔女殿ってのは。おかしな呼び方だね」

「では、お名前をお聞かせ願いたい」

 魔女は少し考えた。

「……ま、いいよ、魔女殿で。小屋は木こりが残したもので、あたしがここに来た時は朽ち果ててた。それをお前同様、魔法(バジック)で修復したんだ」

「そういえば……三十年もの時を経て朽ちたものを修復するなど聞いたことがありません」

 魔女は片眉を上げて見せた。

「三十年前に比べれば魔法は発達してるからね。まあ、入りな」

 ヒーリィは少しためらいを覚えた。と、その様子を見て、魔女が皮肉そうな薄笑いを浮かべた。


「まさか、お前が男であたしが女、なんてことを意識してるんじゃないだろうね。言っておくが、お前は(むくろ)。どんな欲望もありはしない。性欲はおろか食欲、睡眠欲にいたるまでお前には無縁なものだ。ただ、人間らしい生活を模倣していれば、少しずつ『個我(パーソナリティ)』が形成され幽子結合度が密になる。そうすれば何か思い出すかもしれないってことさ」

「そうですか」

 魔女は片眉をあげて、さらに付け加えた。

「安心しな、あたしにも死体と寝る趣味はない。とにかく、そんな腐ったぼろ雑巾のようななりじゃあ、人間性もへったくれもないからね」

 魔女はそう言い捨てると、首を振って中に入るように促した。ヒーリィはおとなしく、それに従った。


 小屋の中は意外に広い印象があったが、それが調度品が少ないからだということにヒーリィは気づいた。居間には毛織りの絨毯が敷いてあり、棚には本が並んでいる。居間にヒーリィを待たせ、魔女は奥の部屋から服を持ってきた。

「とりあえず、ここにある大きめの服はそれだけだ。それに着替えな」

 無地で厚めの作業着だった。ヒーリィがそれに着替えると、魔女は薄笑いを浮かべて言った。

「さて、じゃあ『人間らしさ』を取り戻すために労働してもらうよ。薪割り、草むしり、畑の虫取りだ。行った、行った」

 魔女はひらひらと手を振った。ヒーリィは追われるように戸外へ出て、言われた労働を黙々とこなした。何の実感もなく、また疲労感もなかった。

(私は、疲れることすら失ったのだ)

 ヒーリィは、比較的確かなものとなった自分の肉体を感じながらも、あくまでそれはただの『物体』なのだという意識を強くした。


 労働の後は夕餉だった。魔女はいつの間にか野菜のスープと鳥料理を作っており、テーブルの上にはパンと葡萄酒も添えられていた。

「座りな。食欲はないだろうがね」

 ヒーリィが言われたまま小さなテーブルの一角に席を取ると、魔女はやおら食事を摂り始めた。ヒーリィは小さな疑問を感じて口を開いた。

「食事の前の祈りは捧げないのですか?」

「神へのかい?」

 魔女は顔をしかめた。

「あたしは神なんか信じない。いるとしたら、そいつはとてつもなく残忍な奴で祈るに値しない」

 魔女はそれだけ言うと、パンを頬張った。

 ヒーリィは戸惑いつつも、自身は善導神ミュウへの祈りを捧げて、食事の真似をした。予想通り、まったく味は判らなかった。


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