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scene5  項王来-xiang wang lai page2

項王来-xiang wang lai・8


 痛さに顔を強張らせ、貴志は咄嗟に頭突きを見舞うが、源龍上手くかわして、どっかと座って、兎の肉を口に放り込む。

「ふん、腐れ儒者め。そんな無用の長物切り取って、宦官になってしまえ」

 屈辱を感じた貴志は咄嗟に斬りかかろうとすると、

「やめて」

 麻離夷が飛び出し、貴志の手を掴もうとしてしくじり、剣を握ってしまった。その白い手が、血で赤く染まる。

 はっとして貴志は剣から手を離し、麻離夷も剣から手を離し。剣はからんと音を立て、地に落ちた。

 羅彩女も水朝優も、源龍も、目を瞠って(みはって)、この成り行きを眺めていた。

 麻離夷の掌は傷つき、身を縮め丸くなってかがみこみ。貴志は「すまない」と繰り返しながら、かたわらに座り、服を裂いて麻離夷の手に巻く。

 気まずい沈黙が流れる。

 この間、水朝優は自分たちに追っ手がないことを薄々気味悪がっていた。趙高が自分と麻離夷に疑いをもっていることは知っていし。香澄を連れて華山を下りたことが、逃げ出すためであったことは気付いているはずなのに。

 それともうひとつ、香澄。麻離夷の笛の音も効かず、灯火に惹かれる蛾のように項羽に寄り添って。

(俺があばいたのは確かに香という家の、香澄という娘の墓であった……) 

 脳裏に、嫌な予感が閃いてくる。まさか、と思いつつも。そのまさかのように思えてならなかった。

 まさか、やはり、香澄の魂が少しでもその肉体に戻って宿ってしまったのか。そこへ来て。

(あの時、項羽は虞といった。あの様子からして、ただならぬ想いを抱いていたようだが。まさか、香澄は虞という娘に似ていて。それを、項羽が……)

 なんという偶然であろうか。こんなことがあるのか、と内心驚きを禁じえなかった。香澄は、項羽の気持ちに感じ入ったのだろうか。屍魔でありながら。

 思えば香澄は不思議な屍魔であった。よく出来たといえばよいのか、出来てしまったというのか、それともあれは失敗だったか。自分の意志を持つというのは、まあともかくとして、絶対服従をさせる笛の音が効かなくなるとは。まさに、蘇ったといってもよかった。

 アスラやヤクシャは、どうこう言っても人間の下僕からは抜け出せないでいるのに。だからこその、屍魔なのだが。

(反魂玉がなければ屍魔は屍に戻る。もしそうなったら、香澄はどうなるだろうか)

 華山のあの洞窟内に、反魂玉が飾られている。どういう理屈か知らないが、反魂玉があれば屍魔は「生きて」いられて。それが砕けたりしてなくなれば、数日のうちに屍に還る。

 この反魂玉をつくるのが、一番厄介であった。趙高も何度諦めようとしたことか。それを水朝優と麻離夷の協力あって、ついにつくり上げてしまった。

「狡兎死して走狗煮らるる」

 すばしっこい兎を狩ったら、もう狩りの犬はいらなくなって、煮て食われてしまう。という意味の言葉を、ぽそっとつぶやいた。

 そのとき、

「ふん、付き合ってらんねえな。俺は行くぜ」

 気まずい沈黙にこらえきれず、源龍は肉を食い終え、蒐弐十に打ち跨ってどこぞへとゆこうとする。「どこへゆく」と水朝優が問えば。

「韓信のところへ」

 とだけ答え、ぱかぱか蹄の音をさせながら遠ざかってゆく。

(韓信。こいつは、韓信を知っているのか? そうだな、流民のように彷徨っていても仕方がない。俺たちも一緒に行くか)

 と肉をあぶっていた火を消し、

「待て、俺たちも一緒に行く」

 と源龍についてゆく。無論他の皆も一緒で、羅彩女は「待ちなよ」と慌てて那二零に乗ってついてゆき、麻離夷も水朝優にしがたい。貴志も行く先もなく憮然としつつも、麻離夷が行くのなら、とついてゆく。

 源龍はついて来られて、いかにも面倒そうな顔をしたが。勝手にしろ、とばかりに無言で前のみを見て蒐弐十を進ませて。

 そのくせ心の中で、

(前のようなへまをせず、今度こそ礼をもって韓信さんに取り入らないと)

 とか考えていた。

 劉邦はというと。突然の項羽襲来に胆を冷やし、幾度かの危機もあったがどうにか乗り越え、ほうほうの体で命を生きながらえさせて。再起を図っていた。

 その再起を図るのひとつが、劉邦が項羽と対峙する一方で、韓信に別働隊を率いさせ、諸国を平定させるというものであった。韓信は項羽襲来の折りよく戦い、劉邦の逃亡を助けた。国士無双とうたわれるほどの、その軍事的才能は劉邦以下漢の者たちも一目置くところだった。

 源龍らが韓信軍と接触したのは、この時だった。

 この時ばかりは、前回と違って待遇も良く。あっさりと軍に加わることを許された。その変わりように、かえって源龍が戸惑ってしまったほどだった。無論、羅彩女たちも一緒だ。

「あの、項王と互角に渡り合うほどの豪傑と知っておれば」

 と、前に源龍を見下していた家来までもがやけに親しげに話しかけてくる。あの乱戦で、項羽に挑むだけでもたいしたものなのに、互角に渡り合ったのだ。おかげで韓信軍は壊滅を免れ、それ以来、あれは誰だと皆が噂しあい。かの家来は、先の言葉の通り、ぞんざいに扱ったことを悔いていた。ちなみに香澄のことは、韓信軍が引いたあとのことなので、知る者はなかった。

 それよりもなによりも、一番喜んだのは、当の韓信であった。

「いやあ、俺の目は間違いではなかったな。お前に剣をやって、正解だったよ」

 とある夜、小さいながらもわざわざ酒宴をもよおし、その機嫌もすこぶるよかった。大勢でわいわいやるよりも、少人数で、心置きなく、という源龍の飲み方の好みに合わせてのことだった。

 酒を酌み交わしながら、

「お前も偉くなったなあ。いつの間に家来をつくった」

「いや、家来じゃなくて、勝手についてきたんだよ」

「ふーん、もてるのを自慢したいのか」

 にやにやと、羅彩女を指差す。

(これが、あの韓信か)

 羅彩女はずっこけそうな思いだった。国士無双、名うての戦上手とその評判は上々で実際に羅彩女もあの時の乱戦で韓信の戦ぶりは見ていたが、機を見るに敏、まさに噂にたがわぬ駆け引きのよさには、感心したものだった。

 それが、源龍とくだらない笑い話に興じている。

「なんなら、やろうか」

「ほんとか」

「こらこら、勝手なこと言いっこなしだよ」

 自分をいやらしい目つきで眺める国士無双を、きっと見据える。

「いや、やめとく。身体が持ちそうにないでな。あれの相手がつとまるのは、項羽と互角に渡り合ったお前だけだろう」

「女は得意じゃないか」

「まあな、戦のようにはゆかぬ」

「ふうん、そうかなあ」

「大将で軍を率いればわかるさ。なんなら、お前に一軍をやろうか」

「いや、俺は大将の器ではないよ」

「そうか、だがお前さんがいれば百万の味方を得たも同然だ」

「そう言ってくれるのは嬉しいが……」

 源龍は杯を持ったまま沈思する。今回は上手く韓信軍に加われたが、いかんせん別働隊、項羽と直接戦うことはない。それが気がかりだった。

 項羽は王であり、江湖の一剣客が相手をするにはあまりにも規模が違う。そこで知り合いであった韓信の軍に加わり、項羽と刃を交える機会を得ようとしたのだったが。当てが外れた思いだった。

「そうそう、あたしはこいつが項羽とどう戦い、どうぶっ殺されるか見たくてついてきてるんですよ。変な勘ぐりは、おやめになってくださいましね」

 と羅彩女は酒に酔い朱に染まって火照った顔で、からから笑う。それを聞き、韓信はなるほどと相槌を打つ。

「ほう、項羽とやり合いたいというのか」

 好奇にあふれた、まるでわらべのような笑顔をもってからかうように言う。源龍は気まずそうに愛想笑いをし、

「うん、まあ、そうなんだ。あんたのところに行けば、やれるか、と思ったんだがな」

「おお、そうかそうか、はっはっは」

 なるほどあの時項羽に突っ込んだのは、何も単純に韓信のためでも手柄のためでもなかったということがわかって、韓信はなおさら愉快そうに笑った。

「下心があったんだな。その方がお前さんらしくていいじゃないか。まあ、しばらくは項羽とやりあえんかもしれんが、仕事が終われば、やれる機会もあるさ。その間に討たれでもすれば、それは、所詮項羽もそれまでの者だったということさ」

「韓信さん……」

「つまりは、お前には、どうしても俺の手伝いをしてほしいのさ」

 さてはてと思いつつも、ここまで自分を必要としてくれていることがわかって、源龍も悪い気はしなかった。士は己を知るもののために死す。ふと、その言葉が浮かんだ。

「しかし、他の連中は無愛想だなあ。皆で一緒に飲んだ方が楽しいのに」

「ふうむ……」

 そのころ、貴志や水朝優、麻離夷は韓信の誘いを断って、思い思いに夜を過ごしていた。韓信もおおらかというかおおざっぱというか、別にこれを無礼とも思わず好きにさせた。

 水朝優は疲れたとさっさと寝て。麻離夷は酒が苦手で、酒宴を避けひとり夜空を見上げていて、後から貴志も一緒になって夜空を見上げていた。

 夜空には北斗七星が浮かび、ほかの星たちとともに白く輝いている。その脇、柄の第二星の脇、にある小さな星、輔星ほせいもかすかに輝いている。死が近いものは、輔星が見えなくなるという。

 夜になって、その輔星を目にし、ふたりは今も生きているということを感じていた。


scene5  項王来-xiang wang lai 了

scene6 遠征 に続く


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