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scene9 死闘

死闘・1


 が、先が思いやられようがどうしようが、歩を進めれば嫌でも目的地には着くもので。

 一行は、華山のふもとにある典余てんよという町の近くまで来た。

 水朝優と麻離夷は華山にいただけに、この辺の地理に詳しいもので。

「もうすぐ町だ。今夜はそこで休んで、明日華山にのぼろう」

 と言おうとしたが。

「いや待て、ひどく疲れた。町に入る前に、ひと休みしよう」

 と言うと、下馬してどっかと道端に座り込み腰兵糧を口に放り込みもぐもぐと食いだす。それを見て、どうしたんだと思いつつも、ひとりが疲れたというと他の者まで疲れをが溢れてくるようで、皆水朝優にならって、ひと休みして腰兵糧で腹ごしらえをすることにした。 

「どうしたんです、水朝優さんらしくもない」

 と貴志が言う。

「俺だって人間だぜ、そんなときもあらあな」

「はあ、そうですか」

 少しくらいのことでへたばることのないこの男が、どういうわけか町を目前にして休もうと言い出すなど、珍しいことだったので、貴志は話を聞きつつもちょっと意外な思いに打たれていた。

 休み始めたときには、陽は中天にあったものの。気がつけば陽は山に没しようとして、宵に差し掛かる時刻。 

 休んで疲れを癒し、腰兵糧で空腹もまあ満たし、さてゆくかとそれぞれ騎乗して馬を歩かせ始め、しばらくしたときに、何やら異変があった。

 人が道端で死んでいた。

 このご時勢、道端に死人など珍しくもないし、道中やはり何度か死人には遭遇し。また山賊の類にも遭い、これはやすやすと退けたのはいうまでもない。

 だがしかし、どうも、その死人は様子がおかしかった。というのも、刃で斬られたのでもなく、槍や矛で突かれたのでもない。まるで獣に食い荒らされたかのように、あちこちにちぎれた肉片と血を撒き散らし、ぼろぼろに全身を食い散らかされたように死んでいたのであった。

 それを見た一行、特に水朝優と麻離夷は、身を硬くすること尋常でない。

 源龍と貴志、羅彩女も異変をさとって、獲物を構え警戒する。

「獣?」

 羅彩女はぽそっとつぶやいた。野犬か狼、はたまた虎にでも食い殺されたのだと思った。

 いやその方がどれだけましであったか。

 水朝優は汗が頬から顎にかけてしたたり落ちるのを禁じえなかった。

(まさか華山から下りたのか)

 ということは……。

(刑天が出来たのか!)

 趙高は、華山で屍魔の軍団をつくりあげようとしていたわけだが、その仕上げが、刑天であった。刑天が出来れば、屍魔の軍団は下山し天下を蹂躙するという段取りであったが。

「刑天などつくることは出来ぬ、とたかをくくっていたが、出来たのか」

 そのつぶやきに、源龍と貴志、羅彩女は耳を疑った。刑天は神話上の鬼神なのだが、それが出来たとはどういうことだ、と。

 その時、

「ぎゃあ」

「ぐえ」 

 という、人が潰れたひき蛙のような声を上げるのが聞こえ。すわっと、その方を見れば。

 あろうことか、人が人にかみつき、食い殺そうとしているではないか。食う方は、死人そのものの真っ青な顔をしていやに無表情でありながら、相手の腕に力いっぱいかみついて、その肉を、ばりっと食いちぎった。食われる方は、貴志の見知った顔だった。

 それは張良の密偵で、かつての貴志の同僚だった。

 どうやら、密命を遂行するかどうか密かに見張っていたようだ。が、それを遺憾に思うどころではない。

「な、なんだこれは!」

 屍魔を知っているとはいえ、それが人を食い殺そうとするところを見るのは初めてのことだったので、さすがに源龍も貴志も、胆を吹き飛ばされるような思いだった。何も知らなかった羅彩女は、この異常な光景に魂を奪われたように、呆然と軟鞭をたれ下げ。馬も人の驚きを察し、けたたましくいななき、脚をばたつかせる。

「た、助けてくれ、助けてくれ!」

 密偵はまさに阿鼻叫喚し。餓えた屍魔は数匹の群れで二人の密偵にまとわりつき、身体のところどころに噛み付いては、噛み千切り。その食いっぷりすさまじく、あっという間に骨が出、臓物も腹からぶら下がって、それにまで屍魔は歯を立て噛み千切っては、己の胃袋におさめてゆき。

 ついには、密偵は人間から肉片と成り果てた。

 あわれ密偵はどこぞにひそんでいるのを嗅ぎ付けられて、餌食にされてしまった。そして次は、言うまでもない。屍魔のくせに生意気にも血で赤く染まった口でげっぷをして、源龍たちに襲い掛かってきた。

 さすがに腑抜けていたのも、これで目が覚めたか源龍は股夫剣を構え、那二零を落ち着かせると、だっと駆けさせて屍魔に斬りかかって、あっというまにそれらの首を刎ね、屍に戻す。

 ぜえぜえと、源龍は怒りとも狂喜ともつかぬ光りを目から発して大きく息をする。すると、

「うああ……」

 といううめき声がした。まだ誰かいるのか、と思ったら。木の陰草葉の陰から、たくさんの屍魔が群がり出て、一行を餌食にしようとする。

 その数ゆうに百は下らない。どうやら、典余の町周辺は屍魔どもに襲われて、死地とされてしまったようだ。

 これにはさすがに衆寡敵せずと、

「逃げろ!」

 と水朝優が叫ぶと、皆一斉に馬を駆けさせた。しかし、どこへ逃げればよいのであろう。今来た道は、どこから這い出したか屍魔でいっぱいにうまって、とても切り抜けられそうにない。だが逆に町への道は、比較的空いていて切り抜けられそうだ。

 やむをえん、と町へ向かってにげようとして、水朝優ははっとして、

「上!」

 と叫びながら、顔を上げて上空を指差せば。案の定で、空には背中に翼を生やした人間が鳥そのもののように飛んでいた。ヤクシャであった。

 手には槍を持ち、口には笛をくわえて、屍魔を操りながら地上の様子を面白おかしく眺めていた。

 またも胆を飛ばされる源龍に貴志、羅彩女。これも屍魔なのか。

「張良が言っていた、背中に羽のあるやつがいるって。こいつがそうなのか」

「そうだ、こいつも屍魔だ」

 町へ駆けながら、一行は問答を繰り広げる。

「ってことは、六本腕の屍魔もいるってのか」

「ああ、そうだ」

「お前の言ってた刑天も、屍魔か」

「そうだ」

「香澄も、同じようにつくったのか」

「そうだ」

「……」

 それから無言になって、迫る屍魔を獲物で打ち払いながら、町へ駆けた。で、町に着けば着いたで、一行は立ちすくんだ。

 そこは、死の町と変わり果てていた。

 陽は山に完全に没し、かわって夜が満月をともなって訪れた。

 やけに月は丸く、憎たらしいくらいに明るく地上を照らしていた。月光照らすこの地上、源龍らが駆け込んだ典余の町に生ける人なく。かわって死より蘇った屍魔が跳梁跋扈し、死肉をむさぼっている。その中には、六本腕の巨漢の姿も見受けられた。アスラであった。


死闘・2


 町のあちこちで火の手も上がり、火の手は夜空より降りそそぐ月光を払いのけるように、その龍舌を燃え立たせ、死の町を照らし。そこはあたかも地獄が地上に浮かび上がったかのようだった。

 いかに百戦を経た歴戦のつわものとて、この光景に胆を冷やさずにはおれず。貴志に羅彩女はもちろん、源龍すら身震いして震えを覚えるほどだった。

 貴志は何かを踏んだ。それは変に柔らかく、何だと思ってみれば、人の手で。慌てて後ずさるあまり、転びそうになって。

 羅彩女は何かを蹴ったかと思えば、それも軟らかにしていくらかの重みもあり。見てみれば、自分と同じ年頃の女の、首のない屍で。首はどうしたのかといえば、屍魔が球で遊ぶようにしてもてあそびながら、上手そうに食していた。

 あまりの光景に、思わず口に手を当て、空腹であったにもかかわらず中のものを戻す始末。

 幸か不幸か見慣れてしまっていた水朝優と麻離夷ではあったが、それでも戦慄を覚えずにはいられなかった。

 源龍すら、身動きひとつせず、この地獄の光景に魅入られたように呆けている。それでもどうにか口はようやく動かし、水朝優に語りかける。

「香澄も、こんな風に人を食っていたのか」

「いや、香澄は人は食わなかった。食わさなかったさ。俺でも人の心はあるさ」

「人を食わなくても生きていけるのか、屍魔は」

「まあな。剣技も優れていたし、わざわざ人食いにする必要もなかったし、それに……」

「それに?」

「呉王を腑抜けにした西施よろしく、項羽か劉邦に近づけさせるつもりだったからな。間違って近づけさせた男を食ったら、意味がないだろう」

「なるほど」

 なるほどと言いつつも、源龍はけったくその悪さを感じてやまない。屍魔が人を食うのではなく、それをつくった人間が屍魔に人を食わせていて、さらに屍魔を人間の妾にまでしようとし、真に恐ろしきは人の心であることを、まざまざと見せ付けられる思いだった。

「何をごちゃごちゃとくっちゃべっとる!」

 どっと溢れんばかりに吼えたけるものがあった。六本腕のアスラだ。

「お、用済みの水朝優に麻離夷か。そうか、わしらに食われに来たか」

 と言うと、すかさず夜空よりヤクシャがアスラのそばに降り立つと、

「助太刀、いや馳走も持って来てくれるとは、これは祝着。見れば女もいるな。では、ありがたくいただくとしよう」 

 源龍らは何かを言い返そうとしたが、問答無用とばかりにヤクシャは笛を吹く。が、音はしない。それは屍魔にのみ聞こえるように細工された音無しの笛のようだった。

 死肉をむさぼっていた屍魔は、見えない糸に操られるようにして、源龍ら一行に群がってくる。それを見て、麻離夷ははっとしてヤクシャに問うた。

「彭城で香澄が言うことを聞かなくなったのは、まさか」

「左様。私はお前らの後を着け、上空からこの笛をもって、香澄をあやつったのよ。今さら気付いたか」

「音無しの笛は、出来ていないと趙高様は……」

「ふん、裏切り者にほんとうのことを教えると思うか。浅慮者め」

 計られた。すべて見通されていた。麻離夷は打ちつけられる思いだった。ただでさえ恐怖に打ちのめされているというのに。もう今の時点で、心は粉微塵に砕かれたようで、思わずよろけて、貴志があわてて支える。

「ええ、ごちゃごちゃうるさいわい。助っ人など呼んでわしらを退治しに来たんじゃろうが、返り討ちじゃわい」

 アスラがわっと吼えると、屍魔たちは問答無用と一斉に飛び掛ってきた。

 馬上よりそれを迎え撃とうとした源龍に羅彩女、貴志ではあったが。この屍魔どもの鬼気に気圧されたか脚をばたつかせるばかりで、とても乗れたものではない。

「馬から降りろ!」

 咄嗟に水朝優がそれぞれの馬の手綱をとる。言われるとおり、馬が使い物にならぬとなれば徒歩立ちでやらねばならず。馬を水朝優に預けて、源龍らは地に飛び降る。

 そこへ、アスラの激しい一撃が飛んでくる。

 はっと危うくかわし、股夫剣を閃かせる。だがアスラもさるもの、これもさっと後ろへ飛びのいてへへへとうすら笑みを浮かべる。

「てめえ、その六本腕叩き斬ってやろうか」

「ふん、小僧、声が震えておるぞ」

 源龍はちっと舌打ちする。図星だからだ。さすが百戦を経た源龍ではあったが、この世のものとも思えぬ屍魔や、屍魔のつくり上げた死の町に戦慄を覚えっぱなしで。そんな自分にも歯噛みしていた。

(俺は強い者を求めていたのではなかったか)

 アスラの六本腕が握る六本の剣が、とどまることなく次から次へと襲い掛かり。それをかわすのに、必死で手も足も出ない。今までそんなことはなかった。楚の猛将龍且を討った。その前は項羽と互角に闘った。その自分が、屍魔には引けをとっていることが何よりも源龍の心胆を寒くした。

 貴志と羅彩女は溢れんばかりに襲い来る屍魔の雑魚どもをひたすら屍にもどしてゆく。一匹一匹はさほど強くないのだが、いかんせん数が多く倒しても倒してもきりがない。

 馬を預かっている水朝優も片手で手綱を握りながら、片手で剣を振るい襲い来る屍魔どもを追い払いつつ、いつの間にか夜空に上って悠々と下界を見下ろすヤクシャを見上げて、にらみつけた。

「高みの見物か」

 と、ぽそっとつぶやく。麻離夷はというと、その細腕でも持てる短刀を握りしめて、いつの間にか貴志と手を取り合っている。彭城のときから、ふたりはこんな感じだった。

 ふと、麻離夷の脳裏に、ここまでの来し方が思い浮かんだ。後にアスラに阿修羅、ヤクシャに夜叉と字が当てられたのと同じように、言うまでもなく、麻離夷も当て字だ。

 長城のはるか向こう、はるか西方の大地で生まれた。同じ髪と目の色の部族の集落の中で、両親や兄弟たちと静かに暮らしていたのが、部族間抗争の争乱に巻き込まれ家族は離散し、逃げに逃げ惑った。その果てにたどり着いたのが、大月氏の国だった。

 生きるために、風習や言葉の壁を越えねばならなかったが。その挙句に、秘術すら覚えねばならなかった。あろうことか、麻離夷はある集落にかくまわれたが、死人を蘇らせる秘術をこなす魔術師が村を統べる集落だった。

 異邦人である麻離夷は、その魔術師に態よくこき使われる奴隷として扱われた。そんなときだった、水朝優が秦より不老不死の秘術なり秘薬をもとめて、大月氏の国へ来たのは。

 麻離夷はすぐさま水朝優に事情を打ち明け、救いを求めた。奴隷として魔術師に使えていた麻離夷を、水朝優は哀れに思いつつも利用できると踏んで、彼女を秦に連れて帰った。が、秦はすでに滅んで、趙高が華山に潜んでいるのを突き止めてから、今に至った。

(しかし……、うまく休めたもんだ)

 水朝優もやはり百戦を経た勇士である。勘が働いたのだろうか、さきほど少し休んだおかげで、体力は回復して戦うに余裕があった。無論彼としても、死の町が出来上がっていたことは知らなかったので、自分で密かに驚いてもいた。

(屍魔どもは人間と違い卑怯も糞もない。どうする)

 人間にすら恥を知らず卑怯を何とも思わぬ者もある、屍魔ともなればなおさらだった。現にヤクシャなどは空を飛べるのをよいことに、屍魔どもに戦わせて自分は高みの見物を決め込んでいる。

 アスラは源龍に挑みかかり、とどまることを知らず。六本の腕の剣はそれぞれが意志あるもののように、自由自在に動いては源龍を串刺しにしようと迫ってくる。

 それ以前に、いまいる死の町と、それをつくり上げた屍魔どものおぞましさと、アスラの六本腕の姿に肝も縮み上がり股夫剣を握りしめ防戦一方だ。

 貴志と羅彩女も屍魔どもを打ち払いながらも、死から蘇り死肉を食らった化け物そのものの姿に怖気を禁じえない。 

 それまでの合戦など、屍魔どもとの戦いに比べればまだましであるとさえ思えてくる。それと、貴志は香澄のことも思い浮かべた。屍魔ながらも可憐な姿の香澄が、いま打ち払っている屍魔どもの仲間だと思うと……。

「許さない!」

 突然吼える貴志。彼は今、屍魔どもの醜さに怖じるよりも、生命をもてあそぶ所業がいかに狂っていることかと、怒りも覚えるのであった。


死闘・3


 皮肉なことに、もともとが真面目で謙譲な性格の貴志であるからこそ、いざというときにおのずと気が引き締まっているようだったが。それに反し源龍はなまじおのれに自信があるため、おのれを超える者が現れたときに自信が揺らぎ動揺を禁じえなかった。

 アスラに押されっぱなしの源龍を見て舌打ちすると、

「彩姉さん、麻離夷を頼む!」

 と麻離夷を羅彩女に託してアスラに突っ込んでゆく。屍魔いっぴきいっぴきはたいしたことはない、となればわざわざ相手せずに大将格を狙った方がよさそうだとの判断だった。

「あ、こら。勝手に押し付けるな!」

 いきなり貴志から突き放され狼狽する麻離夷をかばいながら、羅彩女はその背中に叫ぶ。しかし声は届かず、そうこうするうちに源龍とふたりでアスラの六本腕と渡り合っていた。

「はっははは! 来いよ来いよ。お前ら人間どもが何匹来ようとも、この俺様に勝てるものか!」

 火でも吹くようにアスラは吼えた。さすが秘術で蘇ったのみならず人外の化け物としての力もあるだけに、言葉に偽りなく、源龍はもとより加勢した貴志すら翻弄する。

 ふたりとて無論されるがままであるわけもない。もとより加勢など求めぬ源龍であったが、ここはそんなこと言いどころではなく、咄嗟に互いにふたり目を合わせて、右から左、前から後ろとどうにか隙を見て剣を繰り出す。

 が、しかし。六本の腕はうねうねと動きふたりの剣を阻んで攻めを封じることキリがなく。どうにも源龍、貴志は攻めあぐねた。

 空ではヤクシャが月を背にして、下界の様子を楽しげに眺めている。

「やはり、人間というものは愚かなものだ」

 口元をゆがめ、にやりと笑うと。槍を握りしめ、大きく振りかぶって地上

へと投げ落とした。その先には、麻離夷がいた。

 雑魚どもを軟鞭で打ち払う羅彩女は、はっとして上を見上げて、

「危ない!」

 と軟鞭を振るった、しかし。

「ああっ!」

 耳をさすような悲鳴。

 なんたることか、羅彩女の軟鞭間に合わず。ヤクシャの投げた槍は惨くも麻離夷の胸を刺し貫いていた。

 迂闊であった。貴志は目の前のことにいっぱいいっぱいになって、空のヤクシャを忘れていたのであった。羅彩女は雑魚を打ち払うのに夢中になり、水朝優は馬のお守りと雑魚の始末でこれもいっぱいいっぱい。無論源龍はアスラと渡り合ってよそ事に気を回す余裕もなかった。

 刺し貫かれた胸は朱に染まり。口からも次々に血が溢れ、とどまることを知らなかった。

「麻離夷!」

 貴志は血を吐くように叫んだ。それと同時に襟首をつかまれ、後ろへ引き摺られるとともに目の前をアスラの振るう剣の一閃が飛んだ。

「馬鹿野郎! 余所見をするな!」

 襟首をつかんで引き摺ったのは源龍であった。歯を食いしばり、アスラをひとりで引き受ける。貴志は源龍の言葉など知らず、

「麻離夷! 麻離夷!」

 と弾かれるように叫びながら、叫んだのか、叫ばなかったのか、わからないまま麻離夷のもとまで駆け寄るも。彼女の碧い瞳に光なく、槍貫く胸は朱に染まり、口からはとめどもなく血があふれる。

 かと思えば、自分に何が起こったのかわからないのか貴志の顔を見て、微笑んで、

「貴志、貴志。長城が見えるわ。長城を越えたらわたしたち……」 

 とささやき、震える手を差し伸べ。貴志はそれを掴む。そうかと思うと、麻離夷は微笑んだまま、そのまま目を閉じて、貴志を引っ張り倒すように崩れるように倒れた。

 息絶えていた。 

 羅彩女も水朝優も痛恨の思いで、なきがらとなった麻離夷を見つめる。

 貴志は麻離夷とともに倒れるようにして、そのなきがらに覆い被さり。

「麻離夷、麻離夷」

 と何度も繰り返し泣き叫んだ。ふたりは、密かにこのことが済んだら長城の向こうに旅立とうと約束をし合っていたが。それは果たされることはなかった。

「おのれ、おのれ!」

 血の涙を滂沱ぼうだと溢れさせ、貴志は狂ったように剣を振るい屍魔どもを打ち砕いてゆき。

「降りろ、降りろ!」

 と空のヤクシャに叫んだ。ふん、と嘲笑をうかべヤクシャはその挑発に素直に乗って地上向かって急降下。

 槍はなく、無手で貴志に空から挑んで。貴志は力いっぱい跳躍し、剣を突き出しヤクシャを刺し殺そうとする。が、その跳躍した足にかぶりつく屍魔。

「うわっ!」

 どん、と地に叩きつけられ、強い衝撃とともに襲う激しい痛み。右足のふくらはぎの肉は、ぶちりと屍魔に噛み千切られ。赤い血潮が、どっと溢れ右足を朱に染め。痛みはさらに激しくなる。そのうちに、ヤクシャは高笑いしながら、空に昇った。

 羅彩女は咄嗟に軟鞭を振るい、貴志の足に噛みついた屍魔の頭を打ち砕いくも。貴志は立つことままならず、よろよろとようやく起き上がれるという始末。それでも、空のヤクシャを睨みつけ、

「お前、殺してやる!」

 と喚きたてる。

 水朝優はぎりっと歯を食いしばり、その屍魔の強さや狡猾さを憎んでいたが、憎めどもそれだけでは相手は倒せない。いやそれよりも、貴志の、血走った目。憎悪と殺気に満ちた目。それは正気を失い、狂気に支配された目であった。

(いかん)

 と思ったものの、愛する者を目の前で殺された者に、どうやってその心を鎮めよと言うのか。さすがに水朝優でも、男女の色恋についてはとんと素人だったので、わからなかった。だが、貴志がすべて望みを捨て去っているのは、わかった。

「貴志!」

 水朝優は叫んだ。しかし貴志には聞こえず、きっとアスラを睨みつけたかと思うと、右足を引き摺りながらも、だっとその方へ駆けてゆく。アスラは笑って、

「わっぱ、死にに来たか!」

 と剣を突き出す。すると、貴志はよけもせず、アスラの右上腕と右中腕の突き出した二本の剣が身体を貫くにまかせて、さらにアスラに迫った。

 これは源龍も止められなかった、まさかそんな自殺行為をしようなど予想も出来なかったから。一瞬唖然と、二本の剣の貫く貴志をながめていると。貴志はすかさず己の剣を振り上げ、アスラの右上腕と右中腕に斬りかかり、斬り落とした。

 その目は怒りと憎しみと、血涙のため真っ赤に染まって。さらに口元から血は溢れ、胸と腹には剣が貫きやはり血にまみれて、そこから剣を握るアスラの腕がぶら下がり、壮絶と言うか、あまりのことに言葉もない。

「おのれ、人間め!」

 まさかそんな風に来るとは思わなかったアスラは仰天し、剣を落として左三本の腕で斬られた右上腕と右中腕の切り口をかばいながら後ずさりし。ヤクシャもまさかという思いに駆られてか、我知らず急降下し、貴志に迫る。

 すると「待ってました」とばかりに、貴志はにやりと笑って。またアスラに向かってだっと駆け出す。駆け出せば、剣を握るアスラの腕が落ち。それを踏み越え、貴志は負傷しているのがうそのように走った。


死闘・4


 アスラは狼狽し手も足も出せなかった、それをいいことに貴志はそれを踏み台にして、力いっぱいヤクシャ目掛けて跳躍した。

「なんだと!」

 またも予想外ことに、ヤクシャは翼を羽ばたかせ上昇しようとしたが遅きに失し、がっしりと左足をつかまれてしまった。それから、蔦をのぼるようにして足から腰、腰から腹へとよじのぼって、剣を腹に突き立てた。

「お、おのれ!」

 ヤクシャは喚いて、貴志の頭に力いっぱい拳をぶつけた。それでも踏ん張られ、落とせもせずに、貴志にしがみつかれた重みと、剣を腹に突き立てられたことで、鳥のように飛ぶことかなわず。地上に向かってまっさかさまに落ちてゆく。

「馬鹿な、馬鹿な。人間ごときに……」

 と言っているうちに、ふたりとも地上に叩きつけられてしまった。強い衝撃に襲われ、目まいのするところへ、また何かが頭にぶつけられて、頭蓋を叩き割られてしまった。

 ヤクシャは屍に戻った。

 ヤクシャの頭蓋を叩き割ったのは、羅彩女の軟鞭だった。

「ありがとう、彩姉さん。恩に着るよ」

 仰向けに倒れ、虫の息で貴志が、そう言った。

「馬鹿なことをお言いでないよ! あたしは麻離夷さん守れなかったんだよ、次の仇はあたしだろ、生きてあたしを……」

「それは……、気にしなくていいよ。わざとじゃないのは、わかってるから」

「だけど、だけどさ」

「気持ちは嬉しいけど、もういいよ。麻離夷が待ってる」

「え?」

 虫の息の貴志に、羅彩女は今にも泣き出しそうにしながら、声をかけるが。その耳にはあまり届いていないようだった。

「麻離夷、麻離夷。今行くから……」

 消え入りそうな声でつぶやきながら、右手を天に向けて上げた。貴志は微笑んでいた。

 それから、力なく右手は倒れ。瞳は静かに閉じられた。

 貴志は、なおも微笑みながら、息絶えた。

「貴志……」

 羅彩女の瞳が濡れ、涙があふれ出る。水朝優も言葉もなく、麻離夷と貴志の死を悼むより他はなく。

 源龍も悲痛な思いに駆られ、その瞳に光りが増して、眼光鋭くアスラを睨みつける。

 股夫剣を握る手に力がこもり、全身から剣気がただよう。それに呼応するように、股夫剣はきらりと光って、震えているようだ。

「ひっ」

 すっかり狼狽したアスラには、さっきまでの強気はなく、ただの化け物と成り果てていた。

 仏教において、驕った修羅が帝釈天に責められ蓮の中に身を縮めて隠れることが伝えられているが、今のアスラはまさにそれだった。

 相手が自分より強い、と感じた途端、あるのは畜生のごとき生存本能のみ。

 雑魚の屍魔どもといえば、自分たちを操っていたヤクシャが屍にかえったことで統率をなくし、思い思いに共食いを始める始末。

 そんな屍魔にもいささか生き物らしいところは残っているのか、源龍や羅彩女らが強いと知ると近寄りもしない。

 そのおかげで、面倒をかけずに屍魔は減る一方だった。

「所詮こんなもんか」

 ぽそっとつぶやく水朝優。大月氏まで旅をして手に入れた秘術も、ひとつ狂いが生じればすべてが狂ってご破算になる。奇跡などなく、結局人間の世界の法則から飛び出すことは不可能だった。

 じり、っと源龍と羅彩女はアスラに迫る。

「た、助けてくれ、死ぬのはいやだ!」

「同じことを言った人間に、お前は何をした!」

 わめいて逃げようとするアスラを、叩き斬ろうと源龍が、叩き潰そうと羅彩女が得物を手にして追いすがる。

 と、何を思ったかアスラが立ち止まった。

 今だ! と源龍の股夫剣と羅彩女の軟鞭が後頭部に叩きつけられる。

 アスラは断末魔の悲鳴を上げて、あっけなく屍にもどった。その顔は、どうしようもないほどの恐怖に歪んで禍々しく、醜かった。

「……?」

 斃したには斃したが、相手があまりにも恐怖におののいているその様を、源龍と羅彩女は不審に思った。そんなアスラの屍に、屍魔どもが群がり、食ってゆく。同じように、ヤクシャの屍にも屍魔がたかる。

 けったくその悪い光景だった。

 源龍は忌々しく地に唾を吐き捨てる。羅彩女は目をそらす。

 だが、その場から離れなかった。

 新たな殺気が、この死の町を覆ってきているのを感じたからだ。

「まだいるか」

 と、心を新たに得物を構えなおす。

 水朝優は、

「来やがった。刑天だ……」

 と忌々しそうにつぶやいた。

 竜舌のような火が鎮まってゆき、かわって夜の闇が町を覆う。その闇の向こうより、やってくる一団があった。

 遠目に見れば、上半身裸の、大斧を持った巨漢を先頭にして、四人の人間のかつぐ輿があった。その輿に、身分卑しからぬ者が乗っているようで。その後ろに、数名の武装した鉄甲兵が随従している。

 殺気はその一団から立ちこめているようで、アスラはそれを察して金縛りにあったのかもしれない。

 近づくにつれ、源龍も羅彩女も、言い知れぬ殺気に縛られるようなものを覚えずにはいられなかった。それと同時に、先頭の大斧を持つ巨漢の姿が見えるにつれて、溢れる殺気は身体を押し潰しそうなほどに五体をしめつけた。

「け、刑天……」

 源龍、羅彩女ともに漏れる声でつぶやいた。それは古代の神話に伝わる鬼神、刑天であった。

 首がないにもかかわらず、源龍と羅彩女の頭ひとつ、いやふたつ分も飛びぬけて背が高く。筋骨隆々とし、腹の口には禍々しい牙が生えて。まさに異形の妖魔そのもので。周囲の空気も、ひとたび刑天に触れればたちまちのうちに殺気に塗りこめらて。

 殺気が全身の毛穴から忍び寄りそうな不快感すら感じた。

 まことこれが人の手によってつくられたのだろうか。秘術をもってとはいえ、今さらのように刑天の異形にアスラやヤクシャ以上の恐れを感じた。

 源龍と羅彩女は、己がいかに小さな存在であるかというのを思い知らされるようだった。

(項羽と互角に闘い、龍且を討ったこの俺が、屍魔に恐れをなすなど……)

 アスラとヤクシャは、正気を失った貴志の捨て身があったればこそ斃せたのだが。

 刑天には、勝てるかどうか。源龍も羅彩女も、自信が持てなかった。

(無様なやつだな、俺は)

 と、源龍は自分をなじる。

 自分は、項羽と闘うことをあれほど願っていた剣士のはずだった。どのような強敵も、望むところであった、はずだ。

 それが、香澄と出会ってから、おかしくなってしまったようで。

 輿に乗る者は、趙高であった。反魂玉を手に持ち、周囲の状況をうかがうと、闇夜でもわかるほどに顔をゆがめ、

「おおお、おおお」

 と声を震わせ呻いている。

 先陣として先に華山から下りたアスラとヤクシャが斃れ、屍魔どもが統率をなくして共食いをしている今のこの光景が信じられないらしい。

 それが、目の前の人間によるものだということは、すぐに察しがついた。

「こはそもいかに。なぜに我らが屍魔の軍勢がこうも敢え無く敗れたのか」

「知れたこと!」

 水朝優だった。趙高に憎悪の目を向け、怒鳴り散らす。

「生命をもてあそぶ外道の所業、それで天を治めることなど出来ぬということ! 自惚れの果てに、命を懸けた勇士によって屍にかえったアスラとヤクシャの無様な最後、見せてやりたかった!」

「う、うぬ。この裏切り者めが。どの面下げて……」

「ふん、この面さ!」

 己を指差し、ことさらに憎悪を向ける水朝優。趙高はもちろん、付き従う鉄甲兵たちもあまりのことにざわめいている。

 華山を下りれば、アスラとヤクシャの屍魔の軍勢が下界を制圧していると、てっきり思いきっていただけに、この動揺は大きかった。

 秘術によって蘇った屍魔、とくに心魂をそそいでつくり上げて、人を超えたと思っていたアスラとヤクシャまでもが、人間の手によって斃されようとは。秦の復興夢にあらず、と華山で屍魔どもに囲まれながら趙高のいうことを信じて耐え忍んできた日々は、なんだったのであろう。

 人間の家来たちの動揺を察して、趙高はこれはいかんと気を持ち直して。刑天を見やった。

(そうだ、まだ刑天があるではないか。また、項羽の愛妾となった香澄もあるではないか。アスラとヤクシャが斃されたところで、何ほどのものがあろう。屍魔など何度でも作り直せるではないか)

 と思うと、にわかに勇気が湧いて、

「面白し。されば刑天を同じように斃せるか否か、やってみせよ」

 と言い、さっきとは打って変わって高らかと笑った。

 水朝優もさっき勇ましいことを言ったのと打って変わって、歯軋りしていた。源龍と羅彩女が刑天を前に、身動きしないことが気にかかったのだ。無論殺気は水朝優も感じている。

 趙高は鼻高々に後ろに振り向き、

「見ていよ、今に刑天が忌々しい人間どもを血祭りにあげてくれよう」

 と鉄甲兵に言うと、彼らも同じように刑天に望みを託して、おおっと喊声を上げた。

「ふん、見たところ、麻離夷と誰か死んでおるの。そこなふたりは震えておるようじゃが、ようもまあそれでアスラとヤクシャを斃せたものよ。刑天は、まぐれでは斃せぬぞよ」

 嘲りをたっぷり含んで、趙高は源龍と羅彩女に言った。徐々に冷静さを取り戻し、状況をよく確かめてみれば、相手も無傷ではないことがわかった。貴志は知らず、麻離夷が死んでいたことをわかって、ざまを見よ、と気分が良くなりもした。


page2に続く


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