第33話『愛桜の心 ①』
翌日。俺たちは予定通り御桜丘でお花見の準備をしていた。
春と言っても18時を過ぎればまだそれなりに暗い。涼香の持ってきたランタンが桜を照らして良い感じの味を出している。もう少し時間が経てば月明かりも加わって更に良い雰囲気なってくれるだろう。
大きく広げたレジャーシートの中心には瑠璃の家の料理人が作ってくれた和洋中様々なご馳走が並んでいる。今すぐにでも食べてしまいたいくらい良い匂いを漂わせているが、はやる気持ちを押さえて飲み物の準備を始める。
「──ではみなさん! 乾杯の準備は大丈夫ですかー!?」
全員に飲み物が行き渡ったところで、俺たちは揃って『おー!』と声を上げる。愛桜は満足気に頷くと、軽く咳払いをしてピシッと背筋を伸ばした。
「では恐縮ながら、私が乾杯の音頭を取らせていただきます」
刹那、愛桜の纏っていた雰囲気がガラリと変わった。
人が何か大切な話をしようとする時、自ずと空気から伝わってくるものがある。それは決して目で捉えることは出来ないもの──心だ。
何も言わずとも伝わることもある。でも、心というのは言葉にするのが大事だ。言葉に乗せることでより一層心が伝わるし、受け取る側も嬉しいのだから。
いつになく引き締まった表情を浮かべる愛桜。それを見た俺たちは瞬間的に、今からする愛桜の話をしっかりと聞いてあげるべきだと判断して口を噤む。
「まずは……私の提案に賛同してくれて、今こうして皆さんと集まれて、私はすごく嬉しいです。ありがとうございます」
律儀に頭を深く下げる愛桜。みんなその行動に驚きはしたものの、誰一人として口を挟まず耳を傾け続けた。
「そんな大袈裟なって思うかもしれません。でも、本当に嬉しいんです。私はこれまで交友関係というものを築いていませんでした。人を信じていなかったんです。誰かと深い関係になるのが……怖かったから」
そこで言葉を区切った愛桜は一度みんなのことを見渡した。
しんと静まり返った空気。耳が痛いほどの静寂が愛桜の話の重さをこれでもかと言うほど表している。
とてもお花見をするような雰囲気には思えない。
でもそれでも、聞かなければならない。これはきっと、愛桜が前に進むために必要な事だとみんな理解しているから。
「目に見えない関係に何の意味があるんだろう。上辺だけの関係なら必要無い。いつか壊れてしまうのなら、信じて悲しい思いをするのなら、私はこれからずっと一人でいい」
言葉の一つ一つに愛桜の心が宿っていた。
それはまるでシャボン玉のよう。触れたら簡単に割れて、愛桜がこれまで経験してきた辛さが溢れ出す。
「けれど、生きている以上、人間関係というのは嫌でも付き纏ってくるものです。それが堪らなく嫌で、いつしか私は……消えてなくなりたい。死にたい──そう思うようになっていました」
死にたい──その言葉が出た瞬間、愛桜が何処か遠くに行ってしまうような気がして反射的に手を伸ばしていた。
それは俺だけではない。ここにいる誰しもが愛桜に向かって手を伸ばしていた。でも、手を伸ばすだけで、誰も愛桜に触れてはいない。直前で止まってしまったのだ。それは──
「──でも、友樹くんに出会って私は変わりました。生きていたいと、そう思えるようになったんです」
愛桜が太陽のように眩しい笑顔を浮かべていたからだ。
それはこれまでの重たい空気を、全部かっさらってしまうほどの衝撃。もう俺たちは完全に愛桜の世界に取り込まれていた。
「多分皆さんはもう知っていると思います。私が友樹くんに特別な感情を抱いているということを。たったそれだけ。特別に思える人と出会えただけで世界が一変したんです」
その笑顔は恋する乙女そのもの。真っ直ぐな想いがオーケストラの演奏のように心に響く。そう思えるのは、これまでの愛桜の言葉に嘘が一つも無いからだ。
「不純な理由だと思われたって構いません。誰がどう思おうと、友樹くんとの出会いが私を変えてくれたのは事実。もう一度踏み出してみようと思えたんです」
愛桜は俺に視線を向けてウインクをすると、そのまま今度はみんなの顔を一人ずつゆっくりと見つめていく。
「だから皆さんとも仲良くなりたいと思いました。友樹くんが信じている人たちを私も信じたい。ただ単純に──友達になりたいって。なので……なのでどうか、最後に一つだけ聞かせてください」
ギュッと握りしめる拳は小刻みに震えていた。
顔は笑顔のままでも、緊張しているのがその手を見れば分かる。
きっとまだ怖いのだろう。人を信じることが。
過去に何があったのかは分からない。そこに俺に吐いた嘘の真実が眠っているかもしれない。聞きたいことは山ほどある。でも少なくとも、今はそれを聞く時ではない。今やるべきことはたった一つ。
「皆さんは──私のことを友達だと思ってくれていますか?」
その愛桜の問い掛けに、誠心誠意答えてあげるだけだ。
to be continued




