第155話『感情の変化』
Another View 瑠璃
「……」
一足先に湯船に浸かっていた私は他のみんなが集まる前に今日の出来事を思い返していた。それは海での楽しかった出来事や友樹さんに今一度自分の想いを伝えたことではなく、身の内に隠す闇を滲み出させていた涼香さんのことだった。
その闇を再び意識した途端、少し熱いと感じるくらいのお湯が冷たく思えるほどの悪寒が走る。私は自分の意思に関係無く、恐怖を押し留めるように自分の身を抱きしめていた。
涼香さんが和也さんに抱く感情の正体が分からない──。
私自身がそうであったように、人には気安く触れてはいけない面というのが少なからず存在する。涼香さんが抱える闇もその類のもので間違いはないだろう。しかし、それが分かったからといって状況が変わるわけではない。むしろより慎重に動く必要が出てきた言っても過言では無い。
『──勘違いをしているよ、九條さん』
不意に涼香さんの言葉が頭の中に蘇る──。
その瞬間、砂地獄のように思考が真っ暗な底に引き摺り込まれる。
『絶対的な信頼関係があれば恋愛感情なんて要らないんだよ』
信頼関係があれば他には何もいらない。つまり、必要が無い。
和也さんの想いが涼香さんに届くことは──無い。
『大好きなとも君とかず君の絆という信頼さえあればわたしは他に何もいらない』
それは和也さんの恋愛感情を根本から否定する言葉だから。
和也さんの想いを涼香さんに届かせる為には、涼香さんの心に根付いている信頼という闇を書き換えるしかない。でも──
『──信頼こそがわたしの絶対なんだ』
どうすれば信頼を恋愛感情に変えることが出来るのか──分からない。
「──っ」
あの時の冷たい目を思い出して、再びゾワっとした嫌な感覚が全身を駆け抜けた。呼吸が不規則になり、立ちくらみをしたかのように目の前が真っ暗になる。
危うく湯船に顔を突っ込みそうになったその瞬間、体を洗い終えた皆さんがこちらに向かってくる声が聞こえてきて私はハッと我に返る。すぐに冷静さを取り戻し、恐怖を表に出さないように私は必死に自分の中に押し留める。
もう一度思考の海に身を委ねる時間は無いし、正直今はもう考えたくない。それよりも今の私を見て他の皆さんが心配しないように少しでも平然を装わないと。
「瑠璃ちゃーん! お待たせしましたーっ!!」
貸切状態になっているのをいいことに、愛桜さんがブンブンと手を振りながら近づいてくる。その後ろに涼香さんと結羽さんが続いていた。
「ねぇねぇるりりん! ここのシャンプーとトリートメントめっちゃ良い香りなんだけど!!」
「素敵なお風呂だね、九條さん。改めて、連れてきてくれてありがとうね」
ニッコリと笑う涼香さんに私は無言の笑顔を返す。
……ほんと、いつも通り過ぎて不気味なくらいですわね。
友樹さんはこの事に気づいているのでしょうか……?
そう問い掛けて私はすぐに考えるまでもないと気づく。長年涼香さんと一緒にいた友樹さんがそれに気づいていないはずがない。そしてきっと和也さんも知っている。私たちにその情報を与えないのは意図的なものだろう。
「いやー、極楽極楽。ふひー……」
「ちょっと結羽ちゃん? おじさんみたいですよ」
「うちらしか居ないし気にしなーい。それよりも折角女子だけで集まっているんだから恋バナでもしようよ」
名案でしょ! とでも言うように結羽さんは私と愛桜さんにだけ分かるようにウインクをする。愛桜さんは当然の事ながら乗り気なようで、やりましょうやりましょう! と意気込んでいる。しかし私には昼間の一件があるから二人のようにテンションを高くすることは出来なかった。しかし、場の空気を壊す訳にもいかず、作り笑いで誤魔化すことにする。
「いいですわね。私の友樹さんへの想いを皆さんにお話しましょう」
「ふふっ、さすが恋のライバル瑠璃ちゃんです。でも、友樹くんへの想いなら私も負けてはいませんよっ!」
「二人のはもう分かりきっているから面白味が無いよね。すずちーは無いの?」
……まぁそうなりますわよね。
私の話題でヘイトを取れるなら苦労しませんわ。
「わたし? わたしなんかよりも星ノ宮さんの話が聞きたいかな」
「えーっ! 嬉しいこと言ってくれるじゃないですかー!」
というか……何だか愛桜さんと涼香さんの距離が朝と比べて妙に近いような? 前に喧嘩して仲直りした時よりも今の方が全然近い。笑顔が自然だし、声色も明るい。私の知らない間に何かあったんでしょうか……。
「でも今は涼香ちゃんのことが知りたいですっ! 友樹くんのことが大切だってのは身を持って知ったので、和也くんはどうなんです?」
身を持って? なんか私の知らない情報が多いですわね……。
でもそれはさておき、和也さんの話題は地雷源に無防備で足を踏み入れるようなもの。止められる状況じゃなかったのは仕方ないとはいえ、昼間のような状況に陥るのは非常にまず──
「かず君のことは……すごく大切だよ。でも、それが好きかどうかまでは……分からない」
「……」
あ、あれー? 私が聞いた時と随分反応が違いませんこと……?
半ば混乱しかけている私を置き去りに話は進んでいく。
「それは幼馴染だからです? 漫画とかアニメだと幼馴染同士は距離感が分からなくなるってよく言いますよね」
「うん。多分、そんな感じ。ずっと一緒に居るのが当たり前だから、自分の中の感情が何なのか分からなくなる」
「それはつまり……その大切だって思う感情は恋かもしれない?」
グイグイ踏み込んでいく愛桜さん。いつ地雷が爆発するか分からず、私はもはや会話に入る余裕すら無かった。完全に蚊帳の外になってしまっている私は、いっその事耳を塞いでしまおうかと思った。しかしその瞬間、涼香さんの口から昼間の会話からは想像もつかない本音が零れ落ちる。
「わたしは……今の関係が変わるのが怖いんだよね」
「幼馴染から恋人にってことです?」
その問いに涼香さんは一瞬黙り込む。何か考えているのか、言葉を選んでいるのか──その険しい表情からはどちらとも捉えることが出来るから判断が付かない。たっぷり数十秒ほど時間を開けた涼香さんはゆっくりと口を開く。
「わたしはね、星ノ宮さん。恋愛感情なんて要らないって思っていた。信頼が、絆があればそれでいいって。わたしにとってかず君はそういう存在だから。何よりも大切で、何よりも必要な、絶対の存在」
根本的な考えは変わっていない。ならば何がきっかけで地雷が消えた?
考えられる可能性は昼間の事件。涼香さんがナンパされた時に何かあったと考えるのが普通だろう。私は何があったのかハッキリとは知らない。駆けつけた時には既に解決していたからだ。
理由は分からないが、涼香さんの感情は和也さんにとって良い方向に進んでいる……ような気がする。不確定要素が多すぎて断言することは出来ない。
「そしてそれは……とも君も同じ。だからこそ、怖い」
「……怖い──そう思う理由を聞いてもいいですか、涼香ちゃん」
「……ごめんね、星ノ宮さん。それは言えない」
「謝る必要はありません。むしろここまで踏み込んで、私の方がごめんなさい」
愛桜さんは湯船に顔をつける勢いで頭を下げる。
それを見た涼香さんが慌てた様子で愛桜さんをなだめ始めた。
私が介入する必要は無いだろう。結羽さんも静観することにしたようだ。
「……」
やっぱりこの計画は一筋縄ではいかなさそうですわね……。
私は他の三人にバレないようにため息を吐いて、ゆっくりと目を閉じた。
to be continued
次回の更新は『4/7 21時』です。
挿絵で使っていたアプリがサ終してしまった悲しみ。もしこの物語のイラストと似たような絵を描ける方が居ましたら教えて頂けると嬉しいです。もちろん有償で構いません。