第151話『黄昏の海辺にて』
あの後、気まずい感じになって折角の旅行が台無しになってしまう──なんてことは一切なく、何事も無かったかのように俺たちは海で過ごす時間を満喫していた。
それ自体は良いことなのかもしれないが、一度起きてしまったことをゲームのセーブデータのように消したり書き換えたりすることは出来ない。今回の一件はみんな胸にしこりのように残り続けることになるだろう。
特に愛桜だ。俺を知っている涼香と和也はさておき、何も知らない愛桜があんな意味深な発言を聞いてしまったら、俺に対して強い不信感を抱いてしまうのは当然と言える。
「……」
時間も時間ということもあり、そろそろ宿泊するホテルに向かおうという流れになっていた。俺と和也はともかく、女の子たちはそれなりに準備に時間が掛かることだろう。
早々にシャワーと着替えを済ませた俺は、全力で髪を洗う和也を放置して海に戻っていた。
「心地良いな」
昼間の騒がしさが消えた砂浜に座り込む。飛び跳ねるくらい熱かった砂浜も、日が陰ればひんやりと気持ちいい。まだ若干火照っている体を冷ましつつ、水面が穏やかに揺れる海を眺め始めた。
何処までも真っ直ぐ伸びる地平線。その上を海鳥が二羽、仲睦まじそうに羽ばたいていた。しかし、もうすぐ完全に日が沈んで夜の時間になる。鳥は一般的に夜目が利かない。あの海鳥たちが姿を消すまでの間、今日の出来事を整理することにしよう。そして気持ちを切り替えよう──
「?」
と、そんなことを考えていると、打ち寄せる波の音に混じって、背後から砂浜をザッザッと踏み鳴らす音が聞こえてきた。その足音は真っ直ぐ俺に近づいており、残念ながら海鳥が去るよりも早く一人の時間の終わってしまうようだった。
「──浮かない顔をしていますわね、友樹さん」
頭の上に落ちてきた凛とした声に、俺は海を眺めたまま返事をする。
「その位置からじゃ顔は見えないと思うけど? 俺は今、綺麗な夕陽を見てテンションが上がっているところだよ」
「ご冗談を。沈んでいく夕陽を砂浜に座って一人眺めている人は感傷に浸っているって相場が決まっていますわ」
「ただ意味も無く眺めることだってあると思うよ」
「昼間のことがなければその可能性もありましたわね」
言いながら瑠璃は俺の隣に体操座りになる。
シャワーを浴びて間もないこともあり、潮風に乗ってシャンプーの柔らかい香りが鼻腔を擽った。まだしっとりと濡れている髪を見るに、ろくに乾かさない状態で俺のことを探していたのかもしれない。
「髪は女の子の命じゃないの? ちゃんと乾かした方がいいと思うけど」
「髪を乾かしていたらみんな揃ってしまいますわ。私は友樹さんと二人きりでお話がしたかった。いえ、友樹さんに謝りに来たんですの」
思いがけないワードに俺は首を傾げる。
「謝る? 謝られるようなことをされた覚えは無いけど」
「すぐに追いかけることができなかったことですわ。本当にごめんなさい」
「……ああ。別に気にしていないよ」
俺の素を見せた時のことを言っているのだろう。
後から合流した時は結羽も含めて普段通りに接してくれていたから、俺はあまり気にしないようにしていたが、瑠璃にとっては今こうして二人きりで話をしたいと思ってしまうくらいに強く印象に残っていたということだ。最も、謝られるのは想定外だったが。
「友樹さんが気にしなくても私が気にするんですの。友樹さんのことを好きだと、お慕いしていると言っているにも関わらず、ほんの少しだけ裏の一面を見てしまっただけで尻込みしてしまった。そんな情けない自分が許せないんですわ」
「瑠璃。君は本当に一途だね。俺のことが怖くないの?」
「怖くありませんわ」
俺の質問に瑠璃は間髪入れず断言する。
その瞬間、ゴオッと吹いた風が俺たちの間を突き抜ける。思わず目を瞑ってしまいそうな強風だったにも関わらず、瑠璃はバサバサとはためく髪を抑えることもなく真っ直ぐに俺を見つめ続けていた。
「私はいずれ、太陽を越える月の光になるのですから」
太陽とは紅音のこと。そして月は瑠璃。
それは瑠璃の告白を断ったあの夜に俺が言った言葉。
紅音を越えるほどの光──。
それに興味が無い訳ではないし、同時に俺はもう確信しているのだ。瑠璃の光はいずれ、紅音を越える輝きになる、と。
だから、たまに思ってしまうのだ。
瑠璃の想いに応えても良いのではないかと──。
「──俺がまだ隠し事をしているとしても?」
でもそれは出来ない。許されない。
俺は紅音のことを裏切ることは出来ない──。
けど、瑠璃は真っ直ぐ突き進んでくる。
光が進むように、ただ自分の想いを真っ直ぐ伝えてくる。
「構いませんわ。私は友樹さんのすべてを受け入れる」
今はこれ以上瑠璃の光を強くしてはいけない。
けど、それを止めることも俺には出来ないだろう。
人の想いは、心は、恋心は。そう簡単に変えることは出来ないのだから。
変えることが出来るのであれば、俺がこうして悩むこともない。
変えることが出来るのであれば、瑠璃の想いに応えられる。
変えることが出来ないから──俺は過去に縛られている。
理不尽で。不条理で。不合理で。
それが当たり前のように存在する世界でなければ良かったのにと、心から俺は思ってしまう。
「──というわけで、友樹さんは私と一緒の部屋でよろしいですわよね?」
「………………待って?」
あまりにも唐突過ぎる話題転換に思考が追い付いて来なかった。
あれ? シリアスな雰囲気は? てか、部屋? え? 何の話?
「ホテルの部屋割りの話ですわ。六人一緒は無理なので二人一組になって泊まることになっているんですの」
「初耳なんだけど」
「今言いましたからね。それで? 私と同じ部屋でよろしくって?」
「……他のみんなの意見を聞いてから判断かな」
一瞬のうちに重たい空気は霧散していた。
瑠璃なりの気遣いなのか、はたまた自分の意思を伝えて満足したからなのか。まぁどちらにせよこれ以上話を続けるつもりは無かったからこれで良かったと言えば良かった。
「ねぇ、友樹さん」
「……今度は何かな」
「愛していますわ」
そう告げて微笑む瑠璃の笑顔は、優しく地上を照らす月の光よりも遥かに眩しかった。
to be continued
次回の更新は『3/26 21時』です。