第150話『本当に恐ろしいのは』
「……友樹」
「遅れてごめんね。ちょっとだけ瑠璃と結羽と話をしていたんだ。でも──」
和也を殴り飛ばそうとしていた男の腕を掴んだまま片手でごめんとジェスチャーを送るが、和也は浮かない表情のまま俺から視線を逸らした。それはまるでイタズラがバレた子どものように、これから俺に怒られると分かっているから目を合わせることが出来ないのだ。
「それとこれとは話が別だよ。お前何してんの?」
氷のように冷たい俺の言葉に、必死になって拘束から逃れようとしていた男も、俺が助太刀に入ったことで安心した様子を見せていた愛桜も、そして真っ向からの冷たい怒りを受けた和也も。その場にいる全員が物言わぬ氷像に成り果てた。
「──怒らないで、とも君」
ただ一人──涼香を除いて。
涼香だけは氷像にはならず、自分の意思をハッキリと持って、海のように蒼い瞳で俺のことを見つめていた。
「かず君はわたしと星ノ宮さんのことをちゃんと助けに来てくれたよ。すごく怖かったけど、わたしも星ノ宮さんも何もされていない」
「そんなのは見れば分かるよ。もし二人のどちらかが少しでも怪我をしていたら、今頃コイツの腕をへし折っているからね」
グッと手に力を込めると、男の腕から骨が軋む音と声にならない悲鳴が上がった。そのまま俺は抵抗もままならない状態の男の腕を捻りあげ、そのままパッと手を離す。為す術なく地面に倒れ込んだ男は、手の跡がくっきりと残っている腕を押さえこんで痛みにのたうち回っていた。
「俺が怒っているのはそこじゃない。この程度の相手に一発でも貰おうとしていたことが許せないんだよ」
夏場のゴミ捨て場に群がるハエを見るような冷たい目付きで男を見下ろしていた俺は直立不動の和也へとその視線を移す。
「和也。もう一度聞くよ。お前、何してんの? 俺が納得出来る説明をしてくれるよね?」
「……二人同時に捌くのが無理だって思ったから一発だけ食らおうとした」
「なんで?」
「いや、なんでって言われても……」
傍から見ればどうして和也が責められているのか分からないだろう。喧嘩をふっかけてきた男たちですら状況を把握しきれていないはずだ。
しかし、そんなことはどうだっていい。和也には己の行動がどれほど無策で愚策なのかをきっちりと教える必要がある。
「その一発の当たり所が悪かったら? 拳一つで人の意識なんて簡単に刈り取れる。もしも和也が意識を失って、俺がこの場にいなかった時、二人はどうなっていた?」
「それ、は……」
「いいか、和也。お前は一発だけならっていう甘い考えで愛桜と涼香を危険に晒したんだよ」
「……っ」
有無を言わせない圧に和也は押し黙る。
「ちょ、ちょっと待ってください」
見兼ねた愛桜が会話に割り込んでくる。翡翠色の瞳は嵐の中の海のように揺れていた。
「私には友樹くんがどうしてそこまで怒るのか分からないです。涼香ちゃんも言ってましたけど、結果的には和也くんが助けに入ってくれたおかげで私たちは無事なんです」
「それは結果論だよ愛桜。何事も万が一を想定しなければならない。愛桜だって似たようなことを言っていたよね」
チラッと一瞬だけ涼香に視線を向けた。それだけで察しのいい愛桜は俺が何を言いたいのか分かったのだろう。
「確かに言いましたけど……それとこれとは話が違──」
「違くないよ」
キッパリと言い切ると、すぐに反論出来なかった愛桜は俯く。
すると、俺たちの会話が切れるタイミングを狙っていたのか、ずっと何も関与して来なかった男が控えめに口を開いた。
「……お前、もしかしてあの鉢嶺友樹か……?」
「……」
予想もしていたかった発言に流石の俺も即座に言葉を返せなかった。
地元からだいぶ離れているこんな場所で俺のことを知っている人間がいるとは。これはだいぶ面倒くさい。しかもそんな俺の態度を見て男は確信に至ったのだろう。あからさまに取り乱し始める。
「お、お前ら逃げるぞ。いつまで寝てるんだよ早く!!」
「……何言ってやがる。まだ負けちゃ──」
「負けだ!! こいつだけは絶対に喧嘩を売っていい相手じゃない!!」
仲間に訴えかけながら男は俺を見る。まるで化け物を見るような怯えた目付きだった。こうなってしまったらもう不本意ではあるが、状況を利用させてもらうのが一番いいだろう。
「今なら許してあげるよ。だから早く俺の視界から消えてくれるかな?」
「わ、分かった。すぐに行く。ほら行くぞ!!」
まだ納得してなさそうな二人を無理矢理引きずって男は去っていった。
その後ろ姿が完全に見えなくなったところで、俺はパンッと頬を叩いて気持ちを切り替え、みんなに向かって笑顔を向けた。
「さて、脅威は去ったことだし、そろそろ戻ろうか。和也、強く言ってごめんね」
「いや、俺が悪いから謝らなくていい。もしまた同じようなことがあったら次はちゃんと対処する」
「うん。それでいいよ。愛桜も怖がらせてごめん。この埋め合わせは近いうちにさせてよ」
「……期待してます」
聞きたいことは山ほどあるだろうが、愛桜は踏み込んでいいラインをきちんと弁えることができる女の子だ。少なくとも今これ以上踏み込んでくることは無い。
「それと涼香。あいつらのこと知っている?」
「ううん、知らない。多分向こうが一方的に知っているだけだと思うよ」
「了解。まぁとりあえず無事で何より」
ぽんぽんと軽く涼香の頭を叩く。子どもをあやすような行為だったけれど、涼香は嫌な顔をするどころか少し嬉しそうに頬を緩めた。
to be continued
次回の更新は『3/23 21時』です。
この物語も今回で150話(回想含めればもうちょっとありますが)。まだまだ続く嘘の物語をお楽しみくださいませ。
尚、涼香の章の海編はそろそろクライマックスを迎えます。