第116話『異変』
「……やっぱり? まるで知っていた風に言うんですね」
怪訝そうに眉を顰める愛桜。翡翠色の瞳にはまだ怒りの炎が燃えたぎっているが、涼香にもその炎は健在だ。どちらの炎も収束するどころかよりいっそう激しく燃え広がっている。
静観することしか出来ないことに無力さを痛感する。きつく握り締めた拳が小刻みに震えていた。悔しさに打ちひしがれる場合ではないと頭で理解していても、解決への糸口が何も見つからないから行動に移せない。下手に割り込んだところで火に油を注ぐ結果になることは分かっている。
「何を根拠にそんな発言をするのか教えて貰えますか?」
だが思考を止めた訳ではない。
切り込むタイミングを伺うべく二人の会話に耳を傾け、僅かな可能性に掛けて頭を回す。
初めから涼香は愛桜のことを疑って誘導していた。
どうして愛桜が本性を隠しているという疑念を抱いた? 普段の愛桜を見ているだけではそんな疑念を抱くことは出来ないと断言してもいい。それほどまでに愛桜の隠し方は巧妙で計算されている。何かしらのきっかけが絶対にあるはずだ。
「わたしね、怖いのが嫌いなんだ」
「……だから? それが今の話とどう関係あるって言うんです?」
「肝試し、星ノ宮さんがみんなと楽しむために提案してくれたから、その気持ちを無下にはしたくなかった。みんなとなら怖くないと思ったし、星ノ宮さんのことをもっと知れるかなって思ったからね」
「くだらない前置きは要りません。結局何が言いたいんです?」
「星ノ宮さんのこと、一つ知ることが出来たよ」
「?」
首を傾げる愛桜は本当に何も分かっていない様子だが、俺には涼香が話そうとしていることに心当たりがあった。というか、この流れで考えられることなんて一つしかない。
「ねぇ、星ノ宮さん。あのマネキン、どうして壊れていたの?」
「……」
そう。脱出肝試しの時に俺が見かけたバラバラに壊された悪趣味なマネキン。だが、あれだけでは雰囲気作りの為に壊しておいたと考えるのが普通。愛桜の本性に対する確信に至るまではいかないはずだ。
引っ掛かるところがあるとすれば涼香の言い方だ。まるで、最初は壊れてはいなかったと捉えることが出来るような発言。それはなんというか、わざと愛桜の反応を伺うような言い方にしているような気がした。
「壊れていたのがなんだって言うんです? あれは雰囲気作りの為に壊しておいただけです」
「……っ」
黒い羽根が舞った。
それはつまり、壊しておいたのではなく、あの場で壊したということになる。
些細な反応でもすぐに変化に気づく愛桜も、今は俺のことよりも涼香の方に意識を向けているから、俺が嘘に気づいたことは気づかれてはいない。声が出そうになるのを何とか堪えた俺はそのまま静観していると、嘘を吐いた愛桜に涼香は追い打ちをかける。
「わたし、見てたよ」
「……」
ここで初めて愛桜に動揺が見られる。それを見て自分が優位であることを悟った涼香は愛桜を追い詰めるように言葉を重ねていく。
「普段わたし達の前では良い顔をしているけど、裏ではああいう暴力性があるってことだよね? なんであんなことをしたの?」
だがこの程度で追い詰められる愛桜ではない。
動揺は一瞬だけ。すぐに状況に適応して言葉を返す。
「嫌な気持ちになりましたか?」
「……だったら何?」
思いがけない返答だったのだろう。今度は涼香が眉を顰める番だった。
でもそれは決して愛桜の前では見せてはいけない反応。はっきり言って涼香の詰めが甘い。折角の優位が一瞬で覆ってしまう。
「私もそうなんです。自分で仕掛けておきながら何を言っているんだって話かもしれませんけど、嫌な気持ちになって、それでついカッとなって蹴り壊しちゃったんです」
「認めるんだ」
「認めるも何も事実ですからね。誰にだってイラつくことくらいあるじゃないですか。涼香ちゃんだってそうでしょう?」
「イラつくことはあるよ。でも、わたしは……わたしは、あんな行動に移したりはしない!!」
急に声を張り上げる涼香。普段聞かないような声に俺は驚いたが、愛桜は眉一つ動かすことなく静かに会話を続ける。
「それは涼香ちゃんならって話ですよね? 確かに物に当たることはあまり良くないことです。そこは素直に認めます。だからと言ってあそこまで酷いことを言われる筋合いは無いと思いますけど?」
「あるよ……っ!!」
「へぇ」
きっぱりと言い切った涼香を小馬鹿にするような返事をする愛桜。
比較的冷静さを保ちつつキレている愛桜と違い、涼香は怒りに溺れているようで、先程よりも顔が紅く、まるで長距離走をした後のように息が絶え絶えになっていた。
「そんな……っ、そんな黒い本性を隠しているような人がとも君の傍にいちゃダメだもん!!」
「……だもんって。子どもですか」
「うるさいッ!!」
そう叫んだ涼香は掴みかかるように愛桜との距離を詰める。
「とも君を、傷つける人は……わたしが、わたしが……っ! 許さ、ないっ!」
しかしその勢いとは裏腹に、声にどんどんと力が無くなっていく。
「……涼香ちゃん?」
流石の愛桜も様子がおかしいことに気づいたのだろう。
その瞬間、涼香は倒れ込むように愛桜の胸に飛び込んだ。
「涼香ちゃん!?」
反射的に涼香を受け止めた愛桜の表情が目に見えて変わる。そしてすぐに助けを求めるように俺の方へ振り返った。
「友樹くん!! この家にはお医者さんはいますか!? 涼香ちゃんすごい熱を出しています!!」
「!?」
顔が赤かったのも、息が上がっていたのも、怒りのせいじゃなくて熱を出していたからだったのか。
スマホを取り出して瑠璃に通話をかけると、思いのほかすぐに出てくれた。
『あ、友樹さん? 今どこに──』
「フラワーガーデンだ!! それよりも瑠璃、確かこの家には医者が在住しているはずだよね!? すぐに連絡を取って。涼香がすごい熱を出している!!」
『!? 分かりましたわ。可能であれば玄関の方まで連れてきてくださいまし!!』
「分かった。愛桜と一緒だからすぐに連れていく!!」
通話を切って愛桜とアイコンタクトを交わす。
涼香を俺の背中に乗せ、落ちないように愛桜が後ろから支えてそのまま俺たちは走り出す。
「おね、がい……」
熱で意識が朦朧としているのか、呂律が回っていない。それでも懸命に何かを告げようとしていた。
「わたし……の、大切な幼馴染を……傷つけないで……お願い、だから、これ以上……わたしから、大切な人を……」
言葉が途切れ、同時に背中に掛かっていた重みが増した。
意識を失った涼香を俺たちは急いで玄関に運んだ。
to be continued
次回の更新は『12/8 21時』です。