104 僕らはそれから、手をつないで5分か、10分くらいじっと黙っていた
白川と僕は彼女の父親に見送られた後、カブに2人乗りをして海岸線を西へと向かった。
「結構スピード早く感じるね」と信号待ちの時白川は言った。
「そう?超ノロノロだけどね」
「いや、結構早く感じるよ」
「まあ、車より早く感じるかもね。怖い?」
「ううん。大丈夫だよ」
信号が青に変わったので僕はアクセルを回し、また走り出した。
僕たちの街の海岸道路を西に向けてまっすぐに突き進み、街境の大きな河口を渡る。隣の市に入ると、同じ海岸線でも少しだけ雰囲気が変わる。観光客が来るような浜は僕らの街で終わり、隣の市からは、閑散とした気取りのない浜が続いていくのだ。隣の市に入ると車の量はそれほど多くはなかった。前が詰まっていないので、時々ゆっくりと走る僕らをスピードを上げた乗用車やら、トラックなんかがうねりを上げて抜き去っていった。バイクが抜き去る車の風にあおられて少し揺れると、白川は僕のことを強く掴んだ。僕はなるべくあおられないように注意して運転をした。
隣市とそのまた隣市の橋を渡ると、僕は右折して、国道1号線に出た。1号線に入ってしばらくすると白川はだんだんとリラックスしてきたようだった。車線が1つになり、スピードを上げた車もそれほどなく、信号待ちが多くなったからかもしれない。僕らは途中適当なコンビニにバイクを止めて、少し休んだ。
僕はコンビニに入り、紙パックに入った250mlのイチゴ・オレを買ってそれを飲んだ。そんな僕の姿を白川はバイクに跨りながらカメラで写した。小さな黒いニコンのカメラだった。白川はあと一回シャッターを押すとバックパックにカメラを戻し、代わりに水筒を出してそれを飲んだ。
「カメラ持ってきたんだ?」
「うん」
「好きなの?」
「そうだね。結構好き」
「そうなんだ。それ何?」
「これ、紅茶。ちょっと飲む?」
「うん。ちょっともらおうかな」
水筒の中身は温かい紅茶だった。渋みが少なく飲みやすいものだった。僕はそれを飲み干すと杯を白川に返した。白川返された杯にまた紅茶を注いでそれをゆっくりと飲んだ。
目の前の国道の両脇にはずっと松並木が続いていた。たぶん、みんながちょんまげを結って、和服を着ていた頃からずっと同じものだった。松の葉の間から夏の明るい日差しが漏れていたが、それは夏の最中よりは少し優しくなっているような気がした。
「こっちの方来るの久しぶりだな」と白川は言った。
「そうなの?」
「うん。いつぶりだろう。小学生くらいから来てない気がする。あなたは?」
「僕もすごく久しぶりだよ」
「なんか、雰囲気違うよね。あっちと」
「そうだね」
「結構好きかも」
「僕も。。。なんか白川とこっちの方に来たかったんだ」
「どうして?」
「なんか、理由はわからないけど、あまり行ってないとこ行ってみたかったんだ」
「そうなんだ」
「うん」
「デイリー・ヤマザキも久しぶりだな。前、近所にあったけど、ローソンに変わっちゃったんだよね。店内に肉まんの匂いがしなくなった」
僕は笑った。
「冬の話だね」
「そう、冬の話」
僕らはコンビニを後にして、そのまま国道1号線を下った。小田原に着くと僕らはあたりを周回してお土産を買った。白川はういろうを買って、僕はアジの干物を買った。次に小田原城に行って城をバックに二人で写真を撮った。白川は観光していた老夫婦に声をかけ、オートフォーカスに設定したカメラを預けた。夫婦の旦那さんは片膝をついて城の天守が映るような角度で僕らを撮ってくれた。夫婦は自分たちの若い頃を思い出すと言っていった。僕らは笑ってさよならを言った。小田原城を出ると、僕らは再び海沿いの道に出た。しばらく国道を行き、左折して半島に入る県道に入り、そのまま目的地まで休まずに走った。
「サボテンランド?こんなところあったんだ」
「ね?僕も知らなかった。地図をみてなんとなく、ここら辺でいいかなと思ったんだよね」
僕らはバイクを降りた。
「入口のあれ、何かな?」
「トーテム・ポール?かな」
「サボテンだから、南米ってことかな。トーテム・ポールって南米だっけ?」
「たしかどっちかっていうと北米の方だったと思うけど」
「じゃあ、なんなんだろ」
「なんなんだろね。トーテム・ポールじゃないのかもしれない」
僕らはそんなことを話しながら、入場口まで向かった。入場口とチケット売り場を兼ねたところでチケットを買い、中に入った。
園内は僕ら以外の人は見受けられず、閑散としていた。 入ってすぐのところに大きなサボテンがあり、その下に花文字でサボテンランドと書かれていた。清潔だが、何もかもが時代遅れで、擦り切れている施設のようだった。
白川はブルゾンの前を開けて歩き出した。彼女は中に太い黒い線の入ったボーダーシャツを着ていた。僕も着ている青緑色の色あせたパーカーコートの前を開けて中に風を入れるようにして歩いた。
「何これ、ペアルックみたいじゃん」と振り返った白川は言った。
「でも、線の太さが違う。僕のが細くて、白川のが太い」
「そういう問題じゃなくてさ」
「嫌だ?」と僕は言った。
「全然、クールで格好いいじゃん。サングラスがあったらもっといいかも」
僕は笑った。
白川は僕の知らないクラシックの曲を少しハミングした。
「今度なにか、クラシックの曲を教えてよ」と僕は言った。
「いいよ」と白川は言った。
僕らは園内をぐるりと回った。寝ぼけているようなプレーリードッグを見て、蒸し暑い熱帯植物のビニールハウスを抜け、孔雀のメスの餌をあげた。オスは近寄ってこなかった。彼らはきれいな羽を広げてメスにアピールし続けているだけだった。
白川は小さな子供用の遊具広場で僕の写真を撮った。代わりに僕は、売店のホットドックをかじり、ポップコーンを頬張る彼女の写真を撮った。
僕らは園内をくまなく回ると、再奥にある岬の突端にあるような崖上から海を見渡すことができる木のベンチに腰掛けた。ベンチはヤシの木陰になっていたので、ゆっくりと何も考えず、海を見渡すことができた。しばらくして白川がここ大丈夫なのかな。と言った。
「大丈夫じゃないんじゃない」
「閉園するのかな」
「入口に書いてあったの見なかった?来年の3月に閉園するんだって」
白川は頭の後ろで腕を組み、うーんと唸り声をあげて、ベンチに深く沈み込んだ。
「明日から学校かあ、行きたくないなあ」
「夏休みが好き?」
「まあ、いろいろあるけど、全体的には好きかもね。あなたは?」
「そうだね、でも、秋が来ればいいと思う」
「秋は私も好きだよ」
「いろいろなことが進んでいけばいいなと思う」
「わかるよ」と白川は同意した。
僕らはそれから、手をつないで5分か、10分くらいじっと黙っていた。
・・・
僕はやおら立ち上がり、ポケットから携帯電話を取り出すと二つに折って、それを崖下の海へと放り投げた。僕に続いて白川はポケットから何かを出すとそれを僕と同じように崖下の海へと放り投げた。僕らは2人ともその行方を見ることはなかった。
「どこかに流れていくのかな?」と白川は言った。
「さあ、重いからどうかな」と僕は言った。
「ねえ、私の名前を呼んで」と彼女は僕の目をじっと覗き込みながら言った。
僕は震える唇で彼女の名前を呼んだ。
白川はにっこりと笑った。
「正解」
彼女はそう言うと僕の両方の手を握って、そして口づけをした。風が少し冷たく感じた。