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ピラミッド・ソング  作者: 白坂 夏実
102/110

♥♥100♥♥猫

 私は部屋から出ると来た道を戻らず、客室用のエレベーターまで歩いた。エレベーターホールは暗かったが、エレベーターはきちんと生きていた。私が「下」のボタンを押すとエレベーターは小気味良いモーター音を立てて、その空間を私がいる階へと引き上げた。

 エレベーターの中に誰もいないことを確認すると私は中に足を踏み入れ、2階のボタンを押した。しばらくすると扉は音もなく閉まり、スムーズに下降し始めた。従業員用のものとは随分と違う乗り心地だった。スピードは程よく感じたし、音がほとんどしない。とても滑らかな滑車をとても滑らかなロープが最大出力の3割ほどで動かされているような感じだった。

 エレベーターが2階に止まり、停止を告げる音が鳴った後、扉はゆっくりと開いた。エレベーターホールの前は明るく照らされていた。私は銃を構えるとエレベーターを出て、先に進んだ。

 廊下は薄暗かったが、どこかからかもれる光で、わずかに照らされていた。早朝を思わせるような青黒い明かりだ。風の流れがあり、どこかしらかで何かのドアが開かれているようだった。

私は誰もいない廊下を音を立てないように早足で風の流れを遡るように進んだ。

 204号室のドアが開いていた。開いたドアから中を覗き込むと、私が前に同じ部屋を訪れた時にそうしたように窓が開け放たれていた。窓からは風が吹き込んでおり、薄いレースのカーテンがゆらゆらと揺れていた。外は青暗く、大きな満月が見えた。ドアの端に黒猫が座っており、一対の黄色い目で私の方をじっと見ていた。私の頭の中のどこかで鐘の音が鳴っているようだった。選択の時間だった。私は同じ階の非常口が空いていることを知っていた。しかしながら、私は異なった夢に導かれる人形のように部屋の中へと一歩を踏み出した。部屋の狭く短い廊下を歩き終えると、黒猫は鈴の音をさせて窓から外へとひらりと飛び降りた。私はバックパックの中から鉤の付いたロープを取り出し、窓枠にかけて、下へと降りた。

 地上はホテル沿いに白いコンクリートの道があり、その脇は少し土の芝生の地面が続いた後、木々がひしめく森のようになっていた。黒猫は森の前で私の方を一瞥してから、その中へと消えた。私は道を外れ、綺麗に生え揃った芝生を踏みつけ、猫の後に続き、森の中へ入った。

 木々の中に分け入ると濃厚な植物の匂いが漂った。山の朝のような匂いだ。足元は夜露ですこし湿っていたが、ヌカるんでいるほどではなかった。私は私を先導する鈴の音に耳をすませて前へと進んだ。黒猫は止まることなく進み続けた。あらかじめ録画されていたビデオを再生するようにその足取りには迷いというものがなかった。私は老人の肌のようにひび割れた木々の表面をかき分けるようにその音に続いた。

 しばらくするとひしめき合っていた木々の間隔がすこしずつ開き始め視界が徐々に開けてきた。目の前に煌めく揺らぎが見え始め、近づくにつれてそれは湖面に映る月明かりであることがはっきりとした。私が森を抜け、辿りついた場所は湖畔の小さな浜だった。 

 20メートルほどの長さの白く狭い浜に湖のほとんどないような波が静かに打ち寄せていた。金色の月明かりは広大な湖の水面にその光を投げかけていた。湖の向こう岸までは見えない。湖面のはるか遠くに平たい島があるのが見えた。管理者が言っていた島だろう。私は大きく息を吸い込んだ。周囲の空気にはまだ、森の甘い匂いがした。

 岸の端には小さな小屋があり、その横には5メートルほどの桟橋があった。桟橋にはモーター付きのボートが架けられており、水面の動きに合わせてわずかに揺れていた。ボートの縁に猫は私の方を向いて姿勢良く座っていた。私は岸の砂利を踏みつけながらボートに向かって歩いた。 

 私が桟橋を歩く段になっても猫は逃げる様子はなかった。私はボートに乗り込み、後部にあるエンジンをかけてみた。エンジンは長い眠りから覚めたように小気味の良い音をたててその身を震わせた。ガソリンは半分ほど入っていた。私はギヤを入れて、猫と共に島に向けて出発した。

 小さなボートは波のない鏡のような湖面を切り裂くように進んだ。途中一度猫は私のほんの手元まできて、その小さなザラザラとした下で私の手の甲を舐めた。私はその小さな頭を撫で、喉元をくすぐった。猫の首輪は黒い皮のものだった。特徴のあるものではない。猫はしばらく目を細めゴロゴロと喉を鳴らした後、再び舳先へと立ち、凛として行き先を見つめた。一度背後から誰かが見ているような視線を感じたが、私は構わずにまっすぐに島へと進んだ。

 島に着くとボートを止める場所を探して周囲をぐるりと回った。それほど大きな島ではない。周囲500メートルほどの小さな島だった。島の北東に水草で囲まれた小さな桟橋があったで、そこに船をつけ、舫にロープをかけた。猫は慣れた様子でひらりとボートから降りると私より一足先に島へと上陸した。

 島は管理者が語ったように荒涼とした様子だった。色褪せたポテトチップスの袋や、ペットボトルのゴミは片付けられないまま放置されている。草はそれほど生えておらず、生えていたとしても私の膝丈くらいの高さのものだった。大体が、茶色い土くれがむき出しになっている。少し歩くと錆びて朽ちたドラム缶までが放置されていた。見渡す限り建物はなかった。

 私は猫の後ろを歩いた。猫はお尻を少し上げて尻尾を立てながら優雅に歩いていた。猫は島の中腹よりやや南よりの場所に立ち止まると思ったより低い声で鳴いた。


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