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ピラミッド・ソング  作者: 白坂 夏実
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THE PYRAMID SONG

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 それは明るい昼の光が差し込む浴室の窓から顔だけを出して言った。

 私は無視し、日常の決まりごとを果たした。

 つまり、顔を洗い、髭を剃り、タオルで拭き、清潔な服を身につけた。


♥♥♥♥


 部屋から出ると客室用のエレベーターホールまで歩いた。

 エレベーターはきちんと生きていて、私が「下」のボタンを押すと小気味良いモーター音を立ててその空間を私がいる階へと引き摺り上げた。

 中に誰もいないことを確認すると足を踏み入れ、「2」のボタンを押した。しばらくすると扉は音もなく閉まり、スムーズに下降し始めた。従業員用のものとは随分と違う乗り心地だった。

 停止を告げる音が鳴った後、扉はゆっくりと開いた。私は銃を構えるとエレベーターを出て、先に進んだ。

 廊下は薄暗かったが、どこかからか漏れる光でわずかに照らされていた。早朝を思わせるような青黒い明かりだ。風の流れがあり、どこかしらかで何かのドアが開かれているようだった。私は誰もいない廊下を音を立てないように早足で風の流れを遡るように進んだ。

 204号室のドアが開いていた。開いたドアから中を覗き込むと、私が前に同じ部屋を訪れた時にそうしたように窓が開け放たれていた。吹き込む風で薄いレースのカーテンがゆらゆらと揺れていた。外は青暗く、大きな満月が見えた。ドアの端に黒猫が座っており、一対の黄色い目で私をじっと見ていた。私の頭の中のどこかで鈴の音が鳴っているようだった。選択の時間だった。私は同じ階の非常口が開いていることを知っていた。しかしながら、私は異なった夢に導かれる人形のように部屋の中へと一歩を踏み出した。部屋の狭く短い廊下を歩き終えると、黒猫は鈴の音をさせて窓から外へとひらりと飛び降りた。私はバックパックの中から鉤の付いたロープを取り出し、窓枠にかけて、下へと降りた。

 地上はホテル沿いに白いコンクリートの道があり、その脇は芝生の地面が続いた後、木々がひしめく森になっていた。黒猫は森の前で私の方を一瞥してから、その中へと消えた。私は道を外れ、綺麗に生え揃った芝生を踏みつけ、猫の後に続き森の中へ入った。

 濃厚な植物の匂いが漂った。山の朝のような匂いだ。私は先導する鈴の音に耳を澄ませて前へと進んだ。黒猫は止まることなく進み続けた。あらかじめ録画されていたビデオを再生するようにその足取りには迷いというものがなかった。私は老人の肌のようにひび割れた木々の表面をかき分けるようにその音に続いた。

 しばらくするとひしめき合っていた木々の間隔がすこしずつ開き始め視界が徐々に開けてきた。目の前に煌めく揺らぎが見え始め、近づくにつれてそれは湖面に映る月明かりであることがはっきりとした。 

 金色の月明かりは広大な湖の水面にその光を投げかけていた。湖面のはるか遠くに平たい島があるのが見えた。私は大きく息を吸い込んだ。周囲の空気にはまだ、森の甘い匂いが含まれていた。

 岸の端には小さな小屋があり、その横には5メートルほどの桟橋があった。桟橋にはモーター付きのボートが架けられており、水面の動きに合わせてわずかに揺れていた。ボートの縁に猫は私の方を向いて姿勢良く座っていた。。 

 私が桟橋を歩く段になっても猫に逃げる様子はなかった。私はボートに乗り込み、後部にあるエンジンをかけてみた。エンジンは長い眠りから覚めたようにその身を震わせた。ガソリンは半分ほど入っていた。私はギヤを入れて、猫と共に島に向けて出発した。

 小さなボートは波のない鏡のような湖面を切り裂くように進んだ。途中一度猫は私のほんの手元まできて、その小さなザラザラとした舌で私の手の甲を舐めた。私はその小さな頭を撫で、喉元をくすぐった。猫の首輪は黒い皮のものだった。特徴のあるものではない。猫はしばらく目を細めゴロゴロと喉を鳴らした後、再び舳先へと立ち、凛として行き先を見つめた。一度背後から誰かが見ているような視線を感じたが、私は構わずにまっすぐに島へと進んだ。

 島に着くとボートを止める場所を探して周囲をぐるりと回った。それほど大きな島ではない。周囲500メートルほどの小さな島だった。島の北東に水草で囲まれた小さな桟橋があったで、そこに船をつけ、舫にロープをかけた。猫は慣れた様子でひらりとボートから降りると私より一足先に島へと上陸した。

 島は管理者が語ったように荒涼とした様子だった。色褪せたポテトチップスの袋や、ペットボトルのゴミは片付けられないまま放置されている。草はそれほど生えておらず、生えていたとしても私の膝丈くらいの高さのものだった。大体が、茶色い土くれがむき出しになっている。少し歩くと錆びて朽ちたドラム缶までが放置されていた。見渡す限り建物はなかった。

 猫はお尻を少し上げて尻尾を立てながら優雅に歩き、島の中腹よりやや南よりの場所に立ち止まると思ったより低い声で鳴いた。

 黒猫が鳴いて示した場所には何もなかった。正確に言うなら、周囲に比較しても何もなかった。その場所は雑草やゴミがきれいに円形に排除された場所だった。円の直径は2メートルほどで、ただ、こげ茶色の土が剥き出しになっていた。私はその地面を足の裏で蹴り上げ、少し掘ってみたが、特に変わった様子はなかった。ただの土むくれだ。下に何かが隠されているような気配もない。私はバックパックを下ろし、その土むくれの上に仰向けに寝転んだ。寝転ぶと汚い土と野放図な雑草がむっと匂った。空は薄いグレーに覆われていた。急に周囲の何もかもが色彩を失っていっているような感じがした。いや、と私は思う。色彩はとっくに失われていたのかもしれない。ただ今、改めて認識しただけなのだ。私は歯をカチカチとリズムよく合わせた。それは私の昔の癖だった。猫はどこに行ったのだろうと私は思う。鈴の音がして私はその生物が私のすぐ横にいたことに気づく。ほんの顔の横だ。猫は私が気づいたことに気づくと、一声鳴いて、その場所にゆっくりと寝転んだ。空にはUFOが飛んでいた。それはラジオのチューニング音のような奇妙で不快な音を立てながら、ただそこに浮かんでいた。


「もう、ここでいいの?」と彼女は言った。

「いいんだ」と僕は言った。

「でも、君の友達はそれを望んでないよ」

 僕は手をこすり合わせた。UFOはまだ、遥か上空にいたが、その目に見えない熱は僕の全身の骨を内側から確実に痛めつけていた。

「もう、疲れてしまったんだ。多分、年を取りすぎた所為だね」

「でも、君は随分上手くやってるよ。みんなも褒めてる」

 僕は首を振った。

「時々、自分が水槽の中の古い金魚のように思えるんだ。何も喋らず、どこにも行けない。ただ、繰り返し夢を見るだけの」

 そんなことはないよと彼女は優しい声で言った。

「君は金魚じゃなく、君以外の何者でもない。過去も未来も関係なく・・それに大人になった君も素敵だよ。本当に」

「そうかな?どうしてもそうは思えないんだけど・・でも君にそう言われるとここまで来たのも悪くないように思えるね・・どうもありがとう。」

「どういたしまして」

「ねえ、一つ聞いていい?」

「いいよ」

「君は今までもずっと僕のそばにいたの?」

「・・・そうだね。私はいつも、どこかであなたのことを考えていた」

 遠くの方から猛スピードでこちらに向かうモーターボートの音が聴こえていた。僕は体を起こして座り込み、ポケットから拳銃を取り出した。何もかもがスローモーションで過ぎ去っていくようだった。

「遠足の帰り道のことを憶えている?」と彼女は言った。

「私たちは久し振りに同じクラスになって隣の席に座った。外はオレンジ色の太陽の光に照らされて、松並木の切れ目からは、煌めく海が見えていた」

「うん」

「あなたはリュックサックの後ろのポケットからイヤホンを出して、私たちは一つずつそれを耳にあてた」

「憶えてるよ」

「あの時、流れた曲を憶えている?」

「もちろん」

 その時のことを思い出してと彼女は僕の左肩にもたれかかり、耳元で囁いた。

「忘れないで。本当のことはそこにあるの」

「ありがとう」

 辺りに乾いた銃声が一つ響いた。僕は物のように倒れ、辺りが真っ赤に染まった。でも、それが誰の血なのか僕にはわからなかった。 



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