ウクライナ危機を乗り越え、日本は再び立ち上がる。
1 密会
2022年2月24日にロシアの一方的軍事侵攻で始まったウクライナ戦争は、露軍による首都キーウ攻囲作戦の失敗、ハルキウ州における宇軍の反転攻勢のため、2022年5月15日現在、戦況はドネツク川を挟み、ドンバス地方全域制覇を目論む露軍による多連装ロケットの絨毯爆撃と、これを迎え撃つべくNATO諸国から提供された、対戦車ミサイル・ジャベリン、NLAW、M777榴弾砲や自走式榴弾砲および新型カミカゼドローンで武装した宇軍の猛攻を前に、一進一退の膠着状態に陥っていた。
一方、東京・神楽坂のとある料亭に、黒いLexusが止まり、私服姿の退役自衛官幹部がひとり、門をくぐった。女将に奥の間に案内され、襖を開けると、恰幅の良い50代半ばの男と、30代前半の欧州人の美女が既に宴席についていた。
「海将、よく参られた。さあこちらへどうぞ。」
「閣下をお待たせするとはかたじけない。では、失礼。」と、男は帽子を取り席についた。
元自衛官の名は新堂一二三、海自で特殊部隊「特別警備隊」を創設した人物で、退役時の階級は海将。ネットメディアに最近よく露出する安全保障問題の論客である。
彼に声を掛けた男の名は小野田三郎。ポピュリスト政党・維新党の代議士で、以前、与党政友党所属議員だった当時、防衛大臣を歴任した防衛族議員だ。
一方、女の名はリュドミラ・チェルネンコ。ウクライナ対外情報庁の中佐で、在京宇国大使館に通商代表の肩書きで在籍している。
「岸本総理は、参院選に勝ちたい一心で『防衛費をGDP比2%にまで増額する。憲法改正に政治生命を掛ける。』などとほざいてるが、いわゆるネトウヨと呼ばれる、20代、30代の保守層への選挙向けのリップサービスに過ぎない。彼は中国利権とズブズブの関係で、北京に足を向けて眠れない男だ。選挙が終われば、何事もなかったかのように、再び官僚の書いたメモの棒読みして、へらへら笑ってしらばっくれる筈だ。」
そこに、襖が開き、アルマーニのスーツを着た20代男が、入っていた。
「チースッ。悪い悪い遅れちゃった。」
「愚息の非礼を詫びたい。」と、小野田が頭を下げる。
アルマーニ男は、小野田圭。財務省入省5年目のキャリア官僚で、現在は主計局係長を務める三郎の次男だ。だが、彼の別の顔は、国際ハッカー集団Anonymousのメンバーの天才クラッカーで、ロシア国営テレビ局のサーバーにハッキングして、ニュース番組の放送中に、反戦動画でジャックして放送事故を起こしたり、GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)サーバーから、1テラバイト分の秘匿情報を盗み出して、ダークウェブで公開するなど、世界のクラッキング界では英雄視されていた。もちろん、現役国家公務員の「不正アクセス防止法」違反が明るみに出たら、一大スキャンダルであるため、在京インテリジェンスコミュニティをはじめ、彼の素性を知る者は、そこにいる者以外は誰もいなかったが。
三郎が再び、口を開く。「チェルネンコ中佐、アメリカさんのLend Lease法のおかげで、装備品、弾薬は今後西側から順調に届くだろうが、民生品の供給、とりわけ、エネルギー供給の方は、どうのかね?私が、こんなことを言うのは、国民の間に厭戦気分が広がり、ゼレンスキー政権が求心力を失い、ロシアとの講和派が勢いづかないか気懸りだからだ。」
「それには心配及びません。親露派は、既に粛清済みですし、反戦派は家族と共に、EU諸国に出国させています。何よりゼレンスキー大統領は、閣下の計画は、大変興味を示しております。」
「政権与党工作の方はどうなっていますか?」新堂が、小野田に尋ねた。
「大物が我々の同志に加わりました。あとは、アメリカさんの横槍が入らないように、くれぐれも身辺および情報管理に気をつけてください。」と小野田は無表情で答えた。
2 Ranch 81
6月20日午前4時、夜明け前の北海道十勝地方芽室町の国道38号沿線で、若い女性が保護された。全裸で路肩に突っ伏していた女性は、既に低体温症にかかっており、トラック運転手に保護された後、消防により救急病院に運ばれた。全身に、カミソリで切られたような創痕があり、陰部には裂傷があり、膣内からは複数の男の精液が検出された。
手当を受けた後、彼女は警察による病院での聴取に応じた。
「どこから来たのですか?」
「東京です。女子だけで北海道をツーリングしていました。道の駅で声を掛けられた、外国人に誘われ牧場に行き、そこでBBQをしていました。食事の途中で、皆んな意識を失い、気付いたら、鉄格子のある部屋の中にいました。」
「そこで、何があったのですか?」
「・・・・・。私たちは3人いたのですが。外国人の男達に薬を盛られて、陵辱されました。」
「監禁されていた場所について、詳しく説明してください。」
「私たちは、それぞれ独房のようなところに入れられて、代わる代わる男達に暴行されました。」
「あなたはどうやって逃げたのですか?」
「天窓を蹴破って、そこから逃げました。そのとき怪我をしましたが、見つからないように、牧草地を車の明かりが見える方に、ひたすら歩きました。」
女性が保護された場所付近に、Ranch 81という横浜市の農業法人に登記名義がある東京都練馬区ほどの面積の牧場があり、その日の午後、芽室署の2人捜査員が訪れ、任意で聴取を試みた。
一人の捜査員が、牛舎に隣接する事務所で「ここの管理責任者は誰ですか?」と尋ねた途端に、乾いた銃声が響いた。慌てて逃げ出す捜査員の背後からイスラエル製ウージ半自動小銃が、火を吹き、捜査員は前に倒れた。
驚いた相棒が、署に無線で慌てて応援を頼んだ瞬間、連射音が聞こえ、応答が途絶えた。
3 工作員
20日午後、北海道警本部に特別対策本部が設置され、刑事部捜査1課特殊捜査班(SIT)が現場に急派された。2007年の洞爺湖サミットの際に設立された同特殊捜査班は、Pepperball VKSセミオートライフルで武装し、テロリスト対処能力を持つ。
公務執行妨害容疑で逮捕状が発付され、SIT要員が拡声器から、日本語、中国語、英語、ロシア語で犯人に投降を呼びかけた。と、その時、スナイパーの銃声が響き、SIT捜査員が、額を凶弾に撃ち抜かれた。続いて、4台の機動隊の「カマボコ」に、対戦車ロケットが相次いで被弾し爆発炎上した。
もはや、外国人武装集団に対して、平和ボケの「警察比例の原則」では対処できないことは明白であった。
そこに、新華社電の衝撃的なニュースが飛び込んできた。「北海道・十勝地方で約1万5千人の中華系住民がレファレンダム(住民投票)を行い、『東方中華共和国』として日本からの独立を宣言した。」
21日未明に東京・永田町の総理官邸でNSCが招集された。岸本紘一首相は、一貫して警察による対処を主張した。
「こんなチンピラが少し騒いだくらいで、自衛隊に治安出動させたら、国際社会の笑い者になる。我が国の優秀な機動隊員で十分対処可能だ。」
「しかし、総理、相手は外国人で、なおかつ強力な火器で武装しております。他にどんな凶器を隠し持っているか分かりません。鉄パイプと角棒を振り回す、60年前のゲバ学生の革命ごっこの相手をするのとは訳が違います。」
「ダメなものはダメだ。もし自衛隊と交戦して、相手が怪我をしたり、死亡したりでもすれば、中国がきっと介入してくる。もちろん、ウクライナのように軍事侵攻されることはないだろうが、仮に中国政府が武装勢力の独立を承認するようなことがあれば、G7としての我が国の威信が著しく傷つく。警察庁長官、直ちに警視庁、北海道道警、千葉県警、神奈川県警の特殊急襲部隊(SAT)に出動を命じたまえ。参院選が、控えているんだ。規制線を張って、絶対にマスコミを近づけるな。できる限り穏便に済ませるんだぞ。つまり、相手側に死者を1人も出すな。あと、日本人女性の人質も無事に救出しろ。」
その日の午後、武装集団の拠点を包囲するように布陣した4都道県のSATチームは、警察庁長官の「突入」の合図を待って、緊張の面持ちで身構えていた。
そのとき、バシュっという音とともに、何かが宙に打ち上がり、次の瞬間、SAT隊員達を地獄の劫火が焼き尽くした。
燃料気化爆弾が使用された。だが、その時既にテロリスト達は、地下道を通って数百メール離れた別のコンパウンドに移動しており、アジトはもぬけの殻であった。
日本政府にとって大変不名誉なことに、テロリストらは、SAT隊員が全滅する様子をドローンを使って動画空撮しており、そのクリップがTwitterとYouTubeに投稿され、拡散してしまった。
これを機に、金融市場では、日経平均が1万円を割り込み、為替相場が1ドル150円まで円安が進むとともに、日本国債が売られ、金利が2%に急騰した。そして、日銀の指値オペも虚しく、イールドカーブコントロール政策はあっけなく崩壊した。
4 パーフェクトストーム
7月1日、北海道・浦幌町の十勝川河口付近に、コンテナ商船に偽装した揚陸艦が接岸し、20台の中国製15式軽戦車が、Ranch81まで30キロに渡って素早く十勝川沿いに展開した。また、本州から、民間交通機関を使って多数の中国系移民が「東方中華共和国」に合流した。
彼らは、漁港を占拠し海上からの兵站ルートを確保した。
国土が外部勢力に侵害されたにもかかわらず、岸本政権は「静観」を決め込み、自衛隊の防衛出動はおろか治安出動も命じず、ただひたすら、「会議」に延々と無為な時間が費やされた。
そのため、武装集団が展開した十勝地方の日本人住民はパニックを起こし、避難民と化して、自家用車で札幌、旭川、釧路方面に退避しようとした。
国道は大渋滞し、避難民たちの表情に疲労の色が浮かんだ。そこに武装集団の攻撃ヘリが飛来し、機銃斉射した。車列のガソリンタンクが次々に被弾し、火の手が上がった。
国内に侵入した外国人テロリストの暴虐行為を前に、日本政府はただ指を咥えて「見守る」だけで、国民の怒りはピークに達した。
一方、ソーシャルメディアでは、#Sell Japanのハッシュタグで、日本の政治・経済・安全保障危機の情報が飛び交い、日本売りにヘッジファンドだけでなく、機関投資家まで加わり、日本株安、円安、日本国債安のトリプル安を記録した。
そして、7月8日金曜日ニューヨーク時間15時(日本時間7月月9日土曜日未明午前2時)、遂にマーケットが大クラッシュした。相次ぐ空売り攻勢の末、為替相場は1ドル320円、10年物の日本国債は、価額が額面金額の4%まで大暴落し、利回りが450%に暴騰して市場が閉じた。
翌7月10日の参院選で、与党政友党は歴史的惨敗を喫し、維新党が参院第一党に躍進した。
しかし、リスクを取れずに、日本に戦後最大の危機を招いた与党政友党・岸本内閣は総辞職するかと思いきや、こともあろうに衆議院の解散を表明した。
「参院選敗北は私の不徳の致すところです。まことに慚愧の念に耐えません。かくなる上は、衆議院を解散し国民の信を問うべきと判断しました。」
日本政府の財政は破綻し、近未来の日本の政治経済の混迷に国民は怯えた。
一方、隣国の国民は、日本経済の凋落に狂喜し、祝杯を上げた。
「ウリは、イルボンの国債ETFを空売りしたニダよ。月曜の朝、買い戻しが楽しみニダ。」
「ウリんとこは、日経平均インデックスファンドとドル円を高レバレッジの空売りで攻めてるニダ。これで、ウリも億り人ニダ。」
「儲けたカネで、対馬と北海道の土地を買い占めるニダ。」
5 ミュージック・スタート
7月11日月曜日、日本時間午前9時、市場がオープンすると同時に、日本政府・財務省は外国為替特別会計の累積残高1.29兆ドル(月曜朝の為替レートで415兆円)を全て取り崩し、外国為替市場にドル売り円買い介入するとともに、週末に阿鼻叫喚のセリングクライマックスをむかえ、大底値を付けた日本国債を怒涛の勢いで買い戻した。その結果、為替相場は一挙に1ドル65円まで猛烈に急反発し、日本政府は、日銀が異次元緩和で買い漁った額面総額950兆円の国債を、僅か38兆円で拾い、過去から累積してきた天文学的な金額の国家債務を一掃した。
寄り付きと同時に全てが終わった。後に残ったのは、買い戻しに失敗して、追証地獄に叩き落された欧米のヘッジファンドと南鮮の個人投資家・東学アリたちの膨大な死屍累々たる山々であった。
一方、日銀は、週末までは債務超過で破産必至と見られていたが、ほぼ不良債権と化していた日本国債が貸借対照表の資産の部から消えた一方、急騰した円で市場介入し、米ドル、ユーロ、英ポンド、スイスフラン、金などの金融資産を大量購入した結果、バランスシートを1日で健全化させるとともに、ドル円相場も110円程度に軟着陸させることに成功した。
また、日本株には内外投資家の買い注文が殺到した結果、空売りで積み上がった膨大な枚数のショートポジションを抱えていた外国人仕手筋が、国債・為替相場と同様に踏み上げで狩り殺され、日経平均は一時ザラ場で4万7千円を超え、史上最高値を記録した。これに対し、株式市場の極端なボラティリティを懸念した日銀は、ポートフォリオ内の日本株ETFを売却して沈静化を図ると同時に、アベノミクスの負の遺産を払拭した。
その日の16時、臨時会が召集され、天皇陛下が衆議院解散を宣言した。
衆議院本会議場で万歳三唱ののち、小野田三郎は、国会内の政友党総裁執務室に岸本総理を訪ねた。
「いやはや、総理、激動の2日間ですな。」
「まったく、一気に寿命が縮んだ思いがします。」
「ところで、この後一仕事頼めないかね。」
「野党の君に借りを作った覚えはないが。まあ、話しは聞こう。」
「参議院の緊急集会を開催してもらいたい。」
「断る。それは内閣の専決事項だ。それに、そもそも、今日臨時会を開いたのだから、重要案件でもあれば、その際、参院で審議すればよかったではないか。」
「まあ、そう言いなさるな。ところで、面白い物をお見せしよう。」と言って小野田がスマートフォンを取り出し、岸本にある動画を見せた。すると、岸本の顔が見る見るうちに蒼白になった。
全裸の岸本が首をカメラ方向に向けた状態で、ベッドでうつ伏せに横たわり、その背中を全裸の若い2人の女が踏みつけていた。やがて、女達は、岸本目がけて放尿すると、一国の指導者に相応しからぬ惚けた笑みを浮かべて「もっと、もっと汚して」と放心してだらしなく口走っていた。
岸本の首相としての政治生命は今日終わったが、過去から現在に至る彼の全政治生命が否定されかねないヤバい代物だった。
『あり得ない。あれは、他の誰も知らない俺専用の別宅マンションだ。監視カメラ以外に、盗撮カメラなんて仕掛けられる筈はない。え、まさか監視カメラの映像に誰かがアクセスしたのか?』
激しく動揺した岸本は正常な判断力を失い、「召集すればいいんだな。その代わり、その動画を抹消すると約束しろ。ここに一筆書いてもらう。」と言って、手帳と万年筆を小野田に差し出した。
小野田は、ニヤッと笑って、封書に入れた参議院・緊急集会の議案を岸本に突きつけた。
「あとのことは、榎本さんに引き継いでもらいたい。」
7 憲法破棄
7月12日午前2時、現行憲法第54条第2項にもとづき、現行憲政史上初の参議院・緊急集会が内閣により召集された。
議案は、「立憲主義の重大事案」と、内閣総理大臣・岸本紘一は事前のぶら下がり会見で述べたが、本人は相変わらず他人が作成したメモをただ棒読みしているだけで、この件に関して何かを理解している片鱗も窺えなかった。
その直後、岸本は体調不良を理由に病院に入院し、参院本会議場では、財務相・榎本武士が首相代行を務めた。
2日前の参院選結果を受けて、最大会派となった維新党から議長が、第2党の現行政権与党の政友党から副議長が選出された。
維新党の参議院議席数は、僅かに過半数を下回る123議席であった。一方、政友党は、改選前議席数131から59に激減したものの、院内第2会派を辛うじて維持した。
参議院議長は、首相代行の榎本財務相に、内閣から提出された議案の朗読を求めた。
「国民代表の皆さん。現在、我が国は戦後史の重大な岐路に立たされております。少子高齢化による人口減少社会化、ウクライナ戦争や台湾海峡危機に関連するシーレーンの確保、南西諸島や北海道の安全保障、輸入に依存する食糧・エネルギー安全保障など、我が国が直面する深刻な問題は枚挙にいとまがありません。
しかし、我が国にはこれらの国難を打開する力があります。我々は、昨日それを証明しました。昨日まで、我々は国家財政破綻の由々しき危機的状況に直面していたにもかかわらず、それをたったの1日で解決したのです。」
議事堂にスタンディングオベーションが起きた。榎本は日本経済の救世主であり、国民の間で、その人気は沸騰していた。
「皆さん、我々は、我が国を蝕む根底的な病巣を退治しなければなりません。
それは、我々を呪縛する宿痾とも言うべき現行憲法であります。多くの与野党の国会議員諸氏は、日本国憲法を「不磨の大典」と捉えて、その条文の一言一句でさえ変えることをタブー視する向きがあります。
たしかに、第9条第1項の平和主義は、我々の先達が、大東亜戦争の怖るべき惨禍に恐懼して立てた不戦の誓いとして刮目すべきものがあります。
しかし、第2項の戦力の不保持及び交戦権の否認は、敗戦国である我が国の主権を制限するために、戦勝国たる連合国が我が国に課した頸木であります。
1928年のパリ不戦条約で、国策遂行のための手段としての戦争が違法化された結果「交戦権」という概念そのものが陳腐化したと主張する憲法学者がおりますが、現在のロシアとウクライナを見てください。
5常任理事国のうちの1つであるロシアは、国際平和と安全保障への重い責任を負託されたからこそ、国連憲章により安保理における拒否権、およびNPT(核不拡散)条約により核兵器保有を認められているにもかかわらず、厚顔無恥にも、歴史的な領有権主張を振りかざしてウクライナを侵略し、そこに住む無辜の民間人を虐殺し、都市を破壊しました。
ロシアが国策遂行の手段として、違法な軍事作戦を行なっていることは明白ですが、国連安保理は、ロシアの拒否権のため、現在、機能しておりません。
我々が暮らす21世紀は、強大な軍事力を持った国が、腕力で弱小国を捻じ伏せる、19世紀以前の『弱肉強食』のジャングル法が支配する国際関係の時代に回帰してしまったのであります。
かかる状況を鑑みるに、交戦権の否定、集団的自衛権の否定、専守防衛は、外国の利益のために、我が国の国民の生命と財産を犠牲にする、日本国民への「懲罰条項」ないし「懲罰概念」であり、独立国たる我が国の国益に資するものとは到底考えられません。
専守防衛とは、響きの良い言葉ですが、これは、日本の国土が戦場と化すことを意味する恐ろしい概念です。というのは、ご存知の通り自衛隊は日本の主権の及ぶ領域内でしか戦うことができないからであります。
しかし、ひとたび敵の日本への上陸を許してしまえば、もはや手遅れなのは明らかであります。ウクライナの事例を見ればお分かりのように、敵の榴弾砲が雨、霰と砲火を浴びせ、都市は文字通り瓦礫と化し、国土は重戦車に蹂躙されるからです。
現行憲法が制定されてから早くも76年、施行からは75年経過しました。しかし、現行憲法は連合軍の占領統治時代に、GHQの民政局に勤務する米国人の憲法学の素人が、1週間余りの急拵えで作成した草案を、粗雑に邦訳した文書に過ぎず、主権者の自由意志にもとづき制定された国家の最高法規と到底呼べる代物ではありません。その成立過程における重大な瑕疵に治癒の余地はまったくありません。
加えて戦時国際法である、ハーグ陸戦条約第43条は「国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。」と規定し、占領地域における法秩序の尊重・遵守義務を占領者に課しているところ、GHQ民生局の憲法草案押し付けは、まさしくこれに違背することが明白であります。
蓋し、現行憲法の制定過程における重大な国際法違背は、国際協調主義の観点から、国際法を憲法と並び国内法秩序上、最高上位規範と位置付ける現行憲法の精神にも整合しません。
以上を踏まえて考えると、連合軍占領下において、現行憲法制定議会となった1946年6月20日召集の第90回帝国議会は、その会期中に、明治憲法下の主権者、すなわち昭和天皇の自由意志の発露としての憲法改正案を、明治憲法の条項の定める適正手続に従い、真っ当な審議を経て議決したとは到底認められません。
そもそも、外国人に銃口を突き付けられて、強要された文書に、主権者たる天皇および国民の自由意志が介在する余地があろうはずはありません。
ゆえに、現行憲法に我が国の最高法規範としての正統性を認めることは断じてできません。
思うに、現行憲法は、サンフランシスコ講和条約が発効し、連合軍の占領統治が終了した1952年4月28日の時点を以って、被占領期基本法としての役目を終え、失効したと考えるのが相当であります。
現在我々は、もはや効力を有しない『昭和暫定憲法』の幻影の下で、国家を運営しており、かかる『無憲法状態』は、可及的速やかに解消しなければなりません。
そこで、日本の憲政のあるべき姿を取り戻すため、将来の新憲法の制定に向けた第一歩として、いったん明治憲法の法秩序に立ち返る必要があります。
私はここに、内閣を代表して、国民代表としての現職国会議員の皆さんに現行憲法の破棄を宣言するとともに、正統な憲法秩序の回復を宣言することを建議いたします。
内閣総理大臣代行財務大臣 榎本武士」
8 新国家
参議院本会議場には、第1党•維新党および与党・政友党の熱狂的な拍手喝采の一方、左翼政党議員の怒号が飛び交った。
左翼議員が議長に激しく詰め寄り、議事は一旦休会になった。
しかし、パヨク議員が泣こうが喚こうが、ふだん中共や南鮮の提灯記事を書いている朝日、毎日の売国記者が各種メディア・アウトレットを駆使して必死に反帝絶叫アピールをしようと、既に北海道を支那人に侵略された日本国民の心には虚しく響くだけであった。
「侵略者の手先が、どの面下げて、この後に及んで偉そうに綺麗事を言ってやがる。どうせ、露助や中共や南北鮮人どもが攻めてきたら、オマエラは提灯持って歓迎するだろうに。」と一般国民の間には冷めた見方が広がっていた。
いずれにせよ、維新党幹部と政友党榎本派の協議は既に水面下で終わっていた。
その日の未明4時半に本会議が再開した時、議事を妨害しようと試みる左翼議員を撃退するため、周囲を武闘派の維新党議員によって囲まれた参議院議長が、本会議場で決議案を朗読した。
1 当院は、1947年5月3日施行「日本国憲法」(以下昭和暫定憲法)の破棄を宣言する。
2 ただし、昭和暫定憲法第3章「国民の権利および義務」の規定する、各種人権保障規定は爾後も有効と見做し、大日本帝國憲法第2章「臣民の権利及び義務」の規定に優越するものと解する。
3 昭和暫定憲法を前提に国会が制定した法律、内閣が制定した政令、各種行政機関が定めた行政規則、及び地方公共団体が制定した条例は、爾後も原則的に有効な法令と見做す。
4 我が国は、昭和暫定憲法下で、我が国が諸外国との間に締結した2国間及び多国間条約、協定、取決め等、一切の国際法を遵守する。
5 次会の総選挙後、新憲法制憲議会となる第93回帝國議会が開催されるまでは、国家運営に必要な法規は、大日本帝國憲法第8条第1項に基づき天皇の発布する緊急勅令により、これに充てる。
6 大日本帝國憲法第34条の貴族院に関する定めは、これを適用せず、昭和暫定憲法42条によってこれに代える。
7 新憲法草案は、大日本帝國憲法56条の定めるところにより、枢密院官制に従い、枢密顧問が、これを起案する。
激しい野次や怒号が飛び交うなか、決議案は、午前5時45分、賛成175票対反対73票で可決され「日本国憲法」は破棄された。
翌、同日午前7時、岸本内閣は、大日本帝國憲法10条に基づき、天皇陛下に対し総辞職を願い出た。これを受け、天皇は榎本武士を首席国務大臣(総理大臣)に任命し、直ちに組閣を命じた。同時に、令和緊急勅令第1号が発布され、陸上自衛隊の帝國陸軍への改組、海上自衛隊の帝國海軍への改組、帝國空軍の創設並びに航空自衛隊の帝國空軍への改組が下命され、天皇が統帥権を回復した。
同日9時には、小野寺三郎・財務相兼外相、海軍大臣・新堂一二三を含む15名の閣僚からなる榎本内閣が発足した。
9 日宇・平和友好・相互防衛条約
7月12日午後2時、駐日ウクライナ共和国特命全権大使イェカチェリーナ・エプシュティナは、新生大日本帝國外相・小野田三郎との間で、形式上交戦状態が続いていた第2次大戦の講和条約を締結した。条約内容の要旨は、以下の通り。
1 大日本帝國政府は、ウクライナ共和国をソヴィエト連邦の正統な継承国と認め、両国間の交戦状態に終止符を打つべく、平和条約を結ぶ。
2 大日本帝國政府は、サンフランシスコ講和条約に規定された義務を履行するため、同第2条(c)で、大日本帝國が放棄した南樺太および得撫島からシュムシュ島に至るまでの千島列島をウクライナ共和国に引き渡す。
3 両国は相互防衛を約し、協力して第3国による侵略に対抗する。
4 ロシアは、大日本帝國がサンフランシスコ講和条約で放棄した南樺太・千島及び大日本帝國の固有領土である北方領土に対して、正統な占有権原を有せず、両国はロシアを不法占拠者と認定する。
5 大日本帝國とウクライナ共和国の国境は、北海道の北端・宗谷岬と樺太南端・西能登呂岬の間の中間線、及び択捉島と得撫島の間の中間線に引く。
6 日本政府はウクライナ政府が国土を防衛するために必要な資源を提供する。
国際社会は、クーデターとも言うべき日本の政変と、相次ぐウクライナとの相互防衛条約締結という急展開に驚愕した。
一方、ロシア・プーチン政権はウクライナをソビエト連邦の継承国として認めるという日本・ウクライナ両国の共同声明に対して猛烈に反発し、対日核攻撃を示唆した。
また、アメリカ政府は、新生大日本帝國政府が従前の国際法秩序を遵守するという国会決議を前に、とりあえず静観の構えを見せたが、米軍占領統治の置き土産とも言うべき「日本国憲法」を日本が破棄したことに強い不快感を表明した。
南鮮の首都ソウルでは、反日暴動が起こり、釜山の日本総領事館、ソウルの日本大使館が入居するオフィスビル、日本交流基金が運営する日本文化会館など日本の在外公館に多数の鮮人暴徒が侵入して焼き討ちした結果、在留日本人に多くの死傷者が出た。
大日本帝國政府は、明治憲法の規定に基づき改めて設けられた枢密院の下に、千島・南樺太タスクフォースを設置した。同タスクフォースの任務はサンフランシスコ講和条約に規定された千島・南樺太のウクライナへの引き渡しを完遂することであった。
同時に、大日本帝國政府は、ウクライナからの避難民及びロシアのプーチン政権に反対して国外に脱出したロシア国民に対して無条件で日本国内における労働ビザを発給する声明を発表した。
これを受けてUAE、タイランド、インドネシアで行き場を失っていた、主に20代から30代の数十万人のウクライナ人とロシア人が各国の大日本帝國大使館や領事館にビザを求めて殺到した。
10 マウリポリ急襲
7月12日午後4時、大日本帝國政府はまた、トルコのエルドアン政権との間に通貨スワップ協定及び2国間の軍事協力協定を締結した。同時に、トルコ政府は、日本政府の船舶に対してボスポラス海峡・ダーダネルス海峡の海上通行について規定したモントルー条約の適用を除外することを約した。
これにより大日本帝國海軍の艦船は、戦時においても両海峡を自由に通行できることになった。
時は1ヵ月前に遡る。当時の海上自衛隊・ヘリコプター搭載護衛艦いずもは、数隻の僚艦とともに海賊対処法にもとづき、海上・航空自衛隊唯一の海外拠点であるジブチ基地を拠点に哨戒活動の任務に就いていた。
7月12日0100現在、紅海北部にて対海賊哨戒任務を終えた旗艦いずもをはじめとする海上自衛隊艦隊は、スエズ運河を通過し、友好親善寄港のためトルコ海軍イズミール軍港に向けて航行中であった。
その時、市ヶ谷から「帝都政変」の入電があり、新たな作戦目的のため進路をダーダネルス・ボスポラス海峡方面に変更した。
他方、新生大日本帝國政府はトルコ政府との合意によりイスタンブール・アタチュルク国際空港内の駐機場に、帝国空軍専用のスペースを確保したことに加え、空港ビル内に兵站・連絡事務所を開設した。
これを受けて、7月13日、日本時間0100、前日まで防衛省と呼ばれていた市ヶ谷の庁舎内に新たに設立された統合参謀本部により、島根県の帝國空軍美保基地よりC2輸送機5機、KC767空中給油機2機、および千葉県の習志野基地からV-22オスプレイ6機に出撃命令が下され、イスタンブール・アタチュルク国際空港へ向けて離陸した。
現地時間7月14日0100。黒海洋上、V-22オスプレイの機内。「隊員、傾聴。我々帝國陸軍第1師団・特殊作戦群は、本日初陣を飾る。我々の任務は、第一空挺団と連携してマウリポリのアゾフ製鉄所地下壕内で、現在ロシア軍と交戦中の友軍・アゾフ連隊を救出することである。現地時間0200に、我が帝國空軍の地上攻撃機が付近のロシア軍攻撃目標を爆撃する。これについで我が隊は、敵地に降下し、友軍隊員を救出する。友軍との合言葉は『コシュカ・ミャオ』である。」
「隊長、質問があります。その合言葉は、どういう意味でありましょうか。」
「ウクライナ語で『ねこ・にゃー』だ。」
隊員の間に失笑のどよめきが起きた。
「救出作戦終了後、1210に、マウリポリ港の3番埠頭に、我が帝國海軍の輸送艦が接岸し我々を回収する。健闘を祈る。」
7月13日現地時間2230、海上自衛隊横須賀基地から改称された帝國海軍横須賀鎮守府内の海軍省仮庁舎に設けられた海軍軍令部より、黒海洋上にあったジブチ方面派遣艦隊ヘリ空母・出雲、輸送艦・大隈、駆逐艦・秋月、同・不知火、イージス駆逐艦・羽黒、最新鋭フリゲート艦・最上、潜水艦黒龍、大鯨に出撃命令が発令された。目標は、クリミヤ半島セバストポリ軍港の海上封鎖、ロシア黒海艦隊の撃滅、マウリポリ港にて友軍戦闘員の救出である。
以降、帝國海軍艦隊はマウリポリに向かう出雲、大隅、不知火、黒龍の友軍救出隊、及びセヴァストポリ攻略隊である羽黒、秋月、最上、大鯨の2隊に分かれて、それぞれ作戦任務に就いた。
同日現地時間7月14日0200、最新式の17式艦隊艦ミサイルが計8発、イージス艦羽黒及びフリゲート艦最上から発射され、アウトレンジからセヴァストポリ港に碇泊中のロシア黒海艦隊の大型艦艇を次々に轟沈させた。また、最上搭載の無人水上艇USVが、セヴァストポリ軍港外に機雷を敷設し、海上封鎖した。
一方、出雲隊では、黒海とアゾフ海を隔てる連絡橋の橋桁を、ヘリボーン工作員が整形炸薬で爆破し、ロシア本土とクリミア半島の陸上交通を遮断した。そして、対空警戒を厳にしつつ、マウリポリ港へ向けて取り舵を切った。
1230、出雲隊は、マウリポリ港において、友軍戦闘員及び帝國陸軍特殊部隊隊員等を無事回収し、任務を完遂し帰投した。
一方、国内では、旭川に駐屯する 帝國陸軍第2師団の戦車大隊が、分離独立を主張して十勝川沿いに展開していた支那人武装勢力をほぼ無血で鎮圧した。また2名の日本人女性の人質も無事に解放された。
殺人罪、強姦財務、強盗罪、公務執行妨害罪を犯した支那人を除き、ほぼ全員が財産を没収され、在留資格を剥奪の上、国外に永久追放された。
アゾフ連隊救出の報に、ウクライナ、日本臣民のみならず、世界中が歓喜した。
11 南樺太・千島奪回作戦
実は大日本帝國政府とウクライナ政府の共同コミュニケには秘密条項があった。
1 大日本帝國政府はウクライナ政府から、無期限でウルップ島からシュムシュ島までの北千島の租借権を獲得する。
2 大日本帝國政府はウクライナ政府から、無期限で樺太南部の宗谷海峡に面する北緯46度30分以南の亜庭湾の租借権を獲得する。
3 ウクライナ政府は、豊原以北(北緯46度30分以北)、北緯50度線までの南樺太地域を統治する。
4 ウクライナ政府は、統治する南樺太領域内で日本人が居住・就労する権利を認める。
5 ウクライナ政府は、その極東領海及び排他的経済水域における大日本帝國の漁業権を認める。
6 ウクライナ政府と大日本帝國政府は樺太におけるエネルギー資源開発を共同して行う。
7 大日本帝國政府はウクライナ政府に経済支援を行い、ウクライナ政府が統治する樺太において通貨として日本円を流通させることを認める。
8 大日本帝國政府はウクライナ政府がロシア人侵略者を排除するために必要な軍事装備品や兵員を無償で提供する。
新生日本帝國政府は、同盟国であるアメリカ・バイデン政権に事前に上記の秘密条項を知らせ、サンフランシスコ講話条約に基づき、アメリカが北千島の引き渡しを望むかを打診した。しかし、ロシアとの直接的な軍事的緊張を恐れた同政権は、日本帝國側の申し出に無回答であった。
南樺太には、現在約700,000人のロシア人、ウクライナ人に、加えて少数の先住民族が居住している。
そこで、ウクライナ政府が南樺太の実効支配を確立した後、円滑な法治を確立するため、ウクライナ政府及び日本帝國政府は協力して、大日本帝國政府から労働ビザの発給を受け、すでに大日本帝國国内に入国していたウクライナ人及びロシア人の家の希望者を対象に研修を行い、ウクライナ共和国サハリン州の行政機関の職員、及び法執行機関の要員の養成に着手した。
「エトピリカ作戦」と名付けられた南樺太・千島奪還作戦を立案した市ヶ谷の統合参謀本部は、同作戦を2022年8月10日に決行した。
作戦開始と同時に、帝國空軍の青森三沢基地に配備されたF35Aステルス戦闘爆撃機が、ロシア沿海州の内陸部にあるコムソモリスカ・ナ・アムーレ空軍基地飛行場に駐機していたロシア空軍のSu-57 最新鋭ステルス戦闘機群をノルウェイ製JSM長距離空対地ミサイルで破壊した。
一方、敵のミサイル策源地を叩くために、一旦、一昨年に退役したF4ファントム戦闘攻撃機をモスボール状態から解き、12式地対艦ミサイルをベースに新たに開発した新型20式長距離空対地巡航ミサイルで武装させ、国後島及び択捉島に配備されたS-300防空ミサイルシステムや沿海州や千島列島・松輪島のレーダーサイトを攻撃し無力化した。このミサイルは日本版GPSと呼ばれる測位衛星「みちびき」から受信した電波をもとに正確な座標に精密打撃を行うことができる最新兵器だった。
また、ミサイルキャリヤーに改修し、1機当たり8発の新型長距離空対艦ミサイルを搭載した帝國海軍P-1哨戒機の総勢24機の編隊が、二手に分かれ、ウラジオストック軍港とカムチャッカ半島のペトロパブロフスク軍港を急襲し、そこに停泊中の艦船を次々に撃沈し、ロシア太平洋艦隊をほぼ壊滅させた。
また、オホーツク海を徘徊するロシアの原子力潜水艦を、P-1哨戒機と連携して帝國海軍旭型駆逐艦及び蒼龍型潜水艦が追い詰め、降伏後、鹵獲した。
ウクライナ戦争の泥沼にはまっていたロシア軍は極東地域において新生大日本帝國陸・海・空軍に背後から攻撃されて、大パニックに陥った。
ロシア陸軍のサハリン守備隊は、すでに武器や弾薬の大半をウクライナ方面に送っていたため、特に抵抗することもなく、8月15日樺太・亜庭湾に上陸した帝国陸軍・旭川の第2師団及び長崎相浦の水陸機動団に対して、降伏し武装解除に応じた。
サハリン方面守備隊が降伏すると、国後・択捉島に駐留していたロシア陸軍の守備隊も上陸してきた札幌の第11師団に無血降伏し、武装解除した。第11師団の普通科(歩兵)連隊は、1945年9月の雪辱を果たすかのように、歯舞諸島をはじめ、南から北に向けて千島列島の各島々を次々に解放し、8月15日には千島列島北端のシュムシュ島に到達した。
作戦開始後5日で、対ロシア戦闘はすべて終了し、作戦は成功した。
間髪を置かずに、警視庁によって訓練された、来日ウクライナ人及びロシア人から構成されるウクライナ政府・新生サハリン州の法執行部隊及びウクライナ本国から派遣された行政官が樺太南部に展開し、略奪・暴行・殺人など重大犯罪を含む、法の空白による無政府状態が発生するのを防いだ。
一方、ウクライナ政府との密約に従い、新たに組織された帝國陸軍憲兵隊が、樺太の亜庭湾地域及び北千島の各島の民間人居住区に配備され、ロシア軍の武装解除に応じない残党を掃討した。
帝國空軍のF15イーグル戦闘機及びF2戦闘攻撃機は、朝鮮半島方面及び支那大陸からの脅威に備えるために、今回の作戦には参加しなかった。
12 アメリカの干渉
極東地域でロシア軍が日本帝國の進撃を前に、あっけなく壊滅したことにアメリカは驚愕するとともに少なからぬ脅威を感じた。
そこで、米国政府は大日本帝国政府に対して北千島の引き渡しを要求してきた。
しかし、「エトピリカ作戦」開始前に、北千島の引き渡しについて事前に米国に打診していたにもかかわらず、すべての対ロシア戦闘が終結した後になってから、二次大戦の戦勝国面をして漁夫の利を得ようとするアメリカの姿勢に不信感を感じた大日本帝國政府は、7月8日の日本国債相場の大暴落にCIAのサイバー部隊が関与していた証拠をメディアに暴露し、アメリカの要求を突っぱねた。
しかし、今後も日米安全保障条約に基づく日米同盟を堅持する立場を大日本帝國政府は取ったため、択捉島の単冠湾に日米共同で海軍基地を建設し米軍に使用・駐留することを認めることで妥協案を探った。
日本側の譲歩にもかかわらず、アメリカ政府は、単冠湾海軍基地に飽きたらず、北千島のうちのいくつかの島の引き渡しを求めてきた。そのため、ウクライナ政府も交えた三国間の協議の上、戦略的要衝である松輪島とパラシムル島の施政権を、2島に対するウクライナ共和国の主権を承認すること、および2島における日本人の居住権、就労権、並びにその周辺海域における漁業権を、大日本帝國政府に対して許諾することと引き換えに、米国に引き渡すことで三者が合意した。
ただその際、日本側は米国政府代表に対して1つ条件をつけた。それは、クリミヤ・ドンバス地方を含むウクライナからのロシア軍の完全撤兵を担保するため、北樺太の油田・ガス田地帯に米軍が派兵し、当該地域を含む北樺太全域を保障占領することであった。
大日本帝國政府はサンフランシスコ講話条約の条項を誠実に履行する義務を負担しているため、外国の領土の一部を占領統治することはできなかった。そこで、その役割を同盟国の米国に肩代わりしてもらう必要があった。
その狙いは、日本の商社及び国策エネルギー開発企業が現在保有している、石油・ガス鉱区であるサハリン1及びサハリン2における権益確保の問題を、今後のウクライナ及び日本とロシアの間の休戦交渉において、俎上に乗せ、ロシア側から日本側にとって有利な譲歩を引き出すところにあった。
一方、これはアメリカ側にとっても、エクソンをはじめとする米国・オイルメジャーがウクライナ戦争の開戦前に保有していた石油ガス権益を、停戦後に回収するという意味で、決して悪い話ではなかった。
そこで、アメリカ側はこの大日本帝國政府の提案に同意した。