臨採、夏目龍之介見参
第一部 教員一年目一学期編
「俺はいったい、どこへ行こうとしているんだろう。」
八月の海風が龍之介の髪をやさしく撫でていた。今、龍之介は九州に向かうフェリーの上にいた。お盆休みを利用して、ただ何となく旅の途についていた。
彼の名前は夏目龍之介といった。職業は臨時採用教師。埼玉県のとある市の中学校で一年間が任期の臨時採用教師をしている。三月に大学を卒業してすぐ、四月一日から中学校に赴任した。特に教師になりたかったわけではない。その証拠に、その年の教員採用試験も受けていなかった。
赴任するとすぐに一年生の担任を命じられた。龍之介の親族には教員はいなかったため、臨時採用教師が担任を持つことが、普通なのか、そうでないのかは龍之介にはわからなかった。「まあ、そんなものか。」と思っただけだった。また、中学校の教師は部活動の顧問を持たなければならなかった。龍之介は剣道部の顧問になった。
実は、龍之介がこの学校に採用された一番の理由は、この部活動だったらしい。龍之介は、剣道三段だった。高校時代、県大会でベスト4に入る学校のレギュラーだった。採用が決まる前に教育委員会に呼ばれてこの中学校の校長と面接をした。校長は開口一番、剣道部を持てるかと聞いてきた。履歴書で剣道三段は初めから承知した上での問いだった。「うちの剣道部は荒れてしまっている。専門家でないと立て直すことは難しいと思うんだ。」と校長は続けた。中学生の荒れているというのがどの程度のものなのかは龍之介にはわからなかったが、断る理由は見つからなかった。というより、断る立場になかった。特に教師がやりたいわけではないが、大学も卒業してしまった以上、これ以上親の脛をかじるわけにもいかなかった。断れば、この話はないことになると思ったのである。こうして、龍之介は剣道部の顧問になったのである。
四月当初の職員会議で各部活動の顧問が正式に決まった。春休み中、顧問不在でも生徒たちは部活動を行っていた。龍之介は顧問就任の挨拶がてら、剣道部の活動を見に行った。この学校は武道場を持っていなかった。そのため、剣道部は体育館で活動していた。
体育館に入ってみると、体育館をネットで半分に仕切り、半面を男女のバスケット部が使い、残りの半面を剣道部が使っていた。剣道部も男女いるはずなのだが、どういうわけか男子しか練習していなかった。その男子も、およそ練習と言うにはほど遠いものがあった。部員の数は二十人ほどいるのだが、実際防具をつけて剣道らしきことをしているのは五人ほどで、残りの者は防具もつけずに座り込んでいた。それもただ座り込んでいるのではなく、明らかに下級生と思われる者たちを正座させ、それを竹刀で突っついて笑っていた。剣道らしきことをしている者たちも、これも明らかに下級生でしかも剣道初心者ではないかと思われる者を一方的に竹刀で叩いたり、突いたりしていた。ちなみに、中学生は突きは禁止技となっている。この下級生をいたぶっている生徒が部長であると思われた。この生徒だけが剣道らしい動きができていた。しかも、かなり筋がよかった。こいつはなかなかいい選手になりそうだと龍之介は思った。
しばらく黙って眺めていると、この部長らしき生徒が龍之介に気がついた。面をはずして龍之介のところにくると、こう聞いた。「新しく来られた顧問の先生ですか?」生意気そうに見えるのだが、言葉づかいは丁寧で、龍之介は意外に思った。「先生は、剣道できるんですか?」やはり、龍之介にかなり興味があるらしい。「高校のときにやっていたよ。」「ああ、そうなんですか。」気のない返事だった。この反応がどんな気持ちから出たのかは龍之介には読み取れなかった。今度は龍之介から聞いてみた。「女子もいるって聞いてたんだけど…。」「いますよ。」これも気のない返事だった。「どこにいるの?」体育館内を見回しながら龍之介は聞いた。すると、今度は面倒くさそうに答えた。「ステージの脇が女子の部室なんだけど、あいつらしょっちゅうミーティングとか言って部室に籠もって後輩いじめてますよ。防具つけてるとこなんか見たことねえ。」おまえだって今、後輩いじめてたじゃねえかと思ったが、どうやら、こいつは剣道だけは真面目にやりたがっていることが推察されて、龍之介は少しうれしかった。この部長の名前は、佐々木といった。
女子部は三年生が十二人、二年生が七人だった。三年生の十二人はほとんどが剣道初心者で、部長の堂安とこのチームの先鋒を務める吉岡だけが経験者だった。副部長の向坂でさえ初心者だった。それに引き換え二年生は全員が経験者で、小学生の頃はかなり活躍したらしい。中にはこの地域で道場を開いている剣道家の娘もいた。それだから尚更なのだろう。自分たちが練習しないのはもちろんだが、二年生にもいびってばかりで、練習をさせなかった。
女子剣道部の二年生は「米つきバッタ」と呼ばれていた。遠くの方に三年生の姿を見つけると、廊下でも屋外でも一列に並んで、気をつけの姿勢から三年生に対して挨拶を繰り返すのである。特に屋外ともなると百メートルほども離れているところから、三年生が自分の前を通り過ぎて見えなくなるまで数十メートルの間、ずっと「こんにちは」「こんにちは」と早口に言いながら、頭を、これも腹筋運動のような速さで下げ続けるのである。これが、さながら「米つきバッタ」のようだというわけだ。
これはなかなかのもんだな、と龍之介は思った。しかし、この異様な光景を他の部活の生徒たちや教師たちは、どう思っているのだろうか。いじめ問題が世間でこれだけ問題視されている中、これを「いじめ」とは認識しないのだろうか。同僚の教師に聞いてみた。すると、返ってきた答えはこうだった。「異常だろ?!あれが女子剣道部の伝統なんだってよ。」呆れた様子ではあったが、それほど問題視はしていないようだ。
実はこの学校、開校四年目の新設校だった。隣接する伝統校が、新興住宅地の関係で生徒数が急増し、四年前に分裂したというわけだ。ところが、残念ながら龍之介の赴任した新設校の方が、経済的に苦しい家庭の多い団地を抱えていた。龍之介は知らなかったのだが、一般的に家庭の教育力は経済力と比例する確率が高いというのだ。つまり、教育力の低い家庭が多いということは、教育的に大変な生徒が多くなるということで、荒れた学校ができてしまったというわけである。以来四年間、ずっと荒れているため、女子剣道部のこの程度の後輩いじめには、慣れっこになってしまっていたのである。
この事実を龍之介は後日知ることになるが、もともと教師という仕事に魅力を感じていたわけではない。このいじめを無くそうなどとは初めから考えもしなかった。ただ、好奇心の赴くままに、二年生に話を聞いてみた。すると、意外な答えが返ってきた。
「放っておいてください。このまま大人しく先輩たちの言うことを聞いてれば、そのうち引退していなくなりますから。先生、変なこと言って先輩たちを怒らせないでくださいよ。ぺこぺこしてれば、それで済むんだから。」というのだ。「なるほど、波風立ててほしくないというわけか。まあ、俺も最初からなんとかしてやろうなんて思ってないんだけどね。」と龍之介は思いながらも、「それでいいの?」なんて心にも無い言葉を返していたのだが、「いいんです。」という予想通りの答えが口をそろえて返ってきて、これも予定通りに用意していた「わかった。」という言葉で、二年生たちとの会話は終わった。
龍之介は思った。「女の方は大分面倒くさそうだから、あまり深入りしないようにしよう。」と。しかし、剣道部立て直しが龍之介に与えられた課題である以上、とりあえず少しは格好をつけないと職を失うかもしれないという恐怖心が龍之介にはあった。そこで、特に何をどうしようという気持ちもなく、男子部の活動に参加することにした。
正直、やる気はないのだが、中学生に馬鹿にされるような状況は嫌だと思っていた。実は、龍之介は剣道部員たちを手名付ける方策は思いついていた。
親族に教員のいない龍之介は、教員の仕事を全く知らなかった。学校の先生は、春休みは生徒と同じようにずっと休みだと思っていた。ところが、着任の日から毎日会議会議で部活動に出る時間さえない。九時から十二時は職員会議。昼を挟んで一時から四時までが学年ごとの会議。その後も、生徒一人一人の生徒手帳を作ったり、様々な書類分けやら、四月八日の入学式・始業式に向けて、遅くまで仕事は続く。教師ってこんなに忙しいんだと初めて龍之介は思った。
四月四日の午後、ほんの少しだけ部活動に出られる時間ができた。龍之介は剣道着に着替え、面以外の防具も身につけ、体育館に向かった。中に入ると、相変わらず男子だけで練習していた。生徒たちは龍之介の姿に気づいてはいたが、挨拶の一つもない。あえて無視しているといった感じだった。しばらくは、遊びとも練習とも判然としないものを眺めていたが、やがて面をつけ、部長の佐々木に歩み寄り声をかけた。「稽古をつけてやろうか。」
この言葉に佐々木は一瞬驚いたような様子だったが、すぐににやりと笑って、「いいですよ。ありがとうございます。」と言った。言葉こそ丁寧だが、「お手並み拝見と行こうじゃないですか。」と言った具合の感じで、小生意気な表情だった。おそらく剣道初心者の前任の顧問がコミュニケーション作りの一環で稽古をしたこともあるのだろう。そんな顧問の意図もわからず、いいように竹刀を浴びせて有頂天になり、俺の方が強い、文句言うな、くらいの気持ちでいたのであろう。それに、対外試合も剣道部はほとんどしたことがないと聞いていた。当然だろう。これだけ男も女も好き勝手やってる状態で、安心して校外に連れ出せるわけがない。
龍之介と佐々木の稽古が始まった。他の生徒に特に見学しろと言ったわけではないが、稽古もどきの練習をしていた者、遊んでいた者もみんな体育館の端に腰を下ろし、二人の稽古を見始めた。龍之介には、他の生徒も佐々木と同様、龍之介のお手並み拝見というつもりなのだと思えた。
龍之介は正眼に構えた。龍之介の竹刀の切っ先から十センチ離れたところに佐々木も正眼に構えた。龍之介が習った剣道は北辰一刀流だった。かの坂本龍馬が江戸の千葉道場で習得した剣だ。正眼の構えから鶺鴒の尾のように切っ先を上げ下げする特徴がある。剣道の場合、段位上位者からは先に仕掛けない。まして、これは試合ではなく稽古である。しかも、龍之介が中学生に稽古をつけてやるという体である。だから、当然龍之介はそのつもりでいる。しかし、佐々木の方はそうではない。試合のつもりで臨んでいる。そして、龍之介を破り、部活における今後の主導権を握ろうとしているのだ。
龍之介が間合いをつめるが、佐々木は打ってこない。そこで、龍之介はさらに間をつめた。すると、こらえきれずに佐々木は面に打って出た。しかし、佐々木の竹刀は振り上げることもできずに、龍之介の竹刀に上から押さえられていた。龍之介は後になって気づくのだが、この部の生徒たちは皆間合いが近い。かなり相手に近づかないと打てないのである。俗に“おじさん剣道”と呼ばれているが、ろくな練習もしていないので脚力が弱く、遠くから跳び込むことができないのである。竹刀が三十センチも交差してからでないと打突できない。これでは、先を制している龍之介の竹刀は、ちょっと右手をかぶせるだけで佐々木の竹刀を押さえ込んでしまうのである。
これを数回繰り返したところで、佐々木に焦りが感じられた。その瞬間だった。離れ際に龍之介の引き面が佐々木の面をしたたかに打った。間合いを一瞬切ったと見えた次の瞬間に龍之介の第二撃が佐々木の面をとらえていた。そして、休むことなく小手・面・小手・面・小手・面・面と立て続けに打突し、その後に体当たりをすると佐々木は五メートルも後ろへすっ飛んでしまった。
それきり佐々木は立ち上がろうとはしなかった。あまりの力の違いに完全に戦意を喪失していた。
龍之介は佐々木に近寄り、笑顔で話しかけた。「おまえ、いいセンスしてるなあ。ちょっと俺の言うとおりに練習してごらん。これなら、あっという間に強くなれるぞ。いやあ、いいよ、いい。本当にいいよ。」褒め殺しだった。こうして、佐々木は龍之介の門下に下った。
龍之介のねらい通りだった。佐々木が龍之介の門下に下れば、不本意ながらもその子分に甘んじていた連中も龍之介の門下に下らざるを得ない。こうして男子部は龍之介に掌握されたのである。
次の日から、男子部の遊びといじめの混濁した活動は一変した。龍之介が練習メニューを作り、その一つ一つを実際にやってみせながら教えていった。渇いたスポンジが水を吸い取っていくように、部員たちは龍之介の教えを見る見る吸収していく。中でも、部長の佐々木の練習に対する意欲は目を見張るものがあった。
もともと佐々木は練習に飢えていた。剣道は好きであったし、とにかく強くなりたかった。学習成績も優秀だったが、中学入学当初から剣道の強い高校への進学を希望していた。しかし、入部した中学校の剣道部は顧問はほとんど部活に出てこない。中学校自体も荒れているため、正義はまかり通らない。当然のごとく剣道部内に秩序はなく、厳しい練習を望んでやる者などいない。そのため、一年生の頃から練習などさせてもらえず、先輩たちからのいじめに甘んじていた。
二年生の後半に先輩たちが引退し、自分たちの代になった。地元の道場で練習を続けてきた自分はそこそこの力はつけていたが、周りの者はそうなるはずもない。チームは弱い上に、部活中は遊ぶのが当たり前になっているので向上心もない。そんな連中を相手に稽古をしてみても相手にならない。その上、自分もだらけたこの部の在り方が身についてしまっていたから、後輩をいじめて、やりきれない気持ちを紛らせていた。
そんなところに、龍之介が来たわけである。佐々木の向上心は目覚めた。龍之介にたくさん稽古をつけてもらって早く強くなりたい。
しかし、この時期の教師の放課後は会議ばかりでなかなか部活に出られない。龍之介も学校が荒れているのに生徒たちだけで部活をやらせて、教師は会議室で会議では、生徒は悪くなる一方ではないかと思っているが、そんなことを発言できる立場ではない。当然のごとく、各部活では、けが人が出たり、喧嘩が起きたりしているのだが、不思議なことに、それほど大きな問題にならない。教師も生徒もそれを特に問題視しないのだ。この程度のことは日常茶飯事ということなのだろう。
ともあれ、こんな理由で龍之介は部活に出られないのだが、そんなことは生徒である佐々木にはわからない。もっと部活に出てきてくれと訴える。佐々木からしてみれば、せっかく信頼してやったのにやっぱりお前も去年までの顧問と同じか、という思いがある。龍之介にはその気持ちがしっかり感じられたため、何とかしてやりたいのだが、如何せんどうすることもできない。ままならないことなのである。
このことを相談するでもなく、先輩教師に愚痴ってみた。すると、「昔は、職員会議の時間に年休をとって部活に出ていた教師もいたけど、このご時世じゃすぐ問題になっちゃうから、最近はいないね。」と、そんな話をしてくれた。いいことを聞いた。よしこれだ、とは龍之介は考えるタイプではなかった。確かに、昔の学園ドラマの教師みたく、破天荒に暴れ回るのもカッコイイかもしれない。しかし、そんな教師になるつもりはさらさらなかった。
そもそも教師になりたくてなったわけではないし、子どももそんなに好きではない。どちらかというと苦手で面倒くさい。だから、佐々木の訴えも、これだから子どもは面倒くさい。自分のことしか考えてないからなあ、と内心思っていた。
しかし、練習メニューも計画的なものになり、またそれをやる気を出した佐々木が忠実にこなそうとしているため、男子部は部活の体を成してきた。秩序も出てきた。今までだったら、練習しようとする者は少数派で、主流派はただだらだらしていただけだったので、練習しようにもできなかった。すれば、主流派から攻撃されてしまう。ところが、これが逆転した。ほぼ全員練習していなかったのに、こんなに練習したい人間がいたとは驚きである。とはいえ、中には練習したくない者もいる。特に三年生は二年間いじめられ続けて我慢をしてきた。やっと自分が一番上になり、今までの分を後輩にやり返せると思ったのに、それができないなんて不公平じゃないか。自分はそんなつもりで剣道部に入っていない。話が違う。くらいに思っていた者もいて、そういう者たちはいつのまにか部活に出てこなくなった。二年生の中にも数人いて、同じように出てこなくなった。こうなると尚更、部全体がやる気に満ちてくる。四月中旬、龍之介の剣道部顧問就任から半月で男子剣道部は戦う集団へと変貌した。
話を女子部に転じてみよう。男子部が着々とあるべき方向に進んでいる中、女子部は相変わらず「米つきバッタ」や「ミーティング」と称する後輩いじめが行われていた。しかし、ここにも変化は出始めていた。男子部が日に日に活気ある練習に変わっていく傍らで、練習はしないまでも防具を出して素振りめいたことをし始めた者がいた。三年の吉岡と同じく三年の小森である。この二人、防具は準備するものの、その脇に座り込んで竹刀をいじっているだけで、垂れと胴はつけるものの面は一向につけない。二年生たちはその後ろで同じく垂れ、胴をつけ、こちらは直立不動で一列に並んでいた。他の三年生はというと相変わらず部室の中でおしゃべりに興じている。そんな中、吉岡と小森は練習を始めるでもなく、また、今までならこんな手持ち無沙汰な状態には二年生に言いがかりをつけ、「あんたたち、何そんなところに突っ立ってんだよ!」くらいのことは言って、二年生たちを右往左往させていたのに、今回はそんなこともしない。ただ、竹刀から手は離さず、お互いに会話するでもなく、時折、素振りめいたことをするだけだった。
実は、龍之介も随分後で知ることになるのだが、吉岡は副部長であった。副部長は向坂と前述していたが、吉岡も副部長だったのである。
昨年の三年生が引退して新チームが発足したとき、剣道経験者の堂安と吉岡が実力は抜けていた。しかし、吉岡は偏屈な性格で友達と呼べるものを持たなかった。つまり、新チームの中での人望は全くなかった。
それに対して、女子の集団の中によくある人間関係上の力関係では、圧倒的に向坂が上だった。吉岡より上というだけでなく、この集団で一番恐れられていた。
しかし、剣道部であるのに剣道の実力がある堂安と吉岡を差し置いて向坂を部長にするわけにもいかず、社交性のある堂安が部長になった。そして、向坂が副部長。実力から言えばもしかしたら堂安より上かもしれない吉岡を同じく副部長としてバランスをとったのである。役職の上ではこうなるが、実質は向坂がこの集団のボスであり、人間関係を作れない吉岡はこの集団に対する発言力などあるはずもなく、文字通り蚊帳の外だった。だから、龍之介も吉岡が副部長ということは教えてもらうまで全くわからなかったのである。
話をもう一人の小森に転じてみよう。小森には今の時代には珍しく他に兄弟が三人もいた。つまり、四人兄弟である。小森はその一番上。すぐ下の弟が小学二年、あと二人も弟で五歳と三歳であった。これだけ年の離れた兄弟である。必定、小森が弟たちの面倒をみていた。しかも、面倒見の大変いいお姉ちゃんであった。
中学校がこれだけ荒れている学区である。小学校、保育園が落ち着いているはずがない。小森の弟たちもこの荒れの中でいじめられていた。
小森の両親は中学校の同窓生で、二人とも勉強は著しくできなかった。しかも、母親の方は不登校気味であり、父親の方の学力の低さは小学校低学年並みであったから、二人とも高校へは進学できなかった。それゆえ、なかなかいい勤め先にも恵まれず、父親は極めて低賃金の地元の工場に勤め、母親もパートに出て生計を支えていた。
この両親から比べれば、小森は随分しっかり者だった。勉強こそ、中の下というところだが、明るく快活で、学級の仕事なども率先して行っていた。だから、女子剣道部員というといじわるでぐうたらしていて、およそ教師から受けがいいはずの存在ではなさそうなのに、小森だけは教師からの評判がよかった。
そんな小森がなぜこんな剣道部に入ったのか。それは、強くなりたかったのだ。精神的にも技術的にも強くなり、弟たちを守ってあげたかった。そして、何よりも弱者である小森家自体が嫌だった。自分は弱者でいたくはないと強く願ったからだった。
そんな吉岡と小森の様子を見ていた龍之介であったが、特にアクションを起こそうとは思わなかった。これだけ根深い問題を抱えた女の集団がこの二人程度では変えられないことを知っていたわけではない。教師成り立ての龍之介にそんなことがわかるはずがない。ただ直感で、ここに何か働きかけをしても効果は無いだろうなと思ったのと、もともとこの女子剣道部を何とかしようという気がそれほどなかったからだ。
そうこうしているうちに、龍之介の学級担任としての生活も進んでいた。
龍之介は一年四組を担任していた。この学校は一学年八クラスあり、二年三年も同じだった。最近ではかなり大きな中学校といえる。
本来、龍之介のような臨採(臨時採用教師)には、担任を持たせないのが常識である。なぜなら、わざわざ臨採に担任を持たせなくても、正式採用の教師はたくさんいるからである。臨採は、教員免許は大学在学中に取得できるので持っているが、各都道府県が実施している採用試験に合格していない教師である。この採用試験は会社の入社試験と考えてもらえばいいだろう。正社員だけではちょっと手が足りないので、臨時のアルバイトを一年契約で雇うという形である。当然、身分の保障・給料の保障も正式採用教師ほどではない。この学校も担任を持たない正式採用教師は、管理職、学年主任、養護教諭を除いても複数いた。しかもこの学校、龍之介のほかにもあと二人が臨採で担任を持っていた。
ここに現在の学校現場が抱える問題点の一つが見えてくる。つまり、各学校には学級担任ができる能力を有していない教師が複数いるということである。そして、彼らは正式採用教師であるため法律を犯すような悪事をしない限り、辞めさせられることはない。一般企業なら仕事ができなければクビになってしまうレベルでも、教師は法によって守られていて辞めさせられることはないのである。さらに、教師は年齢給であるため、仕事をしなくとも、その年齢の給料がもらえる。また、教師には残業手当がない。夜の八時九時まで仕事をしても、定時の五時に帰っても給料は同じである。彼らは仕事ができないため、彼らのところには仕事は回ってこない。だから、彼らは定時の五時に帰れるのである。これに対して、仕事ができる教師には自分の分の他に彼らの分の仕事も回ってくる。仕事ができる教師ほど生徒への指導力も優れている。しかし、仕事ができる教師ほど様々な仕事に時間を奪われ、生徒への指導時間が少なくなっている。その傍らには、事務仕事も生徒への指導もほとんどしない教師が複数いるというのに……。
教師成り立ての龍之介には、そんなことはわかろうはずもない。ただ、正式教員がいるのになぜなんだろうと疑問に思うばかりだった。
話を龍之介に戻そう。
龍之介が担任した一年四組もこの荒れた学校の中で例外ではない。入学当初から様々なトラブルが起きた。まず、最初に起きた事件から紹介しよう。
龍之介のクラスに川田篤という生徒がいた。この生徒、俗に「多動」と呼ばれる性質があり、授業中でもわずか数分間しかじっとしていられない。すぐに伸びをしてみたり、シャープペンシルを分解してみたり、隣の生徒にちょっかいを出してみたりという具合だった。随分後になるが、龍之介の勧めで検査を受け、ADHD(注意欠如多動性障害)と診断されることになる。
入学当初からこの生徒の周りで物がなくなるという事件が多発した。消しゴムやシャープペンシルが多いのだが、筆入れやお金までなくなった。不要なお金は学校に持ってきてはいけない規則になっているが、そこは荒れた学校である。一年生といえども守られていない。学校帰りに買い食いでもするつもりで持ってきていたらしい。お金を持ってきてはいけないのだから、当然、買い食いも禁止なのだが……。
これらの事件の側には、いつも篤の名前が挙がっていた。実は、小学校時代もこんな事件は頻発していて、その傍らにはやはり篤がいたため、生徒たちの間では犯人は篤だろうと噂されていた。しかし、結局犯人は特定されなかった。
実は、小学校の教師はこういった指導に弱いのだ。だから、このときも状況的には篤だろうと思いつつも篤に認めさせ、返品だの弁償だのの措置をとり、反省させることができなかった。
このような悪事に対する指導を学校現場では「生徒指導」と呼んでいる。本当の意味の「生徒指導」とは、教師が生徒に指導する内容すべてを言う。つまり、教科の勉強を教えるのも生徒指導だし、進学や就職など卒業後のことを考えさせる進路指導も生徒指導である。今回のような生活上の指導は正確には「生活指導」というのだが、学校現場ではこの生活指導だけがクローズアップされてしまい、この内容だけを「生徒指導」と呼ぶ慣習になっている。
小学校の教師はなぜこの生徒指導に弱いのか。答えは簡単でこういう指導の経験がないからである。今回の篤の事件も窃盗罪、つまり、立派な犯罪である。警察が関与してもおかしくない事件である。ひと昔前までは、小学校ではこんな警察沙汰になるような事件は滅多に起こらなかった。だから、こういう問題行動に対するノウハウが小学校にはないのである。
ところが、若者文化の低年齢化に伴い、こういった問題行動も低年齢化してきている。かつては大学生がしていたことを高校生がするようになり、高校生がしていたことを中学生がするようになったといった具合だ。つまり、今の小学生はかつては中学生がしていたことをしているのである。この中には窃盗、暴力等、それも警察沙汰になるようなものも含まれている。
俗に、学校現場が一般社会より十年遅れていると言われる所以もこのあたりにもあるかもしれない。若い教師たちは自分の体験から今の小学生の問題行動は「子どものすることだから」で済まされないことが多々あることを薄々知っている。しかし、他人を指導する経験は全くないので、指導の仕方はわからない。これはベテラン教師が教える必要があるのだが、ベテラン教師もそんな指導は習ったこともやったこともないから教えることができない。管理職ですら教えられない、というより、管理職の方が平のベテラン教師よりもっと教えられないのである。なぜなら、管理職の方が平のベテラン教師より年配であるため、平教師の頃にはこんな問題行動はほとんどなかったからである。
実は、篤のいた小学校では過去にこんなことがあった。女子児童六人が集団万引きで店の従業員に捕まった。その店の店長は、相手が小学生ということで警察には通報せず、かといって一軒一軒児童の保護者に連絡するのも面倒と考えたのか、学校に「引き取りにきてほしい。」と連絡してきた。そこで、教頭が引き取りに行き、学校に連れて帰ってきた。この教頭は新任以来ずっと小学校で教鞭をとってきていた。これに対して、この学校の校長は中学校の教師を長年勤めた後、管理職になって初めて小学校に勤務した人であった。この校長が、教頭に児童たちから事情を聞き、指導するように指示をした。すると程なく、事情聴取と指導を終えた教頭が校長の下へ報告に来た。あまりにも短時間で報告に来たので、不思議に思った校長は「いったいどうやって事情聴取をしたのか。」と教頭に聞いてみた。すると、六人の児童たち全員を集めて一斉に話を聞いたというのである。これには校長も驚きを隠せず、「それでは真実は聞き出せないだろ!」とつい大きな声を挙げてしまった。ところが、教頭は悪びれもせず、「一斉に聞かないと話が合いませんから。」と堂々と答えた。
確かに全員を集めて話を聞けば、話は合うに決まっている。おそらく、教頭の問いかけに対し、まずは今回の首謀者が自分たちはそれほど悪くないような言い訳を言う。それをナンバーツーの児童がフォローする。そして、残りの四人に「そうだよね!」と同意を求める。中には、小心者で金魚の糞のようにただ後にくっついていただけの児童もいたであろうが、首謀者たちが怖くて同意せざるを得ない。みごとに話は合うはずである。
しかし、この小心者こそが重要なのである。なぜ小心者なのかといえば、この児童は「とんでもない悪いことをしてしまった。どうしよう。」とびくびくしているのである。つまり、万引きを「とんでもなく悪いこと」と認識している。善悪の判断が正常だから恐れおののいているのである。こんなまともな児童は早く救ってあげなければならない。ちなみに、学校において「生徒指導」と呼ばれるものの本質はここにある。悪事を諫めて正しい方向に導くのが生徒指導と思われがちだが、本質はそうではない。悪事を犯した子どもは必ず罪悪感に嘖まれ苦しんでいる。ここから早く助け出してやろうというのが生徒指導だ。この考えがなければ、ただ懲戒を与えるだけのものになりやすく、子どもからしてみれば愛情を感じられない。愛情を感じられない指導は子どもには入りづらい。
今回のこの教頭の指導も形式的に反省の言葉を引き出し、「二度とやらない」という約束をさせただけのものだった。そこには、「この子たちは苦しんでいる。」という認識も、「だからこそ、早く救い出してやろう。」という気持ちもなかった。
では、どうやったら救い出せるのか。この児童たちは口裏合わせの嘘をついている。しかも、その場しのぎの嘘であるから矛盾が多い。この矛盾をカバーするためにまた次の嘘をつかなければならなくなる。嘘をついている状態は苦しい。それが最初の嘘を守るために増幅していく。だから、最初の嘘を消してあげれば、苦しみから救い出せるのである。
本来なら、口裏合わせができぬよう別の教師が側に付くか、それぞれ別室で待機させるかして、一人ひとり呼び出して話を聞くべきであった。そうすれば、この小心者の児童あたりは真実を語ることができただろう。ここを突破口に他の児童たちにも真実を語らせることはそれほど困難なことではない。
校長は以上のような考えから、もう一度事情聴取と指導をやり直すように教頭に命じたのだが、児童たちは一旦口裏合わせをしてしまった。つまり、最初の嘘をついてしまった。しかも、全員で同じ嘘をついたことを確認してしまった。もう、裏切れない。
結局、児童たちは最初のうそをつき通した。一人ひとり聞いているのだから、うその周辺を語らせれば矛盾点はいくらでも出てくるのだが、この教頭はそのノウハウを持ち合わせていない。そのため、その矛盾に気づかない。まして、こんな薄っぺらい嘘にまんまと騙されてしまう大人を子どもたちは信頼しない。小心者の児童が仮に真実を語りたくなったとしても、仲間を裏切った自分をこの教頭が守ってくれるはずがないということは容易にわかる。だから、真実を語るはずがない。生徒指導は教師と児童生徒の信頼関係の上に成り立つのである。しかし、この信頼関係とは親しさのことではない。たとえ、初対面でも関わっていく中で「この人ならこの問題を任せられる」と児童生徒が思えるかどうかである。守ってもらえると思えば、安心して真実を語ることができる。
篤の話に話題を戻そう。こういう経験をしてきている生徒たちである。篤も当然この恩恵?を受けている。簡単に「僕がやりました。」なんて言うはずがない。
しかし、篤を呼んで話を聞く必要があるのだが、何しろ教師になったばかりの龍之介である。先の教頭ですらこういう指導のノウハウを心得ていなかったわけだから、龍之介が心得ているはずがない。また、そんなことは周りの教師も当然わかっているはずである。龍之介が幸運だったのは、この学校、優秀な教師が多くいたことである。
教師の人事は教育委員会が行うのだが、荒れている学校を何とかしたいと考えるのはどこの教育委員会でも同じである。そこで、立て直しの方策として優秀な人材を多く送り込むという手法をとる教育委員会も少なくない。この学校もどうやらそれが行われたらしい。
おそらく龍之介がこの指導のやり方がわからないであろうことは学年主任を中心に複数の教師がわかっていた。しかし、だからと言って「キミには無理そうだから、我々がやりましょう。」とは、簡単に言えない。大学を卒業したてとはいえ、一クラスを任された立派な大人である。子ども扱いすることはできない。龍之介に対する遠慮が出てしまう。
これは、優秀な教師たちだからこう考えるが、これがそうでない教師たちだとこうは考えない。「これは自分たちの仕事ではない。クラスの問題はその担任が解決すべきなんだ。」とこうなる。優秀でない教師の特徴として、まず仕事をしたがらないというのがある。単純に勤勉さがないとも言えるのだが、その仕事を成功させる自信がないため、手を出したがらないという側面もある。
幸いなことに龍之介の周りにいたのは、優秀な教師たちだった。もう一つ幸運だったのは、龍之介自身が教師としてのプライドを持ち合わせていなかったのみならず、やる気がなかったことである。もともと教師になりたくてなったわけではない。ある意味、収入のためである。だから、簡単にこの言葉が出てきた。「どうしていいか、全くわからないんですけど…。」
この言葉によって周りの優秀な教師たちが安心して手を出せることになった。「私がやって見せるので夏目さんは隣で見ていてください。」と学年主任の武川が言った。
ここで、この学年主任の武川についても触れておこう。この武川という教師はちょっと変わっていた。まず、一学年八クラスもある学年であるのに学年主任をしながら学級担任もしている。これは普通ではあり得ない。なぜなら、学年主任の仕事を大雑把に分けると三つでそのどれをとってみても学級担任をしていると負担が大きかったり、やりづらかったりするからだ。
具体的に説明すると、一つ目の仕事として「学年教師の船頭役」がある。常に先を見通して、これから行われる生徒・教師の活動が円滑に行われるための手立てを考え、学年教師たちの前に示していかなければならない。これを受けて特に各担任たちは自分のクラスの実態、自分自身の特性に合わせてこの手立てをさらに具現化していき、実際にクラスの生徒を指導していくことになる。主任と担任を兼ねているということは、何から何まですべて一人でやることになる。
二つ目の仕事は、「全クラスの指導・相談役、後ろ盾」である。それぞれのクラスは大小にかかわらずそれぞれ固有の問題を抱えている。それらをすべて把握してあるべき方向に担任を指導したり、相談にのったりする必要がある。また、担任だけでは対処できなくなったときには、すぐにそのクラスに入って自ら指導しなくてはならない。ちょうど、今回の龍之介のクラスがそのケースだ。武川の場合、自分のクラスにも責任を持ちつつ、他の全クラスについてすべてを把握し、時には直接指導しなければならないのである。
三つ目の仕事は、「学校の運営役」である。一般的には、運営は校長もしくは教頭を含めた管理職がやっていると思われているが、実際は、この他に教務主任、各学年主任によって運営されている。学校によって多少の差はあるが、大方このメンバーで学校の進むべき方向性が示され、具体的な職員会議の内容などもここで一旦審議され、職員会議にかけられている。学年を離れて、学校全体を考えなければならない役割もある。
いかに学級担任ができる人材が不足しているとはいえ、一学年八クラスもある学年では主任と担任の兼任は相当に無理があると言える。しかし、この武川は学年主任の依頼が校長からあったときに、「学級担任をやらせてくれるならやる。」と自分から兼任を要求した。校長は前述したように相当に負担が大きいため「それは無理だろう。」とたしなめたが、「担任をやらせてくれないならやらない。」と武川が頑なだったため、仕方なく武川の要求を受け入れたということだった。
武川には信念があった。「自分は学級担任をしたくて教師になった。学級担任をしなければ自分は教師をしている意味がない。」というものだ。武川ほどの男が主任と担任を兼任することの困難さを知らないはずがない。それでも自らその困難さの中に身を置こうとしたのである。この男、当てになる。
武川の篤に対する指導が始まった。龍之介は武川の隣に座り、どうやって篤に窃盗を認めさすのだろうと武川の言葉に注目していた。
武川はまず、一つ一つの事件における篤の動きについて聞いていた。当然、事前に収集した目撃情報を武川の方から話すようなことはしない。篤は、後にADHD(注意欠如多動性障害)という診断を受けることになるわけだが、この障害はその場しのぎの嘘を反射的につくという特性がある。また、先の見通しが持てないという特性もある。いいとこ将棋で言う二手先までしか読めない。「ここがこうだから、次はこうなる。」ここまでだ。これ以上先になると最初がどうだったのかわからなくなる。それで、その場しのぎの嘘しか言えないのだ。その場しのぎであるし、反射的であるわけだから、先の話の展開まで考えられた嘘ではない。だから必然、矛盾だらけになる。ましてや篤の場合、複数の事件に関わっているわけだからそれらすべてに整合性のある嘘などつけるはずがない。この矛盾を武川は一つ一つ指摘していった。篤はその指摘に対し反射的に言い逃れを言うのだが、その場しのぎであるからすぐさま次の矛盾が生じてしまう。通常ならこのへんで観念しそうなものだが、篤の場合、歯の浮くような嘘を繰り返す。なかなか観念しない。隣で聞いていた龍之介もあまりに見え透いた嘘の繰り返しに腹が立ってきて、「いいかげんにしろ!」と怒鳴りつけたくなったのだが、矛盾を指摘している当の武川自身が平然と矛盾の指摘を繰り返しているため、立ち上がろうとした寸前で思い止まった。
龍之介は武川に対してイライラし始めていた。「もうここまで来れば、一気に恫喝して自白に追い込めばいいじゃないか。何をもたもたやっているんだ。」そう思って武川の横顔を見るのだが、武川は相変わらず穏やかなペースを崩さない。
そうこうしているうちに篤が開き直り始めた。「それはおかしいって言われたって、僕はそうしてたんだからしょうがないでしょう。」「先生は僕を信じていないんですね。」「生徒を信じられない先生は僕も信じられません。」という具合に。
「このやろう、ふざけやがって!」と龍之介は思わず椅子を蹴って立ち上がってしまったが、武川がそれを制して、また穏やかに言った。「信じているよ。でも、先生が信じているのはキミとは違う部分だけどね。」
ここまで既に二時間が経過していたが、武川はやっと第一目標地点に到達したと思っていた。龍之介はもう終末に来ていると思っていたのだが…。
武川はこう考えていた。「篤たちは時間が長くなれば、教師の方が根負けする経験をしている。だから、とにかく白を切り通せばそれで済むと思っている。いくら時間が経っても教師が納得するまでは解放されないということをわからせない限り、この子たちは嘘を突き通す。」と。嘘をいくらついても武川が納得できるようなものではないため、矛盾の指摘と嘘が繰り返されてきたわけだが、篤はここで嘘ではなく、違う種類の言葉を返してきた。つまり、篤がこの繰り返しでは終わらないと悟ったのだ。いよいよ第二ラウンドの始まりということになる。
「信じているよ。でも、先生が信じているのはキミとは違う部分だけどね。」の後を、武川はこう続けた。「先生が信じているのは、キミが人間として素直でいい人間だということだ。また、先生は人間は時には嘘をついてしまうことがある生き物だ、ということも信じているよ。ましてや子どもだったら尚更にね。だから、先生は今はキミが嘘をついていると思っている。だけど、キミは素直でいい人間だから、今回の失敗を必ず素直に反省してくれると信じているよ。」
この言葉で簡単に落ちるほど今の中学生は甘くない。しかし、矛盾の指摘と嘘の繰り返しの中に、この「信じてない」「信じてる」の遣り取りが三回目を迎えたとき、篤は自分がやったということを涙をこぼしながらやっと認めた。実に、四時間が経過していた。
実は、武川はこの学校の教師たちの間で「待ちの武川」と呼ばれていた。武川の生徒指導は基本長い。しかし、確実に成功させる。それ故ついた呼び名であるが、龍之介には納得のいかないものがあった。「確かに成功したが、もっと早い時点で決着をつけられたんじゃないか。下校時刻をあれだけ厳格に守らせようとしているのに、こんな夜遅くまで生徒を残すことが許されるのか。」というものだ。四時半から始めた篤への指導は八時半を過ぎてようやく終わり、その後、保護者を学校へ呼び、事情をすべて説明し、事後策を理解してもらって篤親子を帰したのは十時を過ぎていた。その間に下校時刻を過ぎた時点で、一旦篤の保護者に篤から話を聞いている旨を龍之介が電話連絡してはいたが…。
すべてが終わった後、武川は職員室で今回の指導に関して龍之介に説明し始めた。このとき、夜の十時を過ぎているというのに副主任の下野も待っていて同席した。この下野という男、この男も優秀な教師である。この後、龍之介に様々な影響を与えていくことになるが、この男についてはそのときに譲ることにしよう。
武川は次のように語り始めた。「やっぱり遅くなっちゃったねえ。まず、今回のような指導の際にはこの指導の目的を明確にして指導に臨むことが重要なんだ。夏目さんは今回の指導の目的は何だと理解していた?」「それは篤に盗んだことを認めさせることじゃないですか?!」特にイラつく様子もなく、ごく自然な反応で龍之介は答えた。予想通りの答えに武川はにやりと笑い、「実は違うんだ。それは目的を達成するための手段にしか過ぎないんだ。」と言った。「えーっ?!違うんですか?」龍之介は半ばわかりきったことを聞くと思っていたから仰天したが、そうなると正解は何だか見当もつかなくなった。この龍之介の反応も武川にとっては予想通りだったので、武川は龍之介にはお構いなしに話を続けた。「今回のことで一番苦しんでいるのは誰か。それは、物がなくなった子たちではなく、それを盗って嘘をつき続けている篤なんだよ。確かに物やお金がなくななれば多少の不便さや不気味さはあるだろうが、苦しみというほどじゃない。それに対して盗んだ方の篤はほんの少しの罪悪感とこれから先ずっと嘘を守り通さなければならない負担はそれなりのものがあったと思うよ。罪悪感をほんの少しと言ったのは、普段の篤を見ていると今回のようなことでは、篤は盗みとか窃盗とは思っていないだろうからね。でも、それに気づいたら苦しくなるね。ところが、罪悪感に嘖まれても自白するわけにはいかない。もう、嘘で嘘を塗り固めてしまっているからね。そうなったら辛いよ。ほら、夏目さん。わたしが篤に、『これは盗みだね。窃盗罪に当たる。本来なら警察が入ってもおかしくない事件だ。』と言ったら、顔色が変わったろ?あのときから篤の苦しみは増大した。だから、早くこの苦しみから解放してあげたいじゃないか。でなきゃ、篤がかわいそうだよ。子どもなんだから。これが今回の指導の目的さ。」
「なるほど、この目的を達成させるための手段として篤に認めさせる必要があったわけか。」と龍之介は納得したが、それよりも驚きの方が大きかった。「教師はこんなふうに考えるんだ。俺は正義を盾に悪事は懲らしめて二度とさせないように懲りさせるのが教師だと思っていた。だから、正直教師になんか興味がなかった。俺はそんなに偉い人間じゃない。偉い人間になんかなりたくもない。」龍之介は目から鱗が落ちる思いがした。武川の指導と話は正義を振りかざしたものでも杓子定規な常識論でもなかった。むしろ、篤に対する愛情が前面に出た感情論といってもいいようなものだった。一般的に感情論というといいイメージはないが、今回の場合人間的な温かさを感じる。龍之介の中では教師は正義を盾に理詰めで生徒を型に押し込めるイメージがあった。そこには、「先生」という権威を笠に高圧的な振る舞いをする教師像があった。だから、龍之介は教師が好きではなかった。
しかし、どうだろう。篤が武川の矛盾の指摘に窮したとき、正義を盾に理詰めで、しかも、高圧的に篤に認めさせようとしたのは、龍之介の方だった。「俺の嫌いな教師をやっていたのは俺の方だった。本当の教師はこんなふうに考えるんだ。」龍之介はこのとき初めて教師という職業に魅力を感じた。
武川の話は続く。「夏目さんが一回だけ、口を挟んだところがあったよね。論理的には、もう篤が嘘をついている以外考えられないってなったところだね。論理的には、あそこで終わると思えるんだけど、これも実は目的をよく考えればここで終わらないことがわかるんだよ。」武川の目がきらりと光ったような気がした。ここがポイントだよ、とでも言っているかのようだ。
「早く篤を楽にさせてあげたいというのが今回の指導の目的だったよね。篤が本当に楽になれるのは、『もう嘘は何一つない。悪いことをしちゃったけど、もう謝っちゃったし、後ろめたいことは何一つない。』って思える状態だね。これは、素直な心になって、反省している状態なんだ。ところが、あの時点では篤はまだ反省していない。ただ、論理的にわたしが篤を言い負かしただけなんだ。教師が論理的に生徒に勝ったって、そんなの当たり前の話で全く意味がないね。この時点では明らかに勝ち負けの段階だから、篤も負けたくないという意識しかなかったと思うよ。負けると悔しいからね。篤にはまだまだ負けたくないという反発心しかなかったはずだよ。およそ、反省とはかけ離れた心の状態だね。」武川は一見淡々と話しているように見えるが、龍之介には若干熱を帯びているように感じられた。熱さを感じる。
さらに、武川は続けた。「本当は思ってもいないのに、言葉だけのごめんなさいや言葉だけのもうしませんが無意味なものであることは誰でもわかると思うけど、無理矢理認めさせるのもこれと何一つ変わりはしないんだよ。本人が自ら、悪いことしちゃったな、もうしないぞ、って思わない限り、この指導に意味はないんだよ。」武川のこの言葉は極極当たり前の話なのだが、龍之介には初めて知った真実のように新鮮だった。これはある意味先輩からの説教であるわけだから、後輩ははいはいと言ってその場をやり過ごしそうな内容でもある。しかし、龍之介は返事一つしていなかった。ただただ、武川の言葉に納得しきりで傾聴していた。そして、龍之介は気づいていた。「そうか。今のこの俺の状態に篤はなったんだ。生徒をこの状態にすればいいんだ。」
武川は、龍之介のこの心の動きに気づいたのか、その後は丁寧な説明はしないで、短く次のように語った。「子どもってね、時間を与えてやると必ず正しい方向に答えを出してくる。最初はあっちこっち横道に逸れるけど、最終的には必ずあるべき方向に戻ってくる。大人より清純なんだよ。ズルさが少ないんだ。これは、班長会とか学級会でも同じだよ。多少いらいらするけど、横道に逸れても口出しはしない。時間をかけてやれば必ず自分たちで戻ってくる。こうして自分たちで出した結論なら行動可されやすいわけだよ。」
「待ちの武川」の基本的な考え方はここにあったのである。
武川の口から「班長会」という言葉が出たので、次の話題を龍之介のクラスの班長会に転じよう。