おひとりさま
子供の頃から、乗り物が苦手だった。
特に、酷い車酔いがあった。
家族でどこかに出掛けるとき、いつもお気に入りの掛け布団を持ち込んだ。
そして、シートに横になると、風景を見るまでもなく、眠りへと落ちていった。
どうか、酔いませんように。
うちの父親は、運転が荒かった。
急ブレーキ、急発進。
そのおかげもあり、僕はすっかり車が苦手になっていった。
よく、自分で運転するようになると、酔わなくなると言う。
確かに、そんな感じがするけど、完全ではない。
実は、仕事で上司や先輩に運転させないのは、気遣いじゃない。
ただ、自分が酔いたくないからだ。
ごめんなさい。
後部座席で横たわっていた小さな僕は、はっと目を覚ます。
あたりは、いつの間にか暗くなっていて、寂しげな夜道を走っている。
AMラジオ。
誰かがホームランを打って、声援が球場から溢れている。
開け放たれた窓。
昔から苦手だった、タバコの臭いが、雲になって流れていく。
寡黙な父親が、車を走らす。
その背中は、いつも大体ご機嫌で、とても楽しげに映る。
助手席に乗った兄が、はしゃいでいる。
なんとも言えない、家族のゆるい時間が、沸き上がっては窓から少しずつこぼれていく。
それはやがて、タバコの煙とともに消えていった。
毎年、夏が来るたび思い出す。
僕は、喫煙者じゃないし、タバコは嫌いだ。
父親以外、家族も全員嫌いだった。
でも、どういうわけか、心底嫌いにはなれない。
今年の夏も、ひとり夜道を運転していると、タバコのにおいが横切った気がした。
その懐かしいにおいは、少しの胸の痛みを残して、開け放たれた窓から吸い込まれてなくなった。