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ドイツ海軍Z計画におけるドイツ海軍航空隊

ドイツ海軍のZ計画をテーマとした架空戦記です。

 ドイツ第三帝国のキール造船所で一隻の軍艦がヒトラー総統臨席のもと進水式を迎えようとしていた。


 それはドイツ海軍初の航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」であった。


 そして、就役した「グラーフ・ツェッペリン」の艦上では艦載機の発着艦訓練が行われていた。


 艦橋からそれを視察しているのは、ドイツ海軍航空隊司令官カール・デーニッツ提督であった。





 はい、今、見ていただいたのは第二次世界大戦の開戦前に計画されたドイツ海軍の大規模艦艇整備計画であるZ計画で建造された「グラーフ・ツェッペリン」についての映像です。


 今回はZ計画におけるドイツ海軍航空隊についてお話します。


 第一次世界大戦の敗北により、ドイツ海軍は大艦隊を失い。


 ヴェルサイユ条約で保有が認められたのは、時代遅れの前ド級戦艦で、潜水艦の建造・保有も禁止されました。


 艦齢二十年に達する戦艦の代艦建造は認められていましたが、排水量一万トン以下の制限がありました。


 ヒトラーの再軍備宣言、それに続いての英独海軍協定で軍艦の排水量の制限が撤廃されたことで、ドイツ海軍は排水量一万トン以下の制限から抜け出すことができました。


 しかし、英独海軍協定でドイツ海軍は「潜水艦の建造・保有の禁止」は続けられることになりました。


 イギリスは水上戦闘艦よりも潜水艦による通商破壊の方を恐れていたのです。


 潜水艦の復活を待望していたドイツ海軍内部からは反対もありましたが、ヒトラーは素人目にも分かりやすい巨大な戦艦の建造を優先しており、ドイツ海軍内部にも水上戦闘艦の方を優先する派閥が多く、この協定を受け入れました。


 その結果、宙に浮いてしまったのが、ドイツ海軍潜水艦派閥の人たちでした。


 ヴェルサイユ条約下で外国に企業を設立して、そこで潜水艦の技術を維持してきたのが無駄になってしまったのです。


 潜水艦隊司令官になるはずだったデーニッツ提督は海軍航空隊司令官になりました。


 潜水艦の専門家だったデーニッツ提督を海軍航空隊司令官にしたのは、潜水艦が禁止になったため他にポストがなかったからです。


 潜水艦が禁止になったことでデーニッツ提督は一時的に失意の中にありましたが、短期間で立ち直ると海軍航空隊司令官として積極的に活動を開始しました。


 潜水艦による洋上哨戒は不可能になったので、航空機による洋上哨戒に力を入れることにしました。


 ドイツの航空戦力の独占を企むゲーリング国家元帥の抵抗をはね除けて、ドイツ海軍独自の航空機生産施設とパイロット養成機関の確保に成功しました。


 ドイツ海軍航空隊の機体は開発費の節約のため、ほとんどがドイツ空軍機と共用でした。


 長距離洋上哨戒と洋上攻撃用の機体はFw200コンドルであり、空母艦載機の艦上戦闘機のBf109と艦上爆撃機のJu87は空母運用のための改修型でした。


 艦上雷撃機Fi167のみ新開発でした。


 このような陣容でドイツ海軍航空隊は第二次世界大戦に参戦することになったのです。


 ドイツ海軍がイギリス海軍に対抗するための手段は、航空機と水上戦闘艦の組み合わせによる通商破壊でした。


 航空機による洋上哨戒により得た敵艦隊や商船の情報を元に戦艦や装甲艦を活動させたのです。


 イギリス艦隊を巧みにすり抜け船団攻撃に何度も成功したのでした。


 イギリス空母は何度もドイツ戦艦に対して航空攻撃をしましたが、「グラーフ・ツェッペリン」のBf109に阻まれてなかなか損害を与えることができませんでした。


 ある歴史学者はドイツ海軍が潜水艦を使用できた方が連合国の船団の損害は大きかったと推定しています。


 しかし、素人目にも分かりやすい巨大なドイツ戦艦のイメージにより、連合国では船団の運航見合せ、商船の出港拒否が頻繁に起きたため、輸送にかけた負担は同じくらいだったとも言われています。


 第二次世界大戦末期、ドイツの敗色は濃厚になっていました。


 ドイツ海軍は末期においてビスマルク級戦艦・H級戦艦・グラーフ・ツェッペリン級空母を維持していました。


 しかし、制空権・制海権を連合軍に握られつつあり、艦艇用燃料も残り少なくなっていました。


 ドイツ海軍航空隊司令官のままドイツ海軍総司令官も兼任するようになっていたデーニッツ提督は最後の賭けに出ました。


 ノルマンディー上陸作戦中の連合軍に向けて全水上艦艇を突撃させたのです。


 攻撃は成功に終わり、連合軍の内陸部への進攻は停滞しました。


 しかし、ドイツ艦隊も大損害を受け、残った大型艦は「グラーフ・ツェッペリン」一隻だけになりました。


 ドイツ海軍は海からの連合軍の進攻を食い止めることはできましたが、陸上のソ連軍の進攻を止めることはできず。


 ドイツは全土をソ連軍に占領され、ソ連の傀儡国家である共産主義国家「ドイツ民主共和国」となりました。


 このため「ドイツ海軍は余計なことをした。ノルマンディー上陸作戦を妨害しなければ、ドイツは全土をアメリカ・イギリスに占領され、自由主義国家となっていただろう」という意見があります。


 一方で「ノルマンディー上陸作戦が成功してもアメリカ・イギリスでドイツ全土を占領するのは困難で、ドイツの西半分をアメリカ・イギリスが占領して、東半分をソ連が占領することにより、ドイツは東西に分かれた分断国家になっていたかもしれない」という意見もあります。


 いずれにしても仮定の話に過ぎません。


 終戦時、「グラーフ・ツェッペリン」はキール軍港で修理中で動けなくなっているところをソ連軍に接取されました。


 しかし、ソ連軍は「グラーフ・ツェッペリン」を本国に回航したりはせず。監視付きですがドイツ軍人に運用を任せました。


 ソ連はアメリカ海軍に対抗できる海軍を整備するために、アメリカ・イギリスに大損害を与えた「グラーフ・ツェッペリン」の運用法を学ぼうとしていたのでした。


 そのためソ連はドイツ海軍に対して好意的であり、終戦時、自殺したヒトラーの遺言により大統領になっていたデーニッツ提督を一時は拘束したものの、すぐに釈放しドイツ民主共和国海軍の総司令官にしています。


 デーニッツ提督はソ連との交渉で得た経験を生かし、ドイツ民主共和国の最高指導者である国家評議会議長に就任しています。


 さて、「グラーフ・ツェッペリン」はヘリコプター母艦に改装されて1990年代まで現役でいました。


 ソ連が崩壊した後、ドイツは共産主義国家ではなくなったことを示すために「ドイツ連邦共和国」と国名を変更しました。


 そして、「グラーフ・ツェッペリン」は今もキール軍港に記念艦としてあります。


 ドイツ海軍Z計画で建造された唯一残っている軍艦であり、「ドイツ第三帝国」「ドイツ民主共和国」「ドイツ連邦共和国」と国名の変わった三つのドイツを見た軍艦である「グラーフ・ツェッペリン」を見学することはドイツの歴史を学ぶには有用であると思います。

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― 新着の感想 ―
[良い点] デーニッツが航空隊司令と言うのは、斬新な設定だと思いました。 [一言] 御参加ありがとうございます。英独海軍協定で潜水艦の保有禁止と、それに伴い航空戦力にシフトするという展開が興味深ったで…
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