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僕らはみんな生きている

               ■ 7 ■





 滂沱の雨。


 まるで窓の外にレースカーテンでも掛かっているような。


 さて、雨は不可逆です。


 ただ天から地へと注がれるのみ。地から天に昇ることはありません。


 また雨が行き着く先は地上で、そこから落ちることもありません。


 因みに断っておくと、これは「もののたとえ」です。


 水蒸気がどうの、涵養がどうのという話じゃない。


 そんなものは、どうでもいいこと。


 私が言いたいのは、人間を世界の中心と捉えるならば、同時に彼らは世界のどん底に居るということです。


 それを嫌った一部の人間は空を飛び、背の高い建物を造った。


 しかし結局イカロスもバベルの塔も、天上に辿り着くことはありませんでした。


 ロケットを飛ばした?


 空の向こうに"宇宙"を発見しただけでしょう?


 まだまだ天上には遠く及んじゃいない。


 しかし、人間など世界の一部に過ぎないと、唯の一つの機能であると、


 単純な眼前の事実に気づいたならば、人間は既にその脚で天上を踏んで居ることに気づくでしょう。


 結局、かれらはそこに這いつくばりながら死んでしまったようですが。


 ……いいえ、まだ一人残っていました。

 

 最も人間らしい"人間"が私の眼前で、苦しみにもがいている。





 あれから数週間が経ちますが、カナンが直る兆しは一向に現れません。


 あの後、動かなくなった彼を、私と"彼女"は抱えて部屋の中まで運ぶと、


 充電用プラグを差し込んで、再び起動するのを待ちました。


 しかし、何時間経っても、彼が再び目を覚ますことはありませんでした。


「うぅん。バッテリランプが点滅しているから、充電はされてると思う。

 すこし、カナンの中を見てみる必要があるかも……」


 頭をかきながらそう呟く彼女は、自分の目が泳いでいることに気付いていないようでした。


 彼女は続いて、部屋の中を漁り始めました。


 言うには、どこかにマニュアルと、メンテナンスツールがあるはずだと。


 私も、それくらいならば力になれると思って、一緒に手伝いました。


 博士という、彼女の"親"の部屋だけでは無く、トレーラーハウス全体を、何度も何度も調べました。


 しかし、それらの探し物は一向に出てきませんでした。


 最初は楽観的に構えていた彼女も、段々と余裕がなくなってきたようです。


 ついには殆ど口を開かなくなり、ひたすら博士の机に向かって唸り声を上げています。


 博士の使っていたPCの中に何か入っているかも、と。


 しかし、それすらも、もう何回も探し尽くした場所なのですが……。


 もしかしたら、もう全ての情報は集まっていて、相応の技術者であれば修理が可能な状態では在るかも知れません。

 

 しかし、残念ながら私にも、彼女にも、そんな知識は有りませんでした。


 私は、なんとも気の毒になり、遂に彼女に、奇蹟を使うように言いました。


 "人間"を幸せにすることが、私の使命なのですから。


「クリスさん。奇蹟はあと一回、残っています」


「……私は人間じゃない。だから、それは使えない」


 彼女は目の下のクマを濃くしながら、そう答えた。

 

 どこまでも強情な人だ。


「何を言ってるんですか?出会った時に言ったじゃあないですか!

 人間の造った機械だって神の加護を受けられると!」


「あれは詭弁でしょう?フイフイ。決まり事はそう簡単に変えられないわ」


 その場しのぎに吐いた嘘はとっくにバレていたようです。


「貴方は、私が人間だという認識を、全く変えていないだけ。

 だから、貴方はいつまでも此処に居るんだわ」


 ええ、その通りです。貴方は最初から人間ですよ。


「……どうしても、認めないつもりですか」


「ええ」


「ならば、私にも考えがあります」


「へぇ?」


「貴方を人間にします。これは奇蹟じゃありません」


「それは、また詭弁?」


「いいえ。今回は特別ですが神の御力を借ります。

 最初に言ったように、神に道理など有りません。神こそが道理なのです。

 故に、神が"そう在れ"と言えば、"そう在る"のが世界です。

 そうなれば、貴方も奇蹟に頼ってくれますよね?」


「私が人間に?神の力?」


私はまた嘘を吐きました。そんなものは不可能です。なぜなら、彼女は最初から人間なのですから。


それに、どうせ彼女は、神様が直々に人間だと宣言しても、それを認めはしないだろう。


 彼女は、私の嘘を聞いて、一瞬固まった後に吹き出しました。


「アハハっ!それは、それは素晴らしい解決法ね!笑っちゃうわ!」


 目に薄っすらと浮かんだ涙を拭って、彼女は続けた。


「喜劇ね、フイフイ。なら、貴方は正に機械仕掛けの天使かしら。

 哀れなロボットが、心無い化物が、憧れの人間になって、晴れてのハッピーエンド。

 でもね、そんな三文芝居を喜ぶのは人間だけ。

 それこそ、"人間"の傲慢よ」


 彼女の眉間に徐々に力が入る。


「でもね。無駄よ。私は、仮に人間になったとしても、人間としての私を認めない。

 私が自身をそう定義する限り、私は人間じゃないわ」


 それこそ詭弁だ。彼女と話していて、何度そう思ったか。


 だから、私は得意の笑顔を貼り付けたまま、皮肉っぽく返してあげました。


「ええ。これは喜劇ですよ。クリスさん。

 貴方の言葉は、主張は最初っから矛盾だらけです。

 貴方は自分を"人間でない"と信仰する、ただの哀れな独りの人間なんですよ」


「違う。それは博士が決めた事よ。私はそれに従うだけ」


 そう、この話をする時、彼女は二言目には博士の事を口にする。


 一体どういう人物だったのか、私には知る由もないが、彼女の世界観に多大な影響を与えたことは確かだ。

 

 だが、あくまで影響を与えただけだ。


「いいえ?博士を元に、自分の世界をそうだと決めたのは、貴方自身です

 人間の定義や、自分の意味を決めたのも、貴方自身でしょう?

 ……人間じゃないですか。機械は世界を決めないのでしょう?」


彼女は押し黙ったまま、ゆっくりと呼吸をしている。


「カナンさんは、決められませんでした。些細なことも、貴方の決定を待っていましたよ?」


私は、ベッドの上に安置された機械に目を向けました。


彼は静かに眠っているようにも見えました。


ただ、機械にも、生や、死というモノがあるのでしょうか。


私には分かりません。


「矛盾の中で、自分を信じ、物事を判断できるのは人間だけです」


 やがて、彼女は蚊の鳴くような声で私を睨みつけた。


「分かった風な口を聞かないで。何も知らないくせに」


 その通り。私はクリスさんの気持ちは分かりませんし、過去も知りません。


 だけど、未来をより良くする手助けは出来るのです。


「ですから、最終的な"判断"は貴方に委ねるしかありません」


「……何故、こうまでして、私を人間にしたがるの?」

 

 私は自らの意志で世界に干渉できません。


 世界に干渉できるのはこの世界を創った神様だけです。


 だから、奇蹟の願いを神様に届けるのです。


「言葉通り、天使はただの"使い"です。

 奇蹟には意志が必要なのです。

 貴方がカナンさんを助けたいと言う意志の表明が必要なんです。ただ、それだけなんですよ」


 震える彼女の手を取りました。


「私の使命は、"人間を幸せ"にすることです。

 どうか、貴方には幸せになってほしいのです」



 一秒一秒が、とてもゆっくりと流れていくように感じられました。

 

 彼女は何もかもに疲れ切った表情で、私を見つめ返します。

 

 私には彼女の頭の中は分かりません。ただ微笑み返すだけです


 やがて、彼女は少し俯いて、私に言いました。


「……フイフイ。カナンをお願い……たった一人の家族なの」


そう言う彼女には、縋るような弱々しさはありません。


「はい、分かりました。ありがとうございます」


 彼女の目から、数滴の涙が溢れました。




               ■ 8 ■





 あれから数年。


 あいにく今日も、私達は生きている。


 フイフイは、もう私達の分の奇蹟も使い果たしているのに、未だに此処にいる。


 曰く、まだまだ"幸せが足りない"だそう。彼女には"足るを知る"という言葉が必要なようだ。


 カナンも、この所は異常もなく、毎日せっせと樹を育てている。


 流石に、故障していた時の記憶は全く無いようだ。アンドロイドには深層心理もないのでしょうがないか。


 そう言えばあの樹、品種はなんだろうかと思ってフイフイに聞いた所、イチジクの樹だそうだ。


 そして私は、相変わらず平穏な日々を送っている。


 以前と変わったことといえば、イチジクの世話をカナンと二人で毎日やっていること。

 

 そしてもう一つ。博士の部屋で、アンドロイドに関する勉強を始めたことだ。


 もう二度とあの時の感情は味わいたくないから。


 代わりに、剥げた革のソファで寝る時間は減ったけれど。


 ある朝、私がカナン達と一緒に、とうに背丈を超えたイチジクの世話をしている時、


 カナンが突然大きな声を出した。

 

 どうしたのか訊ねると、カナンはイチジクの葉の一つを指差した。


 そこには、青く小さなイチジクの実が一つ。


「やった……やったね。クリス」


「ええ、とってもきれいな実」


「良かったですね。カナンさん」


「うん……ありがとう」


「生きてるんだよ。クリス……覚えてる?この樹を植えた時の事」


「……うん」


「人間だとか、そうじゃないとか、あの時の君は苦しんでいたけれど。

 それについて、僕は分からないけれど……」


「僕も、クリスも、フイフイも、この樹も……みんな生きているよ」







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