貴方は人間
■ 5 ■
扉を引いて研究室に入る。
博士が死んで以降、研究室には入っていないが、意外にも整然としていた。埃臭さもない。
カナンが掃除しているのだろうか。
私は、博士の私物が入っている棚を開け、カナンに言われた薬剤を探し始めた。
棚の中は、私が知っているように、物が乱雑に詰め込まれている状態のまま。
彼女の死は急だったので、遺言の類は一切残っていないし、カナンの行動スケジュールも殆どは彼女の生前のままだ。
だから、棚の中の掃除は彼の管轄外なのだろう。
棚の中から薬剤の入った小瓶を見つけ、部屋を後にしようと振り返ると、、
ふと、部屋の全体が私の視界に入った。
部屋は、彼女が居た頃と殆ど変わっていないが、酷くがらんどうとしていた。
彼女が眠っていたベッドは、今はもう誰を乗せることもない。
何故、私はリビングのすぐ隣にあるこの部屋を訪れて居ないのか、という理由は単純だ。
部屋に行く理由が無いだけだ。博士はもうそこには居ない。
その事実は一抹の寂しさと共に、彼女の居た光景を再び蘇らせる。
「博士」
「なに?クリス」
「博士はどうして、クローンの研究なんてやろうって思ったの?」
「……そうね。実を言うと、人を造る研究にはあまり興味がなかったのだけれど」
「え?そうなの?じゃあ、何を研究していたの?」
「そうね。簡単に言うと、死者を生き返らせたかったのよ」
「そんなの、できるわけないわ」
「ええ。人造人間だって最初はそう言われていたわ」
「でも、そうまでして生き返らせたい人って?」
「家族」
彼女はふと窓の外に目を向けた。
そこでは一体のアンドロイドが太陽光パネルをせっせと掃除していた。
「戦争で死んだの。当時、彼はまだ十歳だった」
「誰?」
「クリス。私はね、最愛の弟と、もう一度会いたいのよ」
「会って、どうするの?」
「そうね。それは多分、とても甘やかすわね。なんでも言う事を聞いてあげるわ」
「親バカ。いや姉バカ?」
「あら、失礼ね」
「クリス!」
カナンの声ではっとした。どうやら私は長いこと感傷に浸っていたようだ。
声の方を向くと、カナンとフイフイがいつの間にか部屋の中に入って来ている。
「あれ?どうしたの?"木"はもういいの?」
「貴方があんまり遅いから、待ちきれなくて来たんですよ?」
「ああ、そうなんだ。ごめん」
私はそう謝ってカナンに頼まれてた小瓶をいくつかを渡した。
化学には疎いので、これが何の役に立つのかは分からないが。
「ありがと。でも、また一つ、問題が……」
「何?」
「水が無いらしいんですよ」
「水……?あれ?貯水槽は?」
それは太陽光発電機の横に設置されており貯めた雨水を飲用可能な真水に変換できるタンクだ。
水は人間にとって非常に重要な物質である為、生前の博士は日々自ら貯水槽を点検していた。
「実は、博士が死んだ後、放置しっぱなしで……枯れちゃってたんだ」
カナンは申し訳なさそうに眉を垂らしながら、掠れた声で言った。
「ごめん……タンクは博士が点検していたから、僕のスケジュールに無くて、気づくのが遅れてた」
「ああ、そんなこと。でも、また雨が降るのを待てばいいじゃない」
カナンは気を咎めているようだが、実を言うと、私はさして気にしていなかった。
というのも、クローンの身体というのは省エネルギーな造りとなっている為、活動に気を付けていれば、数か月ぐらいは水分を取らなくとも生きることができる。
……それを"人間の身体"の範疇に入れて良いものなのか、については一考の余地がありそうだが。
それに、この身体が死んだところで、今の私にとってはどうでもいいことだ。
「だめだよ。僕らは平気でも、種子には水分が必要なんだ」
カナンが眉間にしわを寄せて私を見つめる。
「どうしよう、クリス。このままじゃ、僕らの木が育たないよ」
「私は……」
別にどうでもいい、と出かかった言葉を飲み込んで、脳裏で考えを巡らせる。
しかし、無い水を出せと言われも無理な話だ。雨だってそう都合よく降るものでは無い。
「……あ、そうだ」
しかし、思ったより早く心当たりが一つ見つかった。
「ねぇ、フイフイ。雨とか降らせれないの?天使でしょ?」
「ええ。もちろん、できますよ?でも……」彼女はカナンの頭を撫でながら続ける。
「彼が、こんなことの為に奇蹟を使えない、って言うんです」
「え?なんで?木が育たないんじゃないの?」
「木の種は、数年は埋められたままでも生きられるんですよ。
だから、このまま雨を待っていれば……」
「でも、いつ降るか、分からないじゃないか」
「それは、そうですけど……じゃあ、どうするんですか?」
「そ、それは……」
不毛な会話を続ける二人に、私はとうとう嫌気が差して、ため息まじりに言った。
「いいじゃない。フイフイの奇蹟で、雨を降らせちゃえば」
「え?……でも」
「アンタがぐずぐずしている方が嫌なのよ」
「フイフイ」
「はい?」
「雨、降らせちゃって。奇蹟、2回目ね」
「……分かりました。それで良いと言うなら」
若干戸惑いの残ったフイフイが目を閉じて、神に祈る様に両手を握る。
すると、窓の向こうが急に暗くなり、さぁ、と雨音が聞こえてきた。
「ごめん、クリス……僕のわがままで……」
「良いわよ。元々、私は奇蹟を使うつもりなんて無いし……
それに、きっと博士なら、こうしたわ」
■ 6 ■
"人間"と"それ以外"を分かつものは、一体何か。
私はそれを"信仰"だと考えている。
人間とは、信じる者だ。
信仰の対象は、何も神に限定されることはない。
個人、国家、法、倫理、主義、科学、商品、芸術作品、はたまた「神的ではないもの」など、個人に依り異なる。
信仰は「自分が世界を見る視点・視角を絶対的に肯定する」ものであり、個人の環境や経験により能動的に決定される。
またそれは、転機や思考に依り簡単に覆ることもあれば、生涯を通し貫かれることもある。
そうして人間は、その信仰に従い、自身の世界を決めるのだ。
では"人間"以外はどうだ。
私達は、能動的な決定など行っていない。
物事に対する肯定・否定のプロセスは存在しないのだ。
全ては私達が起動する以前から「予め決められている」。
例えば、1+1=2であることは、私達が決めることではなく、予め決められている。
私達は世界を"決める"ことはない。
ただ予定をインプットされ、それに従うだけの存在だ。
また、そこに信仰はない。
なぜなら、そのように決めた者が誰であろうと、私達には関係ないから。
「そのように在る」という事実だけを、何もかもを手放しに受け入れるだけなのだ。
フイフイが降らせた雨は、十数日の間か降ったり止んだりを繰り返していた。
その間、空はずっと厚い雲で覆われ、いつも以上にどんよりとした気分が私を包み込んでいた。
だが、天使が言うには、木の育成にとっては、このような状況のほうが良いらしい。
私にはそう言った知識が無かったので、ただそれに従うだけなのだが。
そして、そんな私とは対照的に、カナンはずっと元気だ。
雨が降っていても、毎日毎日、フイフイを連れて埋めた種の様子を観察しに言っている。
「今日も芽が出なかった」
そうして毎日、肩を帰ってくる彼だが、私が「明日はきっと芽が出るよ」なんて言ってやると、すぐに元気を取り戻すのだ。
子どもは扱いやすいな、なんて思う。ちなみに、私は雨が降っていない時だけは、様子を見に行っている。
そして、雨が完全に上がり、雲の切れ間から朝日が顔をのぞかせた日、
朝早くからカナンに連れられて、種を植えた場所に向かう。
カナンが異変に気付き、小さな声を上げて、盛土に駆け寄った。
そこには新緑の小さな双葉が、弱々しく立っていた。
しゃがんで、それを愛おしそうに見つめるカナン。
後ろでは、ニコニコと優しそうな笑顔で天使が私達を見守っていた。
私はその双葉がなんとも羨ましく思えてきて、つい呟いた。
「生きてるんだね」
「うん。生き物は成長するんだ。この双葉もやがて、大きくなって、実を結んで、また種子を落とすんだ」
「ええ、天然の若芽なんて初めてみたけど、きれいね……少し、羨ましいわ」
「美醜なんて気にしてたっけ?」
「違う、生きている事よ。生き物が生きる姿は、きれいだわ」
「クリスだって生きてるじゃないか」
「生きるというのは、目的を果たす意志を持つことよ。どんな生き物であれ、彼らは子孫を残すという、意志を持っている」
「私達は生きているんじゃない。機械は繁殖しないし、意志もない。でしょう?」
私がそう言うと、カナンは黙ってしまった。
ちょっと、空気が読めていなかったかも知れない。
すると、後ろからフイフイが怒ったような口調で声を上げた。
「クリスさん。貴方は……」
「違う。私は、人間じゃないし、生きてもいない」
クローンである"私"は人間なのか、人間ではないのか。
敢えてその問いに回答を出すとするのなら、「"私"は人間ではない」。
いや、"私"は人間であってはならないのだ。
私の役割は博士の意識が移植されるまで、バックアップであるこの身体を保つことだ。
それまで、この身体は"空の器"でなければならない。でなければバックアップの意味がない。
彼女の意識が"空の器"に入った時、"私"の意識も消える。
そうして遂に、この身体は人間と成るのだ。
だから、"私"は人間には成れない。
「私はずっと死を待ち続けている、ただの模造品。これまでも、これからもね」
「……強情ですね。ほんと、貴方は人間ですよ」
「似せて在るのよ」
「カナンさんも、はっきり言っちゃえばいい」
フイフイにそう言われたカナンは、背中越しに小さく呟いた。
「そんなの、僕には決められないよ」
「でも、事実なら……僕も……クリスも……みんな……」
「何?聞こえ辛いわ、カナン」
「どうしたんですか?カナンさん」
私達の問いかけに対する返事はない。不安に思った私が彼の肩を叩く。
すると、彼の機械の体が、何の抵抗もなく、地表に崩れ落ちた。
「!?どうかされたんですか?」
あまりにも突然の事態に、フイフイが悲鳴にも似た声を上げた。
私も、何が起きているのか全く分からない。
しかし、状況から推測することは出来る。
「多分。バッテリが切れたのよ。それか、体内の配線が接触不良を起こしているとか」
焦りと驚きに満ちた顔をした天使に、そう伝える。
自分に都合のいい推測だ。願望とも言える。
それを知ってか知らずか、彼女の不安な顔色は変わらなかった。
「それは……大丈夫なんですか?」
「うん。博士の部屋にメンテナンスツールがあったと思う。何回か見たことがある」
「……直るんですね?」
「うん。多分、心配しないで……って、逆じゃない?」
私は、何の根拠もなく、微笑んだ。
天使を安心させるために。
自分を安心させるように。
私がカナンを小さな身体を抱えて家に帰る途中、ぽつぽつと雨が振り始めた。