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第34話:深謀



 ◆◇◆◇◆◇



 月の盾本部の長官室。連邦国民を血族から守る組織の中枢部であるそこを、ある若い職員が訪れていた。彼の眼前には、執務用の机に向かう一人の青年がいる。この青年こそが、アシュベルド・エリエデン・ハルドール・ヴィーゲンローデ長官である。二十代で長官となったこのエリート中のエリートのことを、人々は畏怖を込めて「黄金の鷹」と呼ぶ。


 アシュベルドの外見は、その通称に相応しい。軍服に似た月の盾の制服に包まれた、均整の取れた長身。輝くような金髪と碧眼。内に秘めた情念が、暗い炎のような彩りを添えたその美貌。まさに憂国の青年将校とでも形容すべき容姿は、見る者を魅了するのみならず恐れさせる。養豚場のブタのような恐怖を味わうのは、月の盾職員とて例外ではない。


「最後にこちらが、ノルダーガントにおける血族のみが罹患した疾病と、その推移についての報告書になります」

「ご苦労だった」


 ガチガチに緊張した職員から、アシュベルドは書類を受け取りめくっていく。


「実に興味深い。貴公もそう思うだろう?」


 話題を向けられ、職員は目の前が一瞬真っ暗になった。


「は、はいっ。長官殿のおっしゃる通りです」


 職員は必死になってアシュベルドの好奇を肯定する。平凡な自分が、深謀遠慮の化身である黄金の鷹とまともに会話できるはずがない!


「さて、これをどう活用するべきか――」


 アシュベルドが口元に浮かべた笑みの酷薄さに、職員はめまいを覚えた。


(長官殿はこの病気を利用なさるつもりなのか?)


 瞬く間に、職員の脳内で妄想が膨れ上がっていく。





 ――遠くない未来。連邦全土に改良された対血族ウイルスが散布された。発症し苦しみ悶える血族たちは、月の盾に行けばこの病気を治すワクチンがあると知る。


「貴公らも、憎き血族どもが慈悲を懇願する姿を見たまえ。実に滑稽ではないか」


 助けを求めて月の盾に集まる血族たちを、アシュベルドは幹部たちと共に展望室から見下ろし嘲笑する。


 ――そしてさらに未来。


「さて、私の手元に優秀な兵士が揃ったのならば、始めようではないか」


 アシュベルドが掲げる戦旗の元に集う軍人は、全員血族だ。彼らは定期的に月の盾が作る治療薬を投与しなければ、再び発症してしまう。故に彼らは皆、アシュベルドの忠実な走狗となるよりほかない。


「これより、連邦は鉄と炎の元に生まれ変わる!」


 ついに革命が始まった。血族は瞬く間に首相官邸を占拠し、国内に非常事態宣言を布告し、全ての権限をただ一人に捧げる。ついに連邦は、黄金の鷹の巣となったのだ。その頂点に立つのはアシュベルド・ヴィーゲンローデただ一人。彼は偉大なる大総帥として、鉄の規律と炎の恐怖をもって連邦を完全に掌握したのである……。





「体調が優れないようだな、貴公」


 職員は我に返った。


「……えっ!?」

「私の問いにも上の空だが、困ったものだな」


 はたと気づくと、机の向こうでアシュベルドが怪訝そうな顔をしている。


「も、申し訳ありませんっ!」


 必死に謝る職員だが、返ってきた返答は冷たい。


「いや、これは看過できない。この後、貴公は医務室で診断を受けるように」

「え、あ、あの、それは……」


 絶望。恐怖。この二つの語が職員の全身を瞬く間に侵蝕していく。もうおしまいだ。自分は長官を怒らせてしまったのだ。きっとこの後、自分は医師に偽装した長官直属の秘密組織の面々に拉致され、ウイルスの実験台にされるのだ。


「後ほどドクターに、貴公が受診したかどうか確かめておく。逃亡は不可能というわけだ」


 アシュベルドは薄い笑みを浮かべている。醜態をさらした部下を粛清する、残忍な楽しみに酔いしれているのだ。


「貴公にとっては不本意かもしれないが、これも月の盾のためだ。分かるな?」


 そう言われては、職員に逃げ場などない。完全に詰みだ。


「はい。ありがとうございました……」


 彼は涙ぐみながらそう言い、アシュベルドに敬礼するのだった。





 職員が退室してから、アシュベルドはため息をついた。先程の職員は風邪らしく、返答が曖昧だった。彼を「受診したかどうか確かめる」と脅したのは、注射を嫌がって受診しない職員が案外多いからだ。職員を疑うのは気が進まないが、これも月の盾内部で風邪が蔓延しないためだ。幸い、職員は涙ぐんで感謝していたので、誠意は伝わったらしい。


 とりあえず彼のことを脳内から片づけ、改めてアシュベルドは手元の書類を眺めた。今回の件で、月の盾はノルダーガント市と、隣接する山間部を徹底的に調査した。結果判明したのは、それまでは暗い森と険しい山としてしか認知されていなかった市の周辺が、道路さえきちんと整えれば風光明媚な観光名所となる事実だ。


 この記録を何かしら市の経済活動に役立てないだろうか、とアシュベルドは思っている。しかし、あに図らんや。あの職員を含む月の盾の面々は全員、アシュベルドの狙いは血族に感染するウイルスだと誤解しているだろう。かくして彼は「血族討伐のためならば生物兵器の開発さえ平然と行う恐ろしい人物」と月の盾の内部で噂されるのであった。



 ◆◇◆◇◆◇




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