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カチューシャと戦車兵  作者: モロトフ爆弾
2/2

ワーシャの憂鬱と五週間前の手紙

 それから四年ほどが経過した。サムライの攻撃はあれきり一度もない。ナチスとの戦争がはじまり、大半が西に送られたが、アムール川に残った戦車兵たちは日々、訓練に明け暮れている。からりと乾いた風が吹く中、しゃがみ込んでひとり嘆く若者がいた。

「ハァ……」

 もう、今日だけで何度吐いたかわからないため息を、また、一気に吐き出す。

「まだか……」

 よく晴れた空の青も、今の彼にとっては憂鬱の青であることだろう。

 そんな彼――ワーシャの下へ、足音も高く歩いてくる若者がいた。歳はワーシャよりも少し上だが、本当に一つや二つの違いで、彼ら赤軍の間ではあまり気にすべきことではない。

「……」

「どうしたんですか、車長」

 珍しく軍の制帽を被った車長は、自分を見上げてくるワーシャの隣にどっかりと腰を下ろした。

「なあ、どうしたんだ、ワーシャ?」

「はい?」

「いつもの明るい目はどこに行った? 訓練だけじゃなく、戦場でだって、一緒に騒ぎながら進んできたじゃないか。俺はお前に、何かあったとしか思えんがな」

「はぁ」

 しかし、ワーシャは何を訊いても生返事ばかりである。そこで車長は、ワーシャに対して少し強い調子で言って聞かせてみることにした。

「おい、お前。ワーシャ・ワシリョーク」

「……」

「兵隊にため息は無しだ。憂鬱を追い出せよ! わけがあるんだろうとは思うが、落ち込むもんじゃない!」

 言っている間に、ワーシャの目はだんだん大きく見開かれ始めた。

「……どうなんだ?」

「車長、そこまで言うなら言いますがね……もう五週間も、手紙が来ないんですよ」

「手紙?」

「はい、俺は故郷に彼女を置いて来てて……ハァ……なんだか心に穴が開いたみたいな気分なんです……」

 そう言うワーシャの顔には、深い影が落ちているようである。

「だからこそ、だ」

 落ち込み切ってもはや沈んでいるワーシャに、車長はそう切り出す。

「いつも通り、陽気に騒げばいいじゃないか。愛する人から手紙はなしじゃ、そりゃあ気も沈むだろうが」

 努めて明るく言ってみたのがすぐにわかるような声だったが、それは彼なりの配慮だ。ワーシャもそれを感じ取ったからこそ、車長を邪険に扱うことができない。

 その時、ふとワーシャが口の中でつぶやいた。

「そうか、なるほど」

「何だって?」

 車長はそれを聞き逃さない。即座に聞き返した。

「そうか、わかったぞ、これこそ、エウレーカ! というやつです! あいつは俺のことを忘れてしまったんですよ! きっとそうだ!」

「おい、落ち着け、ワシリョーチク。考えてもみろよ、手紙は全部、いったんモスクワに運ばれてから配達されるだろう? だが、聞いた話じゃ、モスクワは今、戦争で大変なんだそうだ。きっとお前の彼女だって、自分の手紙が届くかどうかが気になって気が気じゃないと思うが」


 ***


 車長の言葉は、半分外れていても、もう半分は当たっていた。

 一面が白い霧に覆われた、モスクワ川のほとり。空気が怯えているのか、風などは全く吹かない。その代わりだと言わんばかりに、遠くで何かが爆発するような重低音が盛んに響いている。

 そこに歩いてくる人影があった。すでに少女の域は脱しているその女は、きっと今頃、もう少し南に行けば一面に咲き誇っているであろう、林檎や梨の花と比べてもなお、花のような美しさを持っている。

 ゆっくりと歩きながら、どうやら歌を口ずさんでいるらしい。何も考えずに見れば、その足取りは軽かった。

「草原よ、草原、ただ広い草原よ、草原を英雄たちが往く、赤軍の英雄たちが往く……♪」

 つい最近、合唱団が歌っていた歌だ。その頃はまだ、彼女の傍らに優しい人がいた。しかし、初めて聞いたときはこれといった印象を持たなかったこの歌が、今では常にその唇から紡がれるようになっていた。それは、彼女にとっての優しい人が徴兵され、はるか東に向かってからのことだ。

 だから、彼女は東を向いて歌っている。その手には、五週間前の日付が書かれた手紙があった。その手紙の始まりは、

「親愛なるカチューシャへ」

 そして終わりは、

「いつも君のことを想っているよ――ワーシャ」

 であった。


 ***


「まあ、そういうことだ。心から愛してさえいれば、そのうち手紙は届くだろうしな」

 車長はそう言って後ろを向き、

「お前たちも来いよ! 戦友ワーシャが憂鬱だってさ!」

 と大きな声で戦車兵たちを呼び集めた。

 もちろん、あの戦いから見違えるように変わった彼らは、ワーシャと車長の周りに大挙してやってくる。

「俺たちは兵士だ。できることって言ったら、肩突き合わして歩くことぐらいだろうよ。それでも何か言葉をかけるなら……」

「お前の思いが熱いなら、きっと彼女さんの愛は変わらないって!」

 ある兵士の一言に、聞かれてたのか、とワーシャが少し逃げ腰になる。まあまあ、と車長がその肩をつかんで引き留めた。

「今はサムライのこともあってプレッシャーはあるだろうが、嘆くな。明日はいいことがあるはずだ」

「ありきたりだな」

 車長が絞り出した言葉を、別の兵士が混ぜ返して、辺りは笑い声に包まれる。そうやって笑いながら、まだ一人だけ笑っていない男――ワーシャに向けて、声をそろえて言った。

「顔を上げていこうぜ、ワーシャ・ワシリョーチク!」

 やはりありきたりな言葉だったが、混ぜ返す者はもちろんいない。それがワーシャの役だということは、本人も含めてこの場の誰もが知っている事実だ。

 だからワーシャは、作り笑いでも笑って、早口でこう言い放った。

「……だったらそうさせてもらうよ!」

 皆一斉に喜びの叫び声を上げ、ワーシャとその隣の車長に押し寄せる。肩を組んで、いつもの歌を歌う。見かけは大したことでなくても、それが一番いいのだろう。いつも通り仲良く騒いでいるのが、この戦車隊には最も必要なことなのだろうから。

出した手紙がいったんモスクワに運ばれるというのは史実と違うかもしれません。作者はその辺のことを調べていないので……。

気になる方は調べてみるのもいいかもしれませんね。

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