6話 オモイデ
俺は、結局知らない人の家に入ってしまった。彼女の部屋はとても汚く、親がいる形跡もない。きっと一人暮らしなんだろう。
「あぁ〜、そこら辺にトランプあるからババ抜きでもするか?」
2人でババ抜きって、絶対につまらないだろ。
「テレビゲームとかないんですか?」
「はぁ?これだから現代っ子は…」
「あの、失礼ですけど、今の時代の高校生がトランプっていうのも古すぎませんか?」
「お前、ウチに口答えする気?」
「何でもないです、ごめんなさい」
結局する事もなく、お互いの自己紹介をすることになった。
「ウチの名前は、一條 瑛利果。今、親とは喧嘩中で、一人暮らししてま〜す!」
「皐月 将太と言います。家族はお母さんしかいません。だから、今はお母さんと2人で暮らしています」
「お前やっぱ堅いわ!なんか敬語とかなしにお喋りしようぜ?」
相手は年上だし、堅くなるのは当たり前だと思う。
「あ、そうだ!ウチのこと瑛利果って呼び捨てにしていいから!」
「それはちょっと…」
「え〜!?それじゃ、お前が決めろよ」
「え、えりねぇ…とか?」
「お、それいいね!なんか、堅気のお偉いさんみたいな呼ばれ方だな、あははっ!」
「それじゃ、そっちも呼び方決めて下さい」
「う〜ん、小僧とかどうだ?」
「いや、普通に考えて将太とかで―――、」
「それじゃ、チビ!そうだな!チビで決定!」
えりねぇには俺の声は届いていなかった。本当に自由気ままな人だ。
そして、お互いの自己紹介も終わった。
聞くところによると、えりねぇは16歳の地元の高校に通っている女子高生で、今は親に勘当され、家出をしてしまっている。
「まぁ、ウチの父親は、人を使えるかどうかだけで見てる最低な人間なんだよ」
「そうなんだ…」
えりねぇの父親は、大手企業の社長で、そこの長女として生また。その為か、小さい頃から厳しく育てられ、いつまでたっても言うことを聞かない、えりねぇに腹を立てたらしい。
そこで、タイミングが悪いことに、次女が生まれてしまい、父親はその子に全身全霊を捧げると誓ったのがきっかけで、勘当される形になった。
因みに、母親は見て見ぬ振りをしていたらしい。本当は助けてあげたかったと言ってたとか。
「そんで、この家のお金は、罪悪感からか、母親が内緒で毎月やり繰りしてくれてるって感じかな」
「た、大変なんだね」
「おっと、同情はしなくていいからな!今、ウチは幸せだし、やりたい事も自由に出来るから後悔はしてないぞ!」
えりねぇは見た目によらず、強い人なのかもしれないな。けれど、なんだかんだ言って、1人は寂しいから俺に話しかけてきたんじゃないかとも考えられる。
その一件以来、俺はえりねぇの家に遊びに行くことが増えた。
しかし、現実は綺麗ではなく、えりねぇは知らない男を家に連れては、淫らなことを毎日のようにしていた。
そこに、何も知らない俺が行ってしまった事もあり、相手の男がえりねぇに子供がいるのだと勘違いして飛び出して行ったこともあった。
普通に考えて、15歳の女の子に8歳の子供がいるわけがないだろ。
「えりねぇ、今日も邪魔しちゃったみたいで、ごめんなさい」
「あ〜、いいよいいよ!ウチ、あの男あんまり好きじゃなかったし」
「なんでえりねぇは、好きじゃない人にあんなこと出来るの?」
「は?お前には関係ないだろ」
「俺、えりねぇのそういうところは嫌い…」
「ガキは勝手に言ってろ!何も知らないくせに」
俺は知っている。そのような行為をすることで男からお金を貰ってるえりねぇを見たことがあるからだ。
「ねぇ、お金がないの?」
「はっ、はぁ?そんなわけないだろ!」
「えりねぇ、正直に言ってよ…」
俺はまっすぐに、えりねぇの目を見つめた。
「ちょ、ちょっとだけ足らなかったんだ」
「そうなんだ…何か俺に出来ることはない?」
「何言ってんだお前?まだガキのクセに」
「俺は真剣だよ?俺のお母さんだって、えりねぇの事はいい人だと思っているし、ご飯とお風呂ぐらいなら」
「そんな甘くねぇんだよ!ガキは黙ってろ!鬱陶しいんだよ!!」
えりねぇが、俺に怒鳴った。
それは怒り任せの怒鳴りではなく、悲しさも少し感じられた。
その日以来、俺は少しえりねぇと距離を置くようになった。
そんなある日。俺はリリと帰っていた。
「今日もしょーちゃん家で遊んでいい?」
「昨日、遊んだばっかじゃん!」
「え〜!?いいじゃん、いいじゃん!」
そういえば、えりねぇと距離置くようになって半年が経った。もう、そんなに会ってないのか…
俺はふと、そんなことを思い出した。
「ごめん!今日は用事あるから、また明日ってことでいいか?」
「む〜、絶対だよ?」
「うん、約束する」
俺の用事というのは、えりねぇのところに顔を出すということで、相変わらずえりねぇは、知らない男を連れ込んでいた。
やっぱりそれは良いことでないと思う。
そうだ!もっとしっかり話し合えば分かってくれるかもしれない。そんな期待を胸に、えりねぇの家の前に立った。
―—ガッシャーン!!!!
「な、なんだ!?」
物凄い音がした、しかもそれは、えりねぇの家の中から。
えりねぇが危ない!
俺は咄嗟にドアを開け、リビングに駆け寄った。そして、リビングのドアに手をかけた瞬間。
「どういうことだお前!」
男の声がリビングに響く。
「だ、だからキスはできないって!」
「はぁ?話しが違うだろうがよぉ!」
キス?話しが違うだろう?どういう事だ?
「てめぇ、家に連れ込んどいてキスのひとつもできないって、俺の払った金返せや!」
「キスはダメだって、事前に言ってただろうが!聞いてない方が悪いだろ?」
少し話しが見えてきた。きっと、えりねぇの連れてきた男は、自分が払った金額に相応しない対応に腹を立てているのだろう。
本当にくだらない…。
「そうなったら無理やりヤッてやるよ!」
「ちょっと!それは!やめッ―――、」
おいおい、このままだとえりねぇが本格的に危ない!
どうすれば、どうすればいいんだ?
「やめて!離れて!んぐっ…」
「黙れ、くそ女!誰か来ちゃうだろが!」
―—ガチャ、
「おい、お前!えりねぇから離れろ!」
「なんだこのガキは?」
俺は恐怖を押し殺して、考えついた作戦を試す。
「今、警察を呼んだ!だから、大人しく離れろ!」
俺は右手に受話器を握りしめ、警察を呼んだと男に脅しをかけた。
「け、警察!?」
「今、この状況を見られたらあんた相当やばいだろうな」
「くっ、くそッ!覚えてろよクソ女!あと、お前もな、クソガキ!」
「二度と来るんじゃねぇぞ!」
―—バタンっ!
男はさっさと家を出ていった。
「ふぅ〜、上手くいった…」
俺は、全身の力が抜けて膝から崩れ落ちた。
「大丈夫か!?おい!」
「えりねぇ、無事だった?」
「う、うん…」
まさかあんなハッタリが通用するなんて思わなかった。
何故、俺が本当に警察に電話しなかったというと、えりねぇが警察に事情聴取され、身元確認のため親族に電話をしてしまうと、更に父親がえりねぇに対して嫌悪感を持ってしまうと考えたからだ。
「あ、あの…」
「えりねぇ、どうしたの?」
「ありがとう…そして、ごめんなさい…本当に助かったわ」
「ううん、気にしないで」
「ごめん…」
「えりねぇ、前に言ったこと覚えてる?」
「う、うん…ウチ、将太に甘えていいのか?」
えりねぇは小さい頃からの厳しい教育のせいで、誰にも頼らず、家族に甘える事なく生活してきたのだろう。
「もちろん!それじゃ早速、お母さんに言ってくるね」
えりねぇの目には少し涙が見えたが、最後まで泣かなかった。それは、彼女の今まで生きてきた中での意地というやつなのだろうか。
俺は母親に何となくだが、えりねぇの事情を伝え、夕御飯とお風呂なら世話をしてくれる事になった。
「ごめん、母さん勝手なこと言って…」
「もう、瑛利果ちゃんにはいつもお世話になってるからほんの気持ちよ」
「おばさん、ありがとうございます」
「まぁ、その代わりに瑛利果ちゃんには、色々と家事を手伝ってもらおうかしら」
「はい!もちろん手伝います!」
一件落着といったところだろう。本来、この状況を望んでいた身だから、本当は万々歳とい言いたいところなんだが…
それは、俺が1人でお風呂に入っている時のことだった。
「ふーんふんふん♪本当に今日は疲れたな」
―—ガチャ、
「えっ?」
俺が湯船に浸かっていたところに、裸のえりねぇが入ってきた。
「ちょっ、ちょっとえりねぇ!まだ俺がいるんだけど!?」
俺は目に手を覆い被せ、えりねぇを見ないようにした。
「まぁまぁ、気にすんなや!ちょっとお前と話したいことがあるしな」
「いや、俺もう風呂上がるよ!」
「待てって!ほんの、少しだけ付き合ってくれ」
俺はえりねぇの頼みを渋々受け入れた。恥ずかしさを隠すのに精一杯だった俺は、ずっと半分顔を湯船に沈め、えりねぇが喋るのを待った。
―—バシャー、
気づいたらえりねぇは、洗い終わっていて、俺の入ってる湯船に体を入れてきた。
「え、えりねぇ!?」
「そんな騒ぐなって!」
俺はえりねぇに取り押さえられた。
小学生と高校生の体格差がある為、俺はえりねぇを振りほどけなかった。
そして、俺は向かい合わせに座ることはできず、えりねぇに背を向け、体育座りする形になった。
「ウチ、本当は寂しかった…」
「えっ?」
「ウチは、自分にいつも嘘をついてきた。だから、親にも夢を打ち明けられず、だらだら過ごす日々になったんだ…」
えりねぇの弱音は初めて聞いた。
俺は返す言葉も見つからず、只々、頷く。
「ウチは、生きてていいのかな?生きている資格あるのかな?」
「えりねぇ…」
「ねぇ、教えてよ!何で、みんなに軽蔑されながら生きて、気づいた時にはひとりぼっちになってるの?」
「それは、その…」
「ごめん、小学生のあんたに聞いてもわからないよね」
謝るのはこっちだ。この場面で一番適切なセリフが、俺には浮かばなかった。
けれど、これだけは言えることがある。
「えりねぇは、1人なんかじゃないよ」
「えっ…?」
「俺がいる…俺が付いてるから、もう1人なんかじゃない!」
「将太…」
「俺が守ってやる!また誰かがえりねぇを傷つけるようなことをしたら、俺が何回でも守ってやる!」
「グスッ、将太…」
「ごめん、こんなガキのいうことなんて別にどうでもいいよね?」
「そんなことない!そんなこと…グスッ」
「えりねぇ?」
「あー、もう!将太が良いこと言うから泣きそうになったじゃねーか!」
「泣いていいんだよ?」
一瞬、沈黙が訪れる。
「…泣いていいのか?」
「うん、俺には遠慮してほしくないし、肩の力も抜いてほしい。俺は自然体のえりねぇが好きだよ」
「うっ、うっ…うわぁぁぁぁあ!!!!」
えりねぇは、泣きながら俺に抱きついてきた。
「ちょっと!?えりねぇ、泣くのはいいけど今抱きつくのはダメっ!!当たってる背中に当たってるー!」
結局俺は動けず、えりねぇが落ち着くまで待った。
「グスッ、ごめん泣きすぎた…」
「ううん、大丈夫だよ」
「なぁ、なんでウチがキスを断り続けてるのか知ってる?」
唐突すぎる質問。確かに、えりねぇは絶対に連れ込んだ男とはキスはしていなかった気がする。
けどなんで急にそんなことを?
「ウチな、キスは本当に好きな人にだけするって小さい頃に決めたんだ」
「そ、そうなんだ」
「うん、だからまだウチのファーストキスは誰にもあげてないの」
「ふ、ふぅ〜ん」
返事に困る。妙にえりねぇから緊張感が伝わるのもなんだかむず痒い。
「将太、こっち向いて…」
「えっ、なんで急に?」
「いいから、こっち向いて!」
「わかったよ…っん!?」
俺が振り向いた瞬間、えりねぇがキスしてきた。それはあまりにも突然で、頭が真っ白になる。
―――っん、ちゅっ、
2人の唇が離れる。
「え、えりねぇ…」
「ウチのファーストキスあげちゃった!」
―—ギュッ
その時のえりねぇは特別可愛かった。抱きつかれている状況も、今は特に恥ずかしさもなく、背中から伝わる安心感で俺は心地よくなっていた。
そう、これが俺の初めてのキス。それは、忘れることもできない淡い記憶。リリには言えない内緒の思い出。
そして、当時の俺に芽生えてしまった、えりねぇに対する1つの感情が、未だに心の奥深くに眠っているのだった…。