12話 ユルサナイ
7月30日
今日は鷲田と会う日。俺はえりねぇと一緒に、鷲田のところへ向かっていた。
「なんか緊張するな〜」
「大丈夫、ウチがついてるから、それにリリちゃんもついてきてるし」
リリは、俺たちより少し離れながら歩いている。
「ごめんね、俺が余計なこと言っちゃったから」
「いや、逆にこれで気兼ねなくカップルを演じられるから結果オーライってことで」
「そうだけどさ、えりねぇ、いきなり腕組みはちょっと…」
「なんだ、嫌なのか?」
「嫌ではないけど、ちょっと恥ずかしいよ」
自分の顔が赤くなっていくのがわかる。
「お前は本当、そういうところが可愛いよな!」
「もう、バカにしないでよ〜」
「あははっ!ごめんごめん!」
そんな会話をしながら俺たちは、約束していた場所のファミレスに着いた。
「お、あいつ、もう座ってるじゃん」
「よし、気合い入れてくぞ!」
俺は自分の頬を叩き、気を引き締める。
「あははっ、将太ちょっとは肩の力抜け!そんなんじゃバレちゃうだろ?」
「そ、そうだね、不自然にならないように頑張るよ」
鷲田が座っている席に向かい、話が始まった。因みにリリは俺たちが見える範囲の席に座っている。
「エリカさん、本当にこんな奴と」
先に挨拶もなく、発言したのは鷲田だった。
「こんな奴って言うなよ、ウチの彼氏バカにしたら容赦しないからな」
「う〜ん、そもそも、君は本当にエリカさんのことを愛してるのか?」
「あ、愛してる!?」
思わず動揺してしまった俺の足に、えりねぇが思いっきり踏みつけてきた。
「痛ッ…あ、あぁ、愛してる!すごく愛してる!」
「なんか胡散臭いな」
やばい、流石に不自然だったか。
「なぁ、もう諦めろよ。ウチは、お前のことなんとも思ってないんだしさ」
「そんなこと言われても、僕は諦めません。まず、こんな冴えない男よりかは、僕の方がエリカさんを幸せにできる自信があります!」
さ、冴えない男ですか…
「だから、エリカさん、もう一度考え直してくれませんか?」
鷲田がそう言うと、えりねぇの顔がどんどん歪んでいのがわかった。きっと爆発寸前なのだろう。
「えりねぇ、ちょっと落ち着いて」
「なにがだ?ウチは落ち着いてるじゃねぇか!てか、お前は見も知らぬ男から罵倒されて悔しくないのか?」
「そ、そりゃ、悔しくはないとは言い切れないけど」
「だぁー、もう我慢できねぇ!」
えりねぇ、やっぱり落ち着いてないじゃん!やばい、えりねぇが怒るととんでもないことになるのは昔よく味わった。早く止めなきゃ、面倒臭いことになるぞ…
「あ、あの、鷲田さんもしつこいですよ?俺がえりねぇを愛してるのは事実なんだし」
「ふん、そんな低俗な輩に言われても、僕の意見は変わらないからな」
「そんなこと言わないでさ…」
じゃなきゃ、もうえりねぇが限界迎えてるんだって!
「テメェ、いい加減にしろよ!!」
えりねぇが机を叩き、鷲田の胸ぐらを掴んだ。
「ちょ、ちょっとえりねぇ落ち着いて!」
「将太は黙ってろ!このクズ、一回殴らないと分からねぇみたいだからよ!」
あー、終わった…
えりねぇは俺を振りほどき、鷲田に顔を近づけた。
「エリカさん!?どうしたんですか?」
「鷲田、ウチ言ったよな?彼氏をバカしたら容赦しないって、お前に将太の何が分かるんだよ?」
「何がって、少なからず僕には、彼のオーラというのが伝わらない。本当にエリカさんを愛しているという目をしてないようにも見えるし」
「はぁ?別に一方的な愛でもいいだろが!ウチが将太の事を愛してるんだよ!悪いか?」
「そんなの、エリカさんが報われないじゃないか」
二人の声が店内に響く。周囲の目はもちろん、俺たちに向けていた。
こんな公衆の面前で、なんてこと言い合ってるんだ。もういい加減にしてくれ…
そう思いながら、何気なくリリの方を見たが、リリは少し笑っていたような気がした。
「二人ともいい加減にしてよ!」
店内が静まる。二人は言い争いを止め、元の位置に戻る。
「すまん将太、ちょっと頭に血が上っちまった」
「僕としたことが、少し乱してしまった」
「あの、鷲田さん」
「ん?」
「俺はえりねぇのことを愛しています。だから俺も譲る気はありません」
「それはこちらも同じ」
このままじゃ埒が明かない。ここはちょっと強気で攻めてみるか。
「いや、あなたはもう部外者だ!俺とえりねぇとの間に入らないでほしい!」
「な、なんだその言い方は!」
「気づけよ!お前に可能性はないんだよ!だから、もう近づくな!」
俺の言葉で、鷲田が黙り込む。そして、えりねぇは俺にだけ聞こえる声で話しかけてきた。
「おい、やったな!将太かっこいいところあるじゃん!演技も上手いしな!」
「さっきのは演技じゃない、全部本気で言ってるから…」
「えっ!?」
しまった、勢いで変なことを言ってしまった。
「そ、それじゃ」
急に鷲田が喋り出す。
「僕の前でキスしてみてください」
「な、なんでそんなことを!?」
「そしたら、僕は全て認めます。エリカさんに脈がないことも、君がエリカさんの彼氏だということも」
おいおい、さすがにヤバことになってきた!リリもこっちを睨んでいるし!
「なぁ、将太どうするよ」
えりねぇが小声で聞いてきた。
「さ、さすがにキスはまずいよ…」
「でも、これで全部終わるんだぜ?」
「でも、リリが…」
「さっき、本気だって言ってたじゃん」
「そ、それは勢いであって、何も考えずに出た言葉だから!」
「ふ〜ん、もういいや」
「えっ、ちょっとえりねぇ!?」
次の瞬間、二人の唇が重なり、それは次第に激しくなる。
公共の場でこんなこと許されるわけない。けれど止まらない。止めようと思っても止められないほどの幸福感が、俺の脳に流れてくる。
鷲田を見ると愕然としていた。きっと、鷲田も触れるだけのキスだけだと思っていたのだろう。
流石にもう止めないと…でもダメだ、溶けてしまいそう。えりねぇの舌が絡みつき、俺の自制心を乱していく。
ふと、思い出したかのようにリリの方を見る。リリは、なんとも言えない顔で、嗚咽を繰り返していた。ん?なんであいつ、あんな拒絶反応が出てるんだ?
そこで俺は正気に戻る。
まずい、リリの顔が歪んでいく。あの時と同じ顔つきになっている。
そう、思い出したくもない2ヶ月前の悲劇。俺は、リリのその顔に対して恐怖する。
「えりねぇ、もう十分だよ!!」
俺は咄嗟に、えりねぇを離す。
「えっ…あ、あぁ、少しやりすぎたか?」
すると、鷲田が落ち込んだ様子で口を開く。
「僕の負けです。会計はしときますので、先に帰らせていただきます」
鷲田は席を立ち、レジの方へ向かった。それを見るか否や、えりねぇはまたキスをしてきた。そして鷲田に中指を立て、最後に挑発的な態度をとった。
「将太やったな!」
勝ち誇った顔を浮かべるえりねぇを尻目に、俺はリリの存在を確認する。
「いない……」
「えっ、どうしたんだ将太?」
「リリがいないんだ……」
いつ消えたというのか。少なからず店内をでる姿は確認してない。なのに、何故……
「トイレでも行ったんじゃないか?」
えりねぇが、冷静に対処する。
「あ、あぁ、そうだよね!トイレだよね!」
「将太、本当にどうしたんだ?さっきからリリに怯えてる様子だけど」
態度が露骨に出てしまったか。えりねぇは、サイコパス的一面を持つリリを知らない。変に勘づかれる前に誤魔化さなきゃ。
「いや、なんでもないよ!そんなことより鷲田は本当に諦めたのかな?」
「それなら心配ないぞ、あいつ自分で言ったことは必ず守るからな。だから、そこは信用していい」
「そ、そうなんだ」
そして俺たちは、軽い食事をし、ファミレスを後にした。
それにしても、リリは姿を見せなかったが、そんなにトイレ長いのか?
7月31日
えりねぇの件は落ち着いた、と言いたいところだが、実際のところリリがわからない。あいつのことだから、また変なことを企んでないといいけど。
本当は昨日のうちに確認するべきだった。けれど、鷲田との一件、それに疲れてしまった俺は、家に帰るとすぐ寝てしまい、今に至る。
橘さんの二の舞はごめんだ……
そんなことを考えていたら、家のインターホンが鳴った。
「リリだと面倒が省けるから、嬉しんだけどな……」
俺は玄関に向かい、人を確認する。
「将太いるか?」
インターホンを鳴らしたのは、えりねぇだった。俺は扉を開ける。
「えりねぇ、どうしたの?」
「いや、特に用はないんだけどな。ちょっとお前に会いたくなって」
えりねぇの言葉に、思わずドキッとしてしまった。急にそんなこと言うのは反則だよ……
「じゃ、じゃあ家入ってよ!」
俺は快く、えりねぇを迎え入れる。
「ごめんな、こんな朝っぱらから」
「暇だったし、大丈夫だよ!」
昨日の今日のことだ。変に緊張してしまう。
「あ、あの、将太?」
「ん?」
「単刀直入に言わしてもらう……ウチ、お前と付き合いたい」
それは俺の心を驚かすには十分な言葉だった。
「え、えりねぇ正気なの?」
目の前のあり得ない状況に、思わず戸惑ってしまう。
「ウチはいつでも本気だ!それに、実はお前と初めてお風呂に入った時から好きだった」
頭の処理が追いつかない。
「そ、そ、それってつまり、俺が小学生の時から?」
「そうなるな」
慌てている俺とは裏腹に、えりねぇは冷静に答える。
「小学生に恋したって、普通あり得ないだろ?だから、ウチはお前が大人になるまで待つことにしたんだ」
「大人って……俺まだ高校生だし」
「もう、待てなかった。3ヶ月前に、お前とリリが付き合うって聞いて凄く心が苦しかった……ウチ、もう耐えきれないよ」
「えりねぇ……」
「だから、今がチャンスだと思った。リリと別れた将太と、一緒になれるチャンス……」
なんて返せばいいんだ?実際に俺は、えりねぇの事をどう思ってるんだ?嫌いではない、むしろ好きだ。でもリリになんて言えばいい……
「リリのことが気になるのか?」
俺の気持ちを察したかのように、えりねぇが優しく問いかける。
「お、俺さ、えりねぇのこと好きになっていいのかな?」
「えっ?」
咄嗟に出た俺の言葉に疑問を浮かべる。言った本人だって、何を言いたいのかわからない。
「俺、わからないよ……」
「将太は、ウチのこと好きじゃないのか?」
「そ、それは……」
好きだ、愛してる。心では思っている、けれど、あと一歩が踏み出せない。怖いのか?俺はリリが怖いのか?なんで、俺はリリなんかに怯えなくちゃいけないんだ?
「俺も好きだった……」
「好き、だった?」
「初めてえりねぇとキスしたあの日。俺も、あの時からえりねぇのことを……」
次の瞬間、この緊張したムードが崩れる。
ーーピンポーン
またインターホンが鳴った。多分、リリだ。
「えりねぇ、ちょっと待ってて」
「お、おう!」
外に立っている人物を確認すると、予想通り、リリだった。
「リ、リリどうしたんだ?」
「しょーちゃんの嘘つき……」
「ご、ごめん」
きっと昨日のキスのことだろう。俺はリリに約束したことを守れなかった。それは、リリにとって許されることのない出来事だった。
「謝ってないで、私にもキスしてよ」
「えっ?」
「なに、とぼけた顔してるの?しょーちゃんは、彼女でもない人とキスができるんでしょ?だから、私にも早くしてよ!!」
「そんな、急に言われても…」
俺が戸惑っていると、リリは急に顔を近づけ、キスをしようとしてきた。
俺は反射的にリリを突き飛ばしてしまう。
「い、痛ッ……」
突き飛ばされたリリは、体勢を崩し、地面に頭を打った。その衝撃で、頭からは少しの血が流れ落ちる。
「リリ、大丈夫か!?」
俺は慌てながら、リリの駆け寄る。
「しょーちゃん、なんで、こんな酷いことするの?」
「ごめん、こんなことするつもりじゃ……」
「こんなことって……そう言ってあの女ともキスをしたの?あの女にされたんでしょ?正直に言ってよ!!」
「違う、あれは全部、俺のせいだ」
「じゃあ、私にもしてよ……」
リリの目には涙が浮かんでいた。俺はそんなリリを放っておけず、抱き寄せる。
「ごめん、今はできない」
「なんで?」
「俺、えりねぇのことが好きだから」
この告白は、今、言うべきじゃないかもしれない。でも、もうリリには隠し事したくない。
「はぁ、しょーちゃん、ついに言っちゃったね」
「だから、もうリリとは……」
「嫌だっ!!」
「えっ?」
「誰がなんと言おうと、私はしょーちゃんを諦めない」
「そんな……」
「だから、あの女と話をさせて」
リリのことだ、きっとまた橘さんのような事をしてしまうかもしれない。
「どうしても話がしたいのか?」
「する、どうせ、家の中にいるんでしょ?」
「そ、そうだけど」
なるべく、えりねぇに会わせたくない。そんなことを思っていたら、背後から人が近づいてきた。
「ウチはいいぞ!」
それはえりねぇだった。そして、リリとの話し合いをすることになった。
「えりねぇ……」
穏便に過ごせればいいけど、きっとこのままじゃまた誰かが傷つく。俺は頭を使い、今の状況を切り抜ける方法を考える。
二人を家に入れ、リリの頭の傷を応急処置し、俺を挟んで話し合うことになった。
「エリカさん、私は、あなたよりしょーちゃんを愛してる自信があります」
「はぁ?ウチも負けてるつもりないんですけど」
冷徹なリリに対して、えりねぇは喧嘩腰で会話を続ける。
「リリ、どうしてもダメなのか?」
「しょーちゃんは黙ってて、これは私とこの女との問題だから」
いやいや、俺が一番関係しているんじゃないのか?まぁ、そんなことを言っても、今のリリは何も聞いてくれないだろう。
「あのさ、さっきからリリちゃんは将太のことを人形のように扱ってるけど、あんただけの将太じゃないの分かってる?」
「分かりません。私は逆に、なんでしょーちゃんが言うことを聞いてくれないのかが疑問に思ってます」
「はぁ?あのさ、お前の都合で将太は動けないの、それぐらい理解しろよ」
「うるさいな、おばさんのクセに必死すぎなんだよ」
リリは、さっきの態度とは裏腹に急に喧嘩腰になった。
「テメェ、あんまり調子乗ったこと言ってると容赦しねぇからな」
「別に構いませんよ?私的には、そっちの方が楽に事が進みますし」
「じゃあ、御構い無しに……」
えりねぇがそう言うと、さっと立ち上がり、リリの胸ぐらを掴んだ。
「えりねぇ!!暴力はダメだよ!」
きっとこれもリリの策だ。えりねぇを挑発し、自然に殴り合いの流れに持っていかせるための作戦だろう。
「うるせぇ、こいつ昔から一発殴ってやりたいと思ってたんだよ」
「あらあら、おばさんはすぐ怒るんですね」
リリは余裕の笑みを浮かべる。
「黙れクソガキッ!!」
えりねぇがリリに殴りかかる直前、俺は二人の間に入り、止めようとした。しかし、えりねぇのパンチは勢いづいていて、もう止まらなかった。つまり、俺にえりねぇの渾身のストレートがクリーンヒットしてしまう。
「将太ッ!?」
「い、いって〜」
女の人とはいえ、昔から喧嘩ばかりしていた人のパンチは威力が違う。頰が痺れる。
「将太、ごめん、ウチは……」
「なんで、えりねぇが謝るの?えりねぇは何も悪くないよ」
「でも、でも……」
「俺が勝手に飛び出してきただけだって。だから自業自得。って、そんなことより、もう暴力はダメだよ?」
「うん、分かった……」
「ねぇ、二人の世界に浸っているところ申し訳ないんだけど、あなたが殴らないなら、私から殺らせてもらいますから」
リリが歩き出す。そして、えりねぇの首を絞め始めた。
「お、お前……」
咄嗟のことでえりねぇも反応ができず、完全に形成逆転されてしまった。
「リリ、やめろ!!」
俺はリリを抑え込もうとする。
「しょーちゃん、また私の邪魔をするの?もう、さすがに鬱陶しいんだけど……」
そう言うと、リリは自分のポケットに手を入れ、注射器らしきもの取り出した。
「リリ、お前、それ……」
俺は、リリの手に持っているものに気を取られてしまった。その隙に、リリが俺の首に注射器を打ち込む。
「おやすみ、しょーちゃん!」
「リ、リ……」
急に体が重くなり、床に倒れこむ。そして、目の前が真っ暗になり、俺は目を閉じた。




