第六話
朝、起きたばかりのヴィオラの動作は緩慢だが、カーテンを開け、顔を洗い、寝ぐせをなおしおわったころにはすっかり目がさめ、てきぱきとした調子をとりもどす。トイレを済ませ、服を寝間着から着替えると、朝食を準備する。たいていは買い置きのコーンフレークに、目玉焼きとトースト、そして熱い湯を沸かす。そのころ、やっと寝室からエドガーが這い出てくる。
寝ぐせでぼさぼさの頭をヴィオラが注意し、彼はのそのそと洗面所に消える。彼が戻ってくるころには、テーブルの上に二人分の熱いコーヒーと朝食が用意されているので、ふたりで囲んで食べる。
エドガーはトーストをかじりながら、片手で電子ペーパーに配信される今日のニュースをチェックし、ヴィオラは携帯端末で友達からの連絡を確認する。
ヴィオラの方が先に朝食を食べ終わり、エドガーに食器を流しに置いておくよう言って、家を出る。
玄関の外は晴れていた。真夜中に少し雨が降ったらしく、舗装された道は朝日を反射して輝いていた。空気は冷たく澄んでいて、鼻から吸い込むと体の芯まで清々しい気分になった。ヴィオラは住宅街のはずれまで歩き、バス停に立った。となりに住むおばさんがたまたま後ろに並んだので、挨拶と世間話で時間を潰していると、バスが来たので20分ほどそれに揺られた。
彼女が向かったのは郊外のほうだった。降りたバス停周辺に住宅は少なく、代わりに大きめの土地を持つ町工場が目立った。まだ朝も早いのに道を作業服を着た男たちが歩き、運搬ロボットたちが重そうな箱をいくつも抱えてせわしなく行き交っていた。
ヴィオラはさらに少し歩き、さらに人けが少なくなるあたりまで歩いた。道は細く、砂利の多い、曲がりくねる上り坂になった。小高い丘の上にぽつりと一軒、古い家があった。彼女は坂を上がりながらそれを見上げるたび、小さいころ絵本で見た魔女の家を連想するのだった。そこが彼女の職場だった。
ヴィオラは建物わきに停まっている大型トレーラーの横を通り過ぎ、裏手にまわると、勝手口から中に入った。建物の中はカントリー風の内装と家具で揃えられ、年季の入った木の床や、柱に飾られた薔薇のドライフラワーのリースに、いつも安らぎを感じるのだった。
家主の姿が見えないので、ヴィオラは階段から地下に降りた。地下は地上とはうってかわって、むき出しの金属床が裸のLEDに照らされた、無機質で冷たい、広い部屋だった。果たして家主はそこにいた。
「おはようございます、ローズさん」
呼ばれて、部屋の中心の作業台に向かっていた女性が、ゆっくりと振り返った。
美しい人だった。長くまっすぐな黒髪を後ろで縛っていた。肌はほとんど外出しないせいで真っ白で、瞳には黒曜石のような気品があった。彼女は細く長い両手の指に、ひとつずつ、小さくて丸いものをつまんでいた。彼女はヴィオラを見ると、微笑んでむかえた。
「やぁ、ヴィオラさん。おはようございます。ちょうどいいところにきましたね」
ローズは両手の白くて丸いものを指先でまわし、正面をヴィオラに向けた。
「青い瞳と赤い瞳、どちらが美しいと思います?」
彼女が持っているのは眼球だった。
「それは仕事ですか? 趣味のほうですか?」ヴィオラは座るローズの前に屈んで、眼球をよく見比べた。
「趣味です」
「だったら……私は青い方が好きですね」
「そうですか。じゃあこっちにしましょう」ローズはふたつの眼球を作業台に置いていたケースに戻した。それから彼女は立ち上がり、ケースを近くにある、サイボーグの部品が納められている大きな棚へとしまいこんだ。
「……さて」
ローズは片手を持ち上げ、宙で指先を複雑に動かした。すると工房内の映像システムが起動し、中央の作業台の上に、人間の立体映像が映し出される。
「さっそくお仕事にかかりましょうか」
ふたりは並んで映像を眺めた。
「今日からはこの方の右すねを作りましょう。31歳の女性。希望としては『美しいシルエットと、スカートなどで足を出したときに浮かない程度のシンプルなデザイン。しかし義足らしさは残してほしい』とのことです。要求スペックは日常用ですから、かかっても3日くらいで終わると思います」
「簡単な仕事ですね」
「簡単だからこそ、デザイナーの腕がよくわかります。こういう仕事こそ丁寧にとりかからなくては」優しく、ローズは言った。
「はい」ヴィオラは口元を結んだ。
「では、あなたにはまずベースのフレームを組み立ててもらいましょう。私は接続部のデザインの詳細を詰めますから、終わったら教えてください」
「はい!」
そうして、ふたりはそれぞれの作業台へと向かった。
ヴィオラがサイボーグデザイナーの見習いとして『薔薇の工房』に雇われて、もうすぐ一年が経つ。
きっかけは小学校での課外授業だった。クラス全員で町の工場に見学に行き、そこで彼女は、サイボーグ用の義肢の作成現場をはじめて目にした。
無数の基板や人工筋肉、色とりどりのケーブルにチューブ、それら無機質な素材が、緻密な設計に基づいて寸分の狂いもなく組み合わさり、人間の腕を形づくる過程を見た。そしてその腕が人間の体に接続され、まるではじめからそうであったかのように滑らかに動くさまに、幼い彼女はひどく興奮した。人体の皮膚と筋肉が、金属の質感に違和感なく変化していく様は、彼女の瞳には虹やオーロラと同じものに映ったのだった。
その日家に帰ったヴィオラは、さっそく自分の未来に向けて行動を起こした。
ネットでサイボーグデザイナーという職業を知り、独創性と機能美に溢れた作品をいくつも目にした。中世地球のヨーロッパの甲冑のようなデザインの腕を見た。まるで本物のヒョウのように、美しい毛並みとまだら模様を備えた脚を見た。精密作業用に、八本の小さな腕に変形するデザインの腕を見た。中身の脳みそがガラス越しに見える、サイケデリックな頭を見た。タトゥーの模様を自由自在に変えられる胸を見た。コウモリのような翼が生えた背中を見た。人体と機械の組み合わせによって広がる無限の世界に彼女は触れた。
間もなく彼女はデザイナーの養成学校に進学を決め、そこで4年間、16歳になるまで学んで卒業した。
友達はみな、大手企業や、街にある他の工房へと就職を決めたのだが、ヴィオラは『薔薇の工房』を選んだ。理由は、自分でもあきれるほど単純だった。
あるときヴィオラは、学校のコンテストに自分のデザインした腕を出品することになった。そのコンテストは三年生の終わりに行われる大規模なもので、ここで企業の人間か有名デザイナーの目にとまるかとまらないかが、実際にデザイナーとして活躍できるかできないかの分かれ目だった。そのため、出品する生徒たちはそれぞれたっぷり時間をかけて持てる全力を出すのだった。ヴィオラも例外ではなかった。
それは外皮の代わりに花の彫刻が施された装甲を使用したもので、製作に半年もかけた渾身の作品だった。立体的で緻密な設計のフレームは基本構造から新規に作成したもので、高度な技術を用いていた。
完璧に見えた。シルエットは生身の人間とほぼ同様のものとしながらも、美しさをなによりも重視して作り上げたものだった。
だが学校のホールに、他の作品とともに展示されたそれの前には、誰も立ち止まらなかった。
ときどき誰かが立ち止まっても、それは生徒の課題の評価をしにきた教師で、彼らは数十秒作品を眺めると、つまらなそうに端末にいくつかチェックを入れただけで立ち去っていく。一緒に出品した友達の作品の前には二重の人だかりができていて、次々投げかけられる質問に、友達はヴィオラにかまう暇なんて無さそうだった。
みじめだった。
あれだけ魂を込めたはずの作品が色あせたくだらないガラクタのように思えた。自分の時間と情熱がまるきり無駄だったという事実が、ひとり目の前を通り過ぎるたびに体に突き刺さってきた。自分には才能がなく、才能を埋めるための努力も足りなかったのだ。周りの人間は違ったのに、自分だけが愚かで、怠惰だった。
気分が悪くなり、逃げ出したくてたまらない気持ちになった。パイプ椅子に座って、膝にやった自分の手を見ながらずっとうつむいていた。
「見せていただいてもよろしいでしょうか」
いきなり声をかけられて、ヴィオラはゆっくりと顔をあげた。作品の前に女性が立っていた。ヴィオラは彼女の顔を見て、あれっ、と思った。
女性の頬にはバーコードが刻印されていたのだ。ロボットだった。
「遠隔操作しています。体が弱いものでして」怪訝な視線を感じたのか、女性がそう言って小首をかしげた。
「ああ! いえ! どうぞどうぞ、ゆっくりご覧に!」ヴィオラは赤面して慌てた。
女性は丁寧に会釈し、ヴィオラの作品をじっくりと眺めた。手にとり、質感や、構造をたしかめた。ヴィオラはそのあいだずっと、ドキドキしながら椅子にかしこまっていた。
「なるほど」
やがて女性は静かに言って、ゆっくりと周りを見渡した。
「なぜか、わかりますか?」
「――え?」ヴィオラは首をかしげた。
「なぜこの作品が評価されないのか、ということです」
どきりとした。答えられずに黙っていると、女性は優しく微笑む。
「非常に高度な技術が使われた作品です。この構造は簡単に思いつけるものではありません……だからよくない」
「……どういうことですか」
「ヴィオラ・スミスさん。この義手はあなたが使うものですか?」
「いいえ」
「では誰が? その人はこの、複雑で、特殊な工具を用いなければ分解も整備もできない義手を扱える人ですか?」
「え……?」
意外な顔をするヴィオラに、女性はにっこり笑った。
「スミスさん。サイボーグの部品というのは、使う人と毎日をともにするものです。予期せぬトラブルや、精密機器には適さない環境での使用も大前提とされなければなりません。そのため、簡単な工具で素早く整備できる単純な構造でなくてはならないのです。あなたにはその視点が欠けていた。実際に使う人間の視点が」
「それは……その……」言い返せなかった。
その通りだった。思い返すと、自分は自分の技術を見せつけることばかり考えていたような気がする。だからとにかく、複雑で高度な設計を追い求めてしまったのだ。
「ですが、この立体構造を実現できる技術力は素晴らしい。美しさすら感じます。ひとつひとつの部品の仕上げも丁寧だ……」
女性は指先で作品の表面を撫でた。
「素晴らしい……あなたのように情熱をもって仕事をする人はなかなかいない」
「そんな……」
女性はふところから一枚の名刺を取り出して、差し出した。ヴィオラは慌てて立ち上がり、受け取った。
「この工房……?」
「聞いたことない、といった風な顔ですね」ふふ、と女性は笑う。「い、いえ!」と否定するヴィオラに女性はまた微笑む。
「無理もありませんよ。個人でやってる小さな工房ですから。主にオーダーメイドの、高級な作品を作っています。ただ、最近少し注文が増えすぎまして……もしよろしければ、ご連絡ください」
「それはもう! ぜひ!」ヴィオラは破顔した。涙すら浮かんでいた。
そうして女性は立ち去った。
ヴィオラの目には彼女の背中が焼きついて、名刺に書かれた『薔薇の工房』の名は、その日一日、頭の中で繰り返された。