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第五話

 少女が走っていた。

 肩を弾ませ、額に汗を浮かべながら、細い両腕をめいっぱいに振って、建物の廊下を疾走していた。美しい黒髪が浅黒い頬に張りついて、エメラルド色の透き通った瞳には、かすかに涙が浮かんでいた。彼女はとうとう目的の部屋にたどり着いた。

「パパッ!」

 勢いよく扉を開けて踏みこむと、そこには医者と看護師と、ふたりの間で椅子に腰かける初老の男がいて――「よっ! ヴィオラ」――脳天気な声で出迎えた。



「もう! 撃たれたって聞いたから心配したのに!」

 ヴィオラは頬を膨らませた。

 彼女と男は自宅の居間の丸テーブルを囲んでいた。卓の上には彼女が作った夕食の皿が並んでいて、焼いたベーコンと大きなオムレツがまだ湯気をたてていた。薄暗い照明がふたりを優しく照らし出している。

「いちいち大げさなのさ。こんなのかすり傷だぜ」男は右肩をぐるりと回して顔をゆがめ、痛みにうめいた。ヴィオラの白い目。

「肩の肉が4センチも吹き飛ばされるのはかすり傷って言わないから」

「はっはっはっ」

「笑ってごまかすな!」

 ヴィオラは身を乗り出して父の――エドガー・スミスの広い額を軽くはたいた。エドガーは大げさにやられたふりをした。

「心配かけたのは悪かったよ」彼は肩の包帯を撫でる。「次はもっとうまくやる」

「そういう問題じゃなくて」オムレツをひと切れのみこんだ。

「保安官なんでしょ、どうして撃たないの? 悪い人を殺すのが保安官の仕事でしょ? 腰のリボルバーは飾り?」

「フォークを人に向けるな。それに保安官は殺し屋じゃない」

「殺され屋でもないでしょ」

「保安官の仕事は、悪いことをした人を逮捕することだ」

「でも、それで自分が撃たれて死んじゃうかもしれない。そうなる前に手をうってほしいんだよ。私にはもう、パパしかいないんだから」

 ヴィオラは視線を横に飛ばし、チェストの写真立てを見た。そこには若い女性が笑顔で軽く手を振っている写真がある。ヴィオラによく似た黒髪と、浅黒い肌だった。

「おまえの気持ちもわかる」エドガーは少し間をおいて、白髪まじりの髪を後ろになでつける。

「俺だって、おまえをひとりにする気はないさ。だけどな……」

「……言いたいことあるなら言ってよ」

「いずれおまえにもわかる日がくる」エドガーは優しく微笑んだが、ヴィオラはますます口を尖らせる。

「まだ子供扱いするつもり? もう17だよ。働いてるし」

「まだまだ子供だな」

「パパが町の人からなんて言われてるか知ってる? 『腰抜けエドガー』だよ!」

「何も間違ってないよ。銃を撃つのはこわいんだ」

「私、腰抜けの娘なんて嫌だよ! 子供のころは近所の男の子たちにもからかわれてたし」

「でもおまえはそのたびに殴り返したじゃないか」

「そうだよ。誰かさんが、人を殴る度胸もないからね!」

 ドアが強く叩かれる音があった。ヴィオラはびっくりしつつ玄関を見、エドガーは腰の拳銃に触れながら誰何した。

「俺だ、ウィリアムだ」くぐもった声が返ってきた。

「ウィルか。ヴィオラ、入れてやれ」エドガーは銃から手を離した。

 ヴィオラが鍵を開けると、玄関を開けて入ってきたのは、眼帯をした大柄な男だった。彼はヴィオラとエドガーを見ると満面の笑みを浮かべて言った。

「ようエディ! 無事だったか、心配したぞ!」

「やあウィル。その様子だと、もうどっかで一杯ひっかけてきたな?」

 エドガーはウィリアムの赤ら顔を見て笑った。ウィリアムは片手の酒瓶をかかげた。

「グラスを出すよ。ヴィオラ、たしか棚にジャーキーがあったはずだ」エドガーは立ち上がる。

「はいはい」軽くあきれたように棚へ向かった。

 三人が揃ってテーブルにつくと、ウィリアムはふたりのグラスにジンを注ぎ、それから自分に注いだ。

「俺の友人、そしてヴィオラの父親の無事に!」

 それぞれ、ぐいと飲みほした。

 熱い感覚がヴィオラの喉を過ぎていき、ふぅ、と長い息を吐いた。

「で、どうだった? 今回は」ウィリアムがさっそく二杯目にかかった。エドガーは肩をすくめる。

「通報を受けたのは昼ごろだった。パトロールも一段落して、相棒とコーヒーでちょっとした休憩をとっていたところだった。無線に連絡が入って、42番通りの路地で、銃を持った男が暴れてるって言うんだ。急いで飲み干して向かうと、まさにその通りで、両腕をサイボーグ化した男がひとり暴れていた。現場についたのは俺たちが最初だった。

 男の様子は明らかに変だった。よくある麻薬で完全にイカれてた。説得にも応じそうになかったし、そもそも言葉が通じそうな状況じゃなかったから、本部からの増援を待って取り押さえようということになったんだが、さらに最悪なことに、その男はいきなり泣き叫びはじめたんだ。

 『まずい』と感じたよ。クスリで精神不安定な状況だと、何をするかわからない。いつ銃を乱射してもおかしくないし、その銃口が自分に向く可能性もある。一刻も早く無力化しなきゃいけなかった。

 俺は飛び出して、そいつの腕を撃った。右腕を壊すことはできたが、男は素早く左手に銃を持ち替えて撃ち返してきた。ほとんど無意識に見えたから、戦闘用プログラムを積んでいる動きだったなあ、あれは。それで俺も撃ち返して、左手も壊してやった。怪我したのはそのときだ」彼はグラスを傾けた。

「どうしてわざわざ腕を? 腹を撃てばよかったのに」

「おまえの父ちゃんはそういう男だ。『腰抜け』だなんていうやつは何もわかっちゃいねぇんだ」ウィリアムが乱暴にジャーキーを噛みきる。

「殺すだけなら猿でもできる。生かせるのは人間だけだ」

「今回はたまたま上手くいったけど、自分が死んでてもおかしくなかったじゃん。わざわざリスクをとるなんて」

「ヴィオラの言うとおりだよ。次は気をつけるさ」エドガーは肩をすくめた。

「どうせまた次もやるくせに」彼女は口を尖らせた。

「ああそうだ、銃で思い出したが――」ウィリアムが懐に手を突っ込んで、小さめのケースを取り出した。

「ほら、ヴィオラ。頼まれてたやつだ」

 彼がテーブルに置いたケースを開けると、中には一丁の小さなリボルバーが入っていた。ヴィオラは顔を輝かせて「ありがとう!」と声をあげた。

「ご注文通り、女の手でも扱える小さなサイズだ。銃身は2.5インチ。弾は9mmを使え。弾倉には6発入る。バイオセーフティだから暴発の心配はない。もちろん光学、動体、赤外線、生体、その他主なセンサーはひと通り組み込んであるから、サイボーグ本体とリンクして、プログラムを走らせることも可能だ。フレームと銃身、弾倉は見てのとおり黒焼きに薔薇とつるのエングレイブ。その辺のセンスはよくわからねぇから、俺のカミさんにやってもらったがな。グリップはパーローズにチェッカーを刻んで、中心に俺の工房のメダリオンをはめこんである。護身用だが、クールだろ?」

「すごい!」

「しかしこう言っちゃなんだが、気に食わねぇな」ウィリアムの顔は赤くなっていた。

「その彫刻はなんだ? 銃にそんなものは無粋だぜ。おまえのお願いだからやったがよ。ほかの客なら塩撒いてるところだ」

「きれいじゃん。薔薇とつるが絡み合って、高級な感じが出てる」

「おまえのオヤジさんの銃を見習え。フルステンレスのブルバレル6インチ、対サイボーグ弾にも耐える頑丈なシリンダー! グリップはポリアミドだ、下手な木材よりよっぽど合理的だ!」

「『自動照準修正機能もついてるし、装填した弾薬に合わせて銃身とシリンダーの内径が調整されるから、最高効率で発射できるうえに、.454カスール弾以上も、9mm以下の弱装弾にも対応する』、でしょ? 何度も聞いたよ……」ヴィオラは苦笑する。

「――俺の最高傑作なんだぞ! エドガー、頼むからよう、正しいことに使ってくれよ。俺は、俺の銃が誰かを不幸にするのなんか、もう見たくはねぇんだよぅ……」

 いきなりウィリアムは静かになって、目元をこすり始める。エドガーは彼のグラスに水差しの中身を注いで、自分のグラスをかるくぶつけた。

「わかってるよ、ウィル。安心してくれ。大丈夫だからな」エドガーは微笑した。

「俺は怖いんだよエド。新しい銃を作るたびに昔のことが頭にちらついて……」

「わかった、わかったから、一杯飲め」

 エドガーとウィリアムは同時にグラスをあおった。ウィリアムはそれからひと息ついて、よろよろと立ち上がった。

「すまねぇな、悪い酒になっちまった。今日は帰るよ」

「もう少し休んでいかないか?」

「いや、いいよ。すまねぇ、おまえのお祝いだったのに。すまねぇ……」

 そうして、ウィリアムはよろよろと出ていった。

 ヴィオラは絶句していた。手の中の拳銃はずっしりと重かった。

「おじさんのあんな顔、はじめて見た……」

「ヴィオラ」エドガーが静かに言った。ヴィオラは彼を見た。

「ウィリアムは強い男だよ」

 エドガーはただそれだけ言って、もう一杯、酒をあおった。

 少女は黙ったままだった。

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