第二十話
立ち上がり、オルガは自分の体がすっかり本調子に戻ったことをたしかめた。撃たれた場所はナノマシンの作用でふさがって、まだ少し痛みはあるものの、普通に動く分には問題なさそうだった。
右腕を動かす。サイバネ化された腕は成長期の体に対して少しずつ合わなくなってきているが、あと半年は持ちそうだった。薔薇棺も倒したことだし、ちゃんと調整するか、有機素材のより本物に近い腕に変えるかしなければいけないなあとぼんやり考えながら、軽いストレッチをし、朝の寒さに身震いした。
ロボットたちがストックしていたらしい軍用携行食と温めた缶スープの朝食を用意してくれたので食べる。コッペリアがどこへ行ったのか訊くと、彼女は昨日決闘を行った丘でひとりもの思いにふけっているようで、心配になったので様子を見にいくことにした。
身支度を整え、拳銃の弾倉を確認し、ホルスターに納める。なんの変哲もないただのオートマチックだが、気に入っていた。
建物を出た。白い息を吐きながら砂利の多い丘を上がっていくと、薔薇棺の残骸の前に、ボロボロのマントを羽織ったコッペリアが、静かに佇んでいた。
「落ちついた?」
オルガが声をかけても、コッペリアは振り返らなかった。
「なんていうか、たいへんだよね……ひと区切りついたことだし、もう少しゆっくりしていく? 僕は君がまた元気になるまで、ずっとそばにいるよ」
「ねぇ、オルガ」背を向けたまま、彼女は言う。
「なんだい?」オルガは静かに微笑んだ。
「私は、キミのことをとても大切に想ってる。それは本当。でも、キミは?」
「えと……? どういう意味?」困惑して、オルガは頬をかく。
「答えてよ」静かだが、強い口調だった。
いろんなことが起こって不安になっているのだろう、そう思ったオルガはひと息おき、彼女を安心させられるよう、優しく答える。
「もちろん、僕もキミのことを大切に想ってるよ」
「じゃあ、私を許してくれる?」
「もちろん」
「私がなにをしても?」
「もちろん」
「……ありがとう」
一瞬だった。コッペリアが素早く振り返ると同時に、拳銃の引き金を引いた。放たれた弾丸は正確にターゲットに向かって飛んだ。すなわち、オルガの眉間へと。
彼は大きくのけぞり、そして倒れた。
コッペリアは硝煙の残る拳銃をおろし、ただオルガを見る。砂利の上に大の字になった彼はぴくりとも動かず、額からはおびただしい量の血が溢れていた。
コッペリアは立ち尽くしていた。冷たいそよ風が頬を撫でた。音はなく、不思議と穏やかな静けさだけが、砂利の丘にあった。
やがて――
「痛っだぁ〜〜〜〜〜!!!!」素っ頓狂な声があがった。
オルガが立ち上がった。片手で抑えた額からの血は止まっていて、その表情は嘲笑うようだった。コッペリアは奥歯を噛み締める。
「やっぱり、そうだったのかよ……」睨みつけながら、目尻を拭う。
「ひどいなあ、コッペリア。死んだらどうするんだよ」ケラケラとオルガは笑う。
「殺してやる!」
「僕を?」
「おまえはオルガじゃない!」
「いいや、僕は僕さ、最初から。僕は君を愛し、君も僕を愛した」
「黙れ!」
「もう僕の愛の囁きはいらないのか?」
また発砲。オルガの左腕に穴が空き、血が噴き出た。
「痛いなあ。右腕と頭以外は生身なんだぜ」彼は平然としている。血は流れ続け、指先からどばどばと落ちて地面に染み込む。歯噛みするコッペリア。
「今、わざと腕を狙ったね? 心臓は生身だから安心しなよ。それとも出血多量で殺すのが好き?」
「それ以上喋るな!」
「いいや喋るよ。もう正体を隠す理由もないさ。久しぶりに僕――いや、『私』としてあなたとお喋りできるんですもの。たくさんお話しましょう? ねぇ、コッペリア?」微笑した。その笑顔は、少年の体には似つかわしくないほど妖しく、艷やかだった。その表情にコッペリアは目を見開き、五年分の憎しみと怒りを込めて、彼の――『彼女』の名を呼んだ――
――本当のヴィオラ・スミスの姿を目にしたコッペリアが思い至ったのは『外見と中の人格が一致しない存在が他にもいるのではないか』という考えだった。それははじめのうちは具体的でない不安でしかなかったが、薔薇棺の残骸を眺めながら過去の記憶を思い返していたとき、あることを思い出したのだ。それはコフィンがローズを撃ったその日――未完成のコッペリアを眺めて、ヴィオラとローズが交わした会話だった。
――『普段来るような仕事では、満足できないんですよ、簡単すぎて……失礼な話ですがね。ですが私のような職種の人間は、ときどき全力をもって未知の課題に取り組まないとどんどん腕が鈍ってしまう。』
『だからここまでハイスペックなものを?』
『ポートフォリオにもなりますしね。もはや彼女の複雑な構造は私以外には理解できないでしょう。実用品ではないから、いくらでも腕をふるえます』
『きれいだなあ……』――
――『彼女の複雑な構造は私以外には理解できない』――
その言葉を思い出した直後、さらにべつの記憶がコッペリアの脳裏に浮かんだのだ。それはコッペリアが旅の途中、オルガと出会い、そしてともに行動するきっかけになった赤コウモリ団との戦いのときの出来事だった。
赤コウモリ団のボス、レッドバットの音響攻撃で心臓の圧力調整弁が破損したコッペリアは、宿でオルガに修理された――設計者のローズ以外構造が理解できないであろうコッペリアの体を、彼は修理したのだ。
比較的単純な指先などの修理ならば、全体の構造が理解できなくとも修理するのは可能だろう。だがしかしこのとき破損していたのは、身体全体の血圧を調節する極めて繊細で重要な部品だ。生半可な知識でいじくれるものではない――それこそ、設計者と同じくらい、全体の構造を理解してはじめて手を出せる部品なのだ。サイボーグ・デザイナーとして勉強した(ヴィオラの)経験によって、コッペリアは知っていた。
記憶と知識は、コッペリアにオルガへの不信を抱かせた。
だから彼女は、彼が嘘つき『ではない』と確かめることにしたのだ。
彼女は電話をかけた、赤コウモリ団たちのいた地区を担当している保安局に。そしてレッドバットの所在を訊いた。担当者は答えた。
『レッドバットは死亡しています』続けた死亡日時は、コッペリアが彼と戦った日だった。答えはハッキリした。
オルガはレッドバットを殺し、その心臓から部品を奪ってコッペリアに移植したのだ。
そんなことができるのは、彼女だけ――
――「ローズゥッ!!!!」
名前を呼ばれ、少年は優しげな微笑をかえした。




