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第十五話

 薔薇棺が示した丘は施設の建物から200メートル程度しか離れていなかった。緑は無く、石がごろごろした砂利の丘だった。三人は無言でその頂上まで上った。たどり着くと、コッペリアと薔薇棺は5メートルほど離れて立ち、彼らから少し離れてオルガが立った。コッペリアも薔薇棺も、とっくに準備ができていた。ふたりは向き合い、相手をまっすぐに見すえながら腰の拳銃に軽く手を触れていた。

 風は弱く、空は曇っていた。オルガは遠雷を聞いた。生ぬるく湿った空気に重苦しい緊張があった。

 やがてコッペリアが言った。

「準備はいい?」

 薔薇棺は微笑した。

「あの夜から、私はこの日を待っていました」

「オルガ、合図をお願い」

 オルガは頷き、ポケットから一枚のコインを取り出す。

「――いくよ」指で高く弾いた。

 銀色のコインが回転しながら三人の頭上高く浮き上がり、そして頂点に達して落下を始めた。あまりにも短い時間だが、コッペリアにはもどかしかった。彼女には落ちるコインがスローモーションに見えている。自分を抑えるのに必死だった。

(ルールを破ったら、その時点で悪党だ……薔薇棺は、なんとしても正当な手段で倒さなくちゃいけない!)

 コッペリアの視線は薔薇棺に吸い付いたままだった。薔薇棺は、コッペリアの熱い視線をまっすぐに見返し、また微笑んだ。コッペリアはゾッとした。

(――あいつ、『ついてきて』いるッ!?)

 コインが地面に触れた。同時に大きな銃声が響き、コッペリアと薔薇棺の間で大きな火花と奇妙な金属音があった。そばで見ていたオルガはその意味を理解するのに数秒かかった。

(弾丸同士が衝突した!?)

 ふたりは連続して発砲した。続いて五つの火花と金属音が鳴り、オルガは恐怖に身を伏せた。コッペリアと薔薇棺はお互いに空になった弾倉を、ゆっくりと交換した。

「いい射撃ソフトを積んでますね」薔薇棺が微笑。睨むコッペリア。

「さて、どうしますか?」薔薇棺が銃をかまえる。

「――こうするッ!」コッペリアはいきなり走り出し、薔薇棺の側面にまわろうとした。薔薇棺はニヤリと笑い、体をひねって射線を避ける。黒いドレスのスカートと長い黒髪が空気をはらんで大きく広がり、まるで花びらのような美しさがある。

 コッペリアは射撃する。薔薇棺は紙一重で避ける。薔薇棺が撃ち返す。コッペリアの鼻先1ミリを弾丸がよぎる。撃ち返す。かすめる。撃ち返す。かすめる。連続で撃つ。ふたりの間で火花がおきる。同時にリロード、装填完了と同時に射撃。ひときわ大きな金属音と火花。嗤う薔薇棺。舌打ちするコッペリア。再びリロード。ここまで3秒未満。

 オルガにはもう彼女らがどういう動きをしてなにをしているのか理解が追いつかなかった。ただ輝く金色の影が黒くて大きな花の周りをランダムな動きでまとわりついているようにしか見えなかった。時折起こる火花と金属音は美しく、ふたりは、まるでひとつの生き物のようにすら見えていた。

 コッペリアは身体の性能を限界値まで引き出していた。最高級の人工筋肉がきしむほどに力をこめ、全身のセンサーの感度を最大にしていた。いまの彼女には周囲のすべてが理解できていた。薔薇棺のコンマ1秒から30秒後の姿勢までが完璧に予測でき、また自分がその間彼女をしとめられないことも理解した。射撃制御ソフトは最適解を提示し続け、コッペリアの両腕はまるでもうひとつの脳がついているかのように無意識的に射撃と再装填を行う。

 コッペリアは足を止めた。彼女の呼吸は乱れていない。

 薔薇棺も動きを止め、顔にかかった髪をはらった。

「もうおしまいですか?」薔薇棺が少しがっかりした様子を見せる。コッペリアは無言だった。

「コッペリアさん、あなたさっきから急所を狙っていませんよね? 私を生かしたまま行動不能にしようとしている……何が目的ですか?」

「余計なお世話だよ」

「あなたは私を殺すためにここまで来たのではないのですか? 違うのならば、目的を聞かせてくれませんか?」

「私はおまえと決着をつけにきたんだ」

「それは、今私が申し上げたこととどう違うのですか?」

「殺さなくても決着はつけられる」

「同情しているのですか?」せせら笑う薔薇棺。無言のコッペリア。

「どうやら手加減をしたのは間違いだったようですね」薔薇棺は関節を鳴らす。

「コッペリア、あなたには失望しました。あんなことまでしてあげたのに……怒りが足りない。憎しみが足りない。それではダメです。もっと私を殺したくなりなさい。もっと私を憎みなさい! もっと! もっと! 血なまこになるくらい私を求めなさいッ!!」

 薔薇棺が銃を向け、発砲した――「ぐぁっ!?」悲鳴をあげたのは少年だった。

「オルガッ!?」コッペリアは彼を見ようとしたが、薔薇棺から視線を外すことはできなかった。彼女が発砲していたので、コッペリアはそれを避けなければならなかった。

 薔薇棺は追撃する。弾切れになるまで撃ち尽くし、素早くリロードする。コッペリアはそのすきを突いて撃ち返す。薔薇棺は体をよじって避ける。ドレスのスカートに穴が開く。わきおこる硝煙が、ふたりの体で吹き飛ばされていく。

 撃つ。避ける。撃つ。避ける。撃つ。避ける。撃つ。避ける。撃つ。避ける――終わりがなかった。

(これじゃだめだ!)コッペリアは歯を食いしばる。

(このままじゃヤツは倒せない! もっと危険を犯さないと! もっとギリギリを! はやく倒さないと――)

「――彼はもうすぐ死にますよ」最中、薔薇棺がささやいた。激しい撃ち合いの中でもその言葉は冷たくはっきりとコッペリアの耳にとどいた。

(オルガッ……!)

 コッペリアは決断した。

 引き金を引いた。薬室内で炸薬がはじけ、凶悪なスピードで金属塊が銃身内部を通過する。放たれた弾頭は、しかしこれまでと同様に避けられはしなかった。

「ぐぁっ!?」薔薇棺が悲鳴をあげた。彼女は腹を撃ち抜かれ、踊るように地面に倒れた。

 倒れたのはコッペリアもだった。彼女は仰向けに倒れた。こうなったのはコッペリアがほんの一瞬だけ弾丸を避けるのをやめたからだった。動きをとめ、射撃制御ソフトが示す最適な射撃位置からズレることで、薔薇棺の回避の予測から外れたのだ。そのためコッペリアの弾丸は薔薇棺に命中し、また薔薇棺の弾丸もコッペリアの額に着弾したのだ。

「コッペリアぁッ!?」

 叫んだのはオルガだった。彼は口から血を流しながらも、なんとか彼女のところに這っていこうとしていた。

 そのとき、どちらかが立ち上がった。彼女はよろめきながら立ち上がり、そしてオルガを見、かけよった。

「――オルガ!」

 コッペリアだった。彼女の額にはわずかな傷が少しついているだけで出血すらなかった。

「今止血するから!」そうして彼女はポーチから道具を取り出し処置をしていく。

「君は……君は大丈夫なのか? 薔薇棺は……ぐっゴホッ!」オルガは青ざめていた。

「喋らないで。私は平気」

 手早く処置を終えたコッペリアは再び銃を抜き、薔薇棺の方へ歩いた。彼女は大の字になって倒れていた。薔薇棺のわき腹は大きくえぐれ、中からロボット特有の白い体液が沢山流れ出た形跡があった。しかし表情は変わらず、彼女はいつもの微笑みをたたえていた。

「おめでとうございます」薔薇棺は言った。

「私はもう戦闘不能です。脊椎が破損して、下半身が動かせません。あなたの勝ちです。今こそ、長年の悲願を達成するときですよ」

「何が長年の悲願だ……」コッペリアは眉間にしわを寄せ、憎々しげに薔薇棺を見下ろす。

「弱い弾丸を使っていたな。私の体のスペックはよく知ってるくせに……はじめから私を殺す気はなかったんだな……!」

「私の準備不足ですよ。大切なのは結果です。私とあなたは戦い、そして私は負けた」

「こんなの、私が望んだ決闘じゃない! 薔薇棺、おまえは私をおまえと同じにするつもりか!」

 すると薔薇棺はしばらく目を閉じ、考えるそぶりを見せた。そしてまた目を開くと自嘲するように笑い、コッペリアの目を見返した。

「そうですね……たしかにそうです。私はあなたに有効な弾丸を使うべきだった。そのほうが正しい行いでした。でもそうしなかったのは、きっと、この決闘を――あなたにとって唯一無二のこの決闘を――台無しにしたかったんだと思います」

 薔薇棺は、自分で自分の発する言葉が信じられないようだった。

「私はあなたに嫉妬していたのかも」

「嫉妬……?」訝しむ。そして驚いた。

 薔薇棺の大きな瞳から涙が溢れていた。彼女はおよそロボットとは思えない悲しみの表情を浮かべ、半開きの口から嗚咽を漏らしていた。その様があまりに汚らしく、同時に人間らしくて、コッペリアは息をのんだ。

「ああ……! そうか、私はあなたに……! なんてこと……! 私には心などないと……! ロボットだから……あなたとは違うから……! ああ! これが心! 感情!? イヤだ! 私はようやく……! たすけて……、たすけてください! 死にたくない!」

「薔薇棺、どうしたんだ?」コッペリアは困惑していた。

「私はコフィンです! 私は死にたくない! たすけて、ヴィオラさん――」直後に銃声があって、薔薇棺の頭が砕けた。


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